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【王女アナスタシア】

39.運命の選択

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 アナスタシアは目の前に跪いたふたりの男を見下ろした。
 ひとりは前世から恋い焦がれていた、哀愁を帯びたイケオジ(アナスタシアの主観含む)である、このマケダニア王国の王カリトン。そしてもうひとりはこの国はおろかイリシャ連邦全体でも屈指のイケメンであろう、そしてアナスタシアの恋したい乙女心を十全に満たしてくれるであろう、見目麗しき貴公子フィラムモーン。
 甲乙付けがたい魅力的な(あくまでもアナスタシアの主観による)、が今、跪いて手を差し伸べ魂を震わすような口説き文句を述べ、頭を垂れてアナスタシアの返答を今か今かと待っている。

 どちらも嬉しい。
 どちらの手も取りたい。

 だがその前に、アナスタシアには確かめなければならない事がある。

「フィラムモーン様」

 名を呼ばれて、弾かれたように貴公子が頭を上げた。その瞳に、にわかに歓喜の光が灯る。
 だがその歓喜の瞳が見上げた先にあったのは、これ以上ないほど白けきった、不機嫌そうなアナスタシアのジト目であった。

「貴方はなぜ今、わたくしに跪いて愛を囁いてらっしゃるのですか」
「えっ……」
「そもそも貴方は今夜、すでにパートナーがおられるではありませんか」

 そう。フィラムモーンは会場入りの際、カストリア侯女ソニアをエスコートしていた。そのことはアナスタシアのみならず会場の貴族たちの全員が見ていたことだ。
 シーズンの開幕を告げる大夜会に、彼はお披露目デブート前の令嬢の手を引いて現れたのだ。そして両者とも婚約者の定まっていない子女であったがゆえに、フィラムモーンがソニアを選んだのだと⸺否、アポロニア公爵家がカストリア侯爵家を選んだのだと、見ていた全員が承知していたのである。

 だというのに、そのフィラムモーンがどの面を下げてアナスタシアに求婚できたというのか。それは即ち、アポロニア公爵家がカストリア侯爵家を愚弄しソニアの尊厳を弄んだということに他ならないのだ。
 その事実の行き着く先が奈辺なへんにあるかといえば、この国の最高爵位を持つ両家のに他ならない。非の打ち所のない完璧な貴公子と持て囃されていた彼にしてはずいぶんと短絡的で考えなしの愚行であり、恋に溺れてしまえば人はこうも愚かになるのかと、居並ぶ貴族たち、ことに当主たちが落胆の眼差しを向け始めている。

 だが、アナスタシアだけは僅かに違和感を覚えていた。
 だってそのフィラムモーンの瞳に、驚愕も焦りも絶望も悔恨も、何も見られなかったから。

「それについては、問題ありませんわ!」

 そしてアナスタシアのその違和感を補完するように、凛とした声が飛ぶ。
 その声の聞こえてきた方向にアナスタシアが目を向ける。そこに立っていたのは当然というか、カストリア侯女ソニアであった。

 フィラムモーンに裏切られ、絶望に打ちひしがれているはずの彼女は、なぜか誇らしげに胸を張り、右手に持った閉じた扇を左頬に添えてドヤ顔を決めていた。なんなら今にも「オーッホホホホホ!」と高笑いを響かせそうな雰囲気すらある。
 傷心真っ只中のはずの彼女が、ちっとも傷ついているように見えずに、並み居る諸侯にまたしても動揺とざわめきの波紋が広がってゆく。

「だってフィラムモーン様を唆し⸺ではなく、その背中を押して差し上げたのはこのわたくしでしてよ!」
「今、『唆した』と仰い」
「気のせいですわアナスタシア姫!」

 言葉のチョイスは言った言わないの水掛け論になりがちなので、それはもう深く突っ込まないでおこうとアナスタシアは決めた。だがフィラムモーンの告白をソニアが後押ししたとはどういう事だろうか。

「だってわたくし、やはりアナスタシア姫にはフィラムモーン様がお似合いだと思うのです!」

 胸の前でグッと両拳を握りしめ、それはもうキラキラと輝くような瞳でソニアが言った。

「おふたりの恋が成就するためならば、わたくしいつでもいくらでも身を引きましてよ!」

 そう言えばこの方、わたくしとフィラムモーン様がお似合いだと思い込んだでしたわ!
 今更ながらにアナスタシアは納得するしかない。だって彼女は学習院内で、フィラムモーンがアナスタシアにアプローチしていた数々の大部分を見ていたのだから。
 そして彼女は、アナスタシアがフィラムモーンに自分が必要ないと見定めたことを知らないのだ。だってアナスタシアがそう決めたのは暑季の長期休校に入ってからのことで、その間に彼女とは法務実習期間中に何度かお茶をしただけで、そうした込み入った話は全然していなかったのだから。

「あ、あのですね、ソニア様……」
「皆まで仰らなくても大丈夫ですわよ、お従姉ねえ様」

「……えっ?」

「父からある程度は聞き及んでおりますの。⸺お初にお目にかかります、

 詳しい事情を知らないたちが、ざわりとどよめいた。
 アナスタシアとて絶句するしかない。まさかこんな場で、そんな暴露をされるなど思いもよらなかった。確かに血縁上はソニアとオフィーリアは歳の離れた従姉妹同士であり、オフィーリアの生まれ変わりであるアナスタシアにとってもソニアは血縁者という認識ではあったけれども。
 でも、それはあくまでも前世オフィーリアの話。今世アナスタシアはアーギス家の姫である。同じヘレーネス十二王家に連なる家として、カストリア家とアーギス家の血縁関係が全くないわけではないが、それでも数世代ほど遡らなくては直接の血縁関係には結びつかない。

 それに何より、アナスタシアがオフィーリアの生まれ変わりであるという確証はのだ。アナスタシア本人は自身の記憶があるから疑うべくもないのだが、その彼女とて余人にそのことを証明する手段を持たない。だからこそオフィーリアの記憶を持っている事実はカリトンにしか打ち明けていなかったというのに。

「ま、待ってソニア様」
「なんですの?」
「アカーテス……いえカストリア侯がそう仰いましたの?」
「……ハッキリとは申しておりませんが」

 ですがわたくしにも『従姉だ』と教えて下さいましたわ。そうソニアに断言されて、アナスタシアはまたしても絶句した。

「あー、その、心を落ち着けて聞いてほしい」

 そこへ遠慮がちに声をかけたのはカリトン王である。

「カストリア侯爵だけではないんだ」
「……へっ?」
「クリストポリ侯爵の兄君ヨルゴス殿も、御身を『オフィーリア様の生まれ変わりだ』と親書で知らせてくれていてね」
「……は?」
「メーストラーもそう言っていただろう?」
「え……ええ、まあ、それは……」
「イスキュスだって、御身には“悲劇の公女”の面影があると」
「えええ!?」
「あとお父上、ニケフォロス王太子からも『可能性が高いから』と言われていて」
「ううう嘘でしょ!?」

 誰も彼もが生前のオフィーリアと面識があり相応に詳しく知る、あるいはそれに準ずるレベルでオフィーリアのことを調べたことがある者たちばかり。

「なぜお父様が知っていますの!?」
「だって君、5歳の頃に自分でオフィーリアと名乗ったそうじゃないか」
「おおお憶えてませんわ!?」

 アナスタシアがオフィーリアとしての前世を思い出すきっかけとなった、アカエイア王宮の庭園の池で溺れた事件。溺れたことやその後にオフィーリアとしての記憶を取り戻したことは憶えていても、その際に何を喋ったのかなんてアナスタシアは憶えていなかった。まあ5歳くらいの幼児期の記憶なんて、成長すれば普通に忘れるものであるから無理もない。

「えっと、いいかな」

 と、そこへ恐る恐るといったていで小さく挙手をしたのはフィラムモーンである。

「その、僕も知っているんだ。父にそうだと聞かされていて」
「ああ、そういえば宰相ともそういう話をした事があるな」
「うええ!?」

 まさかまさか、フィラムモーンやその父クリューセースにまで知られているとは。
 あまりのことに、さすがのアナスタシアも表情を取り繕うことさえできない。前世から長く培ってきた淑女の仮面などもはや粉々で、跡形すら残っていない。

「それを踏まえて、ですわお従姉様」

 そしてそんなアナスタシアにトドメを刺すかのごとく、ソニアの声が飛ぶ。

「かつてのオフィーリアお従姉様は、ご自身でご自分のこともその幸せも、何ひとつ決められないままに死を選ぶしかなかったと聞き及んでおります。⸺だからこそ!」

 その声は、親愛と慈しみに満ちていて。

「前世の恋を追うもよし、新しき生として今世の幸せを追うもよし、ですわ!前世にとらわれ過ぎて思考を凝り固める必要などないと思うのです」

 ソニアは言う。前世とは違うのだと。生まれ変わったからには今世ではアナスタシアオフィーリアの心の赴くままに、のだと。

「……そうだな。ソニア侯女の申す通りだ。もちろん私は、私を選んでくれればとても嬉しい。だけど貴女が義務感や私への同情でこの手を取ることは望まない。望みたくない。大事なのは何よりも、貴女が幸せになることだ」

 次いで声を上げたのはカリトンで、彼の瞳には前世から変わらぬオフィーリアアナスタシアへの愛情が、確かに込められていて。

「僕だって陛下と同じ気持ちだ。陛下と添い遂げることが前世からの貴女の望みだと思えばこそソニア侯女を一度は選んだ。けれど彼女に気付かさせてもらったんだ。真に大切なのは何よりも貴女の望みであり、自由であり、貴女の幸せなのだと。
僕が勝手に身を引いて、貴女の選択肢を奪うべきじゃない。貴女が自由に選ぶべきで、もしも選んでもらえたならば全霊をもって貴女を幸せにすると誓おう。⸺もちろん、貴女は僕や陛下以外の殿方を選んだっていいんだ。それで貴女が真に幸せになれるのならば、僕は全力でそれを支え守ると誓う」

 真摯な、そして情熱の籠った瞳で見上げられ、アナスタシアはますます狼狽えた。カリトンやフィラムモーンだけでなく、他の殿方という思いもよらない選択肢すら提示されて、思わず彼女は周囲を見渡した。
 すると周囲に、フィラムモーンの今の発言を受けて瞳に色を帯び始めている子息や当主たちの瞳がいくつも窺えた。

 あ、これはダメだわ。
 一瞬でアナスタシアは冷静さを取り戻した。

 いくら自由にしていいと言われたからって、アーギス家の名を貶めることはわたくしには無理。前世のわたくしの名声を損なうのも無理。
 であるならば結局、アナスタシアが選べるのはやはり二択である。カリトンかフィラムモーンか。候補だけならばソニアの兄ヘーシュキオスも含まれるが、そちらはアナスタシアオフィーリアの感覚的には従弟であり、同時にほとんど知らない人物でもある。却下。

 アナスタシアは改めて、目の前で跪くカリトンとフィラムモーンを見下ろした。オフィーリアの人生と想いを踏まえた上で、彼女が選ぶのは、果たして⸺。





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