宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか

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第二章・お鶴さんの恋愛事情

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 フワッ。
 千代の眼前に、透明な球体が浮く。
 千代が今まで見た球体のどれよりも明るく、耳に近づけるとんだ音がした。
 続いて、サァッと吹いた涼風りょうふうが『セイ』の文字を形作る。

「『さぎ』は訓読みだ。音読おんよみは『ロ』。名称の由来ゆらいについては諸説しょせつあるが。白く美しい立ち姿から『きよい』を意味する『さやけし』がてんじたという説が有力だ。
 一方いっぽう犯罪はんざいの『詐欺サギ』は【あざむく・だます・かたる】事を表す字を使った熟語じゅくご。漢字は表意ひょうい文字、つまり文字自体に意味がある。
 よって、鳥のさぎと犯罪の詐欺サギは無関係だ」

 文字屋の右人差し指が動き、球体が千代から離れていく。

「今回は相手の名前も良いしな。このまま結婚してほしいものだ」

「ええと……鷺介さぎすけさん? あれ、この『介』って……【老人を介護かいごする】とかに使うよね?」

「『カイ』の訓読みは『たすける・すけ』だ。音読みは『カイ』。
 千代、お前の言う通り。『カイ』は『たすける・つきそう』の意味があり、『心にかける』という意味もある。文字だけみても良い相手だぞ」

「へぇ。文字屋くん、教えてくれてありがとう。ごはん食べたら、お鶴さんに『おめでとう!』って言ってくる!」

「祝うのはいいが。酒は与えるなよ」

(犯罪のサギと関係ないって分かったし! お鶴さん、幸せになれるよね! うん、きっと幸せになれる!
 だって、良い名前だ……し……。あれ……そういえば……)

 人差し指で球体をクルクルと回しつつ、文字屋が立ち上がる。
 狐尾きつねのおふすまの向こう側に消える直前。
 千代は、小さな背中に声をかけた。
 
「ねぇ、文字屋くん。文字屋くんの名前はコハクだよね? どんな字を書くの?」
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