宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか

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第一章・不吉なペンネーム

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「この部屋ならば問題ない。実体化の力を半減させる結界だらけだ。万一まんいち力が暴走しても、狐の石像が全て食い尽くす」

 文字屋が千代の反対側で正座し、道具を文机ふみづくえに置く。
 イズナが道具を置いたのを見計らい、座礼ざれいした。
 慌てて千代も、頭を下げる。

「墨をる。じっくり時間をかけたいところだが、解説もあるからな。効率よくやらせてもらうが、かまわないか」

「う、うん」

 普段は、できあがっている墨汁ぼくじゅうですし。
 口を閉じた千代の前で、文字屋が木箱を開ける。
 澄みきった青空のような淡青緑うすあおみどり色のすずり
 白色の縞模様しまもよう整然せいぜんと走る姿は、千代でも汚すのをためらう美しさだった。

「綺麗……」

「中国の五大名硯ごだいめいけんの一つ、松花江緑石硯しょうかこうろくせきけんだ。鋒鋩ほうぼうが弱いぶん発墨はつぼくが良い」

「ほう……?」

「硯の表面ひょうめんにある、目には見えない大きさの凹凸おうとつだ。墨を磨る際にやすりの役割を果たす。
 発墨はつぼくは硯でった時の墨の摩れ具合ぐあい。美しい紫紺しこん色、漆黒しっこく墨液ぼくえきにする」

 文字屋が硯のりくに、十円玉ほどの水を落とす。
 桐箱から取りだした墨をななめに持ち、片側だけを鋭角えいかくに摩る。
 墨の重さしか硯にかからないほどの弱い力で摩り進めると、ふっと立った香りが、千代の鼻孔びこうをくすぐった。

 匂いが立つのは、摩り終わりの目安めやす
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