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どうせ人生、賽の河原
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結局、未梨亞は思ったとおり小食だった。
本人はたくさん食べているつもりなのだが、相対的に見れば愛良の食べた量のほうが多かった。
おごりだからたくさん食べると自ら宣言していた未梨亞より、食い意地を張ったようになってしまったので、愛良は悲しくなる。未梨亞は素で可愛らしいのだ。でもそれはただの嫉妬。
「いやー、おいしかったですねー」
「うん。中華街来た甲斐あったかもね」
「肥後さんもいい先輩じゃないですか」
「え? そう?」
おごってくれたという面ではいい先輩だが。
「恋愛の対象じゃないと思うと、気軽に話せますね」
「へー、未梨亞からそんな言葉出ると思わなかった」
「変ですか?」
「変じゃないけど、男極めてるような言い方だから」
「全然極めてなんかないですよー!!」
急に甲高くなる声。
帰りの電車の中で、乗客はびっくりして未梨亞のほうを見る。
「す、すみません……」
未梨亞はぺこりと頭を下げる。
これも声優の特性なんだなと愛良は思う。感情に素直に体が反応してしまう。そして、声が大きい。
社会人は周りの迷惑にならないよう制御をかけるが、未梨亞はストレートだ。それは人間っぽいと言えるのかもしれない。
そして、周りの人たちも、まじまじと興味を持って見ては失礼と、視線を自分のスマホに戻す。別に声が大きいからといって、元声優だとは誰も気づかない。声優は特殊な職業のようで普通なのだ。
「そういえば、男で苦労したって言ってたね」
「あはは……。そんなこと言いましたかね……。男はもうしばらくいいかなーって思います」
子供のような顔して28歳。見た目以上にいろんな経験をしているのだろう。確か、声優だからこその苦労だと言っていた。
「その話、聞きたいなぁ」
ちょっと前まで死のうと思っていた人に、根掘り葉掘り聞くのはよくないと思っていたが、自分は恩人であるし、もはや仲良しでもある。それに今日はお酒の力もあって、口が軽くなってしまう。
「別に面白い話じゃないですよー」
「相手はファンの子?」
「え? ファンなんていないですし、そんな浮いた話はありませんって」
「じゃあ、友達? 声優の名前に惹かれてよってきた」
「えー、言わないとダメですか?」
困った顔も可愛くて、ちょっと嫉妬。いじめたい気持ちが生まれてしまう。
「言わなくてもいいけどさー。居候のこと、もっと知っておきたいじゃない?」
「ひー。言いますよ、言いますよー。でも、たいした話じゃないですよ?」
「全然オッケー」
愛良は親指を立てて見せる。
普段こんなポーズしないが、未梨亞につられて、リアクションが軽くなってしまう。
「はあ……。そういう人と付き合ったことありますけど、あんまりうまく行きませんでした」
「なんで?」
「なんでって……」
「気になるじゃ~ん」
「愛良さん酔いすぎですよ……」
そこまで酔ってはいないが、酔っているふりをして強引にいけば聞き出せそうなので、このまま続けることにした。
「未梨亞のこと、もっと知りたいなぁ!」
普段なら絶対言わない甘えた声。浩一に対しても使った覚えがない。
「友達の紹介で知り合ったんですけど、単純に、お互いそんなに興味がなかっただけです。その人は、声優が珍しいからって近づいただけで、もっと可愛いアイドル声優がよかったんでしょうね。私は全然可愛くないですし、面白くないですからー」
「えー? 可愛いし、面白いと思うけどなあ」
少なくとも自分より。
テレビに出ているアイドルに比べれば及ばないが、女から見ても可愛い部類には入っていると思う。
「そんなことないですって。偶然声優になっただけで、普通の人間ですから」
恋愛でうまくいくかどうかは、顔でも職業でもない。あくまでも、きっかけになるものだ。
「でも、興味を持ってもらえるのはいいな。あたしは何もかも普通の人だから、興味すら持ってもらえない」
「うーん……。私も声優になるまでは、まったく男に声かけられることもなかったので、それなりに効果はあるのかもしれません。フライトアテンダントだったら、花も実もあるんでしょうが……」
「あれ? それまでは彼氏いなかったの?」
「高校時代にはいましたけど、すぐに別れてしまいました」
「これが素質の差か……」
未梨亞ぐらい可愛ければ、高校男子は放っておかないのだ。
「……って、私のことはどうでもいいんです! 愛良さんはどうなんですか?」
「あたし? あたしはモテないからなあ」
愛良は浩一と付き合うまでずっと一人だった。
学生時代、親友の由真がいろんな人と付き合っているのを間近で見て、自分には縁のないことだと諦めていた。たくさんの人に好かれるのは、選ばれた人だけが味わえるもの。
「しばらく男はいいかな」
実際にいいかなと思うのと強がり。どうせ望んでもすぐ手に入るわけじゃない。
「肥後さんはどうですか?」
「あの人は女に興味あるけど誰でもいいからな。ある意味、平等? 誰とも付き合う気なさそう」
「ですね……」
いい人なのは間違いないが、恋愛対象にはなりそうになかった。
しかし、これから自分は誰と付き合い、誰と結婚して生きていくのだろうと思うと不安になる。
しばらくはいいかなと、今は自分をいたわることはできるが、いつまでもそうも言ってられないだろう。
二人は電車を降りて、徒歩で自宅を目指す。
公園に通りかかったときだった。
「……これから、どうやって生きていけばいいんでしょうね」
未梨亞が唐突に立ち止まり、ぽつりと言った。
表情は暗くて見えないが、冗談で言っているようではなかったようだ。
「大人になって、仕事をして、結婚して……そして死んでいくと思ってました。でも、大人になっても今は何もありません」
その言葉には覚えがあった。浩一に振られたとき、愛良も思ったことだった。
未梨亞は道を外れて、とことこと公園に入っていく。
愛良は訳も分からず、そのあとを追うしかない。
「たくさんレッスンもしたんですけどね……。積み上げてきたもの全部パーです」
未梨亞はステップを踏んでみせる。
おそらく専門学校や養成所で習ったダンスなのだろう。声優のレッスンは声だけではなく、俳優と同じく体を使った演技、そして歌やダンスなども行われる。
「見た目は若い若いって言われても、中身は28歳の無職ですよ? なんの価値もありません……」
街灯に照らされた未梨亞の顔には、光るものがあった。
「未梨亞……」
どうして急にネガティブモードに入ってしまったのだろう。自分が余計なことを掘り返してしまったのだろうか。愛良は不安になる。
人がどのように生きていたかは想像つかないものだが、未梨亞はさらに底知れない。普段の明るさの裏に、人に言えないような過去があるように思える。
だから、愛良は取り繕う言葉しか出てこない。
「だ、大丈夫だよ。未梨亞なら、すぐいい人が見つかるって」
見た目が若くて可愛い。そして元声優。これだけのステータスがあれば十分、男は興味を持ってくれる。
悲しい言葉だった。どうして、普通な自分がそんな言葉をかけないといけないのか。
「女ってこういうとき楽ですよね……。何も持ってなくても、結婚すればセーフって考えられますから」
「ン……」
女は結婚して主婦になれば、仕事がなくても生きていける。だが男は仕事がなければ、結婚もできないだろう。
「私、声優って女でも輝ける職業だと思っていたんです。でも、現実は違いました。女は女でなければいけないんです……」
「どういうこと?」
未梨亞は黙り込んでしまう。
男は声優という名前にしか、興味を持ってくれないことだろうか?
「枕営業って知ってますか?」
「そりゃあ……」
仕事を得るために性的な関係を築くことである。芸能界ではよくあることとされているが……。
「もしかして、未梨亞も……?」
「私は……。ちょっと違うかもしれません」
未梨亞はためらいながらも、少しずつ言葉を紡いでいく。
「声優業界自体は、枕営業があると言われています。露骨なのもあれば、小さいセクハラまがいのもあると思います。声優はマネージャーから仕事をもらえないとお金にならないので、マネージャーに気に入られないといけません」
「それで体を……?」
「声優であり続けるために、そういう人もいると思います。そうでなくても、マネージャーのほうが立場が強いので、ちょっとしたセクハラでも断りにくい状況になって、相手のアプローチを受け入れがちになっちゃうんです。相手もそれをオーケーのサインだと思い込んで、どんどんエスカレートしていきます」
「うわぁ……」
生々しい話に絶句する。
愛良は徹の誘いを何度も断っているが、徹が愛良の仕事を管理する立場であれば、断りにくかったかもしれない。それで誘いを受けると、徹は愛良に気があるのではないかと勘違いしてしまう。そういう話だろう。
「でも、私はそういうのじゃないんです。……たぶん」
「たぶん?」
未梨亞はそこで一呼吸、間を開ける。
「……マネージャーと付き合っていたんです」
「へ……?」
「普通に恋愛して、普通に恋人やってました……」
「それって、上司と付き合う的な……?」
急にスキャンダラスな話になってきて、愛良も気恥ずかしくなってしまう。
「だいたいそんな感じだと思います。でも……そう思ってたのは私だけのようです……」
未梨亞はうつむいてしまう。
「あんまりよくないのかもしれませんが、同期よりも仕事はもらえてました。アニメの主役をやれたのも、それがあるかもしれません……」
「うん……」
例のWebアニメのことだ。新人がヒロインをやるのは異例なのかもしれない。それがマネージャーと付き合っていた効果によるものならば、同業者の恨みを買ったことだろう。
「でも、優遇されてたわけじゃないんです。裏切られたんですよ……。私はクビになって、事務所を追い出されました……」
「あ……」
その後は愛良も知っている通りだ。お金も住むところも失い、悲嘆に暮れて死のうとした。
それはかなりつらいことだったろうと、哀れに思う。
「私がやってきたことは、すべて夢幻だったんです。シンデレラみたいですね。苦労してお姫様になったのに、時間が経てば魔法が解けて、残ったのはただのおばさんです」
ふふふと自嘲的に笑う。
「やっぱあのとき、死んでたほうがよかったのかもしれません……。生きてたって恥をさらすだけです……。本名はネットに載ってるし、もしかしたらクビになったことも書いてあるかもしれません……。終わってますよね、私の人生……」
未梨亞が急にネガティブになったのは、声優の話、恋人の話を掘り返してしまったからのようだった。大丈夫な話かと思ったら、思いっきり地雷だった。
未梨亞のことをうらやましいと思うことはいっぱいあったが、未梨亞を家に置こうと思えたのには理由がある。自分のほうが優位だからである。
彼氏に振られて絶望はしていたが、未梨亞のほうが圧倒的に不幸だ。自分には仕事もあるし、友達もいる。生きていくには不自由がない。
おそらく、未梨亞に衣食住を与えていることで優越感もあったのだろう。そこまでいかなくとも、虚栄心を満たしてくれている。きっと、無職の女をかくまう男のように。
「あ、あのさ……」
この状況で、自分はなんて未梨亞に声をかけられるだろうか。
「私なんかにかけられる言葉ないですよね。分かってます、大丈夫です……」
未梨亞は自分で収めようとする。
「……それでいいの?」
「え?」
愛良の中に燃えるような感覚があった。それは怒りだろうか。
「裏切られたままでいいの? どうして声優になったのか知らないけど、輝きたいと思ったんでしょ?」
「そうですけど……。そんなの幻想でした……」
「幻想? そんなの関係ないんじゃない? 未梨亞が自立して仕事するのが目的でしょ。なら、業界のことなんか気にせずやればいいじゃない! 男が気にくわないなら、見返してやれば!?」
「あ……」
「悔しいけど、あんたのほうがあたしよりずっと優れてるよ! 若く見えるし、可愛いし、声優になれるほどの力あるし、度胸もある! あたしにはそんなものないんだから! あたしは誰かに従って生きてだけ。仕事しないと生きていけないから仕事してるだけ。自分の意志なんか何もない。自分のやりたいことを貫く勇気なんてない」
まくし立てる愛良に、未梨亞は圧倒されてしまう。
「あんたが見たのは確かに幻なのかもしれない。でも、夢はまだそこにあるんでしょ?」
未梨亞の胸を指さす。
未梨亞は沈黙する。何か思い当たるものはあるが、言葉にはならない。それが結果的に答えとなった。
「それに従えばいいよ。あんたなら、あたしよりうまくやれるはず」
「未梨亞さん……」
愛良は未梨亞に手を差し出す。
「さあ、帰りましょ」
愛良の微笑みは、今の未梨亞には天使のようにも見えた。
「は、はい……」
堪えきれなくなった涙が一気にこぼれ落ちる。
「なに泣いてんのよ」
「だって……」
未梨亞は差し出されたハンカチで涙を拭った。
「私なんか、迷惑じゃないですか……?」
「迷惑? ……そりゃ迷惑といえば迷惑だけど」
「ひどいっ!」
「ははは、泣いてるのにツッコミは入れるんだ。ナイスリアクション」
「これはクセで……」
そのときの一瞬の感情のままに体や口が動く。声優、役者というのはそういうものらしい。
愛良だったら、嬉しいという大きな感情を優先して、小さい感情は捨てていたことだろう。
「いいんじゃない、それで? 気分が落ち込んでるときは、暗くなってなくちゃいけないわけでもなし」
「こういう受け答えしてますけど、まだ心は沈んでるんですからね……」
「分かってるって」
気持ちはすぐに切り替えられるわけではない。でも、すぐに明るさを取り戻せるのはすごいことだ。きっと未梨亞の心が明るさを望んでいるからできること。
「でもいいんですか、私の相手なんかしてて」
「いいのいいの。拾ったペットの面倒は見ないといけない気がしてね」
「ペット扱いですか……。ただの金食い虫なのは間違いないですけど……」
ペットは言い得て妙だと愛良は思う。
浩一がいなくなって、ぽっかり空いてしまった心の穴を埋めてくれている。未梨亞がいるから、泣かないで済んでいる。
「全部失ってしまった自分に何ができるか分かりません……。でも、自立した女になるのは夢だったと思います……。とりあえず、バイト探してみます。迷惑かけてばかりもいられないので」
「そうだね。それは助かる」
きっと未梨亞は立ち上がってうまくやる。そんな気がしていた。
なんといっても行動力とバイタリティが違うのだ。一般人は声優目指して何年も勉強や訓練できないし、そもそもみんなの前で演技しようとなんか思わない。
そんな壁を越えてきた人間だから、この躓きから立ち上がることさえできれば、なんでもやってのける気がする。自分だったら、そんな失敗したらもう二度と起き上がれないだろう。彼女は特別なのだ。
「賽の河原でも、諦めず積んでいかないといけないんだろうね」
三途の川に広がる賽の河原。供養のために石を積み上げても、鬼にすぐ壊されてしまう。一般には、無駄なことを賽の河原という。
けれど最後には地蔵菩薩が救ってくれるのだ。
「え? なんですか?」
「必死に生きていれば、報われることもあるってこと」
「そうですね。何かいいことがあってほしいです。ラーメンが空から降ってくるとか」
「なんだそりゃ」
やはり未梨亞のことがうらやましく思う。
「必死に生きる、か」
死を決して生きる。一見、矛盾したような言葉。死のうと思っていたが生きようとする未梨亞には合っているかもしれない。
けれど、自分はどうだろうか。
必死に生きているとは思えない。
「馬鹿なんだよ、向上心なくて……」
本人はたくさん食べているつもりなのだが、相対的に見れば愛良の食べた量のほうが多かった。
おごりだからたくさん食べると自ら宣言していた未梨亞より、食い意地を張ったようになってしまったので、愛良は悲しくなる。未梨亞は素で可愛らしいのだ。でもそれはただの嫉妬。
「いやー、おいしかったですねー」
「うん。中華街来た甲斐あったかもね」
「肥後さんもいい先輩じゃないですか」
「え? そう?」
おごってくれたという面ではいい先輩だが。
「恋愛の対象じゃないと思うと、気軽に話せますね」
「へー、未梨亞からそんな言葉出ると思わなかった」
「変ですか?」
「変じゃないけど、男極めてるような言い方だから」
「全然極めてなんかないですよー!!」
急に甲高くなる声。
帰りの電車の中で、乗客はびっくりして未梨亞のほうを見る。
「す、すみません……」
未梨亞はぺこりと頭を下げる。
これも声優の特性なんだなと愛良は思う。感情に素直に体が反応してしまう。そして、声が大きい。
社会人は周りの迷惑にならないよう制御をかけるが、未梨亞はストレートだ。それは人間っぽいと言えるのかもしれない。
そして、周りの人たちも、まじまじと興味を持って見ては失礼と、視線を自分のスマホに戻す。別に声が大きいからといって、元声優だとは誰も気づかない。声優は特殊な職業のようで普通なのだ。
「そういえば、男で苦労したって言ってたね」
「あはは……。そんなこと言いましたかね……。男はもうしばらくいいかなーって思います」
子供のような顔して28歳。見た目以上にいろんな経験をしているのだろう。確か、声優だからこその苦労だと言っていた。
「その話、聞きたいなぁ」
ちょっと前まで死のうと思っていた人に、根掘り葉掘り聞くのはよくないと思っていたが、自分は恩人であるし、もはや仲良しでもある。それに今日はお酒の力もあって、口が軽くなってしまう。
「別に面白い話じゃないですよー」
「相手はファンの子?」
「え? ファンなんていないですし、そんな浮いた話はありませんって」
「じゃあ、友達? 声優の名前に惹かれてよってきた」
「えー、言わないとダメですか?」
困った顔も可愛くて、ちょっと嫉妬。いじめたい気持ちが生まれてしまう。
「言わなくてもいいけどさー。居候のこと、もっと知っておきたいじゃない?」
「ひー。言いますよ、言いますよー。でも、たいした話じゃないですよ?」
「全然オッケー」
愛良は親指を立てて見せる。
普段こんなポーズしないが、未梨亞につられて、リアクションが軽くなってしまう。
「はあ……。そういう人と付き合ったことありますけど、あんまりうまく行きませんでした」
「なんで?」
「なんでって……」
「気になるじゃ~ん」
「愛良さん酔いすぎですよ……」
そこまで酔ってはいないが、酔っているふりをして強引にいけば聞き出せそうなので、このまま続けることにした。
「未梨亞のこと、もっと知りたいなぁ!」
普段なら絶対言わない甘えた声。浩一に対しても使った覚えがない。
「友達の紹介で知り合ったんですけど、単純に、お互いそんなに興味がなかっただけです。その人は、声優が珍しいからって近づいただけで、もっと可愛いアイドル声優がよかったんでしょうね。私は全然可愛くないですし、面白くないですからー」
「えー? 可愛いし、面白いと思うけどなあ」
少なくとも自分より。
テレビに出ているアイドルに比べれば及ばないが、女から見ても可愛い部類には入っていると思う。
「そんなことないですって。偶然声優になっただけで、普通の人間ですから」
恋愛でうまくいくかどうかは、顔でも職業でもない。あくまでも、きっかけになるものだ。
「でも、興味を持ってもらえるのはいいな。あたしは何もかも普通の人だから、興味すら持ってもらえない」
「うーん……。私も声優になるまでは、まったく男に声かけられることもなかったので、それなりに効果はあるのかもしれません。フライトアテンダントだったら、花も実もあるんでしょうが……」
「あれ? それまでは彼氏いなかったの?」
「高校時代にはいましたけど、すぐに別れてしまいました」
「これが素質の差か……」
未梨亞ぐらい可愛ければ、高校男子は放っておかないのだ。
「……って、私のことはどうでもいいんです! 愛良さんはどうなんですか?」
「あたし? あたしはモテないからなあ」
愛良は浩一と付き合うまでずっと一人だった。
学生時代、親友の由真がいろんな人と付き合っているのを間近で見て、自分には縁のないことだと諦めていた。たくさんの人に好かれるのは、選ばれた人だけが味わえるもの。
「しばらく男はいいかな」
実際にいいかなと思うのと強がり。どうせ望んでもすぐ手に入るわけじゃない。
「肥後さんはどうですか?」
「あの人は女に興味あるけど誰でもいいからな。ある意味、平等? 誰とも付き合う気なさそう」
「ですね……」
いい人なのは間違いないが、恋愛対象にはなりそうになかった。
しかし、これから自分は誰と付き合い、誰と結婚して生きていくのだろうと思うと不安になる。
しばらくはいいかなと、今は自分をいたわることはできるが、いつまでもそうも言ってられないだろう。
二人は電車を降りて、徒歩で自宅を目指す。
公園に通りかかったときだった。
「……これから、どうやって生きていけばいいんでしょうね」
未梨亞が唐突に立ち止まり、ぽつりと言った。
表情は暗くて見えないが、冗談で言っているようではなかったようだ。
「大人になって、仕事をして、結婚して……そして死んでいくと思ってました。でも、大人になっても今は何もありません」
その言葉には覚えがあった。浩一に振られたとき、愛良も思ったことだった。
未梨亞は道を外れて、とことこと公園に入っていく。
愛良は訳も分からず、そのあとを追うしかない。
「たくさんレッスンもしたんですけどね……。積み上げてきたもの全部パーです」
未梨亞はステップを踏んでみせる。
おそらく専門学校や養成所で習ったダンスなのだろう。声優のレッスンは声だけではなく、俳優と同じく体を使った演技、そして歌やダンスなども行われる。
「見た目は若い若いって言われても、中身は28歳の無職ですよ? なんの価値もありません……」
街灯に照らされた未梨亞の顔には、光るものがあった。
「未梨亞……」
どうして急にネガティブモードに入ってしまったのだろう。自分が余計なことを掘り返してしまったのだろうか。愛良は不安になる。
人がどのように生きていたかは想像つかないものだが、未梨亞はさらに底知れない。普段の明るさの裏に、人に言えないような過去があるように思える。
だから、愛良は取り繕う言葉しか出てこない。
「だ、大丈夫だよ。未梨亞なら、すぐいい人が見つかるって」
見た目が若くて可愛い。そして元声優。これだけのステータスがあれば十分、男は興味を持ってくれる。
悲しい言葉だった。どうして、普通な自分がそんな言葉をかけないといけないのか。
「女ってこういうとき楽ですよね……。何も持ってなくても、結婚すればセーフって考えられますから」
「ン……」
女は結婚して主婦になれば、仕事がなくても生きていける。だが男は仕事がなければ、結婚もできないだろう。
「私、声優って女でも輝ける職業だと思っていたんです。でも、現実は違いました。女は女でなければいけないんです……」
「どういうこと?」
未梨亞は黙り込んでしまう。
男は声優という名前にしか、興味を持ってくれないことだろうか?
「枕営業って知ってますか?」
「そりゃあ……」
仕事を得るために性的な関係を築くことである。芸能界ではよくあることとされているが……。
「もしかして、未梨亞も……?」
「私は……。ちょっと違うかもしれません」
未梨亞はためらいながらも、少しずつ言葉を紡いでいく。
「声優業界自体は、枕営業があると言われています。露骨なのもあれば、小さいセクハラまがいのもあると思います。声優はマネージャーから仕事をもらえないとお金にならないので、マネージャーに気に入られないといけません」
「それで体を……?」
「声優であり続けるために、そういう人もいると思います。そうでなくても、マネージャーのほうが立場が強いので、ちょっとしたセクハラでも断りにくい状況になって、相手のアプローチを受け入れがちになっちゃうんです。相手もそれをオーケーのサインだと思い込んで、どんどんエスカレートしていきます」
「うわぁ……」
生々しい話に絶句する。
愛良は徹の誘いを何度も断っているが、徹が愛良の仕事を管理する立場であれば、断りにくかったかもしれない。それで誘いを受けると、徹は愛良に気があるのではないかと勘違いしてしまう。そういう話だろう。
「でも、私はそういうのじゃないんです。……たぶん」
「たぶん?」
未梨亞はそこで一呼吸、間を開ける。
「……マネージャーと付き合っていたんです」
「へ……?」
「普通に恋愛して、普通に恋人やってました……」
「それって、上司と付き合う的な……?」
急にスキャンダラスな話になってきて、愛良も気恥ずかしくなってしまう。
「だいたいそんな感じだと思います。でも……そう思ってたのは私だけのようです……」
未梨亞はうつむいてしまう。
「あんまりよくないのかもしれませんが、同期よりも仕事はもらえてました。アニメの主役をやれたのも、それがあるかもしれません……」
「うん……」
例のWebアニメのことだ。新人がヒロインをやるのは異例なのかもしれない。それがマネージャーと付き合っていた効果によるものならば、同業者の恨みを買ったことだろう。
「でも、優遇されてたわけじゃないんです。裏切られたんですよ……。私はクビになって、事務所を追い出されました……」
「あ……」
その後は愛良も知っている通りだ。お金も住むところも失い、悲嘆に暮れて死のうとした。
それはかなりつらいことだったろうと、哀れに思う。
「私がやってきたことは、すべて夢幻だったんです。シンデレラみたいですね。苦労してお姫様になったのに、時間が経てば魔法が解けて、残ったのはただのおばさんです」
ふふふと自嘲的に笑う。
「やっぱあのとき、死んでたほうがよかったのかもしれません……。生きてたって恥をさらすだけです……。本名はネットに載ってるし、もしかしたらクビになったことも書いてあるかもしれません……。終わってますよね、私の人生……」
未梨亞が急にネガティブになったのは、声優の話、恋人の話を掘り返してしまったからのようだった。大丈夫な話かと思ったら、思いっきり地雷だった。
未梨亞のことをうらやましいと思うことはいっぱいあったが、未梨亞を家に置こうと思えたのには理由がある。自分のほうが優位だからである。
彼氏に振られて絶望はしていたが、未梨亞のほうが圧倒的に不幸だ。自分には仕事もあるし、友達もいる。生きていくには不自由がない。
おそらく、未梨亞に衣食住を与えていることで優越感もあったのだろう。そこまでいかなくとも、虚栄心を満たしてくれている。きっと、無職の女をかくまう男のように。
「あ、あのさ……」
この状況で、自分はなんて未梨亞に声をかけられるだろうか。
「私なんかにかけられる言葉ないですよね。分かってます、大丈夫です……」
未梨亞は自分で収めようとする。
「……それでいいの?」
「え?」
愛良の中に燃えるような感覚があった。それは怒りだろうか。
「裏切られたままでいいの? どうして声優になったのか知らないけど、輝きたいと思ったんでしょ?」
「そうですけど……。そんなの幻想でした……」
「幻想? そんなの関係ないんじゃない? 未梨亞が自立して仕事するのが目的でしょ。なら、業界のことなんか気にせずやればいいじゃない! 男が気にくわないなら、見返してやれば!?」
「あ……」
「悔しいけど、あんたのほうがあたしよりずっと優れてるよ! 若く見えるし、可愛いし、声優になれるほどの力あるし、度胸もある! あたしにはそんなものないんだから! あたしは誰かに従って生きてだけ。仕事しないと生きていけないから仕事してるだけ。自分の意志なんか何もない。自分のやりたいことを貫く勇気なんてない」
まくし立てる愛良に、未梨亞は圧倒されてしまう。
「あんたが見たのは確かに幻なのかもしれない。でも、夢はまだそこにあるんでしょ?」
未梨亞の胸を指さす。
未梨亞は沈黙する。何か思い当たるものはあるが、言葉にはならない。それが結果的に答えとなった。
「それに従えばいいよ。あんたなら、あたしよりうまくやれるはず」
「未梨亞さん……」
愛良は未梨亞に手を差し出す。
「さあ、帰りましょ」
愛良の微笑みは、今の未梨亞には天使のようにも見えた。
「は、はい……」
堪えきれなくなった涙が一気にこぼれ落ちる。
「なに泣いてんのよ」
「だって……」
未梨亞は差し出されたハンカチで涙を拭った。
「私なんか、迷惑じゃないですか……?」
「迷惑? ……そりゃ迷惑といえば迷惑だけど」
「ひどいっ!」
「ははは、泣いてるのにツッコミは入れるんだ。ナイスリアクション」
「これはクセで……」
そのときの一瞬の感情のままに体や口が動く。声優、役者というのはそういうものらしい。
愛良だったら、嬉しいという大きな感情を優先して、小さい感情は捨てていたことだろう。
「いいんじゃない、それで? 気分が落ち込んでるときは、暗くなってなくちゃいけないわけでもなし」
「こういう受け答えしてますけど、まだ心は沈んでるんですからね……」
「分かってるって」
気持ちはすぐに切り替えられるわけではない。でも、すぐに明るさを取り戻せるのはすごいことだ。きっと未梨亞の心が明るさを望んでいるからできること。
「でもいいんですか、私の相手なんかしてて」
「いいのいいの。拾ったペットの面倒は見ないといけない気がしてね」
「ペット扱いですか……。ただの金食い虫なのは間違いないですけど……」
ペットは言い得て妙だと愛良は思う。
浩一がいなくなって、ぽっかり空いてしまった心の穴を埋めてくれている。未梨亞がいるから、泣かないで済んでいる。
「全部失ってしまった自分に何ができるか分かりません……。でも、自立した女になるのは夢だったと思います……。とりあえず、バイト探してみます。迷惑かけてばかりもいられないので」
「そうだね。それは助かる」
きっと未梨亞は立ち上がってうまくやる。そんな気がしていた。
なんといっても行動力とバイタリティが違うのだ。一般人は声優目指して何年も勉強や訓練できないし、そもそもみんなの前で演技しようとなんか思わない。
そんな壁を越えてきた人間だから、この躓きから立ち上がることさえできれば、なんでもやってのける気がする。自分だったら、そんな失敗したらもう二度と起き上がれないだろう。彼女は特別なのだ。
「賽の河原でも、諦めず積んでいかないといけないんだろうね」
三途の川に広がる賽の河原。供養のために石を積み上げても、鬼にすぐ壊されてしまう。一般には、無駄なことを賽の河原という。
けれど最後には地蔵菩薩が救ってくれるのだ。
「え? なんですか?」
「必死に生きていれば、報われることもあるってこと」
「そうですね。何かいいことがあってほしいです。ラーメンが空から降ってくるとか」
「なんだそりゃ」
やはり未梨亞のことがうらやましく思う。
「必死に生きる、か」
死を決して生きる。一見、矛盾したような言葉。死のうと思っていたが生きようとする未梨亞には合っているかもしれない。
けれど、自分はどうだろうか。
必死に生きているとは思えない。
「馬鹿なんだよ、向上心なくて……」
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態度悪い人はともかく、そうでないのに悪態をつけられる。憂鬱で、居場所がなく、自ら距離を置いてるが孤独で、味方もいなくて、働きづらくて常にHPが削られていく。
ある日、上司から出向(左遷)されるがしかも苦手な先輩と一緒。地獄へ行くような気分だった。
そこで1人の女性社員と出会う。暖かい眼差しと声に誘われ、一緒に仕事をすることになる。
そこで2人はどんどんひかれ合うのですが、先輩は雲行きが怪しくなり、、、。
飛ばされても、罵られても、サラリーマンとして働く主人公とヒロインとの出会い。ほのぼのしたお話を書いてみたく連載しました。
彼への応援をよろしくお願いします。
営業やイベント企画など私にとって未経験のものですが、何とかイメージして書いていきます。至らない点も多いかと思いますが、読んで楽しめていただければ幸いです。
何か感じたこと、こうしたらいいのでは?何かありましたらコメントよろしくお願いします。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
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