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だってそういうことでしょ
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哲平と二人で会うのは不思議な気持ちがした。
甘美であり、背徳的。
これまで感じたことのない感覚に高揚しているのが、自分でもよく分かった。
哲平は紳士だった。男性としっかり女性をエスコートしてくれる。
そこまで堅苦しいことしなくてもよかったが、女性として見てくれ、優しくしてくれるのは嬉しかった。
しかし、不安はある。
「……どうして、あたしなんですか?」
どうして自分に興味を持ってくれるのだろう。
哲平には自分よりも若くて可愛い子が、周りにたくさんいるはずだ。
「直球だね……」
「すみません……」
言われてそれは思った。
相手に聞くのは失礼だ。こういうのは察しなければいけない。
けれど言葉で聞きたいほど不安だったのだ。やはり他人に対してコンプレックスがある。
未梨亞の話を聞いて、声優は自分なんかよりもすごい人たちだと思った。自分の夢に向けて、毎日練習に励み、激しい生存競争の中、生きている。けれど自分はなんとなく仕事をしてなんとなく生きている。
それに自分はもう28歳だ。若い子には絶対勝てない。
もしかすると、浩一に振られたダメージも残っているのかもしれない。これ以上の被害は受けたらつらい。深入りする前に終わるほうが小さくて済む。
「……そうですね。単純に興味があるから、ではダメですか?」
「え?」
自分に興味があるというのに、びっくりしてしまう。
「何がと言われると難しいのですが、もっと佐伯さんとお話したいと思ったんです」
「あ、いえ、変なこと聞いてすみません。まだ会ったばかりですもんね」
そうだった。ラインでは少しやりとりをしていたが、まだ会うのは二回目。具体的なことに至るには早すぎる。
「そんな気張らず、楽しんでもらえると助かります」
哲平は照れくさそうに笑った。
「はい。ちょっと緊張しちゃったみたいで」
やはり、言うほど悪い人ではないのかもしれない。
哲平からは悪意のようなものが感じられない。むしろ、自分のことを真っ正面から見てくれる。
未梨亞も哲平のこういうところを好きになったのだろう。別れることになったのは、仕事の問題なのかもしれない。密接に絡む仕事で、恋人をやるのは難しいものだ。
未梨亞には悪いが、未梨亞が声優を続けられなくなったのが原因に思えた。きっと、二人にとって不幸な出来事だったんだ。
「お仕事はお好きですか?」
「好きですよ。大変ですけど、やりがいがあるので。コンテンツや物作りに関わったりするのはもちろんですが……人を育てるところが魅力的な仕事だと思います」
「人を育てる?」
「新人を育てて、プロにしていくことも、仕事の一つです。無を有にする感じですかね。人が育てば売り上げが上がり、会社も大きくなります。それはお金の話もそうですけど、人が成長していく様子を見るのは嬉しいもんですよ」
「そうなんですね……」
確かにそれは道理なのだが、愛良は気になる話を知っている。
「でも、声優って厳しいんですよね? やめる人もいるんじゃ?」
「そりゃあ、どの仕事も同じでやめる人はいますよ。合う合わないもあるし、一応芸能界だから、力や人気がないと生きていけません。……教え子のような声優たちがやめていくのは悲しいですけれどね」
未梨亞に聞いた話と同じだ。
そして未梨亞は、哲平は新人を簡単に切り捨てられる人と言っていた。
だが、哲平は本当に悲しそうな顔をしている。当然、人前で冷たいことは言わないものだ。見せかけの演技である可能性もある。
「やめた人と会ったりします?」
「え?」
哲平は驚き、話が停止してしまう。
これはしまったと思った。こんな質問、深い意図もなしに出てこない。
「会わないですね。残念ながら、仕事の関係がなくなればそれまでですから」
未梨亞と哲平が会ったのは偶然だから、本当と言えば本当。ウソと言えばウソ。
「ですよねー。すみません、変な質問しちゃって」
「いえいえ」
一時、気まずい雰囲気になったが、哲平との食事はつつがなく終わった。恋人一歩手前のデートとしては十分だろう。
外気の冷たさと反対に、愛良の心は温かくなっていた。
愛良は哲平に駅まで送ってもらう。
「それではおやすみなさい」
哲平は違う路線なので、改札で別れることになった。
その言葉ではない。求めているのは。
もちろん、さようならでもなくて。
「あ、あの……」
思わず言葉が出ていた。
「はい?」
「……また、誘っていただけますか?」
「もちろん」
名残惜しい。別れるのが寂しい。
そう感じたのはひさしぶりだった。そして、こんな言葉を言ったのはいつ以来だろう。
(そっか……言わなくなってたんだ)
また会いたい。
そう思ったら相手に伝える。当たり前のことだが、できなくなっていたのだ。
きっと浩一と付き合い始めていたときは言っていた。だが、次第に言わなくなっていく。何も言わなくても、また会うのだろうし、言わなくても伝わっているだろうと。
(それがダメだったんだ……)
哲平はにっこり笑って見せた。喜んでくれたのだ。
由真がそんなことを言っていたのを思い出す。とりあえず男の喜ぶことを言えと。
喜ばせるために言ったわけではなかったが、自分の気持ちを伝えたことで、相手が喜んでくれるのはとても嬉しいことだった。
「それではまた」
「はい!」
また(会おう)。
それが正しい別れの挨拶だ。離れるのは一時のこと。次も会えることを祈って別れる。
哲平が手を振ってくれたので、愛良も振り返した。
学生みたい、と自分でも笑ってしまうが、若返ったようで気分は高揚していた。
「好き、なのかな……」
なんといっても自分に興味を持ってくれているのが嬉しかった。話していて楽しいし、もっと一緒にいたいと思う。
急に明るくなって、道が開けてきたような気がする。
もう自分には光なんて差さないだろうと思っていたが、哲平が光をもたらしてくれる。この希望に触れたい、つかみたい。
けれど、未梨亞のことがある。
未梨亞が哲平を嫌っているのは、何か複雑な事情があるのだろう。哲平は悪い人ではない。
いずれ、哲平と付き合うことになったら、すごく複雑な気持ちになるかもしれない。それは愛良も未梨亞も。
でも、今はそんなこと考えたくなかった。
ただ、デートの余韻に浸っていたかった。
「あれ?」
鍵を開けて部屋に入ると、真っ暗だった。
室温も外のように低い。
未梨亞がいると思ったが、徹と出かけているのだろうか。
スマホを買ったんだから、連絡してくれてもいいのにと思う。
「うわっ!?」
電気を付けると、布団にくるまった未梨亞が壁にもたれていた。
「どうしたの?」
「あ、ごめんなさい。ご飯用意しますね」
「ご飯は食べてきたって」
「あ、そうでしたね」
未梨亞はてへへと笑う。
明らかに様子がおかしい。
「何かあった? あたしでよければ聞くよ? あ、もしかして肥後さんがなんかした?」
今日のお昼、肥後の連絡先を教えたのだ。あれから何かやりとりをしたのかもしれない。やはり女クセの悪い、ダメな先輩か。
「いえ、そうじゃないです。肥後さんとはご飯の約束したくらいでー」
取り繕ったような笑いを浮かべる。
「ダメ」
「え?」
「ちょっとこっち見て」
愛良は未梨亞の真正面に座った。
「無理してるでしょ」
「そんなことないですよー」
未梨亞は感情が顔に出やすいタイプだ。役者として、自分の気持ちをある程度は上書きできるが、隠しきれていない。
愛良はじっと、未梨亞の目を見て離さない。
しばらく見つめ合ったままだったが、未梨亞が視線を外した。
観念して口を開く。
「……つまんないことです。母が再婚するから実家帰ってこいって」
それに対して、愛良は黙り込んでしまう。
本来ならば再婚はめでたいこと。だが、未梨亞は明らかに嫌がっている。よかったね、とは絶対に声をかけられない。
「行かなくていいよ。行きたくないんでしょ?」
「はい……」
「じゃあ、やめとこう」
「ン……」
愛良は冷たくなった未梨亞の頬を両手で包む。
「返事は?」
「はい……」
未梨亞の声は暗いままだ。
未梨亞にとって、すでに実の母はどうでもよいものだった。今回呼ばれたからといって会う気はなかった。
それよりも、自分はいくら努力しても報われないのではないか、という不安が恐ろしくて仕方なかったのだ。
「どうしたのよ? らしくない」
いつもならすぐ切り替えて、明るくなっているはずだ。
「いやぁー……。その……」
未梨亞は心を開きかけて、また閉じてしまう。
愛良に人生の不安を語っていいのか分からなかったのだ。重すぎるし、愛良に何かできることではないはず。
「何悩んでるのか分からないけど、未梨亞は未梨亞の道を歩いてるんだから、周りのことは気にしないでいいんじゃない?」
「え?」
「未梨亞のいいところは向上心があるところ。成長しよう、成し遂げよう、夢を叶えようと頑張ってる」
「そうですかね……」
「そうだよ。これでも、あたしはあんたのこと買ってるんだから」
「愛良さんが私を?」
「悪い?」
「いえいえ!? 全然悪くないです! 悪くないですけど……。あたしなんて、たいした人間じゃないですよ……」
未梨亞はうなだれてしまう。
「自分自身ではそう思い込んでるかもしれないけど、あたしにはすごく見えるよ。あたしなんか、まるで向上心ないからさ」
向上心のない馬鹿。
何もやろうとせず、困難と戦おうとせず、ただ流されるだけ。
「あんだけ折られてるのに、立ち上がれるのはすごいことだよ。誰にでもできるわけじゃない。夢を持つのも大変だし、それを追うのはもっと大変。……正直、ちょっとうらやましいんだ。未梨亞が輝いているの」
「ええっ!? 輝いてませんって! こんな真っ暗です!」
毛布を頭にすっぽりかぶってみせる。
「あはは、そういうところも好きだね」
未梨亞の毛布をはがす。
「あたしは何をとっても普通だからさ、未梨亞が声優だったのもうらやましいし、また夢を追いかけようとしてるのも、まぶしく見えるんだよ。自分の道を歩いてるのって、かっこいいじゃない」
「はあ……」
未梨亞は顔を赤くする。
「だから、未梨亞には頑張ってほしいし、成功してほしいと思ってる」
「あ、ありがとうございます……」
未梨亞は、意志を持たずに生きてきた自分の目指すべきモデルだ。未梨亞には立ち止まらず進んでほしい。そうすれば、自分も前に進める気がする。
もう少しで自分の意志で、恋人も選べるようになるだろう。そう思いたかった。
「いつもすみません、気を遣ってもらって」
「いいのいいの。あとで倍にして返してもらうから」
「倍!? 返せるかなぁ……」
「出世期待してるから」
「プレッシャーかけないでくださいよー!」
そう、未梨亞はこれでいいのだ。
いつも前向きで、何度倒れてもまた立ち上がる。向上心の塊だ。
(言えないな……)
嬉しさの裏に、ほの暗い感情があった。
哲平と会っているとは、口が裂けても言えなかった。知ったら、未梨亞はどう思うだろう。
「そういえば、スマホ買ったんだよね。見せてー」
「はい、これなんですけど。案外使いやすくて便利なんです」
「未梨亞、こういう苦手そうだよね」
「あはは、やっぱそう思います? まさにそうなんですよー。メールとラインぐらいしか、まともにできません!」
甘美であり、背徳的。
これまで感じたことのない感覚に高揚しているのが、自分でもよく分かった。
哲平は紳士だった。男性としっかり女性をエスコートしてくれる。
そこまで堅苦しいことしなくてもよかったが、女性として見てくれ、優しくしてくれるのは嬉しかった。
しかし、不安はある。
「……どうして、あたしなんですか?」
どうして自分に興味を持ってくれるのだろう。
哲平には自分よりも若くて可愛い子が、周りにたくさんいるはずだ。
「直球だね……」
「すみません……」
言われてそれは思った。
相手に聞くのは失礼だ。こういうのは察しなければいけない。
けれど言葉で聞きたいほど不安だったのだ。やはり他人に対してコンプレックスがある。
未梨亞の話を聞いて、声優は自分なんかよりもすごい人たちだと思った。自分の夢に向けて、毎日練習に励み、激しい生存競争の中、生きている。けれど自分はなんとなく仕事をしてなんとなく生きている。
それに自分はもう28歳だ。若い子には絶対勝てない。
もしかすると、浩一に振られたダメージも残っているのかもしれない。これ以上の被害は受けたらつらい。深入りする前に終わるほうが小さくて済む。
「……そうですね。単純に興味があるから、ではダメですか?」
「え?」
自分に興味があるというのに、びっくりしてしまう。
「何がと言われると難しいのですが、もっと佐伯さんとお話したいと思ったんです」
「あ、いえ、変なこと聞いてすみません。まだ会ったばかりですもんね」
そうだった。ラインでは少しやりとりをしていたが、まだ会うのは二回目。具体的なことに至るには早すぎる。
「そんな気張らず、楽しんでもらえると助かります」
哲平は照れくさそうに笑った。
「はい。ちょっと緊張しちゃったみたいで」
やはり、言うほど悪い人ではないのかもしれない。
哲平からは悪意のようなものが感じられない。むしろ、自分のことを真っ正面から見てくれる。
未梨亞も哲平のこういうところを好きになったのだろう。別れることになったのは、仕事の問題なのかもしれない。密接に絡む仕事で、恋人をやるのは難しいものだ。
未梨亞には悪いが、未梨亞が声優を続けられなくなったのが原因に思えた。きっと、二人にとって不幸な出来事だったんだ。
「お仕事はお好きですか?」
「好きですよ。大変ですけど、やりがいがあるので。コンテンツや物作りに関わったりするのはもちろんですが……人を育てるところが魅力的な仕事だと思います」
「人を育てる?」
「新人を育てて、プロにしていくことも、仕事の一つです。無を有にする感じですかね。人が育てば売り上げが上がり、会社も大きくなります。それはお金の話もそうですけど、人が成長していく様子を見るのは嬉しいもんですよ」
「そうなんですね……」
確かにそれは道理なのだが、愛良は気になる話を知っている。
「でも、声優って厳しいんですよね? やめる人もいるんじゃ?」
「そりゃあ、どの仕事も同じでやめる人はいますよ。合う合わないもあるし、一応芸能界だから、力や人気がないと生きていけません。……教え子のような声優たちがやめていくのは悲しいですけれどね」
未梨亞に聞いた話と同じだ。
そして未梨亞は、哲平は新人を簡単に切り捨てられる人と言っていた。
だが、哲平は本当に悲しそうな顔をしている。当然、人前で冷たいことは言わないものだ。見せかけの演技である可能性もある。
「やめた人と会ったりします?」
「え?」
哲平は驚き、話が停止してしまう。
これはしまったと思った。こんな質問、深い意図もなしに出てこない。
「会わないですね。残念ながら、仕事の関係がなくなればそれまでですから」
未梨亞と哲平が会ったのは偶然だから、本当と言えば本当。ウソと言えばウソ。
「ですよねー。すみません、変な質問しちゃって」
「いえいえ」
一時、気まずい雰囲気になったが、哲平との食事はつつがなく終わった。恋人一歩手前のデートとしては十分だろう。
外気の冷たさと反対に、愛良の心は温かくなっていた。
愛良は哲平に駅まで送ってもらう。
「それではおやすみなさい」
哲平は違う路線なので、改札で別れることになった。
その言葉ではない。求めているのは。
もちろん、さようならでもなくて。
「あ、あの……」
思わず言葉が出ていた。
「はい?」
「……また、誘っていただけますか?」
「もちろん」
名残惜しい。別れるのが寂しい。
そう感じたのはひさしぶりだった。そして、こんな言葉を言ったのはいつ以来だろう。
(そっか……言わなくなってたんだ)
また会いたい。
そう思ったら相手に伝える。当たり前のことだが、できなくなっていたのだ。
きっと浩一と付き合い始めていたときは言っていた。だが、次第に言わなくなっていく。何も言わなくても、また会うのだろうし、言わなくても伝わっているだろうと。
(それがダメだったんだ……)
哲平はにっこり笑って見せた。喜んでくれたのだ。
由真がそんなことを言っていたのを思い出す。とりあえず男の喜ぶことを言えと。
喜ばせるために言ったわけではなかったが、自分の気持ちを伝えたことで、相手が喜んでくれるのはとても嬉しいことだった。
「それではまた」
「はい!」
また(会おう)。
それが正しい別れの挨拶だ。離れるのは一時のこと。次も会えることを祈って別れる。
哲平が手を振ってくれたので、愛良も振り返した。
学生みたい、と自分でも笑ってしまうが、若返ったようで気分は高揚していた。
「好き、なのかな……」
なんといっても自分に興味を持ってくれているのが嬉しかった。話していて楽しいし、もっと一緒にいたいと思う。
急に明るくなって、道が開けてきたような気がする。
もう自分には光なんて差さないだろうと思っていたが、哲平が光をもたらしてくれる。この希望に触れたい、つかみたい。
けれど、未梨亞のことがある。
未梨亞が哲平を嫌っているのは、何か複雑な事情があるのだろう。哲平は悪い人ではない。
いずれ、哲平と付き合うことになったら、すごく複雑な気持ちになるかもしれない。それは愛良も未梨亞も。
でも、今はそんなこと考えたくなかった。
ただ、デートの余韻に浸っていたかった。
「あれ?」
鍵を開けて部屋に入ると、真っ暗だった。
室温も外のように低い。
未梨亞がいると思ったが、徹と出かけているのだろうか。
スマホを買ったんだから、連絡してくれてもいいのにと思う。
「うわっ!?」
電気を付けると、布団にくるまった未梨亞が壁にもたれていた。
「どうしたの?」
「あ、ごめんなさい。ご飯用意しますね」
「ご飯は食べてきたって」
「あ、そうでしたね」
未梨亞はてへへと笑う。
明らかに様子がおかしい。
「何かあった? あたしでよければ聞くよ? あ、もしかして肥後さんがなんかした?」
今日のお昼、肥後の連絡先を教えたのだ。あれから何かやりとりをしたのかもしれない。やはり女クセの悪い、ダメな先輩か。
「いえ、そうじゃないです。肥後さんとはご飯の約束したくらいでー」
取り繕ったような笑いを浮かべる。
「ダメ」
「え?」
「ちょっとこっち見て」
愛良は未梨亞の真正面に座った。
「無理してるでしょ」
「そんなことないですよー」
未梨亞は感情が顔に出やすいタイプだ。役者として、自分の気持ちをある程度は上書きできるが、隠しきれていない。
愛良はじっと、未梨亞の目を見て離さない。
しばらく見つめ合ったままだったが、未梨亞が視線を外した。
観念して口を開く。
「……つまんないことです。母が再婚するから実家帰ってこいって」
それに対して、愛良は黙り込んでしまう。
本来ならば再婚はめでたいこと。だが、未梨亞は明らかに嫌がっている。よかったね、とは絶対に声をかけられない。
「行かなくていいよ。行きたくないんでしょ?」
「はい……」
「じゃあ、やめとこう」
「ン……」
愛良は冷たくなった未梨亞の頬を両手で包む。
「返事は?」
「はい……」
未梨亞の声は暗いままだ。
未梨亞にとって、すでに実の母はどうでもよいものだった。今回呼ばれたからといって会う気はなかった。
それよりも、自分はいくら努力しても報われないのではないか、という不安が恐ろしくて仕方なかったのだ。
「どうしたのよ? らしくない」
いつもならすぐ切り替えて、明るくなっているはずだ。
「いやぁー……。その……」
未梨亞は心を開きかけて、また閉じてしまう。
愛良に人生の不安を語っていいのか分からなかったのだ。重すぎるし、愛良に何かできることではないはず。
「何悩んでるのか分からないけど、未梨亞は未梨亞の道を歩いてるんだから、周りのことは気にしないでいいんじゃない?」
「え?」
「未梨亞のいいところは向上心があるところ。成長しよう、成し遂げよう、夢を叶えようと頑張ってる」
「そうですかね……」
「そうだよ。これでも、あたしはあんたのこと買ってるんだから」
「愛良さんが私を?」
「悪い?」
「いえいえ!? 全然悪くないです! 悪くないですけど……。あたしなんて、たいした人間じゃないですよ……」
未梨亞はうなだれてしまう。
「自分自身ではそう思い込んでるかもしれないけど、あたしにはすごく見えるよ。あたしなんか、まるで向上心ないからさ」
向上心のない馬鹿。
何もやろうとせず、困難と戦おうとせず、ただ流されるだけ。
「あんだけ折られてるのに、立ち上がれるのはすごいことだよ。誰にでもできるわけじゃない。夢を持つのも大変だし、それを追うのはもっと大変。……正直、ちょっとうらやましいんだ。未梨亞が輝いているの」
「ええっ!? 輝いてませんって! こんな真っ暗です!」
毛布を頭にすっぽりかぶってみせる。
「あはは、そういうところも好きだね」
未梨亞の毛布をはがす。
「あたしは何をとっても普通だからさ、未梨亞が声優だったのもうらやましいし、また夢を追いかけようとしてるのも、まぶしく見えるんだよ。自分の道を歩いてるのって、かっこいいじゃない」
「はあ……」
未梨亞は顔を赤くする。
「だから、未梨亞には頑張ってほしいし、成功してほしいと思ってる」
「あ、ありがとうございます……」
未梨亞は、意志を持たずに生きてきた自分の目指すべきモデルだ。未梨亞には立ち止まらず進んでほしい。そうすれば、自分も前に進める気がする。
もう少しで自分の意志で、恋人も選べるようになるだろう。そう思いたかった。
「いつもすみません、気を遣ってもらって」
「いいのいいの。あとで倍にして返してもらうから」
「倍!? 返せるかなぁ……」
「出世期待してるから」
「プレッシャーかけないでくださいよー!」
そう、未梨亞はこれでいいのだ。
いつも前向きで、何度倒れてもまた立ち上がる。向上心の塊だ。
(言えないな……)
嬉しさの裏に、ほの暗い感情があった。
哲平と会っているとは、口が裂けても言えなかった。知ったら、未梨亞はどう思うだろう。
「そういえば、スマホ買ったんだよね。見せてー」
「はい、これなんですけど。案外使いやすくて便利なんです」
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