宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか

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第四章・熱を孕む

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「ざ、残念ながらまだそこまでは……というか、まだ何も始まっていないと言いますか……あはは……」

 文字屋が金魚すくいですくった金魚は、千代がすくったのと同じ桜色の金魚だった。【恋】と【恋】。僅かながら期待しても良いのだろうか。

「あら~お母さん残念だわぁ。げんちゃん譲りの綺麗な金の狐目と、わたし譲りの黒い瞳がとっても素敵な子なのに。千代ちゃんは見たことある? コハクちゃんの長い前髪の下」

「は、はい、あります」

「あら! あらあらあら! そこまで見てるならもう恋人じゃない! だってコハクちゃん、ぜえったいに人に見せたりしないのよ。半妖はんようって呼ばれるのが嫌だからって、気づいたらあんなに長く前髪伸ばしちゃって。何度注意してもなおらないんだもの。ふ~ん、そうなの、千代ちゃんには見せたのねぇ」

 千代を飲み込んだ文字を取り出すための儀式の途中で、天狐帝てんこていであるお父様に命令されて一度だけ、とはさすがに言えない。
 たしかに、千代が文字屋を意識し始めたのは瞳を見てからだが、それ以外にだって文字屋には魅力が沢山ある。狐耳きつねのみみ狐尾きつねのお。千代が大好きなモフモフの塊なのだ、彼は。

「恋って難しいわねぇ」

 めぐみが意味深いみしんな台詞を言い、湯船の中をゆっくり泳ぎだした。千代はそれを見つつ、まったくだと頷いた。


       ***


 文字屋が夜明け前に目を覚ますと、既に文箱ふみばこが置いてあり、三通の歌が中に入っていた。いずれも恋を歌うものばかりで、久々の客への物珍しさが勝ったんだろうなと文字屋は結論づける。返歌へんかを書くことはせず、けれどもそのまま捨てるには忍びないので、三通の歌は回収して机の端に置いておく。
 文箱と共に置かれていた、たらいの水で顔を洗い、意識をはっきりさせる。どうやら大分早く起きたようだ。
 朝の食事の前まで、鈿女うずめの謎を考えてみようと、勉強道具を並べた机の前に座って思考を巡らせる。

(……読み方から考えて、うずめは鈿女うずめだろう。意味は醜女しこめ、おたふく顔、おかめ。そして日本神話にほんしんわ記紀神話ききしんわに出てくる天宇受売命あめのうずめ天鈿女命あめのうずめのみことの略称だ。天野照大御あまのてらすおおみかみ岩戸屋いわとやに隠れた際、官能的な舞を踊って戸を開けさせたという芸能の神。猿田毘古神さるたひこと結婚し、夫婦円満の神としてもまつられている……名前で引っ張り出せるのはこの辺りまでだな。そもそも日本神話の神だぞ? いくら若返りの湯があるからって、神が此処に現存しているとは考えにくい。
 顔の包帯もそうだ。視力はあるように感じられる振る舞いだが、この屋敷での女官歴は随分長いというし、慣れれば盲目でも仕えられるのかもしれない。しかし天鈿女命あめのうずめのみことが盲目だったという記載はどこにもない……神とは別人だと切り離して考えるのが妥当だとうか。
 そうなると今度は理由が分からない。何故神の名をかたってこの屋敷に潜り込み、一体何がしたいのか……)

「おはようございます、コハク様。大分お早いお目覚めですね」

 部屋のすぐそばの渡殿わたどのから鈿女うずめの声がし、文字屋は我に返る。朝の挨拶をしながら廊下に顔を出すと、鈿女うずめがこんもりとふみが溢れた文箱ふみばこを抱えていた。天狐帝てんこていである父親宛に違いない。

「すごい量ですね」

「全て天狐帝てんこていへの恋文こいぶみです。主様は一通たりともお読みになりませんから、こちらで処分するよう仰せつかっているのです」

 ふぅと溜息を鈿女うずめが吐き、かき消えそうな声で口にした。

「こんなにも思い溢れるものばかりだというのに……せめて一目みてくだされば報われるものを」
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