宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか

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第一章・不吉なペンネーム

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「リンは音読みだ。訓読みは『さむ(い)』。
 したがってりんの意味は、寒い・厳しい・激しい。心身が引きまる」

 とん、と。
 文字屋が右人差し指を半紙に打ちつける。
 冷ええとした冷気れいきが、千代の体を包みこんだ。

「寒っ! 寒っ! 寒いんですけど! ほんとうに力が半減してるの⁈」

「三分の一もだしていないぞ。それに

 両腕で自分の体を抱き、千代はヒッと声をだす。
 文字屋が半紙の向きを戻し、文鎮を乗せる。
 凛の真下ましたに、凛を一文字ひともじ書き足す。

「【凛凛りんりん】」

 ヒュォォォオと、寒風かんぷう吹きすさぶ音が鳴り響く。

「凛凛は複数の意味を持つが。お前の場合は凛冽りんれつ同意どういのこれだ」

 千代は寒さでガチガチと奥歯を鳴らしつつ、文字屋の右手が掴んでいる、透明な球体を見る。
 痛いくらいに吹きつける風が、球体の中で暴れまわっていた。

自由民権運動家じゆうみんけんうんどうかであり、新聞記者であった宮崎夢柳みやざきむりゅう。フランス革命を題材とする翻案ほんあん小説、『自由の凱歌かちどき』を発表した。その中に『凛凛たる九冬風雪きゅうとうふうせつの寒さに』とある。
 風雪ふうせつは、厳しい苦難くなんや試練。凛凛りんりんとあわせると、『冬の厳しい寒さが、苦難や試練のように身にる』だ。
 千代。お前、困窮こんきゅうした生活を送っているだろう。漫画家を本業ほんぎょうと言い張るなら、仮名かめいを考え直すんだな。俺からすれば、お前の本業は別にあると思うが」

 文字屋が、全てを見透みすかした口調で言い切る。
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