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いよいよ新プロジェクトが始まった。
プロデューサーである天ヶ瀬社長が企画書を書き起こしたばかりで、まだ形は何もない。
戦闘、フィールド、UI(ユーザーインターフェース)、モデルなど、各パートのリーダーが選出され、企画書に基づく、大まかな方針を検討し始めたところだ。
ディレクターは村野。社長の親友で、二人でノベルティアイテムを立ち上げた。アプリ開発の会社にいた凄腕プログラマーで、何でも自分で作り上げるというフロンティア精神を持っている。常務取締役というポジションになるが、経営には口を出さず、開発に徹している根っからのエンジニアである。
天ヶ瀬、村野は「エンゲージケージ」(略称は「エンゲジ」)のプロデューサー、ディレクターも担当していたが、そのまま新プロジェクトも兼任することになる。
そして、シナリオパートは三年目の小椋文見が務める。だがメンバーは文見一人。
設定やストーリーの大筋が決まるまでは一人で動くしかない。文見が考えて文章にまとめ、プロデューサーとディレクターと相談しながら承認を得ることで決定となる。
裁量の大きい仕事で自分の意志が通りやすいが、自分がやらないことには何も進まないため、責任はあまりにも重大だった。設定が決まればそれからは、他の社員に手伝ってもらったり、外注ライターを雇ったりして、ひたすらセリフを量産していくことになる。
「ヒロイックリメインズ(仮)か」
それがこれから作るゲームの名前だった。
文見はプロジェクトメンバーに配布された企画書に目を通していた。
リメインズとは、残りもの、遺作、遺跡、遺体といった意味である。
本作の場合は遺跡。
驚くなかれ。なんと! 遺跡が擬人化してヒーローになる世界を舞台としたゲームなのだ。
「遺跡が擬人化? なにそれ……」
隣席の久世が半笑いで言う。
「ちょっと! 見ちゃダメだって!」
文見は慌ててモニターを手で隠す。
久世が横から、モニターに映った企画書をのぞき見ていたのだ。
企画書の内容はまだ社内でも機密扱いである。小さい会社なので決まりは緩いが、一定の手続きを踏んで企画会議を行い、承認を得られたら本決まりとなり、公に動くことができる。
だが、まだこの企画書は企画会議も行われていない、未完成、未承認のものだった。
「擬人化ブームってあったけどさ、遺跡って需要あんのかなー?」
久世はこの企画内容に否定的だった。
このアイデアを出したのは、プロデューサーである天ヶ瀬なので、内容に対する批判は社長批判になってしまう。
「まあねえ……」
批判はよくないけれど、文見も企画書の内容に疑問がないわけではなかった。
「擬人化って何があるっけ? えーっと、軍艦、戦車、刀剣、銃、馬、国、城、妖怪、星座、食べ物……。んー、使い古しすぎて、なってないものはなさそうだなー」
「神社の擬人化もあって、話題になったよね」
「あったあった。でも実在の神社を出すのはどうなんだって炎上したやつだな」
「宗教的なのはセンシティブだからね……。結局、ゲームはリリースされなかったんだっけ。あれが自社のことだったら、大変だったろうなあ……」
自分が死ぬ気で何年もやってきた仕事は全部パーになるわ、あちこちからクレームが来るわ、というのを想像して、文見は気が滅入ってくる。
「アイデアは悪くなかったと思うんだよなあ。みんなが知ってる有名な神社はいっぱいあるし、ビジュアルもいいし、名前もかっこいいしで。……けど、遺跡はどうなんだ……」
「そんなに遺跡は嫌? ご当地の擬人化キャラはいっぱいいるでしょ。温泉や鉄道とかあったけど、けっこう流行ってるじゃない? 町おこしになるからって」
「えー、そうかもしれないけど、遺跡だぞ? すげー古くさくてぱっとしない。神社は古いのがかっこいいんだろうけど、なんか遺跡はただ古くさい気がすんだよな。えーとなんだ、三内丸山遺跡とか? 何時代だよ、何県にあんだよ?」
三内丸山遺跡とは、青森県にある縄文時代の遺跡である。
縄文時代といえば建築技術が低く竪穴式住居しかないイメージだが、三内丸山遺跡では巨大な6本の柱が見つかり、巨大な建造物があったと判明した。興味のない人にとってはどうでもいいかもしれないが、専門家には世紀の大発見であった。
「まあね……。貝塚とか古墳とか? 大昔の遺跡はちょっと微妙だよね、地味だし。でもこのゲームは、遺跡というより『名所』の擬人化みたい」
「名所って……景色のいいところ?」
「それもあるね。渓谷や滝が出てくる。あとは合戦場。たぶん桶狭間とか、関ヶ原が出てくるのかな」
「ああ、なるほど!」
久世は大きく頭を上下に揺らしながら、手を打って言う。
「信長みたいなのが出てくるのか。それはアリかも。桶狭間なら今川義元なのかな? モチーフが分かりやすいやつならけっこうイケそう」
久世は、刀を持って甲冑を着た戦国武将のようなキャラを想像したようだ。
企画書には登場する名所の候補が書いてあった。
まだアイデアレベルだろうが、華厳の滝、姫路城、関ヶ原、白川郷、屋久島、黒部峡谷、吉野ヶ里遺跡などが並んでいる。遺跡というとあまり面白そうなイメージはないが、名所ならば知名度もバリエーションもあって、いろんな展開が考えられそうだった。
「吉野ヶ里遺跡って日本100名城の一つなんだ? へー」
文見はスマホで、企画書に書かれていた名所を調べている。
吉野ヶ里遺跡は弥生時代の遺跡である。城といえば戦国時代のものが思いつくが、相当古いものだ。集落の周りに大規模なお堀が作られ、それが原始的な城ということらしい。邪馬台国の都市だったのではという説もあり、かなり重要度の高い遺跡である。
ちなみに堀は壕であって、濠ではない。掘った溝に水が流れているかは重要な問題らしい。
「で、どんなゲーム性? もっと下、見せて」
「ダメダメ。まだ秘密だからね。漏らしたとなったら、あたしが怒られちゃう」
「ちぇー。わかったよ」
久世はそう言ったがあまり信用できなかった。きっと同じく口の軽い同僚に社内チャットをし始め、さらなる情報を聞き出そうとするだろう。さすがに社外に漏らすほど愚かではないけれど。
「んんん……んんー」
久世がチャットにいそしんでいる横で、文見はうなっていた。
世界観やストーリーに関して企画書に書かれている内容は、久世と話したぐらいのものしかなかった。つまり、あとは自分で考えて、膨らましていかないといけないのだ。
「どっから着手すればいいんだろ? いきなりメインストーリーを作るわけにはいかないよね……。やっぱキャラの選定から? となると、みんなが知ってる名所がいいよね。……いや待てよ。そもそも、なんで名所が擬人化して、動き出するんだ? こいつら神様か何か?」
文見はアニメやゲームに詳しいが、シナリオを書くのが初めてだった。ゲームシナリオを作るとき、どんな手順で作業していいのかまるで知らない。
いきなり初心者がシナリオライターなんかやっていいのか、という不安に思っていた問題にぶつかってしまった。
まずは看板キャラといえる、主役となる名所を選んだほうが、全体のイメージが湧きやすい気がする。本作の主人公は真田幸村だ、ジャンヌダルクだ、と宣言したほうが、どんなゲームになるのか分かりやすいものだ。
けれど、そもそも名所を擬人化することに需要があるのかも、やはり気になってくる。キャラが「俺は三内丸山遺跡だ!」と登場して、ユーザーは嬉しいのだろうか、その状況を理解できるのだろうか。
自分を納得させるためにも、どうして名所が擬人化して登場するのか設定を固めて、名所の擬人化が魅力的であることを示したほうがいいかもしれない。
そう思ったところで、社長から社内チャットでメッセージが来た。
正式なのは来月でいいから、簡単な資料できたらゴールデンウイーク前には共有して。
「そっか、資料にしないといけないんだよね……。どうまとめたらいいんだろ……」
社会人の重要な仕事といえば、資料作りだ。これはゲーム会社も同じである。
多くの人に理解してもらうため、記録に残すために、主張したいこと、自分がやりたいことを文として書いていく。
口頭で議論するのも大事だが、あとで必ず齟齬が出てしまう。文章にまとめるのは非常に大切で、その技術は地味だが非常に重宝される。
「そうだ、聞いてみよう!」
分からないからできませんでした、なんて通用しない。佐々里はそれで教えてもらえなかったけど、ここは二年お世話になっているホームで、自分は愛されるべき数少ない新卒採用社員。
資料作りは前例にならうのが基本。きっとゲームシナリオも過去に作った資料があるはず。なら、それにならって書けばいいだけ。
文見はぐらんぐらんと体を揺らしながら悩むのをぱっとやめて、「エンゲージケージ」のシナリオライターである井出の席に向かった。
「井出さん、ちょっといいですか?」
ボサボサ髪で無精ひげの男が、パソコンに向かって激しくキーボードを叩いている。イヤホンをしていて文見の声が届いていないようだ。
「井出さん~! 井出さん~!」
肩を叩こうかと思ったが大先輩に触れられるはずもない。横から乗り出して視界に入るよう、手を振ってみせる。
ようやく文見に気付いて、井出はビクッと幽霊に遭遇したような反応し、慌ててワイヤレスイヤホンを外す。
「あー、ごめんごめん」
この会社では、私服はもちろん、イヤホンして音楽を聴きながら仕事をするのが許容されていた。
ゲームのモニターをするとき、音を垂れ流してプレイされると、うるさくて仕事の邪魔になるからだ。
本当はゲーム中の音声確認しか許されていないのだろうが、聞いているのがゲームなのか、勝手に聞いている私物の音楽なのか判別するのは大変なので、誰も気にしないことにしている。
後輩の相談は大切なので、井出も鑑賞を邪魔されてむっとしたりはしない。さすがに音楽を聴いている負い目がちょっとある。
井出は「エンゲージケージ」の立ち上げメンバーで、本タイトルの設定全般を担当し、ほとんどすべてのシナリオを書いている。ヘルプとして関わっている人は他にもいるが、井出がこの会社で一番シナリオ制作について詳しい。
「えーっと、新しいプロジェクトだっけ?」
井出はそう言うと、すぐに顔を画面に戻してしまう。
「はい。設定を任されたんですが、何から初めていいか分からなくて」
「あー、新しいゲーム作るのって大変だよねえ。当時苦労した気がするよ。決めることいっぱいだし、資料も書くのも時間かかるんだよねえ」
「そうなんですよ! それで今、困っちゃって」
「だよねえ。初めてのことは分からないよねえ。社長から手伝ってと言われたけど、俺には『エンゲジ』あるから断っちゃった。大変だと思うけど頑張ってね」
井出はちらちら文見を見て返答するものの、キーボードを打つ手は止まることがなかった。
ながら対応をされるのはあまりいい気がしないが、生気のない肌、くたびれた服、空のペットボトルやエナジードリンクが乱立した机を見ると、「ちゃんとこっちを向いてしゃべってください!」とはとてもお願いできない。
だが井出はそんな気遣いなど知らず、そのうち文見が隣のいるのを忘れて、キーボードに夢中になってしまう。
井出の作業を見守ること三分、井出は会話していたのを思い出し、横を見ると文見が戸惑った様子で作業を見守っていた。
「あああ、ごめん! だいぶ仕事遅れててさあ。次のイベント、ピンチなんだ」
今度はキーボードから手を離して、ようやく文見に向き合う。
井出は現在、「エンゲージケージ」の追加シナリオやイベントを一人で担当している。プロットを作り、外注のシナリオライターにライティングを依頼している。だが、すべて一人で書き上げてしまうことも珍しくない。
そのため井出が手を止めると、進行がすべて遅れてしまう。他の人が手伝うという選択肢もあったはずだが、「井出が書くことになっている」と暗黙のルールが出来上がっていて、誰も手伝わないし、井出も自分の使命だと思っている。
こうして、ノベルティアイテムのシナリオライター一人体制が確立してしまっていた。社長としてはそれを打破するために、文見に白羽の矢を立てたことになる。
「いいえ、大丈夫です。当時の資料残っていませんか? これを作っておけば便利とか、フォーマットみたいなのがあると助かるんですが」
「資料かあ。あったかなあ? 二転三転して、かなりしっちゃかめっちゃかだったんだよ。うーん、残っててもめちゃくちゃかもしれない」
「少しでもヒントになるものがあれば、ものすごく助かるんですが……」
「そうだなあ……。分かった、あとで探して送っとくよ」
「助かります!」
多忙な人に頼むのは心苦しいが、このままでは裸で山を登ったり、地図なしで旅したりするようなものだ。一人で仕事をやりきるには、先達の井出から少しでも引き出さないといけない。
「新プロジェクトかあ、いいなあ。もう同じシナリオ三年書いてるから、だいぶ飽きてきたよ。それに、ユーザーもだいぶ飽きてるんじゃないかな。最近、シナリオに対するコメント全然上がってこないし」
「そんなことないですよー! 毎回新キャラが出るたびに、話題になってるじゃないですか!」
「新キャラといっても、みんな見てるのは絵なんだよ。セリフやお話なんて誰も気にしてない」
「でも、デザイン発注してるのは井出さんなんですよね?」
「そうだけど、最近はデザイナーの趣味になっちゃってる。俺が何言っても、全然反映されず、まったく別のものが上がってくるんだよ。島本さんはいいよな、ちやほやされて。俺も褒められたい」
島本はキャラデザイン担当の社員。「エンゲージケージ」はメインキャラを有名なイラストレーターに依頼しているが、その他はほとんど島本が描いている。イラストレーターとのやりとりも島本がやっているので、島本の意向が大きく反映されがちだった。
たまにメディアのインタビューに社長と一緒に答えている。なので、ゲームのイラストレーターとしては名前がちょっと知られている。
井出は自虐的なことをさらっと言えるタイプのようだった。本気でネガティブなわけではなく、それを面白いと思っている感じがある。つまりマゾだった。自分を痛めつけたくてしょうがない。だから、仕事を一人で抱え込んだり、自分を卑下したりする。
「あはは……。絵は分かりやすいですからね。ぱっと見でいいって思えるし、萌え~って興奮できます。でも、シナリオは難しいですよね。文章読むの時間かかるし、ガチャ引いてからじゃないと、お話読めないですもんね」
井出の気持ちは分かる。文見もエゴサーチをして、「エンゲージケージ」のことが褒められているのは嬉しいが、自分の担当したバランス調整やデバッグが褒められることはまずない。
佐々里が会社をやめたのも、自分のやった仕事がみんなに褒められたいからだった。誰もが知っているゲームで、目につくパートを担当したかった。結果は誰の目もつかないことになってしまったが……。
「俺も絵描こうかなー」
「井出さん描けるんですか?」
「いや全然」
しれっと言ってのける井出。
「え?」
「ただの希望。言うだけならタダだからね。小椋もやりたいことはとりあえず言ってみるといいよ。なんかの形で叶うかもしれない」
「はあ……」
自由人らしい発言で、若手社員の文見にはいまいちピンと来ない。
「あとよく寝ること。朝まで仕事したって、別に効率よくないからね」
「はあ……」
文見は呆れることしかできない。
井出の姿や席の惨状を見れば、まともに帰っておらず、寝ていないことが分かる。やっぱりマゾのようだった。
「それじゃ資料送っとく。あんま役に立てなくてすまんね」
「いえ! 貴重なお話ありがとうございました!」
井出はそう言うとすぐモニターに向き合い、キーボードを打ち始める。資料を探すと言っていたが、かなり後回しにされそうだった。
根っからの悪い人なら文句や催促ができるが、視野が狭くなりがちなだけで優しい人だから、あまり強く言うことはできなかった。他の社員からもそう思われていて、仕事が遅れても、最後には間に合わせてくれるからと突っ込まないようにしている。
井出はいつも一人行動だが、それは実力と信頼あってのことのようだ。
結局、井出の資料が届いたのは翌日だった。
「まあ、そうなるよね……」
文見は井出からのメッセージを夜まで待っていた。アイデア出しをしながらなので、無為な時間を過ごしていたわけではなかったが、早く資料が欲しくてずっとそわそわしていた。
メッセージの送信時間は朝の五時。今、井出は会社におらず、どうやらその時間に電車に乗って帰ったようだ。
「って……なんだこりゃ……」
結論からいうと、文見が求めているプレゼンに使えるような資料はあまりなかった。
メインキャラの設定、ストーリー案、音声収録脚本など、今まさにリリースされているゲームに関わる資料は、ファンなら垂涎物もの。身内しか見られない貴重な資料であり、会社の財産だ。
その他は個人的な書き殴りだったり、今とはまるで異なる設定だったり、何に使った資料なのか分からないものばかりだった。
「ふーん、立ち上げのときからだいぶ変わってるんだなあ」
今の仕事の役には立たなそうだったが、「エンゲージケージ」ができあがるまでを垣間見られるのは面白かった。
今では人気タイトルとして骨太のシナリオが形成されているが、当初はだいぶ違うようだ。
「へえ、もともと主人公自ら戦うゲームだったんだ。装備で見た目が変わるのいいな。なんでやめちゃったんだろ?」
今リリースされている「エンゲージケージ」は、簡単に説明すると次のような感じである。
現代人である主人公が異世界に飛ばされ、お姫様に世界を救ってほしいと頼まれる。他の世界からもいろんなキャラが召喚されていて、主人公は司令官として彼ら彼女らに指示を出し、強大な敵と戦うことになる。
しかし、主人公は会話に登場するだけで、自ら敵と戦うことはしない。見た目もけっこうおざなりで、画面に表示されることも少ない。
登場キャラはすべてオリジナルだが、騎士や武士、魔法使いや巫女、アサシンや忍者など、いろんな国や時代のモチーフを使ったキャラが登場する。いろんな時代から出せるようにしたのが成功の秘訣と言われていて、あとからドイツ風傭兵団、アメリカ風ガンマン、中国風歴史家などを追加しても違和感がなく、拡張性が非常に高かった。
文見は引き続き、井出からもらったファイルを開いていく。
「何これ、声優一覧?」
ファイルには声優の名前がたくさん載っていた。
どうやらキャラに音声をつけるとき、こんな声優に声を当てて欲しいという希望を書いたものだった。
「うわー、有名どころばかり!」
文見はそこまで声優に詳しくないが、そのリストに出てくる声優はほとんど知っていた。
今リリースされているゲームに出てくる声優とはだいぶ違っていて、メインキャラクラスは少しリストの通りになっているが、他は叶わなかったようだ。
「これでゲーム作ったら、すごいお金かかりそう。夢見過ぎでしょ」
この感覚は、文見が一般ユーザーから制作サイドに回ったから生まれたものかもしれない。ユーザー感覚だとひたすら有名な声優を採用して、イケボ、カワボで埋め尽くしたいと思ってしまうが、制作サイドは予算に合わせて声優を選ばなくてはいけない。
「有名人使えば、それだけいいゲームができるんだろうけど、予算も意識しないとなあ。……このプロジェクトはあたしが声優選んでいいのかな? ちょっと楽しみだけど、恥ずかしいな。ちゃんと選ぼ」
非常にそわそわする。全知全能の神になれたが、その行動は人々に監視されている。自分の趣味を取り入れすぎると、欲望にまみれたミーハーと社内で笑われそうな気がする。
「次は、っと……。キャラ候補のファイルかな。えっ、『赤のつなぎの男』?」
開いたファイルには、設定とラフのイラストが貼り付けてあった。
赤いオーバーオールに赤い帽子。大きな鼻の下には、特徴的なヒゲが生えている。
「マリオじゃん……」
完全に他社のゲームキャラである。
「とりあえず候補だからって、変なものも混ぜたみたのかな……。正式なコラボで登場させるなら全然アリだけど、さすがにパクリはちょっとねえ……」
どういう迷走をしたら、他社のキャラにそっくりなものを出そうとするのか、まったく見当がつかなかった。面白いと言えば面白いが、著作権的にNGだから訴えられても仕方ないだろう。
「でも、コラボっていいなあ。新プロジェクトも、どっかとコラボできないかな。でもうちの会社、他とつながりないよねえ……」
他社とのコラボで、他ゲームのキャラを登場させたことがなかった。それはまだノベルティアイテムが無名だからである。
コラボは相手にもメリットがあって成立する。ノベルティアイテムとの効果は低く、正しくキャラのブランドを守った扱いをしてくれる会社なのかも分からないので、大手はあえてコラボしたいとは思わないわけだ。
コラボするには、危ういことはせず、企業やユーザーからの信用を少しずつ積み上げていくしかない。
「んー、遺跡擬人化ゲームだと相性悪いかな。コラボしにくいかも……」
コラボはそのゲームのファンが興味を持ってくれるので、ユーザー数を増やすには最も良い施策の一つ。しかし、ゲームの世界観を壊す恐れがあり、諸刃の剣になることもある。
「和風になるのは間違いないから、日本っぽいキャラとならコラボはアリか。でも、そういうのはゲームをリリースしてからの話だよなあ。売れるか分かんないゲームとコラボしたいわけないし。……って」
文見ははっとする。
売れるか分かんないゲーム。
自分でそう言っていて、自身にダメージを受けてしまう。
「売れないゲームにするのは、あたし自身か……。あたしが売れるようにしなくちゃいけないんだよね……。よそとコラボしたいなら、相手が売れそうって思う内容にしなきゃ……」
まだ形にもなっていないものが売れるかどうか分からない、というのは当然のことだが、それを作っているのは自分自身で、売れるように頑張るのは自分の仕事である。
だから売れなかった場合は、ゲームのせいではなくて、自分のせいだ。相手がコラボしたくないと思われる状況になってしまったならば、その元凶は自分にある。
「頑張ろ……。死ぬほど頑張ろ……」
文見は閉じたファイルを最初から開き直す。
ここに正解はないから不要だ、と思ってすぐ閉じたものだ。
正解は確かにそこになかった。でも失敗がある。今の「エンゲージケージ」はその失敗を経験して、なんとかリリースまで持ち込み、今の大成功を勝ち取ったのだ。
文見がこのファイルから学ばなければいけないのは「失敗」だった。
「井出さん、ごめんなさい……」
きっと井出も「こんなに人気声優使えるわけない。夢見過ぎでしょ」と社長に怒られながらリストを作ったに違いない。先達の失敗から、無用な工程をなくせるよう工夫するのが、後進の仕事である。
何も知らないのに偉そうに批評してしまった自分を恥ずかしく思うばかりだ。どうして他人事のように考えてしまったんだろう。新プロジェクトのシナリオ担当は自分だ。ならば、自分が責任持って、「これは素晴らしいゲームです」と胸を張って言えるぐらいの品質に高めていかないといけない。
「社長に認めてもらったんだから、学生気分って笑われないようにしないと」
気を取り直して、今度はファイルを丁寧に確認していく。
使えないように見えて、役に立つ情報がきっと隠れているはず。それを吸収してすごい作品を作ってやるんだ。
「へえ、ケージは初期からあったんだ」
「エンゲージケージ」は、タイトルにあるように「ケージ」というものが登場する。
これは様々な「檻」を指し、檻からキャラを解放することで、ハッピーエンドをもたらしていくことになる。キャラによってそれは、姫が洞窟に閉じ込められているといった物理的なものであったり、親友の死によって明日へと踏み出す勇気がない精神的なものだったりする。
そのバリエーションがあまりにも多彩で、ケージから解放するという、視覚的にも感覚にも分かりやすいことが、様々な層のユーザーの獲得につながった。コアファンはシナリオを読みたくてガチャを引くという。
「井出さんのアイデアだったんだ、すごいなあ。私も、こういう要素をうまく入れ込んでいきたい……」
ワードの図形作成機能を使って、ケージの表現方法が描かれている。あまり上手とは言えないが、どんなものを作りたいか、その熱意が伝わってくる。
「んー……そっか。戦闘も、シナリオが絡んでるんだ」
井出のファイルに戦闘パートのことも書いてあった。
「エンゲージケージ」のバトルシステムはシンプルで、ほとんどオートで戦うことができ、必殺技のタイミングをユーザーが決めるぐらいの戦略性である。ゲームの肝としては、パーティー編成にあり、どんな属性や特性を持ったキャラを組み込むかで強さが決まるので、何千何万通りの組み合わせを楽しむことができる。キャラが増えるだけ幅が広がるので、それが定期的にガチャを引かせたくなり、マネタライズにつながっている。
「わっ、エンゲージリンクも井出さんの発案!? すごっ!」
エンゲージリンクは戦闘中の必殺技である。キャラの組み合わせによって様々な効果が発動する。
エンゲージは契約や婚約という意味がある。主人公とキャラとの契約、婚約のような絆という意味が込められている。それを表現するものとして、必殺技となっているわけだった。
リンクはそのままキャラとのつながりを意味しているし、指輪の「リング」もかかっている。
「なるほどね……」
適当なネーミングのようで、世界観や制作者の思いが込められていると知り、文見は感嘆するばかりだった。
そして、シナリオパートの仕事は、設定やプロットを書くだけではないことにも驚いた。井出はゲームシステムでどうやれば世界を表現できるかを他パートに提案していた。
「ん、なんか小さい文字で書いてある。『敵と交戦することもエンゲージというのでどこかで表現したい……』って、メモ? どっかでそんな表現あったかなあ。戦闘で見たことないけど没になった? でも、なんで小さい字?」
その資料から文見は知ることができないが、井出が提案しようと思ったものの、いい案が思いつかなくてそのままになってしまった仕様であった。時間があれば何とかしたかったし、そのメモを見た人がアドバイスをくれたらいいなと思っていた。
「入ってたら面白そうなのになあ。もったいない」
そう言って文見はファイルを閉じた。
プロデューサーである天ヶ瀬社長が企画書を書き起こしたばかりで、まだ形は何もない。
戦闘、フィールド、UI(ユーザーインターフェース)、モデルなど、各パートのリーダーが選出され、企画書に基づく、大まかな方針を検討し始めたところだ。
ディレクターは村野。社長の親友で、二人でノベルティアイテムを立ち上げた。アプリ開発の会社にいた凄腕プログラマーで、何でも自分で作り上げるというフロンティア精神を持っている。常務取締役というポジションになるが、経営には口を出さず、開発に徹している根っからのエンジニアである。
天ヶ瀬、村野は「エンゲージケージ」(略称は「エンゲジ」)のプロデューサー、ディレクターも担当していたが、そのまま新プロジェクトも兼任することになる。
そして、シナリオパートは三年目の小椋文見が務める。だがメンバーは文見一人。
設定やストーリーの大筋が決まるまでは一人で動くしかない。文見が考えて文章にまとめ、プロデューサーとディレクターと相談しながら承認を得ることで決定となる。
裁量の大きい仕事で自分の意志が通りやすいが、自分がやらないことには何も進まないため、責任はあまりにも重大だった。設定が決まればそれからは、他の社員に手伝ってもらったり、外注ライターを雇ったりして、ひたすらセリフを量産していくことになる。
「ヒロイックリメインズ(仮)か」
それがこれから作るゲームの名前だった。
文見はプロジェクトメンバーに配布された企画書に目を通していた。
リメインズとは、残りもの、遺作、遺跡、遺体といった意味である。
本作の場合は遺跡。
驚くなかれ。なんと! 遺跡が擬人化してヒーローになる世界を舞台としたゲームなのだ。
「遺跡が擬人化? なにそれ……」
隣席の久世が半笑いで言う。
「ちょっと! 見ちゃダメだって!」
文見は慌ててモニターを手で隠す。
久世が横から、モニターに映った企画書をのぞき見ていたのだ。
企画書の内容はまだ社内でも機密扱いである。小さい会社なので決まりは緩いが、一定の手続きを踏んで企画会議を行い、承認を得られたら本決まりとなり、公に動くことができる。
だが、まだこの企画書は企画会議も行われていない、未完成、未承認のものだった。
「擬人化ブームってあったけどさ、遺跡って需要あんのかなー?」
久世はこの企画内容に否定的だった。
このアイデアを出したのは、プロデューサーである天ヶ瀬なので、内容に対する批判は社長批判になってしまう。
「まあねえ……」
批判はよくないけれど、文見も企画書の内容に疑問がないわけではなかった。
「擬人化って何があるっけ? えーっと、軍艦、戦車、刀剣、銃、馬、国、城、妖怪、星座、食べ物……。んー、使い古しすぎて、なってないものはなさそうだなー」
「神社の擬人化もあって、話題になったよね」
「あったあった。でも実在の神社を出すのはどうなんだって炎上したやつだな」
「宗教的なのはセンシティブだからね……。結局、ゲームはリリースされなかったんだっけ。あれが自社のことだったら、大変だったろうなあ……」
自分が死ぬ気で何年もやってきた仕事は全部パーになるわ、あちこちからクレームが来るわ、というのを想像して、文見は気が滅入ってくる。
「アイデアは悪くなかったと思うんだよなあ。みんなが知ってる有名な神社はいっぱいあるし、ビジュアルもいいし、名前もかっこいいしで。……けど、遺跡はどうなんだ……」
「そんなに遺跡は嫌? ご当地の擬人化キャラはいっぱいいるでしょ。温泉や鉄道とかあったけど、けっこう流行ってるじゃない? 町おこしになるからって」
「えー、そうかもしれないけど、遺跡だぞ? すげー古くさくてぱっとしない。神社は古いのがかっこいいんだろうけど、なんか遺跡はただ古くさい気がすんだよな。えーとなんだ、三内丸山遺跡とか? 何時代だよ、何県にあんだよ?」
三内丸山遺跡とは、青森県にある縄文時代の遺跡である。
縄文時代といえば建築技術が低く竪穴式住居しかないイメージだが、三内丸山遺跡では巨大な6本の柱が見つかり、巨大な建造物があったと判明した。興味のない人にとってはどうでもいいかもしれないが、専門家には世紀の大発見であった。
「まあね……。貝塚とか古墳とか? 大昔の遺跡はちょっと微妙だよね、地味だし。でもこのゲームは、遺跡というより『名所』の擬人化みたい」
「名所って……景色のいいところ?」
「それもあるね。渓谷や滝が出てくる。あとは合戦場。たぶん桶狭間とか、関ヶ原が出てくるのかな」
「ああ、なるほど!」
久世は大きく頭を上下に揺らしながら、手を打って言う。
「信長みたいなのが出てくるのか。それはアリかも。桶狭間なら今川義元なのかな? モチーフが分かりやすいやつならけっこうイケそう」
久世は、刀を持って甲冑を着た戦国武将のようなキャラを想像したようだ。
企画書には登場する名所の候補が書いてあった。
まだアイデアレベルだろうが、華厳の滝、姫路城、関ヶ原、白川郷、屋久島、黒部峡谷、吉野ヶ里遺跡などが並んでいる。遺跡というとあまり面白そうなイメージはないが、名所ならば知名度もバリエーションもあって、いろんな展開が考えられそうだった。
「吉野ヶ里遺跡って日本100名城の一つなんだ? へー」
文見はスマホで、企画書に書かれていた名所を調べている。
吉野ヶ里遺跡は弥生時代の遺跡である。城といえば戦国時代のものが思いつくが、相当古いものだ。集落の周りに大規模なお堀が作られ、それが原始的な城ということらしい。邪馬台国の都市だったのではという説もあり、かなり重要度の高い遺跡である。
ちなみに堀は壕であって、濠ではない。掘った溝に水が流れているかは重要な問題らしい。
「で、どんなゲーム性? もっと下、見せて」
「ダメダメ。まだ秘密だからね。漏らしたとなったら、あたしが怒られちゃう」
「ちぇー。わかったよ」
久世はそう言ったがあまり信用できなかった。きっと同じく口の軽い同僚に社内チャットをし始め、さらなる情報を聞き出そうとするだろう。さすがに社外に漏らすほど愚かではないけれど。
「んんん……んんー」
久世がチャットにいそしんでいる横で、文見はうなっていた。
世界観やストーリーに関して企画書に書かれている内容は、久世と話したぐらいのものしかなかった。つまり、あとは自分で考えて、膨らましていかないといけないのだ。
「どっから着手すればいいんだろ? いきなりメインストーリーを作るわけにはいかないよね……。やっぱキャラの選定から? となると、みんなが知ってる名所がいいよね。……いや待てよ。そもそも、なんで名所が擬人化して、動き出するんだ? こいつら神様か何か?」
文見はアニメやゲームに詳しいが、シナリオを書くのが初めてだった。ゲームシナリオを作るとき、どんな手順で作業していいのかまるで知らない。
いきなり初心者がシナリオライターなんかやっていいのか、という不安に思っていた問題にぶつかってしまった。
まずは看板キャラといえる、主役となる名所を選んだほうが、全体のイメージが湧きやすい気がする。本作の主人公は真田幸村だ、ジャンヌダルクだ、と宣言したほうが、どんなゲームになるのか分かりやすいものだ。
けれど、そもそも名所を擬人化することに需要があるのかも、やはり気になってくる。キャラが「俺は三内丸山遺跡だ!」と登場して、ユーザーは嬉しいのだろうか、その状況を理解できるのだろうか。
自分を納得させるためにも、どうして名所が擬人化して登場するのか設定を固めて、名所の擬人化が魅力的であることを示したほうがいいかもしれない。
そう思ったところで、社長から社内チャットでメッセージが来た。
正式なのは来月でいいから、簡単な資料できたらゴールデンウイーク前には共有して。
「そっか、資料にしないといけないんだよね……。どうまとめたらいいんだろ……」
社会人の重要な仕事といえば、資料作りだ。これはゲーム会社も同じである。
多くの人に理解してもらうため、記録に残すために、主張したいこと、自分がやりたいことを文として書いていく。
口頭で議論するのも大事だが、あとで必ず齟齬が出てしまう。文章にまとめるのは非常に大切で、その技術は地味だが非常に重宝される。
「そうだ、聞いてみよう!」
分からないからできませんでした、なんて通用しない。佐々里はそれで教えてもらえなかったけど、ここは二年お世話になっているホームで、自分は愛されるべき数少ない新卒採用社員。
資料作りは前例にならうのが基本。きっとゲームシナリオも過去に作った資料があるはず。なら、それにならって書けばいいだけ。
文見はぐらんぐらんと体を揺らしながら悩むのをぱっとやめて、「エンゲージケージ」のシナリオライターである井出の席に向かった。
「井出さん、ちょっといいですか?」
ボサボサ髪で無精ひげの男が、パソコンに向かって激しくキーボードを叩いている。イヤホンをしていて文見の声が届いていないようだ。
「井出さん~! 井出さん~!」
肩を叩こうかと思ったが大先輩に触れられるはずもない。横から乗り出して視界に入るよう、手を振ってみせる。
ようやく文見に気付いて、井出はビクッと幽霊に遭遇したような反応し、慌ててワイヤレスイヤホンを外す。
「あー、ごめんごめん」
この会社では、私服はもちろん、イヤホンして音楽を聴きながら仕事をするのが許容されていた。
ゲームのモニターをするとき、音を垂れ流してプレイされると、うるさくて仕事の邪魔になるからだ。
本当はゲーム中の音声確認しか許されていないのだろうが、聞いているのがゲームなのか、勝手に聞いている私物の音楽なのか判別するのは大変なので、誰も気にしないことにしている。
後輩の相談は大切なので、井出も鑑賞を邪魔されてむっとしたりはしない。さすがに音楽を聴いている負い目がちょっとある。
井出は「エンゲージケージ」の立ち上げメンバーで、本タイトルの設定全般を担当し、ほとんどすべてのシナリオを書いている。ヘルプとして関わっている人は他にもいるが、井出がこの会社で一番シナリオ制作について詳しい。
「えーっと、新しいプロジェクトだっけ?」
井出はそう言うと、すぐに顔を画面に戻してしまう。
「はい。設定を任されたんですが、何から初めていいか分からなくて」
「あー、新しいゲーム作るのって大変だよねえ。当時苦労した気がするよ。決めることいっぱいだし、資料も書くのも時間かかるんだよねえ」
「そうなんですよ! それで今、困っちゃって」
「だよねえ。初めてのことは分からないよねえ。社長から手伝ってと言われたけど、俺には『エンゲジ』あるから断っちゃった。大変だと思うけど頑張ってね」
井出はちらちら文見を見て返答するものの、キーボードを打つ手は止まることがなかった。
ながら対応をされるのはあまりいい気がしないが、生気のない肌、くたびれた服、空のペットボトルやエナジードリンクが乱立した机を見ると、「ちゃんとこっちを向いてしゃべってください!」とはとてもお願いできない。
だが井出はそんな気遣いなど知らず、そのうち文見が隣のいるのを忘れて、キーボードに夢中になってしまう。
井出の作業を見守ること三分、井出は会話していたのを思い出し、横を見ると文見が戸惑った様子で作業を見守っていた。
「あああ、ごめん! だいぶ仕事遅れててさあ。次のイベント、ピンチなんだ」
今度はキーボードから手を離して、ようやく文見に向き合う。
井出は現在、「エンゲージケージ」の追加シナリオやイベントを一人で担当している。プロットを作り、外注のシナリオライターにライティングを依頼している。だが、すべて一人で書き上げてしまうことも珍しくない。
そのため井出が手を止めると、進行がすべて遅れてしまう。他の人が手伝うという選択肢もあったはずだが、「井出が書くことになっている」と暗黙のルールが出来上がっていて、誰も手伝わないし、井出も自分の使命だと思っている。
こうして、ノベルティアイテムのシナリオライター一人体制が確立してしまっていた。社長としてはそれを打破するために、文見に白羽の矢を立てたことになる。
「いいえ、大丈夫です。当時の資料残っていませんか? これを作っておけば便利とか、フォーマットみたいなのがあると助かるんですが」
「資料かあ。あったかなあ? 二転三転して、かなりしっちゃかめっちゃかだったんだよ。うーん、残っててもめちゃくちゃかもしれない」
「少しでもヒントになるものがあれば、ものすごく助かるんですが……」
「そうだなあ……。分かった、あとで探して送っとくよ」
「助かります!」
多忙な人に頼むのは心苦しいが、このままでは裸で山を登ったり、地図なしで旅したりするようなものだ。一人で仕事をやりきるには、先達の井出から少しでも引き出さないといけない。
「新プロジェクトかあ、いいなあ。もう同じシナリオ三年書いてるから、だいぶ飽きてきたよ。それに、ユーザーもだいぶ飽きてるんじゃないかな。最近、シナリオに対するコメント全然上がってこないし」
「そんなことないですよー! 毎回新キャラが出るたびに、話題になってるじゃないですか!」
「新キャラといっても、みんな見てるのは絵なんだよ。セリフやお話なんて誰も気にしてない」
「でも、デザイン発注してるのは井出さんなんですよね?」
「そうだけど、最近はデザイナーの趣味になっちゃってる。俺が何言っても、全然反映されず、まったく別のものが上がってくるんだよ。島本さんはいいよな、ちやほやされて。俺も褒められたい」
島本はキャラデザイン担当の社員。「エンゲージケージ」はメインキャラを有名なイラストレーターに依頼しているが、その他はほとんど島本が描いている。イラストレーターとのやりとりも島本がやっているので、島本の意向が大きく反映されがちだった。
たまにメディアのインタビューに社長と一緒に答えている。なので、ゲームのイラストレーターとしては名前がちょっと知られている。
井出は自虐的なことをさらっと言えるタイプのようだった。本気でネガティブなわけではなく、それを面白いと思っている感じがある。つまりマゾだった。自分を痛めつけたくてしょうがない。だから、仕事を一人で抱え込んだり、自分を卑下したりする。
「あはは……。絵は分かりやすいですからね。ぱっと見でいいって思えるし、萌え~って興奮できます。でも、シナリオは難しいですよね。文章読むの時間かかるし、ガチャ引いてからじゃないと、お話読めないですもんね」
井出の気持ちは分かる。文見もエゴサーチをして、「エンゲージケージ」のことが褒められているのは嬉しいが、自分の担当したバランス調整やデバッグが褒められることはまずない。
佐々里が会社をやめたのも、自分のやった仕事がみんなに褒められたいからだった。誰もが知っているゲームで、目につくパートを担当したかった。結果は誰の目もつかないことになってしまったが……。
「俺も絵描こうかなー」
「井出さん描けるんですか?」
「いや全然」
しれっと言ってのける井出。
「え?」
「ただの希望。言うだけならタダだからね。小椋もやりたいことはとりあえず言ってみるといいよ。なんかの形で叶うかもしれない」
「はあ……」
自由人らしい発言で、若手社員の文見にはいまいちピンと来ない。
「あとよく寝ること。朝まで仕事したって、別に効率よくないからね」
「はあ……」
文見は呆れることしかできない。
井出の姿や席の惨状を見れば、まともに帰っておらず、寝ていないことが分かる。やっぱりマゾのようだった。
「それじゃ資料送っとく。あんま役に立てなくてすまんね」
「いえ! 貴重なお話ありがとうございました!」
井出はそう言うとすぐモニターに向き合い、キーボードを打ち始める。資料を探すと言っていたが、かなり後回しにされそうだった。
根っからの悪い人なら文句や催促ができるが、視野が狭くなりがちなだけで優しい人だから、あまり強く言うことはできなかった。他の社員からもそう思われていて、仕事が遅れても、最後には間に合わせてくれるからと突っ込まないようにしている。
井出はいつも一人行動だが、それは実力と信頼あってのことのようだ。
結局、井出の資料が届いたのは翌日だった。
「まあ、そうなるよね……」
文見は井出からのメッセージを夜まで待っていた。アイデア出しをしながらなので、無為な時間を過ごしていたわけではなかったが、早く資料が欲しくてずっとそわそわしていた。
メッセージの送信時間は朝の五時。今、井出は会社におらず、どうやらその時間に電車に乗って帰ったようだ。
「って……なんだこりゃ……」
結論からいうと、文見が求めているプレゼンに使えるような資料はあまりなかった。
メインキャラの設定、ストーリー案、音声収録脚本など、今まさにリリースされているゲームに関わる資料は、ファンなら垂涎物もの。身内しか見られない貴重な資料であり、会社の財産だ。
その他は個人的な書き殴りだったり、今とはまるで異なる設定だったり、何に使った資料なのか分からないものばかりだった。
「ふーん、立ち上げのときからだいぶ変わってるんだなあ」
今の仕事の役には立たなそうだったが、「エンゲージケージ」ができあがるまでを垣間見られるのは面白かった。
今では人気タイトルとして骨太のシナリオが形成されているが、当初はだいぶ違うようだ。
「へえ、もともと主人公自ら戦うゲームだったんだ。装備で見た目が変わるのいいな。なんでやめちゃったんだろ?」
今リリースされている「エンゲージケージ」は、簡単に説明すると次のような感じである。
現代人である主人公が異世界に飛ばされ、お姫様に世界を救ってほしいと頼まれる。他の世界からもいろんなキャラが召喚されていて、主人公は司令官として彼ら彼女らに指示を出し、強大な敵と戦うことになる。
しかし、主人公は会話に登場するだけで、自ら敵と戦うことはしない。見た目もけっこうおざなりで、画面に表示されることも少ない。
登場キャラはすべてオリジナルだが、騎士や武士、魔法使いや巫女、アサシンや忍者など、いろんな国や時代のモチーフを使ったキャラが登場する。いろんな時代から出せるようにしたのが成功の秘訣と言われていて、あとからドイツ風傭兵団、アメリカ風ガンマン、中国風歴史家などを追加しても違和感がなく、拡張性が非常に高かった。
文見は引き続き、井出からもらったファイルを開いていく。
「何これ、声優一覧?」
ファイルには声優の名前がたくさん載っていた。
どうやらキャラに音声をつけるとき、こんな声優に声を当てて欲しいという希望を書いたものだった。
「うわー、有名どころばかり!」
文見はそこまで声優に詳しくないが、そのリストに出てくる声優はほとんど知っていた。
今リリースされているゲームに出てくる声優とはだいぶ違っていて、メインキャラクラスは少しリストの通りになっているが、他は叶わなかったようだ。
「これでゲーム作ったら、すごいお金かかりそう。夢見過ぎでしょ」
この感覚は、文見が一般ユーザーから制作サイドに回ったから生まれたものかもしれない。ユーザー感覚だとひたすら有名な声優を採用して、イケボ、カワボで埋め尽くしたいと思ってしまうが、制作サイドは予算に合わせて声優を選ばなくてはいけない。
「有名人使えば、それだけいいゲームができるんだろうけど、予算も意識しないとなあ。……このプロジェクトはあたしが声優選んでいいのかな? ちょっと楽しみだけど、恥ずかしいな。ちゃんと選ぼ」
非常にそわそわする。全知全能の神になれたが、その行動は人々に監視されている。自分の趣味を取り入れすぎると、欲望にまみれたミーハーと社内で笑われそうな気がする。
「次は、っと……。キャラ候補のファイルかな。えっ、『赤のつなぎの男』?」
開いたファイルには、設定とラフのイラストが貼り付けてあった。
赤いオーバーオールに赤い帽子。大きな鼻の下には、特徴的なヒゲが生えている。
「マリオじゃん……」
完全に他社のゲームキャラである。
「とりあえず候補だからって、変なものも混ぜたみたのかな……。正式なコラボで登場させるなら全然アリだけど、さすがにパクリはちょっとねえ……」
どういう迷走をしたら、他社のキャラにそっくりなものを出そうとするのか、まったく見当がつかなかった。面白いと言えば面白いが、著作権的にNGだから訴えられても仕方ないだろう。
「でも、コラボっていいなあ。新プロジェクトも、どっかとコラボできないかな。でもうちの会社、他とつながりないよねえ……」
他社とのコラボで、他ゲームのキャラを登場させたことがなかった。それはまだノベルティアイテムが無名だからである。
コラボは相手にもメリットがあって成立する。ノベルティアイテムとの効果は低く、正しくキャラのブランドを守った扱いをしてくれる会社なのかも分からないので、大手はあえてコラボしたいとは思わないわけだ。
コラボするには、危ういことはせず、企業やユーザーからの信用を少しずつ積み上げていくしかない。
「んー、遺跡擬人化ゲームだと相性悪いかな。コラボしにくいかも……」
コラボはそのゲームのファンが興味を持ってくれるので、ユーザー数を増やすには最も良い施策の一つ。しかし、ゲームの世界観を壊す恐れがあり、諸刃の剣になることもある。
「和風になるのは間違いないから、日本っぽいキャラとならコラボはアリか。でも、そういうのはゲームをリリースしてからの話だよなあ。売れるか分かんないゲームとコラボしたいわけないし。……って」
文見ははっとする。
売れるか分かんないゲーム。
自分でそう言っていて、自身にダメージを受けてしまう。
「売れないゲームにするのは、あたし自身か……。あたしが売れるようにしなくちゃいけないんだよね……。よそとコラボしたいなら、相手が売れそうって思う内容にしなきゃ……」
まだ形にもなっていないものが売れるかどうか分からない、というのは当然のことだが、それを作っているのは自分自身で、売れるように頑張るのは自分の仕事である。
だから売れなかった場合は、ゲームのせいではなくて、自分のせいだ。相手がコラボしたくないと思われる状況になってしまったならば、その元凶は自分にある。
「頑張ろ……。死ぬほど頑張ろ……」
文見は閉じたファイルを最初から開き直す。
ここに正解はないから不要だ、と思ってすぐ閉じたものだ。
正解は確かにそこになかった。でも失敗がある。今の「エンゲージケージ」はその失敗を経験して、なんとかリリースまで持ち込み、今の大成功を勝ち取ったのだ。
文見がこのファイルから学ばなければいけないのは「失敗」だった。
「井出さん、ごめんなさい……」
きっと井出も「こんなに人気声優使えるわけない。夢見過ぎでしょ」と社長に怒られながらリストを作ったに違いない。先達の失敗から、無用な工程をなくせるよう工夫するのが、後進の仕事である。
何も知らないのに偉そうに批評してしまった自分を恥ずかしく思うばかりだ。どうして他人事のように考えてしまったんだろう。新プロジェクトのシナリオ担当は自分だ。ならば、自分が責任持って、「これは素晴らしいゲームです」と胸を張って言えるぐらいの品質に高めていかないといけない。
「社長に認めてもらったんだから、学生気分って笑われないようにしないと」
気を取り直して、今度はファイルを丁寧に確認していく。
使えないように見えて、役に立つ情報がきっと隠れているはず。それを吸収してすごい作品を作ってやるんだ。
「へえ、ケージは初期からあったんだ」
「エンゲージケージ」は、タイトルにあるように「ケージ」というものが登場する。
これは様々な「檻」を指し、檻からキャラを解放することで、ハッピーエンドをもたらしていくことになる。キャラによってそれは、姫が洞窟に閉じ込められているといった物理的なものであったり、親友の死によって明日へと踏み出す勇気がない精神的なものだったりする。
そのバリエーションがあまりにも多彩で、ケージから解放するという、視覚的にも感覚にも分かりやすいことが、様々な層のユーザーの獲得につながった。コアファンはシナリオを読みたくてガチャを引くという。
「井出さんのアイデアだったんだ、すごいなあ。私も、こういう要素をうまく入れ込んでいきたい……」
ワードの図形作成機能を使って、ケージの表現方法が描かれている。あまり上手とは言えないが、どんなものを作りたいか、その熱意が伝わってくる。
「んー……そっか。戦闘も、シナリオが絡んでるんだ」
井出のファイルに戦闘パートのことも書いてあった。
「エンゲージケージ」のバトルシステムはシンプルで、ほとんどオートで戦うことができ、必殺技のタイミングをユーザーが決めるぐらいの戦略性である。ゲームの肝としては、パーティー編成にあり、どんな属性や特性を持ったキャラを組み込むかで強さが決まるので、何千何万通りの組み合わせを楽しむことができる。キャラが増えるだけ幅が広がるので、それが定期的にガチャを引かせたくなり、マネタライズにつながっている。
「わっ、エンゲージリンクも井出さんの発案!? すごっ!」
エンゲージリンクは戦闘中の必殺技である。キャラの組み合わせによって様々な効果が発動する。
エンゲージは契約や婚約という意味がある。主人公とキャラとの契約、婚約のような絆という意味が込められている。それを表現するものとして、必殺技となっているわけだった。
リンクはそのままキャラとのつながりを意味しているし、指輪の「リング」もかかっている。
「なるほどね……」
適当なネーミングのようで、世界観や制作者の思いが込められていると知り、文見は感嘆するばかりだった。
そして、シナリオパートの仕事は、設定やプロットを書くだけではないことにも驚いた。井出はゲームシステムでどうやれば世界を表現できるかを他パートに提案していた。
「ん、なんか小さい文字で書いてある。『敵と交戦することもエンゲージというのでどこかで表現したい……』って、メモ? どっかでそんな表現あったかなあ。戦闘で見たことないけど没になった? でも、なんで小さい字?」
その資料から文見は知ることができないが、井出が提案しようと思ったものの、いい案が思いつかなくてそのままになってしまった仕様であった。時間があれば何とかしたかったし、そのメモを見た人がアドバイスをくれたらいいなと思っていた。
「入ってたら面白そうなのになあ。もったいない」
そう言って文見はファイルを閉じた。
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