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第三章・自称:悪役たちの依頼
弐
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「【苛苛】だ。思い通りにならなかったり、不快なことがあったりして神経が高ぶり、苛立つ。それから棘が刺さったかのように、ちくちくやピリピリといった身体反応が出ることを指す。
千代、自分の両腕をきちんと見ろ。何度も何度もかきむしりすぎて血が出ているぞ」
「知って、る。ずっとイライラしてて、腕をかきたくて、かきたくて、たまらない、の。たすけて、文字屋くん」
千代の瞳から、つーっと一筋の涙が零れる。黒い瞳でそれを見つめた文字屋が、もう一枚の半紙に【苛苛】と書いた。
文字屋が千代に両腕を前に出すよう言い、二枚の【苛苛】の半紙で千代の両腕を包む。再度小刀で自分の右親指の腹に刃を滑らせ、赤い血が滲む。その状態のまま、ぎゅうと半紙ごと千代の腕を握った。
「今からお前を飲みこんだ文字を取りだす。千代、お前が頑なになればなるほど取りだすのは難しい。深く息を吐き、吸って、怖くなったら夕食のことでも考えろ。
大丈夫だ。俺がそばにいる」
「うん」
「いくぞ」
文字屋の狐眼の金色が強くなり、灯っている明かりも明るさを増す。流れ滴った文字屋の血が、半紙の【苛苛】に滲んでいく。ある程度滲むと、千代の腕がびくびく胎動を始め、どろりと赤黒い血が【苛苛】を最初から書き始めた。
「文字屋くん」
「なんだ」
「ごめんね。わたし、ちゃんと文字屋くんに相談すれば良かった。そうしたら、こんな大事にならずにすんだのに」
「それを言うなら、俺も悪かった。仕事にかまけてお前との会話が減っていた。同じ屋根の下に住んでいるんだ、もっと気をつけるべきだった。すまん」
「二人揃って、謝ってばかりだね」
「そうだな。お前が謝るなんて変だから、早く文字を取りだすことにしよう」
「なによう、わたしだって謝ります!」
はは、と文字屋が乾いた笑いを零す。
「俺が知っている秋野千代は、とにかく明るくて、何かを失敗してもへこたれなくて、人の五倍は飯を食って、元気な笑顔で家を飛び出していくような奴だ。そうして大概、俺に厄介事を持ち込むんだ。俺は自分から働きたくなんかないぞ。ゆるやかに穏やかに日々が過ごせればそれでいい。それらをぶち壊すのが秋野千代だ。まったくどうしてくれる」
千代の両腕を見つめる黒い瞳は穏やかで、千代はさあっと頬に朱をさした。
(いやいやいやいや! 何を照れているの、わたし! ああ、そうか……苛苛が取り出されているから、ほんのちょっぴり落ち着いてきたんだ。さすが文字屋くん。口は悪いけれども、腕はとってもとってもすごいんだから……)
千代は深呼吸をし、文字屋と同じく自分の両腕を見つめる。赤黒い血を吸っていない箇所は、もう残り僅かだった。
千代、自分の両腕をきちんと見ろ。何度も何度もかきむしりすぎて血が出ているぞ」
「知って、る。ずっとイライラしてて、腕をかきたくて、かきたくて、たまらない、の。たすけて、文字屋くん」
千代の瞳から、つーっと一筋の涙が零れる。黒い瞳でそれを見つめた文字屋が、もう一枚の半紙に【苛苛】と書いた。
文字屋が千代に両腕を前に出すよう言い、二枚の【苛苛】の半紙で千代の両腕を包む。再度小刀で自分の右親指の腹に刃を滑らせ、赤い血が滲む。その状態のまま、ぎゅうと半紙ごと千代の腕を握った。
「今からお前を飲みこんだ文字を取りだす。千代、お前が頑なになればなるほど取りだすのは難しい。深く息を吐き、吸って、怖くなったら夕食のことでも考えろ。
大丈夫だ。俺がそばにいる」
「うん」
「いくぞ」
文字屋の狐眼の金色が強くなり、灯っている明かりも明るさを増す。流れ滴った文字屋の血が、半紙の【苛苛】に滲んでいく。ある程度滲むと、千代の腕がびくびく胎動を始め、どろりと赤黒い血が【苛苛】を最初から書き始めた。
「文字屋くん」
「なんだ」
「ごめんね。わたし、ちゃんと文字屋くんに相談すれば良かった。そうしたら、こんな大事にならずにすんだのに」
「それを言うなら、俺も悪かった。仕事にかまけてお前との会話が減っていた。同じ屋根の下に住んでいるんだ、もっと気をつけるべきだった。すまん」
「二人揃って、謝ってばかりだね」
「そうだな。お前が謝るなんて変だから、早く文字を取りだすことにしよう」
「なによう、わたしだって謝ります!」
はは、と文字屋が乾いた笑いを零す。
「俺が知っている秋野千代は、とにかく明るくて、何かを失敗してもへこたれなくて、人の五倍は飯を食って、元気な笑顔で家を飛び出していくような奴だ。そうして大概、俺に厄介事を持ち込むんだ。俺は自分から働きたくなんかないぞ。ゆるやかに穏やかに日々が過ごせればそれでいい。それらをぶち壊すのが秋野千代だ。まったくどうしてくれる」
千代の両腕を見つめる黒い瞳は穏やかで、千代はさあっと頬に朱をさした。
(いやいやいやいや! 何を照れているの、わたし! ああ、そうか……苛苛が取り出されているから、ほんのちょっぴり落ち着いてきたんだ。さすが文字屋くん。口は悪いけれども、腕はとってもとってもすごいんだから……)
千代は深呼吸をし、文字屋と同じく自分の両腕を見つめる。赤黒い血を吸っていない箇所は、もう残り僅かだった。
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