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反撃開始
しおりを挟む第三王子は子供の頃から決められていた、この婚約者が嫌いだった。
彼女はまだ幼かった頃からいつもどこかオドオドしていて、子供らしい快活さもなく、一緒の時間を過ごしても少しも楽しくない相手だった。長じるにつれて容姿や体型はそれなりに美しく成長していったが、オドオドして自己主張をしない性格はそのままで、自分を美しく着飾ることもせず、会うたびに気分を下げられたものだった。
だが彼女との婚約は王家と伯爵家の政略によるもので、王子本人の意向などお構いなしである。事実上王太子にはなれず、そのスペアとしての役割も期待されない第三王子は将来的に臣籍降下するか、どこかの貴族家に婿養子として入って王家と国家の政略に寄与するしか道はない。それは分かっていたものの、それでもこの女を妻とすることは不満であった。
だから王子はわざわざシーズン終わりの夜会を狙って、衆人環視の中彼女を辱める暴挙に出たのだ。伯爵家ごとき家格で王子を婿にもらえるのだ、婚約破棄をチラつかせればその名誉を失うことを恐れて泣き縋り、婚約を破棄しないでくれと懇願するだろう。
それを寛大に許してやれば、それ以後彼女は絶対に逆らうことなどできなくなるはずだ。
それこそが王子の狙いであった。寛大な優しい王子との評判も立つだろうし、そうして精神的に支配してしまえば、あとは愛人を作ろうとも文句を言われずに済む。というか愛人ならもう今手に抱いているが。
さすがに伯爵家の血筋を断つわけにはいかないから白い結婚とすることはできないが、彼女は彼女でそれなりに整った容姿でスタイルもよい。これはこれで美味そうだ。
それまで俯いて震えるだけだった婚約者イザベラ──実のところ王子は彼女を脅しているだけで婚約を破棄するつもりなどない──が、バッと顔を上げた。その顔が、眼鏡の底のその瞳が一直線に王子の顔面を捉え、思わず気圧される。
「本当でございますか?」
「えっ………あ、何がだ?」
「ただ今、『何でも言ってよい』と、殿下が」
「あ、ああ。言ったぞ」
「それは、王子としての命令、ということでよろしゅうございますか?」
「お、おう」
わけも分からないまま、王子は自分の発言を肯定する。
それこそが、破滅への序曲だとも気付かずに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それまで震えるばかりだった伯爵家令嬢イザベラが、急にぴしりと背筋を伸ばし、真っ直ぐに王子を見据えた。分厚いレンズに隠されているはずのその眼力があまりに強くて、思わず王子は一歩後ずさった。
なんだ、一体何が起ころうとしているのだ?
「では恐れながら申し上げます」
静かに、だがはっきりと言葉を紡ぐ彼女の顔には、もう恐れの色などどこにも見えない。
「わたくしという婚約者がありながら、殿下がその者たちを寵愛なさっておられること、平素より苦々しく思っておりました」
その物言いはまだ柔らかいものだったが、それでも直接の非難には違いない。初めてそのような物言いをされ、王子は鼻白む。
「婚約の破棄、承りました。当然、殿下の有責ですがよろしいですわよね」
「な………!そんなわけがなかろう!貴様の責に決まっておるわ!」
「あら。そのように堂々と浮気しておいて、どの口が仰るのかしら?」
彼女は今独りで立っている。対してその婚約者であるはずの王子は婚約関係にない女性の腰を抱いていた。それに気付いて、王子は慌てて手を離したがもう遅い。
「そちらのご令嬢だけではありませんわね。わたくしの知る限りでは他に5~6人、長い方はもう3年になりますか」
「「「「「えっ!? 」」」」」
王子と、その隣にいる愛人の子爵家令嬢の声が綺麗にハモった。
それだけでなく、先ほど証言者として前に出てきた3人の令嬢たちの声も何故か綺麗に重なった。
「あら。貴女たちも知らなかったのね」
そう。彼女たちもまた王子の浮気相手だったのだ。
小柄な令嬢は背丈に見合わぬ豊満すぎるバストが、痩せぎすの令嬢はドレスに隠された素晴らしい美脚が、そしてぽっちゃりの令嬢はすべすべもっちりの素肌とどこまでも柔らかなヒップが、それぞれ王子のお気に入りだった。
なお王子が今抱いている本命の愛人は、すでに肉体関係を持っていて相性抜群だった。
「わたくしはそちらの彼女への虐めなど一度たりとて行った覚えはありません。そもそも初対面ですし、彼女の名前さえ知りません。もちろん名乗ったことも、名乗られたこともありませんわ。
当然、あちらのお三方のご主張も事実無根ですわ」
「う、嘘をつくな!」
「王族に対して虚偽を述べるなどという明らかな罪を、この期に及んでわたくしが犯すとでも?」
いつの間にか、婚約者イザベラの顔には薄っすらと笑みすら浮かんでいる。表情を隠し内心を悟らせないようにする淑女の微笑だ。
その顔が、いつもと変わらぬ野暮ったい眼鏡に隠された顔が、今はなぜか誰の目にもゾッとするほど美しく見える。
「元よりわたくしたちの婚約は政略によるもの。殿下への恋慕もないわたくしとしましては、殿下がどれだけ浮気なさろうと正直どうでも良かったのですが、」
「な………!?」
「それでも婚約関係にあるからには苦言のひとつも呈さねばこちらの非となりかねませぬ。それゆえの忠言でしたが………まさかそのように曲解されるとは」
「き、曲解だと!?」
「わたくしが、嫌がらせ?何故そのような事を致さねばならぬのでしょう?」
「そ、それは、そなたが嫉妬から」
「また話を聞いておられなかったのですか?殿下への恋慕など微塵もありませんわ」
堂々と、淑女の微笑を浮かべて断言する婚約者イザベラに、王子は二の句も継げなくなった。
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