クズ人間の婚約者に嫁がされた相手は、ただのダメ人間でした

杜野秋人

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02.非情なる婚約破棄(2)

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 アデラインの両親であるハンブルトン伯爵夫妻は半月前、嵐の日に崖から脚竜車ごと落ちて馭者ともども事故死したのである。夜間のことだったので捜索と救助が難航し、翌朝に発見された時には全員がすでに死亡していたのだ。
 ハンブルトン伯爵夫妻の葬儀は婚約者一族であるリッチモンド侯爵が執り行い、つい昨日終わったばかりだ。
 そしてハンブルトン伯爵の死去により、その領地は一時的に領主が不在の事態になっている。


 だから実際、デイモンの言うとおりだった。自領の統治ならともかく、他領との提携は当主でなければ采配できない。父であるハンブルトン伯爵が亡くなった以上は代替わりせねばならないが、アデラインはデイモンと婚姻して次期リッチモンド侯爵夫人となる予定だったし、弟のトバイアスはまだ10歳ですぐには爵位を継げない。
 つまり今、ハンブルトン伯爵領の統治に空白が生まれていて、それをすぐには解消できない状態なのだ。というよりこの場合、ハンブルトン伯爵令嬢でありすでに成人しているアデラインの婚約者とその家が、ハンブルトン領の統治を一時的に代行することになる。
 そこまで思い至って、アデラインは気付いてしまった。

「まさか……謀りましたわね!?」
「さて、なんのことを言っている?」

 リッチモンド侯爵レイバーン家とハンブルトン伯爵ラートン家との婚約なのだが、ハンブルトン側に政治空白が生まれたせいでになっているのだ。そうなると破棄も解消もリッチモンドの自由自在、当然のようにハンブルトン側に瑕疵を求めるだろう。そしてハンブルトンはそれに異を唱えることもできないのだ。
 おそらくリッチモンド侯爵とデイモンはそういう腹づもりで一致したのだろう。元々、デイモンの女癖の悪さに幾度も苦言を呈していて煙たがられていたし、アデラインじぶんを切り捨てたかった彼の思惑がハンブルトン伯爵ちちの死と重なって、リッチモンド侯爵もそれに乗ったのだろう。

「ですが、結局リッチモンド侯爵領の食料自給問題は解決しないままでしょう?我が家と提携を続けた方がよろしいのではありませんか?」

 そう。疎ましいアデラインをこんなやり口で排除したところで、結局問題は何も解決しないままなのだ。

「ふっ、心配には及ばんさ。当家は政策転換し、新たに領内の鉱山開発に力を入れることにしたのでね」
「今までの採掘量で上手く行かなかったものを、今さらどうにかなるとでも?」
「そんなもの、採掘量を増やせばいいだけだ。ことだしな」

 リッチモンド侯爵領の主要産業はペイニーン山脈に点在する鉱山の開発と採掘である。産出される宝石類を加工して、宝飾品として流通させることでレイバーン家は利益を得ていた。
 今までの採掘量では先行きが厳しかったからこその農業生産力強化だったはずなのだが、新たに鉱脈が見つかったことで他領の手を借りずともよくなった、ということなのだろう。

「くっ……」
「悔しがってもどうにもなるまい。さあ、分かったらさっさと署名して、荷物をまとめて出ていくがいい」

 今度こそ言葉を詰まらせたアデラインに、もはや勝ち誇った顔を隠そうともしなくなったデイモンが言い放つ。万策尽き果て、ペンを借りて署名するしかないアデラインに、署名の合間にもデイモンは侮蔑の言葉を連ねる。

「そもそも君は、婚約者ぼくを立てるということをしない生意気な女だった。女というものは主人の後ろに控え、主人を飾る花として付き従っていればいいのだ。だというのに君は、多少知恵が回るからと事あるごとに苦言や反論ばかりで可愛げも何もあったもんじゃない。忌々しいにも程がある」

 冗談じゃないわ。こっちこそ女をアクセサリーとして見た目しか愛さずに、人間扱いしない貴方なんて願い下げよ。この1年、夫人教育と称してリッチモンド侯爵邸に住み込ませ、その実侍女のように扱われた恨みは決して忘れませんわよ。
 そう言いたかったがアデラインは黙っていた。何か言えば倍以上になって返ってくるのは今見た通りで、しかも当主を失った今のラートン家の力では対抗することも不可能だ。だからどれほど悔しくとも耐えるしかなかった。
 だが、そうして耐えるアデラインに、トドメとばかりにデイモンは言い放ったのだ。

「おっと、そうだ。いくら僕でも5年も婚約していた相手を無情にも捨てたというのは外聞が悪いからね。ハンブルトン領のこともあるし、次の婚約を世話してやろうじゃないか」
「…………えっ?」
「ハンブルトン領は、君のに任せればいい。きっと彼も喜んでくれるだろうさ」
「な……何を仰っておられるのですか……?」

 ニヤつくデイモンの顔に不吉なものしか見えてこない。どう考えても、まともな縁談を用意しているはずがない。

「まあそう不安がるなよ。君の次の婚約者はライデール伯爵にお願いすることにしたんだから、何も心配は要らないさ!」

 思わず悲鳴を上げそうになった。30歳以上も歳上の、今まで一度も結婚できずに悪い噂ばかり聞こえてくる、あの“狷狭けんきょう伯爵”に嫁げと、そうのだと理解して、アデラインは絶望に目の前が真っ暗になった。
 そうして、茫然自失とするアデラインはわずかな手荷物とともに脚竜車に乗せられ、ライデール伯爵領まで連れて行かれたのだった。





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