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【7年前】
012.やらかした!
しおりを挟むガチャリ。
「ただい……」
ドアを開けて帰宅の挨拶をしようとして、蒼月は息を飲んだ。
玄関に見慣れない靴がある。
女物の、ヒールの低いパンプスが。
え、なにこれ、何なの?
誰か来てるの?
お兄さん、もしかして女の人連れ込んでる?
「……お姉ちゃん?」
固まったまま動かない蒼月を訝しんで、後ろから妹の陽紅が声をかけてくるが、それに返事もできない。
なんで?
なんで……?
「ちょっと?お姉ちゃーん?」
お母さんがいなくなってからずっと、誰も待っていない家に帰るのが寂しかったのに。でも今日はお兄さんが待っていてくれるって、ただいまって言えるって、すごくすごく楽しみだったのに。
なのに、なんで?
どうして、お兄さん……!
「おっ、帰ってきたな。お帰り」
絶望に打ちひしがれている蒼月の前に、その当の本人、つまり真人が現れた。それもいつもと変わらぬ穏やかな笑みで。
しかも普通に部屋着で、たった今までリビングでめっちゃくつろいでました的なユルッユルの緊張感のカケラもない姿で。
「…………お兄さん」
「ん、どうした蒼月?」
俯いたまま低い声を出した蒼月の様子を訝しんだのか、ちょっと彼の声が疑問形になっている。全く何も分かってなさそうなその声に、蒼月は怒りに頬を染めて顔を上げた。
「どういうことか、説明してもらいますから!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「………………本当に、ごめんなさい……」
30分後。
先ほどとは打って変わって、身の置き場もないほどに小さく縮こまって、か細い声で詫びる蒼月の姿があった。
「いやあ、俺の方こそ悪かった。ゴメンな」
真人の方は頭を掻きながら苦笑するしかない。
「ほんと、私もごめんなさいね。⸺あの、一応念のためにもう一度言っておくけど、私と犀川くんはそういう関係じゃないからね?」
「そ、そうそう。この人は大学の先輩で、弁護士の娘さんで、これからの法律関係の相談に乗ってもらってるだけだからな?」
まさか双子の留守中に、自分が女を連れ込んでイチャイチャやっていた、なんて勘違いされるとは。
「でもまあよく考えてみれば、ここは蒼月と陽紅の家なのに、俺が勝手に知らない人を上げたりしたらダメだったよな。その点配慮が足らなかったよ。ほんと申し訳ない」
要するに、真人が連れ込んでいたのは大学時代の先輩でもある有弥である。駅前の喫茶店から移動して双子の家まで来たはいいものの、ふたりは双子よりも先に家にたどり着いてしまったのだ。
真人は真人で、今まさに相談に乗ってもらっている先輩を外で待たせるのが忍びなくて、それで上がってもらっただけなのだが、よく考えるまでもなく自分の家でもないのに勝手に他人を家に上げていいはずがなかったのだ。
無意識のうちに自分の家の感覚になっていたことを今さら自覚して、真人のほうも穴があったら入りたい気分である。
「お兄ちゃん、サイッテー」
「ごめんなさい」
そして蒼月の隣で、姉にピッタリ寄り添って一緒に事情を聞いていた陽紅が怒りの目を向けてくる。弁解のしようもないので、「ごめんなさい」しか言えない。
「蒼月さんと陽紅さん、だっけ。本当にごめんなさいね。帰ってきたら知らない人が家に上がり込んでたとか、軽くホラーだよね……」
そして有弥もまた、軽率だったと反省しきりである。未成年後見人なんて被後見人との信頼関係が何よりも重要なのに、初っ端からやらかしてしまったのだ。失敗した、では済まされない。
「……で?お姉さんは誰で、何しに来たの?お兄ちゃんとの関係は?ちゃんと答えてよね!」
この場で唯一悪びれも反省もしてない、その必要もない陽紅が、怒りの声を上げた。
「「はい、説明させて頂きます……」」
申し訳なさそうな真人と有弥の声が、トーンまで含めて綺麗にハモった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「⸺でね、今説明した通り、君たちには『未成年後見人』か『養親』か、どちらかが必要なの」
「後々のことを考えると、養子縁組して俺と君たちとで『親子』になっておいた方がいいと思うんだよね。それでこの人、有弥さんに相談して、まずはふたりも交えて話をしよう、って事になってさ。それで今日来てもらってるんだ」
「でも、お兄ちゃんそんなこと何も言ってなかったよね」
「ああ、うん。相談したのは今日の昼過ぎでさ。早いほうがいいからって今日そのまま来てくれることになっちゃって……」
「だったら、どうして一言連絡しといてくれなかったの!」
「……いや、君たちの連絡先とか知らなかったし」
「「…………あっ」」
そう。真人は双子の連絡先を知らないし、双子も真人の連絡先を知らないのだ。本来なら彼が引き取ると決めたその日のうちに、遅くとも今朝学校に送り出して別行動になるその時までには、きちんと交換しておかなければならなかったのに。
「ていうか、ふたりともスマホとか持ってるの?」
「持ってます」
「そっか、そういえば番号とか教えてない!」
「……犀川くんさあ、まず一番にやるべきことが出来てないじゃない」
「う、いや……今朝学校に送り出すまではずっと3人一緒にいたもんで……」
真人が双子と初めて顔を合わせたのが土曜日の昼過ぎのことだ。それから夕方には沖之島の双子の家に送り届け、日曜は真人の家に一緒に行って、そして今日が月曜日である。3人が別行動したのは、出会ってから今日が初めてなのだ。
「えーと、今さらだけどこれ、俺のスマホの番号ね。あとこっちが“GREEN”のIDだから」
リビングテーブルの上に用意してあるペン立て付きのメモ用紙から一枚切り取って、真人が番号とIDを書いて双子に渡す。ちなみに“GREEN”とは緑がイメージカラーのSNSで、若者たちの間ではもうEメールでのやり取りよりも、こちらでメッセージを送り合うのが主流になっている。相手に読まれたかどうかも確認できるし、完全無料の通話サービスもついているから便利がいいのだ。
双子がそれを受け取って、ランドセルからそれぞれスマホを取り出して番号を登録してゆく。それを眺めている真人のスマホが震えて、着信を知らせてきた。取り出して見ると知らない番号が表示されている。
「これ、どっち?」
「私です」
「蒼月ね。分かった」
「次は私!」
番号表示を確認できた時点で蒼月がコールを止めて、今度は陽紅が発信する。こちらの番号も真人のスマホに表示される。
真人のほうもそれぞれに着信履歴だけ返して、それを双子がそれぞれ登録する。
「んで、こっちが陽紅ね」
「そう!暗記しといてよね!」
「いやそこまでは」
と思ったものの、確かに暗記しておく方がいいかも知れない。覚えておけばスマホのない状態でも公衆電話などから連絡を取り合えるだろう。
真人は忘れないうちにふたりの番号を登録してゆく。その間に“GREEN”のほうの通知が飛んできたのも確認している。
「えっと、ふたりとも苗字なんだっけ?」
「あっ、えっと、綾です」
「えっ犀川くんそこからなの!?」
「いや最初に自己紹介はし合ってますけど、それ以降は名前しか呼んでないんで。⸺“あや”って普通の字の“綾”だよな?」
「はい。あの、糸偏の」
「これで合ってるよね。“綾 蒼月”」
「はい。合ってます」
「私も私も!“綾 陽紅”だから!」
「分かってるよ。⸺ほら、これでいいだろ?」
「うん!」
まあ自己紹介の時点ではふたりとも名前しか言わなかったのだが。
初対面だった土曜日の晩に改めてそのことを聞いてみたら、双子は「(父と母の)どっちの苗字を名乗ったらいいのか分からない」と言ったのだ。それまでどうしていたのかと聞けば母の姓である綾を名乗っていたそうで、父親の漣も綾姓を名乗っているものと思っていたのだそうだ。
その父親が飛行機事故で初めて「犀川漣」だったと知り、両親が結婚していないと初めて気付いて、それ以降はなるべく苗字を名乗らないようしていたらしい。
そういうことだったから、真人も母親の名前を確認することでしか双子の苗字を把握していなかったのだ。
ちなみにその母親の名はシルヴィ・ブランシャール・綾という。日仏のハーフで、血縁者はもうフランスにしか残っていないという。
つまり双子はフランス人の血を引くクォーターということになる。そりゃあ日本人離れした容姿にもなるわけだ。
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