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一章・石崎恵子

3話・春風の中で

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 そうして、母が車椅子の安村というジイさんに好意を持たれるように行動し出してから「恋愛」というものが発生した。

 母はジイさんを利用してるだけだろうが、ジイさんにとっては人生最後の恋愛だろう。グループホームに入所している老人に対して、仕事以外で積極的に話しかける人間なんてまずいない。様子を見る限り、確実に安村ジイさんは母に恋をしてしまっていた。

 母も俺の父である旦那と死別しているので、利用しつつも楽しんでいるようだった。

 当然ながら、この一ヵ月間だけでも色々な事件があったようだ。

 忍者のように物音を立てずに二人で外に出かけてしまう。夜勤者の目を掻い潜りいつの間にか、朝まで二人で過ごしている。レクリエーションでも二人でしか行動しようとしない……まるで、学生カップルのようなべったり具合で他の入居者からは引かれてもいる話を聞いた。

 それに、時の館の近所の公園では夫婦と勘違いされているようで母は満更でも無いようだ。そこの連中に呼び方をお婆さんと言われたのには「ふざけんじゃないよ! お前の方がババロアだ!」とキレていたようだが。

 それに対して「ババロアじゃなくて、ババアだよ」と安村ジイさんはツッコんだが同じくキレられたそうだ……ジジイが食ってもババロアという事だな。

 そして、今日は俺も近くの公園に向かって散歩する事になった。母には勿論、車椅子は押させていない。何故なら、安村ジイさんは誰の介助も無く車椅子を運転しているからだ。

「あれ……安村さんって自分から車椅子を運転してましたっけ?」

「ここ最近はもう昔と違って自分で出来るんだよ。僕もまだまだ若いから、自分の事は自分でしないとね。康介君には負けないよ!」

「はは……その元気の良さは見習って行きたいですね」

「そうだよ。康介も安村ジイさんの事をもっと尊敬しないとね。安村ジイさんは私のペットだから」

「おい、ペットとか言うなよ? 安村さんもワンと言わない」

 この二人のノリについていけねー……。
 このジイさん、見学で見た時は屍が車椅子に乗ってるイメージだったのに、今じゃ別人じゃねーか! とツッコミたくなるレベルで変化していた。

(人生最後の恋愛パワーは凄いな……)

 と、生命力に満ち溢れている安村ジイさんに驚いた。公園内を散歩して、花などの景色を見ながら話していた。春風が流れるこの公園内は、とても穏やかで俺も心が洗われるようだった。
 そして、昼になり持ってきたおにぎりを食べる事になった。安村ジイさんはまるで犬のように梅おにぎりにがっついている。

「安村さん、やけに食欲があるな。って、全然声が届いて無いぐらいの勢いで食べてる……」

「あのジイさんは面白い人だよ。私と結婚したいらしくて笑っちゃうよね!」

 母にはその話何回目だよ……? と思っていたが、スルーした。母も安村ジイさんの事はやはり満更でもないようだ。

「でも安村さん居てくれて良かったな。グループホームでの生活も楽しいだろ?」

「そうだね。再婚するかはわからないけど、安村ジイさん居てくれて楽しいよ。ちゃんとしてる私が時の館の一番だから!」

「ちゃんとしてる……そうだな。時の館では一番だろう。うん」

 安村ジイさんも一番という響きに頷いているから、俺も頷いておいた。親子でも無いジイさんでも、何か親近感すら感じているのを自覚した。

(いい風だ……)

 吹き抜ける春風が、俺達三人を家族のように祝福していた。

 そうして、車椅子生活の安村ジイさんは自分から行動するという能力が身についていた。人生最後の恋愛は、気力と体力といったものすら回復させるようなパワーがあったようなんだ。
 気力と体力があれば、その次は性欲だ。
 その性欲こそが、車椅子生活で少し塞ぎ込んでいた老人を活性化させていた。まるで、若者のように笑い、活動しようとする原動力になっていた。

 母と安村ジイさんは、会話が噛み合わないながらも仲良く生活していた。まるで、長年寄り添った夫婦のように。
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