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【王女アナスタシア】
40.それぞれの幸せを目指して(1)
しおりを挟むアナスタシアは改めて、目の前で跪くカリトンとフィラムモーンを見下ろした。
片や前世からの想い人。
片や今世での最優良物件。
ふたりは跪き、右手を差し出し頭を垂れていて、立っているアナスタシアの目線ではその表情などは窺い知れない。だがよく見るとカリトンの手はかすかに震えていて、フィラムモーンのそれは自信満々であり微動だにしていない。
そういうところも美丈夫なのよねえ、とアナスタシアはしみじみ思う。最高級の愛情と教育をもって完璧に育てられ、その期待にしっかり応えて、おそらく今まで挫折などというものを味わったことなどない、押しも押されもせぬ堂々たる存在。
まあそれを言うならアナスタシアだってそうである。このイリシャ連邦で王家、つまり最高の家に生まれ育って今まで何ひとつ不自由なく過ごしてきたし、才能にも容姿にも恵まれて幸せな日々を過ごしてきた。だから彼の気持ちは、彼女には手に取るようによく分かる。
そもそも、どちらがよりアナスタシアに相応しいのかと考えれば、それはもう言うまでもない。前世云々を抜きにするならば、アナスタシアだって年齢的に釣り合う相手のほうが好ましい。
「フィラムモーン様」
アナスタシアの発した声に、ガバッと顔を上げてフィラムモーンが仰ぎ見てくる。その瞳には確かに歓喜の色が灯り⸺
「ごめんなさい!」
そして落胆に変わった。
「ご、ごめんなさい……だと……!?」
「で、では姫はどちらも選ばないと仰るの!?」
固唾を飲んで見守る貴族たち、ことにある程度年配の当主たちや夫人たちにどよめきが広がる。それもそのはず、複数の候補が現れた時には選んだ相手の手を取るのが作法であり、断わりの文句は通常ならば誰も選ばない時に発せられるものだからだ。
「そんなっ、公子をお選びにならないなんてっ」
歳若いご令嬢たちや当主夫人たちからはそんな悲鳴も漏れ聞こえてくる。それは悲痛な呟きか、あるいは歓喜のため息か。
「よろしくお願い致しますわ、陛下」
そしてそんなどよめきの中、アナスタシアはカリトンの手を取ったのである。
その瞬間、観衆のテンションが一気に歓喜に湧いた。それは夜会の招待客である貴族たちだけでなく、会場内にいた給仕役の使用人たちも警護の騎士たちも同様だ。手を取られたカリトン王は驚きに顔を跳ね上げ、歓喜と困惑の入り混じった表情を浮かべて固まってしまった。
「念のためお伺い致しますけれど、そのご決断に悔いは⸺」
「ありませんわよ。そもそもわたくしは最初から、陛下の妻となるためにこのマケダニアに、ミエザ学習院にやって来たのですから」
一度目をつぶり、様々な感情を飲み込みつつ努めて冷静に問おうとしたソニアの言葉を食い気味に遮って、アナスタシアは断言した。それから促してカリトンを立たせ、手を取り合ったまま彼女は王にそっと寄り添う。
「⸺ご決断を、尊重致しますわ」
ソニアはそう言って歩を進め、差し出されたまま固まっているフィラムモーンの手を取った。
「後からやっぱり交換しろと仰られても、もうお受けできませんからね!」
そうして彼女は彼を立たせつつ、輝くような笑みを浮かべて、ハッキリとそう宣言したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……本当に、貴女はこれで良かったのか」
歓喜の渦のなか、隣に立つ小柄なアナスタシアに向かって、声を潜めてカリトンが問うた。この期に及んでもまだ、この王はアナスタシアにとっての最良は自分ではないと言うつもりなのか。
「問題ありませんわよ。そもそもわたくしはあの時に希ったではありませんか。『ともに背負わせて欲しい』と」
余人の耳目もあるためハッキリとは言わないが、廃墟となっていたあの北離宮の隔離された部屋の中で、哀れなアーテーの髑髏を前にアナスタシアは確かに宣言した。カリトンがそれまで抱えてきた罪を自分も背負いたいと。ともに背負う、それはつまり臣下の妻として王の弱みを握るのではなく、王の妻となりその罪をも我がものとして受け入れるという宣言に他ならない。
それに、とアナスタシアは内心でため息をつく。おそらくだがあの場でアナスタシアが身を引いてしまっていた場合、きっと彼は責任を取り罪を償うため、そしてアナスタシアを解放するために自ら命を断っていたことだろう。
だがそんな事はオフィーリアは望んでなどいないのだ。彼女はあくまでも、彼に幸せになって欲しかったのだから。
だから今、アナスタシアの返答を受けてほんのりと頬を染め、じわじわと歓喜の色を瞳に浮かべつつある彼の表情が、その喜びに染まる姿がアナスタシアにはとても愛おしい。この人を失わなくて良かったと、心の底から安堵できた。
「それにほら、わたくしのヘーラクレイオス家への輿入れは、前世から決まっていたことですもの!」
それはまあ確かに、オフィーリアは立太子予定の第二王子に輿入れしてヘーラクレイオスの王妃となる予定ではあったけれども。それをまさか、生まれ変わってまで達成しようなどとは普通は考えないものだが。
「貴女にとっては、特に望んだことでもなかっただろうに」
「それでも一度は受け入れたことですわ。達成しないと、なんかこう、ムズムズしますの」
なんて澄まし顔で答えるアナスタシアにカリトンは苦笑する他はない。今は亡き異母弟との婚姻は、当時の彼女は決して喜んでいなかったはずなのに。
だが敢えてそう言ってくれるそれもまた、彼女の優しさであるとカリトンは知っている。こちらが気に病まなくてもいいように、敢えて軽いことのように振る舞ってくれているのだ。
「さあ陛下、そろそろ開会の辞を宣言なさいませんと」
「あっ、そうだな」
すっかり忘れていたが、一連の告白劇はあくまでも、シーズン開幕の大夜会の開会の宣言に先立って行われたものである。当初はカリトンがアナスタシアに告白するだけのつもりだったのに、フィラムモーンやソニアの乱入があって思いがけず時間を食ってしまった。
「それではすっかり遅くなってしまったが、ここに稔季の大夜会の開会を宣言する。皆、今宵は存分に楽しんで欲しい」
すぐさま仕事に立ち返った給仕係がカリトンとアナスタシアに、トレーに載せたワイングラスを差し出して、ふたりはそれを手に取った。他の給仕係たちもそれぞれ迅速に招待客たちにグラスを行き渡らせる。
ちなみにアナスタシアはまだ未成年であるということで、グラスの中身はワインではなく蒲萄ジュースである。会場内にいるソニアを始めとした未成年子女たちの手にあるグラスも、同じものが注がれている。
「それでは、乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」
そうして煌めく魔術灯のシャンデリアの光の下、掲げられたグラスが次々と飲み干され、華やかに夜会がスタートしたのである。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー
書いてたら長くなって前後編に分けちゃったんで、今回と次回は短めです。(2)は明日11日の21時に更新しますね!
その次の更新が当初予定の15日になる予定です。よろしくお願いします!
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