70 / 102
第三章・自称:悪役たちの依頼
参
しおりを挟む
次の日、千代が新聞店に出勤すると、子兎は休みだった。新聞屋曰く、体調不良とのこと。千代は自分の席に着き、主不在の古いデスクを見つめた。
昨日商店街で起こした騒ぎの数々が原因だろう。悪いのは千代なのだが、子兎も責任を感じてしまったのかもしれない。早く仕事を終わらせてお見舞いにいこうと、千代がかたく誓った途端。
カランカランとドアベルを鳴らし、買い物カゴを下げたイズナと、小豆色の襟巻きをした文字屋が店内に入ってきた。
「も、文字屋くん?!」
「待ってたですホー! 助かりますでホー!」
「仕事をしにきた」
『二階を借りるでござるよ』
煙状になったイズナがすーっと二階へ上がっていく。文字屋は襟巻を外し、綺麗に畳んでデスクの上に置くと、子兎の古いデスクの椅子と隣のデスクの椅子を交換した。交換した椅子に座り、新聞屋が書き上げた原稿に目を通し始める。
くるりと一回、指に挟んだ赤鉛筆が回ると、千代が目を剥く速さで原稿用紙に赤が入った。原稿用紙を新聞屋に渡すと、文字屋は肩を揉み揉みとんとんと叩き、赤鉛筆を置いた。
「校閲係が休みと新聞屋から連絡が入ってな。代わりに来た。子兎に文字の読み書きと校閲の方法を教えたのは俺だからな。弟子の後始末は師である俺がする」
「あ、だから昨日子兎ちゃんが『先生』って呼んでたんだ」
そういうことだと言い残し、文字屋が口を閉ざす。小豆色の襟巻きを首に巻き直し、使っていた椅子と隣のデスクの椅子を交換する。デスク周りを元通りに戻すと、新聞屋から報酬が入った封筒を受け取り、千代を見つめた。
「俺は子兎の見舞いに行くが、お前はどうする?」
「はい! はい! 行きます!」
「新聞屋。イズナは此処に置いていく。こいつは少し借りるぞ」
「了解しましたでホー!」
千代はいそいそと都衿のコートを羽織る。出入口で待っていた文字屋が、ガランとドアベルを鳴らして扉を開いた。
◇◆◇◆◇◆
子兎の家へ向かう途中、文字屋がたぬき食堂で足を止めた。子狸に〈かちかち山の泥舟デザート〉なるものを持ち帰りで頼み、食堂に入る列とは離れた場所で待機する。
文字屋はいたって普通通りだ。長い前髪もおろし、書生服姿も変わらない。唯一変わったところがあるとすれば、右親指に薄く包帯が巻かれていることぐらいだ。
デザートの出来上がりを二人で待つ中、間には細くたなびく白い吐息と静寂だけがあり、千代は思わず昨日のことを思い出して頬を染めた。
(いやいやいやいや! だからなんで照れているの、わたし! そりゃあ色々と不安でしたし、わたしも助けてって言っちゃったし……『俺がそばにいる』なんて台詞、漫画でしか読んだことないよ! 文字屋くんも普段と違って優しく見えたし……ああ、そうか、目があったからだ。夜を飲みこんだ漆黒の瞳。人間の瞳。その瞳で穏やかに笑ってくれたから、わたしは)
デザートができたことを告げる声がし、文字屋が先に動いた。迷いない足取りで子狸に近づき、代金と引き換えに商品を受け取る。幾重にも新聞紙に包まれたものが入った袋は、文字屋の小さな手にきちんとおさまった。
「千代。行くぞ」
「はーい」
千代も慌てて文字屋に駆け寄り、文字屋と足取りを揃える。
(……わたしは、つまり、文字屋くんが)
唇だけで形作った言葉は、勢いよく千代の体中を駆け巡り、ぼっと沸騰させた。ちらと横目で見た文字屋は、何ら変わりがなくて、それもまた千代の熱情を煽った。
昨日商店街で起こした騒ぎの数々が原因だろう。悪いのは千代なのだが、子兎も責任を感じてしまったのかもしれない。早く仕事を終わらせてお見舞いにいこうと、千代がかたく誓った途端。
カランカランとドアベルを鳴らし、買い物カゴを下げたイズナと、小豆色の襟巻きをした文字屋が店内に入ってきた。
「も、文字屋くん?!」
「待ってたですホー! 助かりますでホー!」
「仕事をしにきた」
『二階を借りるでござるよ』
煙状になったイズナがすーっと二階へ上がっていく。文字屋は襟巻を外し、綺麗に畳んでデスクの上に置くと、子兎の古いデスクの椅子と隣のデスクの椅子を交換した。交換した椅子に座り、新聞屋が書き上げた原稿に目を通し始める。
くるりと一回、指に挟んだ赤鉛筆が回ると、千代が目を剥く速さで原稿用紙に赤が入った。原稿用紙を新聞屋に渡すと、文字屋は肩を揉み揉みとんとんと叩き、赤鉛筆を置いた。
「校閲係が休みと新聞屋から連絡が入ってな。代わりに来た。子兎に文字の読み書きと校閲の方法を教えたのは俺だからな。弟子の後始末は師である俺がする」
「あ、だから昨日子兎ちゃんが『先生』って呼んでたんだ」
そういうことだと言い残し、文字屋が口を閉ざす。小豆色の襟巻きを首に巻き直し、使っていた椅子と隣のデスクの椅子を交換する。デスク周りを元通りに戻すと、新聞屋から報酬が入った封筒を受け取り、千代を見つめた。
「俺は子兎の見舞いに行くが、お前はどうする?」
「はい! はい! 行きます!」
「新聞屋。イズナは此処に置いていく。こいつは少し借りるぞ」
「了解しましたでホー!」
千代はいそいそと都衿のコートを羽織る。出入口で待っていた文字屋が、ガランとドアベルを鳴らして扉を開いた。
◇◆◇◆◇◆
子兎の家へ向かう途中、文字屋がたぬき食堂で足を止めた。子狸に〈かちかち山の泥舟デザート〉なるものを持ち帰りで頼み、食堂に入る列とは離れた場所で待機する。
文字屋はいたって普通通りだ。長い前髪もおろし、書生服姿も変わらない。唯一変わったところがあるとすれば、右親指に薄く包帯が巻かれていることぐらいだ。
デザートの出来上がりを二人で待つ中、間には細くたなびく白い吐息と静寂だけがあり、千代は思わず昨日のことを思い出して頬を染めた。
(いやいやいやいや! だからなんで照れているの、わたし! そりゃあ色々と不安でしたし、わたしも助けてって言っちゃったし……『俺がそばにいる』なんて台詞、漫画でしか読んだことないよ! 文字屋くんも普段と違って優しく見えたし……ああ、そうか、目があったからだ。夜を飲みこんだ漆黒の瞳。人間の瞳。その瞳で穏やかに笑ってくれたから、わたしは)
デザートができたことを告げる声がし、文字屋が先に動いた。迷いない足取りで子狸に近づき、代金と引き換えに商品を受け取る。幾重にも新聞紙に包まれたものが入った袋は、文字屋の小さな手にきちんとおさまった。
「千代。行くぞ」
「はーい」
千代も慌てて文字屋に駆け寄り、文字屋と足取りを揃える。
(……わたしは、つまり、文字屋くんが)
唇だけで形作った言葉は、勢いよく千代の体中を駆け巡り、ぼっと沸騰させた。ちらと横目で見た文字屋は、何ら変わりがなくて、それもまた千代の熱情を煽った。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
紅屋のフジコちゃん ― 鬼退治、始めました。 ―
木原あざみ
キャラ文芸
この世界で最も安定し、そして最も危険な職業--それが鬼狩り(特殊公務員)である。
……か、どうかは定かではありませんが、あたしこと藤子奈々は今春から鬼狩り見習いとして政府公認特A事務所「紅屋」で働くことになりました。
小さい頃から憧れていた「鬼狩り」になるため、誠心誠意がんばります! のはずだったのですが、その事務所にいたのは、癖のある上司ばかりで!? どうなる、あたし。みたいな話です。
お仕事小説&ラブコメ(最終的には)の予定でもあります。
第5回キャラ文芸大賞 奨励賞ありがとうございました。

カフェぱんどらの逝けない面々
来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
キャラ文芸
奄美の霊媒師であるユタの血筋の小春。霊が見え、話も出来たりするのだが、周囲には胡散臭いと思われるのが嫌で言っていない。ごく普通に生きて行きたいし、母と結託して親族には素質がないアピールで一般企業への就職が叶うことになった。
大学の卒業を間近に控え、就職のため田舎から東京に越し、念願の都会での一人暮らしを始めた小春だが、昨今の不況で就職予定の会社があっさり倒産してしまう。大学時代のバイトの貯金で数カ月は食いつなげるものの、早急に別の就職先を探さなければ詰む。だが、不況は根深いのか別の理由なのか、新卒でも簡単には見つからない。
就活中のある日、コーヒーの香りに誘われて入ったカフェ。おっそろしく美形なオネエ言葉を話すオーナーがいる店の隅に、地縛霊がたむろしているのが見えた。目の保養と、疲れた体に美味しいコーヒーが飲めてリラックスさせて貰ったお礼に、ちょっとした親切心で「悪意はないので大丈夫だと思うが、店の中に霊が複数いるので一応除霊してもらった方がいいですよ」と帰り際に告げたら何故か捕獲され、バイトとして働いて欲しいと懇願される。正社員の仕事が決まるまで、と念押しして働くことになるのだが……。
ジバティーと呼んでくれと言う思ったより明るい地縛霊たちと、彼らが度々店に連れ込む他の霊が巻き起こす騒動に、虎雄と小春もいつしか巻き込まれる羽目になる。ほんのりラブコメ、たまにシリアス。
【序章完】ヒノモトバトルロワイアル~列島十二分戦記~
阿弥陀乃トンマージ
キャラ文芸
――これはあり得るかもしれない未来の日本の話――
日本は十の道州と二つの特別区に別れたのち、混乱を極め、戦国の世以来となる内戦状態に陥ってしまった。
荒廃する土地、疲弊する民衆……そしてそれぞれの思惑を秘めた強者たちが各地で立ち上がる。巫女、女帝、将軍、さらに……。
日本列島を巻き込む激しい戦いが今まさに始まる。
最後に笑うのは誰だ。
PMに恋したら
秋葉なな
恋愛
高校生だった私を助けてくれた憧れの警察官に再会した。
「君みたいな子、一度会ったら忘れないのに思い出せないや」
そう言って強引に触れてくる彼は記憶の彼とは正反対。
「キスをしたら思い出すかもしれないよ」
こんなにも意地悪く囁くような人だとは思わなかった……。
人生迷子OL × PM(警察官)
「君の前ではヒーローでいたい。そうあり続けるよ」
本当のあなたはどんな男なのですか?
※実在の人物、事件、事故、公的機関とは一切関係ありません
表紙:Picrewの「JPメーカー」で作成しました。
https://picrew.me/share?cd=z4Dudtx6JJ

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
京都かくりよあやかし書房
西門 檀
キャラ文芸
迷い込んだ世界は、かつて現世の世界にあったという。
時が止まった明治の世界。
そこには、あやかしたちの営みが栄えていた。
人間の世界からこちらへと来てしまった、春しおりはあやかし書房でお世話になる。
イケメン店主と双子のおきつね書店員、ふしぎな町で出会うあやかしたちとのハートフルなお話。
※2025年1月1日より本編start! だいたい毎日更新の予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる