宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか

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 どう見てもヒグマに見える頑丈な男性達が、玄関横に飾られていた【秋野書道教室】の看板を外す。代わりにつけられたのは、彩り鮮やかなアート工房の看板だった。

「やーん! 素敵! あたし、工房持つなら絶対に古いヤツって決めてたんで!」

「良かったです。とはいえ、生活空間はオール電化なので安心してください」

「助かります、秋野さん!」

 目をキラキラさせて家を見上げる女性を見つつ、千代は三ヶ月前に稲荷神社で倒れていたことを思いだす。キャリングケースを手にしていたことから、漫画を編集者に見せに行った帰りに倒れた可能性が高い。キャリングケースの中には見慣れない鈴が一つと、自分ではない達筆な字で『芒種ぼうしゅの日に迎えに行く』とのふみが入っており、千代はつきんと痛む頭を押さえて行動を開始した。
 まずは書道教室を閉鎖する旨を子供達と保護者に伝えて了承を得て、祖母のものと含め自分の着物や関連小物を全てリサイクル着物店に持ち込んだ。次に祖母の墓を共同墓地から墓じまいし、最近流行っているらしい納骨堂のうこつどうへ移動した。外で雨ざらしにされるよりはよほど良い。
 不動産屋との話し合いは長引くかと思いきや。下町でアート工房を開きたいという神の導き手が現れ、しかも内部はほとんどそのままで良いとのことで、契約はすんなり変更された。
 最後の悩みだった賞状や記念盾、トロフィー、賞状の数々は泣く泣く手放すことに決めた。引き取り手がいない今、新しい住人のためにも全て取り払っておかねばならない。千代は祖母の記念盾や賞状に語りかけながら、決まりに従ってゴミ袋に仕分けした。
 芒種ぼうしゅの意味を図書館のパソコンで調べると、陰暦六月六日とのことだった。約束の日はこの日に違いないと千代は確信し、自宅にとんぼ返りして後片付けの続きとキャリングケースに必要なものを入れる作業を進めた。


        ***


 六月六日。昼過ぎに千代は古い鍵を不動産屋に渡し、風呂敷に包んだ書道教室の看板とキャリングケースだけを手に住み慣れた家を後にした。
 妙に気持ちが急いている。会いたくて会いたくてたまらない人に会えるかのような、そんな気持ち。
 商店街のお惣菜屋さんで特製いなり寿司食べ比べセット(六個入り)を四パックとお茶を二本買い、叩いても埃すら出ない財布状況にしてから稲荷神社へ向かう。
 パーカーにTシャツ、ジーンズで出歩くのもかなり久々だ。やっぱり着物を着て歩くほうがしっくりくる。
 稲荷神社に着き、千代は稲荷寿司を捧げようとして、日影に座っている人物に気がついた。狐耳きつねのみみとふさふさの狐尾きつねのお、書生服姿の少年が、手に持っている鈴をりぃんと鳴らした。千代のキャリングケースに入っている鈴が、同じくりぃんと呼応する。
 薄く漂っていた煙が、ぽむっとキツネの姿に変わり、よだれをだらーっとたらしながら千代を見た。

『これは神様へのお供え物でござるか?』

「そうだよ、イズナちゃん。悪くならないうちにお下げして、三人で食べようね」

『どどどどうして儂の名を?! さてはきさま、心を読む怪しいもの達の仲間でござるな!?』

「イズナ。そいつは怪しいものでもなんでもない。俺が待ちわびていた人物だ」

 座っていた袴の埃を払い、少年が立ち上がる。千代の真正面に立つと、じっと千代の顔を見つめた。

「久しぶりだな、千代」

狐白こはくくん……! 良かった、ちゃんと会えた……!」

 千代が片膝を着いてぎゅっと狐白こはくを抱きしめると、小さな手が頭をぽんぽんと撫でる。

「会えるさ。そのためにいろんな手段を講じたんだ」

「手段……? ねぇ、それって悪いことじゃないよね?」

「違法なことはしていない」

 しれっと文字屋が言い切り、イズナと共に神に祈りを捧げてから特製いなり寿司セットを二パック手に取る。千代も慌てて後に続き、特製いなり寿司セットを二パックとお茶を二本手にした。文字屋にお茶を一本渡すと「ありがとう」と返ってきたので、千代は相好そうごうを崩した。
 既に【宵闇町よいやみちょう】と書いてある大きな掛け軸の上に座り、二人と一匹は食事を楽しむ。

「思い残したことはないか」

「うん。ないよ」

「そうか」

「うん」

 イズナの口周りについた米粒を指で拭ってやりつつ、文字屋が風呂敷包みに視線を送る。「書道教室の看板!」と千代は先回りして答え、「わたしね」と続けた。

宵闇町よいやみちょうに戻ったら、もう一回ちゃんと書道の先生をしてみようと思って! 町のみんなが読める字が増えたら、新聞の売上は倍増だし、狐白こはくくんへの文字の寄贈も増えるでしょ? 万々歳ってやつ!」

「それはいい。天狐界てんこかいから戻って町の住人は増えていたが、相変わらず読み書きできないものは多い。識字率しきじりつが上がるのは良いことだ。新聞屋に頼んで場所を貸してもらうといい」

「うん!」

 清涼な風が二人の間を流れていく。千代は風に流された髪を押え、文字屋の横顔を見ながらくちづけをしたいと思った。どっどっどっと重低音を鳴らす心臓を服の上から押え、そろりそろりと距離を詰めていく。 
 突然文字屋が「あ」と言い、千代を真正面から見たために、千代の動きはぎくしゃくしたまま止まった。

「髪の毛に葉がついているぞ」

「え、うそ、どこ、え、

 音のないくちづけだった。文字屋が先に離れ、「いなり寿司味」と耳を真っ赤にしながら口にした。
 千代はもう全身真っ赤に染まっているのを自覚しながら、両頬に手を当てて言葉にならないものを口にし続けた。
 イズナが『お腹いっぱいでござる~』ところころに丸まった姿で、空の四パックと共に転がっている。千代と文字屋がはっと気づくと、自分達が食べていた分も空になっている。これには先に千代が「イズナちゃん、宵闇町あっちについたら美味しいご飯作ってもらうからね」とイズナの両頬を引っ張り、あまりの怒気に汗をだらだらたらしたイズナが小さくなって頷いた。
 文字屋がゴミをまとめ、ゴミ箱へ捨てに行く。千代もお茶のペットボトルをリサイクルボックスに入れ、出かける準備は整った。

「行くか、宵闇町よいやみちょう

「うん!」

『帰るでござる』

 文字屋が右手を掛け軸に押しつけ、ぱんっと宵闇町よいやみちょうの字が青白く光る。次の瞬間、二人と一匹の姿はなく、無地の掛け軸が転がっているだけだった。


       ◇◆◇◆◇◆


 表通りから外れた町角に、ぽつねんとたたずむ一軒の古民家。造りは煙草屋に似ているが、看板も暖簾も出していない。

「ゲロゲーロ! ゲーロゲロ!」

 二重にした格子戸の玄関扉から、書生服の少年が姿を現す。
 ところどころ白髪の混じった黒髪が、彼の顔を鼻先まで覆い隠している。

「うるさい。読書の邪魔だ」

 庇の下で合唱していた雨蛙達を、少年の鋭い眼光が射抜く。
 ピンと立った狐耳と狐尾が、不機嫌さを物語っている。

「失敬な! 客でゲロ!」

「そうゲロ! 文字屋に頼みがあるゲロ!」

「代金、払えるんだろうな?」

「もちろんでゲロ! 我々は太っ腹ゲロ!」

太腹ふとばらの間違いだろう」

 溜息をついた少年が踵を返し、格子戸を閉じる。
 豆タイルで彩られたショーウインドウの中身はなく、古びた半紙が一枚。


 ──【文字、売ります】──


 ガラリと、ショーウインドウ上の扉が開く。
 狐耳を揺らした少年が、渋々といった様子で頬杖をついた。

「それで、何の文字が欲しいんだ?」


 黒と紫色の中間色の空が彩る、ここはあやかしと獣人、そして半妖と人間が住む町・宵闇町よいやみちょう
 困り事や相談事はぜひ文字屋まで。


【宵闇町・文字屋奇譚/完】
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