宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか

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第三章・自称:悪役たちの依頼

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 新嘗祭にいなめさいの夜は、文字屋が天満月あまみつつきを形作った。ヒグマ工務店から許可を取った、だたっぴろい空き地で、儀式は決行されることになった。
 準備してきた魚や果物などの供物を絵皿に乗せ、三方さんぽうの上に置く。今回儀式に出てくる動物として選ばれたのは、イズナ(狐)、猿、狸、子兎だった。ワニは集めてきた枯れ木と枯れ枝の横に千代と立ち、ハラハラしながら皆を見つめていた。

『どちらの話も、動物達が食べ物を持ち寄って神様に食べてもらおうとする点は変わらない。理由は、自分が人間になりたいから』

 千代の脳裏で、文字屋に聞かされた話が蘇る。
 文字屋は細々と準備を進める中、皆に儀式の流れを再確認したりと抜かりがない。

『ジャータカ神話では、うさぎは菩薩ぼさつの転生だと言われている。この点も今回は利用する。
 他の動物達が供物を次々と見つける中、冬ということもあり、柔らかい草をむ兎は供物を見つけることができない』

 赤いケープを脱いだ子兎を呼び寄せ、文字屋が【菩薩ぼさつ】と書いた半紙を右手で押しつける。半紙は光の粒子に変わり、ほろほろと子兎の体にまとわりつく。

『更にジャータカ神話では、天帝・帝釈天たいしゃくてんが老人に化けて動物達と接する。差し出せる供物がない兎は、ここで決死の判断をする。儀式最大の見せ場であり、月にのぼれるかどうかはここで決まる』

 千代はぎゅうっと両手を握る。皆が何事もありませんように、子兎ちゃんが無事に月へ行けますように。祈るしかできない自分が一番無力だけれども、今はこうせずにはいられない。
 儀式の再確認を終え、文字屋が千代とワニのほうへ向かって歩いてくる。

「千代。ワニ。二人は遠慮なく枯れ木を運んで積み上げてくれ。儀式最大の見せ場のためにも頼むぞ」

「子兎ちゃんは、だだだ大丈夫なのよね?」

「大丈夫だ。俺が保証する」

 今にも真っ青な顔をして倒れそうなワニが、こくんと首を振る。千代は無言で首を縦に振り、文字屋がきびすを返すのを見届けた。

「今から帝釈天を呼び出す。その後は一発勝負だ、皆よろしく頼む」

 文字屋の声に、おーっと皆がグーの手を上げる。それを見届け、文字屋は掛け軸を地面に広げた。【天帝・帝釈天たいしゃくてん】と書かれた掛け軸を前に正座をし、深々と一礼すると、右手を紙面に当てた。
 文字屋の狐尾きつねのおがぶわぶわりと増え、右手で触れていた掛け軸の文字がぼっと青い炎で燃える。一度着火した文字は、文字の書き順をなぞり、更に大きな炎となってうねる。青き炎の龍が甲高い声で鳴き、天へ上がっていく。文字屋の右手が更に光ると、圧縮された炎の塊が天と地を繋いだ。

 しゃん、と鈴の音が鳴る。

 皆がはっと気を取り戻したとき、目の前に笠を深々と被った老人がいた。

『夕方採れたばかりの新鮮な魚でござる! ぜひ召し上がってほしいでござる!』

 イズナがいの一番に声を上げる。

「俺は鶏肉を持ってきただ~。召し上がってほしいだ~」

「うきー! 新鮮な果物もあるでうきー! こちらも召し上がってほしいうきー!」

 狸、狐も続き、老人が頷きながら供物を見て歩く。子兎の前にある何も置かれていない三方さんぽうを見て、老人が足を止めた。

『供物もなしに人間になりたいなんて、ずるいでござる!』

「そうだうきー! 子兎はずるいうきー!」

「お供え物はちゃんと準備するもんだ~」

 他の動物達に責められる子兎。伏せていた顔を上げ、ゆっくりと口を開いた。

「あたちの食べ物は柔らかい草や木の芽で、今の時期は寒くてありませんでしゅた。だから、今から火を起こしてあたち自身を食べてもらおうと思いましゅ。よろしいでしゅか?」

 老人が頷き、子兎が千代とワニの近くまで走ってくる。ワニは既に泣いていて、ぎゅっと子兎を抱きしめた。

「ワニしゃん。先生も言っていたでしゅ。離れていても縁は切れない、仲良く過ごした時間は消えないでしゅ。ワニしゃん。ずっとお友達でしゅよ」

「子兎ちゃん……そうね、ずっとあたし達はお友達だからね……」

 ワニが子兎から離れ、子兎が千代に赤いケープとジャムの瓶をさしだした。瓶の中には文字がたんまりと詰め込まれている。

「先生に渡して欲しいでしゅ。千代しゃん、仲良くしてくださってありがとうございましゅた。それから、先生をよろしくお願いしますでしゅ」

「うん。子兎ちゃん、こちらこそ仲良くしてくれてありがとう。預かったものはきちんと文字屋くんに渡します」

 千代は都衿みやこえりのコートのポケットにケープと瓶をしまい、ワニと一緒に枯れ木を老人の近くへ運ぶ。枯れ枝をくわえて来た子兎が戻り、準備は整った。

『──儀式最大の見せ場は、子兎が自身の肉をさしだすために、自ら火に飛び込むところだ』

 老人が積み上げた枯れ木に火をつける。ごうごうと赤く燃える火は、近づくものを許さない熱さを放っていた。
 子兎がくるりと後ろを向き、全員に頭を下げる。

「みんな、ずっとずっとお友達でしゅ」

 それだけを言い残し、子兎は燃え上がる炎に立ち向かう。迷いない一歩を踏み出して、二歩三歩と加速して、「神様、あたちを食べてください!」と大きく叫んで炎に飛び込んだ。
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