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第四章・熱を孕む
参
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実技試験までは大分日があく。文字屋は【和】の文字を書くことに決め、西対の姫君──千代と文のやり取りを始めた。万が一にでも鈿女に見られてもいいよう、文字屋はきちんと和歌を書いた。
文字屋が鈿女に文を届けるよう頼むと、毎朝交換される文に興味をそそられたらしい。千代の文の中身は、本人が知っている和歌、もしくは【意味がわからないので訳してください】と文字屋の和歌に対する疑問だったり、【おなかすいたー】と気持ちを表すものばかりだったが、続けることに意味がある。文を受け取る時に千代が本当に嬉しそうに笑うのも、鈿女にとっては効果ばつぐんだったらしい。
「胡白様、少々お尋ねしたいことがあるのですが……」
ある日の夕食後、一人で北対に籠ろうとしていた文字屋に鈿女が声をかけてきた。内心で喜びの舞を踊りつつ、文字屋はいたって普通の表情と声で「どうしましたか」と返答する。
鈿女が「ここでは少し……」と人目を気にする素振りを見せたので、北対へ案内する。渡殿で遠慮する鈿女を無理に引き入れることはせず、文字屋も渡殿に座って話が始まるのを待った。
「その、文のやりとりを長く続けるコツのようなものがあれば、教えていただきたいのです。そもそも私の文は読まれもせず……読まれるにはどうしたらよいか、毎日頭を悩ませているのです」
「お相手は沢山の文をいただく方なのですね」
「そう! そうなのです! けれども私だって女です。恋焦がれる方に文を読んでいただきたいのです」
「お気持ち、よく分かります。それでは一つ、良いものをお見せましょう」
文字屋は北対の室内に入り、机の上から小瓶と蝋燭台を取り、千代宛の文を手に取った。
「これは……?」
「中身は秘密ですが、自分の文であることを相手に伝えるものです」
千代宛の文には全て青色の印が押してある。青色の印に蝋燭の炎を近づけ、色の変化をまじまじと見ていた鈿女が「まぁ……!」と驚きの声を上げた。
「青色の印は発熱性のもので、温めると桜色に変わります。この印があることで、彼女も俺からの文だと認識してくれ、返事を書いてくれるのです。どうしても彼女に認識して欲しかった俺は、なにか目印をつけてみようと思って、このような形になりました」
「目印……とても良い考えですわ。しかも色が変わるだなんて、なんて素敵なものでしょう!」
今や鈿女の関心は全て小瓶に注がれている。文字屋は考えるふりをし、悩むふりをし、そうして小瓶を鈿女へ差しだした。
「良かったらお使いになりませんか」
「しかし、こちらは胡白様の大切なものなのでは……?」
「それでは柿の葉三枚で買い取ってください。自分で言うのもあれですが、俺と西対の姫君との絆は相当深いものです。目印がなくなったとて、そうやすやすと切れはしないでしょう」
「……ありがたきご配慮、感謝致します。明朝までには柿の葉三枚準備してまいります」
鈿女が深々と頭を下げ、小瓶をしっかと手に持って去っていく。その後ろ姿を見ながら、文字屋は第一段階は終わったなと、星のない空を見上げた。
文字屋が鈿女に文を届けるよう頼むと、毎朝交換される文に興味をそそられたらしい。千代の文の中身は、本人が知っている和歌、もしくは【意味がわからないので訳してください】と文字屋の和歌に対する疑問だったり、【おなかすいたー】と気持ちを表すものばかりだったが、続けることに意味がある。文を受け取る時に千代が本当に嬉しそうに笑うのも、鈿女にとっては効果ばつぐんだったらしい。
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ある日の夕食後、一人で北対に籠ろうとしていた文字屋に鈿女が声をかけてきた。内心で喜びの舞を踊りつつ、文字屋はいたって普通の表情と声で「どうしましたか」と返答する。
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「これは……?」
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「……ありがたきご配慮、感謝致します。明朝までには柿の葉三枚準備してまいります」
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