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承
しおりを挟む「なあアンドレ」
グラスを傾け、琥珀色の液体を喉に流し込んでから、確認するかのように男が傍らの大男に声をかけた。
「なんだジャック」
声をかけられた大男は渋々といった感じで、それでも無視はせずに言葉を返す。
アンドレとジャックは地方騎士団の入隊同期で、今では無二の親友と呼べる間柄だ。普段はお互いに小隊を率いる小隊長として任務に就いており、なかなか言葉も交わせないが、たまにこうして暇を見つけては飲みに誘い合う。
初対面では百発百中で怖がられるアンドレだが、それでもこうして付き合いの長い仲間や行きつけの店、普段暮らす街中などでは普通に応対してもらえる。見た目がいかついだけで本当は心優しい男だったから、そこにさえ気付いて貰えればそれなりにコミュニケーションが取れるのだ。
「お前さ、何が不満なんだ?」
呆れたようなジャックの声。
それに対してアンドレは苦虫を噛み潰したよう。
「いや不満っつうかな…」
「不満以外のなんだって言うんだよ?」
「………。」
「いいか?そもそも世の中ってのはな、ごく一部の王子様を除けば、あんな美人から全面的に惚れられるなんて幸運はそうそう起こり得ないんだぞ?」
「いや、でもな……」
「まあ聞けよ。俺たち程度のレベルじゃあ、一生にひとりかふたりか、そこそこに気の合う女をどうにか見つけて結婚できりゃあ御の字ってもんだ。そうだろ?」
「まあ、そうだが」
「そこへ来てレティシア様だ。本来なら俺らなんかが知り合うことさえ不可能なんだぞ?生まれも育ちも容姿も完璧、しかもそれが向こうから好きだと言って下さって、お前なんかを生涯の伴侶に選んで下さってるんだ」
「けどなあ………」
「しかもそれが幼い頃からの一目惚れで、もう10年も一途に想って下さってるっていうじゃねぇか。男としてこんな幸せなんて他にねえぞ?」
「それはそうなんだが………」
「だから何が不満なんだよ!?」
「だって!」
堪らずにアンドレは吠えた。
「相手は雲の上の公女さまだぞ!?」
レティシア・ド・ノルマンド。アンドレやジャックの祖国、ガリオン王国の筆頭公爵家であるノルマンド家の長女である。生家のノルマンド家はガリオン王家の血を引く王家の分家筋であり、その身は生まれながらにしてガリオンの王位継承権を持つ。
「しかもお母上はあのリュクサンブール大公家のご出身で!」
リュクサンブール大公家はかつて西方世界の大半を支配していた古代ロマヌム帝国の皇帝家の末裔である。今でこそリュクサンブール大公国はガリオン王国とブロイス帝国に挟まれた山間の盆地を支配するだけの小国だが、その高貴な血は西方世界の大半の国に受け継がれ、そのいずれからも宗主国として扱われる特別な地位を築いている。
リュクサンブール大公家は女性であっても継承権が与えられる。その血を引くレティシアもまた、リュクサンブール大公国の公位継承権を保持している。
「そのうえレティシア様はまだ16歳で!」
アンドレがレティシアと知り合ったのは偶然からだが、その時彼女はまだ5歳だった。その当時彼は25歳、騎士団に入隊して10年目の中堅騎士で、小隊を任せられるようになってはいたが昇進が早いということもない、平凡な男だった。
そんな彼は今年36歳。いまだに結婚もできずに小隊長の地位に留まったままだ。
「さらに今度は〈賢者の学院〉で首席を取ったっていうじゃないか!!」
〈賢者の学院〉はガリオンと海を挟んだ隣国、アルヴァイオン大公国の首都ロンディネス近郊に所在する、この西方世界でももっとも格式高い大学である。西方世界の最高学府として長い歴史と伝統を誇り、世界中から選りすぐりの天才たちが入学を目指してたゆまぬ努力と研鑽を続けて受験に臨み、それでも入学を果たせるのはごく一部だ。
どれほど入学が難しいかと言えば、レティシアと同い年でガリオンの第二王子であるシャルルが、受験を諦めて国内のルテティア国立学園入学に回ったほどだ。
レティシアはそんな〈賢者の学院〉に年度首席で合格し、3つある“塔”のひとつ“知識の塔”を今年首席で卒塔したのだ。
「神は!あの人にいくつ祝福を与えれば気が済むんだ!!」
美貌に加えて生まれも育ちも知性も完璧。
いと気高き世の至宝。
それが、公女レティシア・ド・ノルマンド・リュクサンブールである。
「そんなお方の愛を、ハイそうですかって受け取れるほど、俺は神経図太くねえ!!」
アンドレ魂の叫び。
ただ体格に恵まれただけの平凡な騎士のどこを気に入られたのか、いくら考えてもサッパリ分からない。ただひとつだけ言えるのは、初対面でアンドレに怯えなかったのは、彼の記憶する限りでは後にも先にもレティシアただひとりであるということだけだ。
「まあ、そう言われるとな…」
ジャックもさすがに渋い顔。
「本当、なんであの人お前なんかに惚れちゃったんだろうな?」
「俺が聞きてえよ………」
ごく平凡なおっさん騎士と、存在全てが特別なお姫様。“美女と野獣”どころの騒ぎではなく、神が羽虫を愛でるようなものだとしか、アンドレには思えなかった。
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