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第四章・熱を孕む
弐
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「ざ、残念ながらまだそこまでは……というか、まだ何も始まっていないと言いますか……あはは……」
文字屋が金魚すくいですくった金魚は、千代がすくったのと同じ桜色の金魚だった。【恋】と【恋】。僅かながら期待しても良いのだろうか。
「あら~お母さん残念だわぁ。玄ちゃん譲りの綺麗な金の狐目と、わたし譲りの黒い瞳がとっても素敵な子なのに。千代ちゃんは見たことある? 胡白ちゃんの長い前髪の下」
「は、はい、あります」
「あら! あらあらあら! そこまで見てるならもう恋人じゃない! だって胡白ちゃん、ぜえったいに人に見せたりしないのよ。半妖って呼ばれるのが嫌だからって、気づいたらあんなに長く前髪伸ばしちゃって。何度注意してもなおらないんだもの。ふ~ん、そうなの、千代ちゃんには見せたのねぇ」
千代を飲み込んだ文字を取り出すための儀式の途中で、天狐帝であるお父様に命令されて一度だけ、とはさすがに言えない。
たしかに、千代が文字屋を意識し始めたのは瞳を見てからだが、それ以外にだって文字屋には魅力が沢山ある。狐耳に狐尾。千代が大好きなモフモフの塊なのだ、彼は。
「恋って難しいわねぇ」
めぐみが意味深な台詞を言い、湯船の中をゆっくり泳ぎだした。千代はそれを見つつ、まったくだと頷いた。
***
文字屋が夜明け前に目を覚ますと、既に文箱が置いてあり、三通の歌が中に入っていた。いずれも恋を歌うものばかりで、久々の客への物珍しさが勝ったんだろうなと文字屋は結論づける。返歌を書くことはせず、けれどもそのまま捨てるには忍びないので、三通の歌は回収して机の端に置いておく。
文箱と共に置かれていた、たらいの水で顔を洗い、意識をはっきりさせる。どうやら大分早く起きたようだ。
朝の食事の前まで、鈿女の謎を考えてみようと、勉強道具を並べた机の前に座って思考を巡らせる。
(……読み方から考えて、うずめは鈿女だろう。意味は醜女、おたふく顔、おかめ。そして日本神話と記紀神話に出てくる天宇受売命、天鈿女命の略称だ。天野照大御が岩戸屋に隠れた際、官能的な舞を踊って戸を開けさせたという芸能の神。猿田毘古神と結婚し、夫婦円満の神としてもまつられている……名前で引っ張り出せるのはこの辺りまでだな。そもそも日本神話の神だぞ? いくら若返りの湯があるからって、神が此処に現存しているとは考えにくい。
顔の包帯もそうだ。視力はあるように感じられる振る舞いだが、この屋敷での女官歴は随分長いというし、慣れれば盲目でも仕えられるのかもしれない。しかし天鈿女命が盲目だったという記載はどこにもない……神とは別人だと切り離して考えるのが妥当か。
そうなると今度は理由が分からない。何故神の名を騙ってこの屋敷に潜り込み、一体何がしたいのか……)
「おはようございます、胡白様。大分お早いお目覚めですね」
部屋のすぐそばの渡殿から鈿女の声がし、文字屋は我に返る。朝の挨拶をしながら廊下に顔を出すと、鈿女がこんもりと文が溢れた文箱を抱えていた。天狐帝である父親宛に違いない。
「すごい量ですね」
「全て天狐帝への恋文です。主様は一通たりともお読みになりませんから、こちらで処分するよう仰せつかっているのです」
ふぅと溜息を鈿女が吐き、かき消えそうな声で口にした。
「こんなにも思い溢れるものばかりだというのに……せめて一目みてくだされば報われるものを」
文字屋が金魚すくいですくった金魚は、千代がすくったのと同じ桜色の金魚だった。【恋】と【恋】。僅かながら期待しても良いのだろうか。
「あら~お母さん残念だわぁ。玄ちゃん譲りの綺麗な金の狐目と、わたし譲りの黒い瞳がとっても素敵な子なのに。千代ちゃんは見たことある? 胡白ちゃんの長い前髪の下」
「は、はい、あります」
「あら! あらあらあら! そこまで見てるならもう恋人じゃない! だって胡白ちゃん、ぜえったいに人に見せたりしないのよ。半妖って呼ばれるのが嫌だからって、気づいたらあんなに長く前髪伸ばしちゃって。何度注意してもなおらないんだもの。ふ~ん、そうなの、千代ちゃんには見せたのねぇ」
千代を飲み込んだ文字を取り出すための儀式の途中で、天狐帝であるお父様に命令されて一度だけ、とはさすがに言えない。
たしかに、千代が文字屋を意識し始めたのは瞳を見てからだが、それ以外にだって文字屋には魅力が沢山ある。狐耳に狐尾。千代が大好きなモフモフの塊なのだ、彼は。
「恋って難しいわねぇ」
めぐみが意味深な台詞を言い、湯船の中をゆっくり泳ぎだした。千代はそれを見つつ、まったくだと頷いた。
***
文字屋が夜明け前に目を覚ますと、既に文箱が置いてあり、三通の歌が中に入っていた。いずれも恋を歌うものばかりで、久々の客への物珍しさが勝ったんだろうなと文字屋は結論づける。返歌を書くことはせず、けれどもそのまま捨てるには忍びないので、三通の歌は回収して机の端に置いておく。
文箱と共に置かれていた、たらいの水で顔を洗い、意識をはっきりさせる。どうやら大分早く起きたようだ。
朝の食事の前まで、鈿女の謎を考えてみようと、勉強道具を並べた机の前に座って思考を巡らせる。
(……読み方から考えて、うずめは鈿女だろう。意味は醜女、おたふく顔、おかめ。そして日本神話と記紀神話に出てくる天宇受売命、天鈿女命の略称だ。天野照大御が岩戸屋に隠れた際、官能的な舞を踊って戸を開けさせたという芸能の神。猿田毘古神と結婚し、夫婦円満の神としてもまつられている……名前で引っ張り出せるのはこの辺りまでだな。そもそも日本神話の神だぞ? いくら若返りの湯があるからって、神が此処に現存しているとは考えにくい。
顔の包帯もそうだ。視力はあるように感じられる振る舞いだが、この屋敷での女官歴は随分長いというし、慣れれば盲目でも仕えられるのかもしれない。しかし天鈿女命が盲目だったという記載はどこにもない……神とは別人だと切り離して考えるのが妥当か。
そうなると今度は理由が分からない。何故神の名を騙ってこの屋敷に潜り込み、一体何がしたいのか……)
「おはようございます、胡白様。大分お早いお目覚めですね」
部屋のすぐそばの渡殿から鈿女の声がし、文字屋は我に返る。朝の挨拶をしながら廊下に顔を出すと、鈿女がこんもりと文が溢れた文箱を抱えていた。天狐帝である父親宛に違いない。
「すごい量ですね」
「全て天狐帝への恋文です。主様は一通たりともお読みになりませんから、こちらで処分するよう仰せつかっているのです」
ふぅと溜息を鈿女が吐き、かき消えそうな声で口にした。
「こんなにも思い溢れるものばかりだというのに……せめて一目みてくだされば報われるものを」
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