宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか

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第三章・自称:悪役たちの依頼

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 左手にスケッチブック、右手首に空の買い物カゴ。
 吸って吐いて、吸って吸って吐く。
 八百屋やおや軒先のきさきで、千代は深呼吸を繰り返す。

 うたた寝をしていた八百屋おしちが、ハッと顔を上げる。
 双方の視線が絡む。
 千代は勢いよくスケッチブックを開き、一枚の絵を指し示した。

「八百屋さん! 大根だいこんくださいな!」

 スケッチブックをみつめること、数十秒。
 八百屋お七が首を傾げ、皿盛りのかぶを取り上げる。

『◯*#@?』

しい! 蕪じゃないです!」

『△? □? ◯△□……××××××』

「ああっ! さじを投げないで! 大根! これは大根なんですぅぅぅぅ!」

 文字屋に面と向かって「紙と墨の無駄遣いだ」と言われるよりも、イズナに『闇鍋である』と呟かれるよりも。
 言葉が通じない獣人じゅうじんやあやかしの反応のほうが、千代はいたたまれない気持ちになる。

(うまく描けたと思ったのに……。うーん……人参にんじんをお手本にしたのがダメだったのかしら……)

 似顔絵屋にがおえやがいない今、一旗揚ひとはたあげれば生活費の足しになる!
 そう決心したものの、先は長い。
 千代は折りたたんだスケッチブックを買い物カゴに入れ、すごすごと大根を手に取った。
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