ただ生きたいだけなのに

とき

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忘れているけど思い出

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「ちょっと出かけてくるから、店番よろしくね」

 店主は未梨亞をおいて店を出て行ってしまう。
 今日は初出勤だが、店にひとりぼっちになり、未梨亞は不安になってくる。
 店主がときどき店を空けるのは、先に聞いていた。
 近くに高齢のご両親の家があるらしく、介護のために仕事を抜けて通っているのだ。

「たぶん大丈夫かな……」

 今日はお客さんが数人入ってきただけで売り上げゼロ。今もお店には誰もいなかった。
 店主がバイトを雇ったのは、ときどきお店を空けないといけないからだ。客が多くないのでそれほど支障はないが、いつやっているか分からないお店では誰も利用しないだろう。
 半分趣味でやっているような形なので、大きな収益を求めていないが、家賃を払っている以上、その分は稼がないといけない。バイトを雇えたら、安定して収益を上げられるよう、力を入れていこうとしていた。
 しかし、やはり客は誰も来なかった。
 誰も客がいないのに、レジ座っているだけなのは飽きてしまう。未梨亞は店内を回って、どんな本があるのか見ていくことにした。
 スマホでゲームしてていいよと言われているが、スマホは持っていなかった。愛良は連絡に困るので、前借りとして買ってあげようかと言ってきたが、さすがに断っている。
 本は足の踏み場のないほど置かれている。下に積まれている本は、なんてタイトルなのか調べるのも大変だ。
 本のジャンルは一般的な本屋では置いていない専門書、学術書が多いようだった。未梨亞にはそれが経済なのか思想なのか医学なのかも、よく分からなかった。

「ああ……頭いたい……」

 まったく本のタイトルが覚えられない。
 これではお客さんに尋ねられたときに答えられないだろう。お金をもらっている以上、ちゃんと仕事をしたい。少し休んでから、また本の探索に戻る。
 レジの周りは高そうな専門書ばかりだったが、入り口付近には文庫本が無造作に積み上げられていた。
 本は日に焼けていて、品質は決していいものではなかった。ホコリも積もり気味だ。
 ハタキで払うとホコリが舞い上がり、咳き込んでしまう。かなりの期間、掃除をせず、放置してあるようだった。

「知ってるのあるかな」

 割と小説が混じっていたが、知っているタイトルはなかなか見つからない。

「あ、これ……」

 タイトルは『クリスピンの冒険』。
 どこでもありそうな名前だが、そのゴロから昔読んだことがある気がした。
 未梨亞は積み上げられた文庫本の柱から、その本をゆっくり引き抜く。倒れそうになるのを小さな体を当てて支える。
 他の本と同じく古ぼけた本だった。表紙には少年が島でぽつんと立っている素朴な絵が描かれている。

「たぶんそうだ……」

 なんとなく記憶がある。昔、この本を持っていた。たぶん自分で本屋にいって買った本だと思う。
 著者は知らない名だ。書籍欄に他の作品はなかった。この出版社から出しているのはこの一冊なのだろう。
 本自体もまったく有名ではないと思う。未梨亞自身も、古本屋でなんとなく気に止まって購入したもので、話題になったのも聞かない。きっと誰に聞いても「知らない」と答えるだろう。
 しかし、世の中の本は、だいたいそうかもしれないとも思う。本は星の数ほどあってすべて把握することはできない。そして、興味ある人には知っている有名な本かもしれないが、専門外となれば、有名なものでも無名にしか見えない。
 本を開こうとしたとき、がらっと戸が開いた。

「あ」
「ただいま」
「おかえりなさい!」

 店主の寺井だった。
 親の手伝いが終わって戻ってきたのだ。

「その本、欲しいの? 持って帰っていいよ」
「え!? いただけませんよー!」
「別にいいよ。痛んでるし、そこらへんの本、誰も買わないから」
「そうですか……。それじゃ、ありがたくいただきます!」

 寺井は未梨亞の満面の笑みを見て、にこりと笑う。
 確かに本は痛んでいて、あまりお金を出して買いたくない状態だ。けれど、読めないほどではない。ブックカバーを付ければ、全然気にならないだろう。

「本は読んでほしい人の手に渡ったとき、価値が出るからね」
「え?」
「誰も欲しがらない本はただの不良在庫。置いてあるだけ、邪魔で損なものだよ。でも、欲しい人が手にしたとき、書かれている定価以上の価値が出るものさ。あ、キザっぽいかな」
「そんなことないです! それ、分かる気がします」

 未梨亞にとって、この古書店の本の多くは難しくて興味が持てない。表紙に書かれている値段は1万円以上のものは珍しくないが、未梨亞にとっては0円でもいらない。でも、その本を欲しい人にとっては1万でも買うし、もっと高くて買うだろう。

「古本は本にとっては第二の人生だね。新たな持ち主を待っているんだ。その本も君の手に渡って、ようやく第二の人生を歩める。喜ばしいことだね」

 そう言うと、店主は照れくさそうにして、奥の休憩スペースに下がっていく。

「第二の人生かぁ」

 かつて未梨亞はこの本を自分で買っていた。けれど、いつの間にか手放している。どうして手放しのかは記憶にない。
 もちろんこの本が未梨亞の買った本であるわけがないが、不思議な縁を感じる。
 この本も、前の持ち主に読まれ、役目を終えてこの古本屋に流れ着いたのであろう。未梨亞が手に取らなければ、このままここで朽ち果てていたかもしれない。

「最近、本読んでないな」

 お金がなくて読書どころではなかったのだ。
 未梨亞はちゃんと読み直してみようと思った。



「本買ったの?」

 未梨亞が帰宅して壁を背にして本を読んでいると、愛良に話しかけられた。

「店長にもらったんです」
「へー。そのブックカバーは?」
「あ、紙袋たくさんあったから作っちゃいました」

 ブックカバーにはお店かブランドの名前らしき英字が入っていた。愛良が何かでもらった紙袋を再利用して、ブックカバーにしたのだ。

「器用なものね」
「こんなの簡単ですよー。本屋でバイトしてたこともありますし」
「本屋で働いてたことあったんだ。なんで古本屋なのかなと思ってた」
「こう見えても本は好きなんです。といっても、難しいのは全然ダメですけど。仕事で暇なときは、ひたすらカバー作ってましたね」
「カバーを作る?」
「それぞれの大きさに切ったカバーを用意しているお店もありますが、うちのところは、一枚の大きな紙からサイズに合わせて折ってたんですよ」
「なるほどねー」

 そう言うと愛良はベッドに座って、スマホをいじり始める。
 惰性で続けているゲームがあって、暇なときはいつもこのゲームをしている。シナリオが売りのゲームで、育成やバトルもあるが、シナリオメッセージの量が膨大だった。愛良はこれを毎日少しずつ読破していっている。
 今日の分をやりおえて、愛良が口を開く。

「なんて本?」
「『クリスピンの冒険』です」
「なにそれ? トムソーヤ的な?」
「ああ、そんな感じです。でも、ロビンソン・クルーソーのが近いかな。時代は西暦1900年ぐらい? 船乗りのクリスピンが蒸気船に乗り込んで、いろんなところへ旅行するんです。難破遭難など困難を乗り越えて、成長していくお話です」
「へえ、壮大だね」
「マイナーだけど好きなんですよねー。絶対無理だーっていう状況でも諦めることなく、仲間や乗客を励ますんです。頑張ればきっと生きて帰れるって」

 そう、自分はこの本が好きだったんだ、と未梨亞は思い出す。
 どんなに困難な状況でも、諦めず苦労を乗り越えた先に未来がある。そして夢は叶う。子供心にワクワクした記憶がある。

「最後は夢だった世界一周に成功するんです」
「船旅かぁ。面白そうだね」
「読み終わったら貸しますよ!」

 諦めちゃいけないんだ。
 船が故障して命がけの状況であるクリスピンほど切迫していないが、自分もかなり厳しい状況だ。けれど、諦めなければきっとこの困難を乗り越えられる。そして夢が叶う。

(夢はまだ潰えてない……。私はまだ戦える……)

 憧れの職業である声優になったが、結局クビになり、今はただのフリーター。だが、人生はまだ終わっていない。これから何度だってチャンスはある。
 未梨亞は読みかけの本を閉じる。

「さ、寝ましょうか」
「え? まだ十一時だよ」
「夜更かしはお肌の敵ですよ! 明日もお仕事なんですから、早く寝ましょー」
「はいはい。仕事熱心なのはいいことだね……」

 愛良はしぶしぶスマホに電源ケーブルを挿して、部屋の電気を消す。
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