宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか

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第一章・不吉なペンネーム

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 左手で軽く原稿用紙を押さえ、少年が右手に持った筆を再度水にひたす。
 少年がやや前傾ぜんけい姿勢をとり、筆が原稿用紙に向かっておろされた直後。
 ぶわ、ぶわりと空気が震え、少年の狐尾きつねのおの数が増えた。

 流れるように書かれた草書体そうしょたい二文字ふたもじ

 書き終えた少年が筆を置き、一礼する。
 頭上に伸びてきたダイダラボッチの巨大な腕へ、右手ごと原稿用紙を押しつけた。

「【水牢みずろう】」

 文字からはじけ飛んだ光が牢屋ろうや形作かたちづくり、ダイダラボッチを囲む。
 ドドドドド……と音を立て、あふれでた水が勢いよく牢の中をたしていく。
 ダイダラボッチの全身が牢屋の水に沈み、少年が右手をろすと、無地の原稿用紙がに落ちた。

「……どこからこんな大量の水を……」

天狐てんこの力を借りた」

 事もなげに言いきった少年が立ち上がり、はかまの埃を払う。

「て、てんこ……?」

神通力じんつうりきを持った神の狐だ。ああ、そういえば。まだ名乗っていなかったな、人間」

 一本に戻った狐尾きつねのお狐耳きつねみみを揺らし、少年が先を続けた。

「俺は『文字屋もじや』。書く文字に想いを乗せ、天へ届ける。天狐の力を借り、文字を実体化させる事を生業なりわいとしている者だ」

 よいやみちょう。
 だいだらぼっち。
 てんこ。
 もじや。

 ぐるぐる回る頭を抱え、現状を整理しようとした千代の前で、別の原稿用紙を手に取った少年──文字屋もじやが、とがめるような厳しい目つきに変わった。
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