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【7年前】
002.エゴ丸出しの醜い争い
しおりを挟む「それで、誰がこの子たち引き取るの?」
真人が発したその問いに、答えを返す者はいなかった。
とはいえ、客観的に見れば誰が引き取るかなど言うまでもなかった。幼い子供の扶養能力がある人間なんて、この場には嶺の夫婦と雅の夫婦しかいない。そして雅の夫である久連子 浩介は犀川の一族ではないから、引き取りを拒否するだろうしその義務もない。浩介が拒否すれば当然、雅が逆らうはずもない。
つまり、迷惑だという感情を隠そうともしていない嶺しか、この子達を引き取れないのだ。
だが嶺の元に引き取られて、それでこの子たちは幸せになれるだろうか。真人にはそんな未来はちょっと思い浮かばなかった。
「俺はお断りだ」
そしてその唯一の扶養能力者である嶺が、真っ先に引き取りを拒否したではないか。
「そんなこと言っても兄さん。兄さんしかいないじゃないの」
「だから嫌だと言っている。大体なんで俺が、漣の子供なんぞ育てなきゃならんのだ」
嶺が漣を嫌っているのは真人もよく知っている。真人がまだ小学生の頃だったが、漣が結婚したいと連れてきた女性との仲を嶺と、その頃まだ存命だった真人の祖父⸺嶺や漣たち兄弟の父⸺が揃って猛反対し、それで漣は出奔してしまったのだから。
それ以来、漣は親族の誰とも疎遠になっていて、嶺も彼を許そうとしたことなどなかった。盆や正月にこうして親族が犀川の本邸で集まるたびに、飽きることなく彼が弟を悪しざまに罵り続けていたのを真人もよく憶えている。あれから時間も経ってるし、血を分けた兄弟なんだからいい加減許してやればいいのにと思うのだが、言うと罵倒がこっちに向かってくるので言ったことはない。
「なんで俺が、アイツの子供なんぞに俺の金を使ってやらにゃならんのだ」
ケチかよ!
いや嶺伯父はケチだったわ。
「いくら嫌いだとはいえ漣も血を分けた弟には違いない。だから葬式と死亡処理の手続きはやってやったんだ。だがそれ以上は御免蒙る。もう俺は義務を果たしたんだから、あとはもう知らん」
薄情かよ!まあ知ってたけど!
村八分でさえ火事と葬式は手を差し伸べると言うが、本当にそれ以外を拒否しそうな勢いの嶺に、なんでそうも頑なに認めようとしないのだろうかと真人には不思議でならない。とはいえ、ひとりっ子の真人には兄弟のいる人間の気持ちなど分かりようがないから、否定も共感もしづらいところだ。
というか、嶺伯父は漣伯父のことだけでなく父の宙のことも嫌っていたから、もしかすると自分の弟妹はみんな嫌いなのかも知れない。妹の雅叔母さんにだって、優しくしてやっているところを真人は見た憶えがなかった。
「けど、兄さんが引き取らないならこの子たちどうするのよ?」
「施設に入れる」
困惑する雅の言葉に、嶺が短く返した。
その言葉に、それまでソファの隅で縮こまっていた幼い姉妹がビクリと身体を震わせたのが分かった。
日本も先進国の仲間入りをしてすっかり裕福な国になって久しいが、それでも少ないながら孤児や親元で育てられない不幸な子が存在する。そうした子供たちを独り立ちするまで収容し、衣食住の世話や教育などを親権者や親族に代わって行う専門の機関があるのだ。
それがいわゆる、児童養護施設というやつだ。
だが“孤児院”と呼ぶとちょっと語弊がある。現代日本では両親が亡くなって親族の引き取り手もない、本当の意味での“孤児”はもうほとんど存在しないと言われている。大抵は親族の誰かに引き取られて、血縁者の元で育てられるからだ。
児童養護施設に入所する子供というのは、親がネグレクトだったり虐待するなどしたり、あるいは病気や貧困などで養育能力を失ったりして、それで親元から離される場合が多いらしい。
それを嶺伯父は、両親を一度に喪った可哀想な子たちを救うでもなく、冷たく見放して施設に入れようとしているのだ。自分の家族以外に愛情を向けない冷淡な人であるのは知っていたが、こんなにも冷酷な人間だったとは。
去年、母さんが亡くなった時の俺はもう19歳だったから、嶺伯父の援助がなくてもひとりで何とかなったものだが、まだ10歳くらいのこの子たちにまでその態度はあんまりだろう。
「兄さん、それは可哀想よ。漣兄さんが結婚してないのはあの時認めてあげなかったからでしょう?」
「コイツらは、あの時の女の産んだ子じゃない」
「……え?」
「別の女なんだよ、このガキどもの母親は!漣はあれだけ反抗しやがったくせに、あの女とはサッサと別れて別の女に子を産ませたんだ!」
あー、それは嶺伯父の性格からして許せんわな。嶺伯父は冷酷で頑固で融通が利かないけど、ひとりの相手に一途だってところだけは尊敬できる。そんな彼からすれば、兄である自分に逆らってまで結婚したいと願った人と添い遂げなかった漣伯父は、どうしても許せないのだろう。
つまり、嶺伯父にはこの子たちは、漣伯父の浮気の果ての不義の子不義の子にしか見えてないわけだ。
「じゃあさ、この子たちの母親のほうはどうなんだよ」
ふと思いついたので聞いてみた。男親の親族で唯一養育できそうな嶺伯父がここまで嫌悪しているんだから、そんな家で育てられたって不幸になるのが目に見えている。だったら施設を検討する以前に母方に打診するのが筋ってもんだろう。
「母方にも引き取り手はおらんらしい」
「えっ?」
「母親はひとり娘、祖父母は父親の祖国のフランスにいて、日本には他に親族は居ないそうだ」
マジかー……。
じゃあマジもんの孤児じゃんか。
だけど、そうなると……
「だから施設に入れると言っているんだ。入所費用は雅、お前が出してやれ」
「ちょっと待てよ嶺さん」
嶺の言葉に、今度はそれまで黙っていた浩介が反応した。
まあ雅叔母さんが費用を負担するってことになると、その旦那でもある浩介さんにも他人事ではなくなるから当然だ。
「なんで久連子家が負担しないといけないんだ。これは犀川家の問題だろう」
「雅は犀川家の親族だ」
「だがもう久連子家の嫁だ。本来なら今回は来る必要もなかったのに、話だけでも聞きたいと雅が言うから連れてきてやったんだ。遺産分配ならともかく、それ以外に責任も義務も負う筋合いなどない」
あー、浩介さんと嶺伯父がまた折り合いが悪いんだよな。祖父ちゃんが結婚を認めたから嶺伯父も渋々認めてるだけで、嶺伯父自身は反対してたって聞いてるしな。
そうして嶺と浩介とは押し付け合いの口喧嘩を始めてしまった。場の空気はどんどん悪くなり、雅はオロオロするだけで止めることもできず、従兄妹たちはつまらなそうにその場に同席しているだけだ。
まあ俺も含めて子供世代には決定権などないから、そもそも口出しなどできそうにないけれど。
それでも、大人たちの醜い言い争いをただ見ているだけというのは気分が悪い。何より、この場の誰も幼い姉妹のことなど意識の片隅にも留めていないのがどうしようもなく胸糞悪かった。
本来なら姉妹は話の中心にいるべきなのに。彼女たち自身の将来のことなのに、誰も彼もが彼女たちの意見を聞こうとさえしていない。目の前で自分たちの将来を、運命を拒否されているこの子たちの気持ちを、少しは慮ってやろうとか思わないのか。
そう思ったら、なんだかイライラしてきて堪らなくなった。
「…………もういい」
真人がボソリと呟いて、その呟きが醜い争いを続ける大人たちの耳にも入った。もちろん、幼い姉妹の耳にも。
「この子たちは俺が引き取るから。もうそれでいいだろ」
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