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第四章・熱を孕む
壱
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もふっ。もふもふもふもふっ。
千代が前に進めば進むほど、もふもふ感が上がる。柔らかい毛皮に包まれているような多幸感に、千代はしばし酔いしれ──ぐいっと大きな獣の手に、体を離された。
金の狐目でじろりと全身を舐めるように見られ、思わず千代は硬直した。
「お前、アイツのアレか」
小指を立てる仕草は人間くさいものの、図体が玄関に入りきれないほど大きな狐が千代に問う。どう答えれば良いか言葉に詰まった千代は、じりじりと後ずさる。
「ちょっと! 玄ちゃん邪魔ー! 後からゆっくり入ってくーださい!」
もふもふの狐の脇の下を無理やりぐいぐい抜けでてきた訪問着姿の女性が、千代を見てぱあっと表情を明るくした。
「ね、ね、あなた、コハクちゃんの恋人? あー良かったわー、やっとコハクちゃんも恋をする気になり、結婚する気になり、子供を設ける気になったのね!! ぱちぱちぱちぱち! あ、私はコハクの母のめぐみですー。どうぞよろしく恋人さん!」
「は、はい、どうぞよろしくお願いいたします」
やたらテンション高い人が現れたな……と内心引きつつ、千代はぺこりと頭を下げる。緩やかに記憶を逆再生し、『コハクの母のめぐみですー』で千代は慌てて「お義母さま!?」と言い、文字屋がいたら「文字が違う」と即座に突っ込まれそうな呼び方をした。
「あらーお義母さんだなんて! 玄ちゃん、聞いた聞いた? この子、とっても可愛い子よ~。私の着物もとてもよく似合ってるし!」
「お義母様の着物だったんですね?! ただでお借りしてしまい、申し訳ありませんでした!!」
文字屋が千代にあてがった部屋には、綺麗な着物が整然と収納された桐箪笥があった。文字屋に聞いても「着物は好きに着ていい」としか言われなかったので、千代は持ち主を知らぬまま日々着ていたのだ。
「いいのよいいのよ、着物だって着てあげたほうが喜ぶし」
めぐみは祖母の若い頃にそっくりだ。訪問着の着こなしもきちんとしているし、姿勢もしゃんと伸びている。この若さで百歳をこえる子持ちなのかと、千代は疑いたくもなる。
そして玄関に入りきれないほど大きな狐。あちらの方が文字屋の父親なのだろう。
「……来る時は前もって連絡をくださいと伝えませんでしたか、母上」
一段低い文字屋の声が背後から聞こえ、千代は安堵しながら振り向こうとし、逆に血塗れの姿にひっと短い悲鳴をあげた。
「こここコハクくん! だだだ大丈夫なのそれ!」
「魚を捌こうとしたらこうなった。やはりイズナに任せるべきだったな」
手拭いで顔の血を拭き、手の血を拭いた文字屋が、いまだに玄関に入れずにいる狐へ冷たい視線を向ける。
「……お久しぶりです、父上」
「おう。元気にしていたか、愚息よ」
ぴりっと張り詰めた緊張感が玄関に走る。文字屋が踵を返し、イズナを呼ぶ。ぽんっと現れたイズナがめぐみと大きな狐を見て、さーっと顔を青ざめさせた。
「イズナ。お茶を五人分。それから客人用の布団を干してくれ。台所に捌き損ねた魚もある。頼んだぞ」
『か、か、か、かしこまりましたでござる』
煙状になったイズナが台所へ急いで向かっていく。
めぐみの「どうやら泊めてもらえるみたいよ、玄ちゃん」の声だけが明るく響いた。
千代が前に進めば進むほど、もふもふ感が上がる。柔らかい毛皮に包まれているような多幸感に、千代はしばし酔いしれ──ぐいっと大きな獣の手に、体を離された。
金の狐目でじろりと全身を舐めるように見られ、思わず千代は硬直した。
「お前、アイツのアレか」
小指を立てる仕草は人間くさいものの、図体が玄関に入りきれないほど大きな狐が千代に問う。どう答えれば良いか言葉に詰まった千代は、じりじりと後ずさる。
「ちょっと! 玄ちゃん邪魔ー! 後からゆっくり入ってくーださい!」
もふもふの狐の脇の下を無理やりぐいぐい抜けでてきた訪問着姿の女性が、千代を見てぱあっと表情を明るくした。
「ね、ね、あなた、コハクちゃんの恋人? あー良かったわー、やっとコハクちゃんも恋をする気になり、結婚する気になり、子供を設ける気になったのね!! ぱちぱちぱちぱち! あ、私はコハクの母のめぐみですー。どうぞよろしく恋人さん!」
「は、はい、どうぞよろしくお願いいたします」
やたらテンション高い人が現れたな……と内心引きつつ、千代はぺこりと頭を下げる。緩やかに記憶を逆再生し、『コハクの母のめぐみですー』で千代は慌てて「お義母さま!?」と言い、文字屋がいたら「文字が違う」と即座に突っ込まれそうな呼び方をした。
「あらーお義母さんだなんて! 玄ちゃん、聞いた聞いた? この子、とっても可愛い子よ~。私の着物もとてもよく似合ってるし!」
「お義母様の着物だったんですね?! ただでお借りしてしまい、申し訳ありませんでした!!」
文字屋が千代にあてがった部屋には、綺麗な着物が整然と収納された桐箪笥があった。文字屋に聞いても「着物は好きに着ていい」としか言われなかったので、千代は持ち主を知らぬまま日々着ていたのだ。
「いいのよいいのよ、着物だって着てあげたほうが喜ぶし」
めぐみは祖母の若い頃にそっくりだ。訪問着の着こなしもきちんとしているし、姿勢もしゃんと伸びている。この若さで百歳をこえる子持ちなのかと、千代は疑いたくもなる。
そして玄関に入りきれないほど大きな狐。あちらの方が文字屋の父親なのだろう。
「……来る時は前もって連絡をくださいと伝えませんでしたか、母上」
一段低い文字屋の声が背後から聞こえ、千代は安堵しながら振り向こうとし、逆に血塗れの姿にひっと短い悲鳴をあげた。
「こここコハクくん! だだだ大丈夫なのそれ!」
「魚を捌こうとしたらこうなった。やはりイズナに任せるべきだったな」
手拭いで顔の血を拭き、手の血を拭いた文字屋が、いまだに玄関に入れずにいる狐へ冷たい視線を向ける。
「……お久しぶりです、父上」
「おう。元気にしていたか、愚息よ」
ぴりっと張り詰めた緊張感が玄関に走る。文字屋が踵を返し、イズナを呼ぶ。ぽんっと現れたイズナがめぐみと大きな狐を見て、さーっと顔を青ざめさせた。
「イズナ。お茶を五人分。それから客人用の布団を干してくれ。台所に捌き損ねた魚もある。頼んだぞ」
『か、か、か、かしこまりましたでござる』
煙状になったイズナが台所へ急いで向かっていく。
めぐみの「どうやら泊めてもらえるみたいよ、玄ちゃん」の声だけが明るく響いた。
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