93 / 102
第四章・熱を孕む
参
しおりを挟む
文字屋は北対へ戻ると、書道道具を入れた鞄から鈴が着いた名札を取り出す。【覚】と書かれた名札の鈴を鳴らすと、机の暗闇から長く大きなしっぽが伸び、音もなく文字屋の膝に前足が乗せられた。
「ずっと閉じこめておいてごめんな、覚」
ふるふると首を振る気配がし、首輪についている鈴が鳴る。うーんと体を長く伸ばす気配に続き、前足でのふみふみが始まった。
文字屋は机の下に手を入れ、覚の喉を撫でる。気持ちよさそうに喉を鳴らす覚が、文字屋の手につられて机の影から正体を現した。すらりと大きく長く伸びたしっぽが目立つ、瞳まで真っ黒な黒猫だった。しっぽの長さに対比して体はとても小さい。文字屋の片手に乗ると、じっと文字屋を見つめた。
勉強机に置いていた半紙に、怒りの文字が赤で記される。
「うん。今しがたまで怒ってた。さすがだな、覚」
ご褒美に喉を撫でてくれとねだる覚の喉を指で撫でてやり、文字屋は机上に覚を乗せる。蝋燭の明かりに揺れた覚は実体よりも大分大きく変化して見えた。
「覚。お願いがあるんだ。光る金魚を作った時のように、お前に協力してほしい」
二枚目の半紙に【応】が記される。文字屋はそれを見て、腹の底から深呼吸をした。
***
「きゃぁぁぁぁあ! なにこのちいさいのー! かわいいかわいいかわいい! モッフモフしてる!」
文字屋が千代を文で呼び出し、覚の姿を見せると、目を輝かせて食いついた。半紙のいたるところに【好き】の文字がぽぽんぽんぽんと記され始める。
「コハクくん、どうしたのこの可愛い子! 拾ったの?」
「拾ったのは随分と昔の宵闇町だが、そいつの正体は妖怪の覚だ。人の声を発し、人の心を読む妖怪。鳥山石燕が描いた『今昔画図続百鬼』の挿絵では、中国の伝説上の動物である攫猿という猿の挿絵が描かれている。
猿とは似ても似つかないうえに、人の言葉は話さないが、人の心を読む能力に長けている。今だってお前の気持ちを半紙に記し続けている。あまり能力を長く使うと覚自身が疲れてしまうんだ、気が済んだところで離してやってくれ」
千代がはーいと頷き、またねと覚を両腕の中から離す。ぷるぷると体を振った覚が机の下に潜り、姿を隠した。
「家の中じゃ全然見たことがないけれど、普段はどこにいる子なの?」
「特製の名札の中にいる。俺の心を一日読むだけでも疲れ果ててしまうからな、落ち着ける場所を作ってやったんだ」
「そうだよね、ずっと人の気持ちを読んでたら疲れちゃうもんね」
一人納得した千代が頷き、なにかに気づいたように顔を上げる。
「コハクくん。もしかして光る金魚の時と同じで、今回も覚ちゃんに協力してもらうの?」
「本人の了承は得た。あとは鈿女がどれだけ愛を伝えられるかが鍵だ」
「ふぅん、愛ですか、そうですか」
すすーっと文字屋に近づいてきた千代が、唇を尖らせる。文字屋が口を開く前に、千代が「わたしにも言ってくれたらなー」と耳に囁いたため、二人揃って頬を朱に染めた。
「ずっと閉じこめておいてごめんな、覚」
ふるふると首を振る気配がし、首輪についている鈴が鳴る。うーんと体を長く伸ばす気配に続き、前足でのふみふみが始まった。
文字屋は机の下に手を入れ、覚の喉を撫でる。気持ちよさそうに喉を鳴らす覚が、文字屋の手につられて机の影から正体を現した。すらりと大きく長く伸びたしっぽが目立つ、瞳まで真っ黒な黒猫だった。しっぽの長さに対比して体はとても小さい。文字屋の片手に乗ると、じっと文字屋を見つめた。
勉強机に置いていた半紙に、怒りの文字が赤で記される。
「うん。今しがたまで怒ってた。さすがだな、覚」
ご褒美に喉を撫でてくれとねだる覚の喉を指で撫でてやり、文字屋は机上に覚を乗せる。蝋燭の明かりに揺れた覚は実体よりも大分大きく変化して見えた。
「覚。お願いがあるんだ。光る金魚を作った時のように、お前に協力してほしい」
二枚目の半紙に【応】が記される。文字屋はそれを見て、腹の底から深呼吸をした。
***
「きゃぁぁぁぁあ! なにこのちいさいのー! かわいいかわいいかわいい! モッフモフしてる!」
文字屋が千代を文で呼び出し、覚の姿を見せると、目を輝かせて食いついた。半紙のいたるところに【好き】の文字がぽぽんぽんぽんと記され始める。
「コハクくん、どうしたのこの可愛い子! 拾ったの?」
「拾ったのは随分と昔の宵闇町だが、そいつの正体は妖怪の覚だ。人の声を発し、人の心を読む妖怪。鳥山石燕が描いた『今昔画図続百鬼』の挿絵では、中国の伝説上の動物である攫猿という猿の挿絵が描かれている。
猿とは似ても似つかないうえに、人の言葉は話さないが、人の心を読む能力に長けている。今だってお前の気持ちを半紙に記し続けている。あまり能力を長く使うと覚自身が疲れてしまうんだ、気が済んだところで離してやってくれ」
千代がはーいと頷き、またねと覚を両腕の中から離す。ぷるぷると体を振った覚が机の下に潜り、姿を隠した。
「家の中じゃ全然見たことがないけれど、普段はどこにいる子なの?」
「特製の名札の中にいる。俺の心を一日読むだけでも疲れ果ててしまうからな、落ち着ける場所を作ってやったんだ」
「そうだよね、ずっと人の気持ちを読んでたら疲れちゃうもんね」
一人納得した千代が頷き、なにかに気づいたように顔を上げる。
「コハクくん。もしかして光る金魚の時と同じで、今回も覚ちゃんに協力してもらうの?」
「本人の了承は得た。あとは鈿女がどれだけ愛を伝えられるかが鍵だ」
「ふぅん、愛ですか、そうですか」
すすーっと文字屋に近づいてきた千代が、唇を尖らせる。文字屋が口を開く前に、千代が「わたしにも言ってくれたらなー」と耳に囁いたため、二人揃って頬を朱に染めた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
6
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる