公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人

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【運命の選択】

35.それぞれの決断

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 暑季中月8月の下週、マケダニア王宮の北の離宮から出火し離宮を全焼する火事があった。

 消火の指揮には近衛騎士隊長キリアルコスのイスキュスが任じられ近衛騎士ソマトピュラケスたちが消火活動に当たったが、季節柄火の回りが早く、火勢も思いのほか強いとあって手が出せず、結局ほとんど焼け落ちて火勢が弱まるまで、使用人や兵士たちを近寄らせず状況を見守るだけに終始した。
 鎮火後、石造りの離宮は建物の躯体くたいこそそのまま残ったものの、中の調度や石壁に囲まれた敷地内の植栽などはほぼ全て灰燼に帰した。なお発見が早かったため、死傷者はひとりも出さずに済んだのが不幸中の幸いであった。

 火災対応が通常その任に当たる王宮戦士団ではなく近衛騎士隊であったのは、第一発見者が離宮を警護していた近衛騎士たちだったからである。
 廷臣貴族たちの一部からは消火活動のために王宮魔術師団の召還を求める声も上がったが、生憎と西北国境地帯で国境侵犯を繰り返す蛮族たちの対応に出発した直後であり、カリトン王が召還には及ばぬと判断したため呼び戻されることはなかった。

 公的にはそういうことになってはいるが、真相は王の主導による離宮の焼却処分である。
 だが、それを敢えて指摘する者は居なかった。少し前までなら反王派のハラストラ公爵やサロニカ伯爵あたりが王の判断ミスを声高に叫んだことだろうが、ハラストラ公爵家はすでに事実上取り潰され、サロニカ伯爵家をはじめとした反王派の勢力も離脱が相次ぎ著しく衰退しており、すでに発言力は無いに等しかった。


「本当に、よろしかったのですか」

 マケダニア王宮の内宮ないぐう、王の私室にほど近い王族専用の応接室で、カリトン王にそう問うたのは彼の隣に座るアナスタシアである。

「ようやく、全部終わらせる決心がついたんだ。貴女のおかげだよ。ありがとう」

 だがカリトンに爽やかな笑顔でそう返されては、それ以上何も言えない。アナスタシアとしては、離宮がすでに事実上の廃墟だったとはいえ、彼が幼少期を過ごした思い出の場所であったことを気にしていたのだが。
 そこを焼き払ってしまって本当に良かったのかという思いが無いでもなかったが、憑き物が落ちたみたいに穏やかに微笑む彼の顔を見てしまってはもう何も言えなかった。

「これでようやく母上も、メーストラーもゆっくり眠れることだろう。まあ彼女たちが至福者の島エーリュシオンに渡れるとは思えないが」

 カリトンの言葉に、アナスタシアも頷く他はない。
 カリトンの母アーテーは死してなお弔われることも葬られることもなく17年も放置されていたわけだが、今回ようやくによってその身体は魔力マナに還っていったのだから。
 そう。カリトンは北の離宮に火を放ってを図ったのだ。
 そして鎮火後の瓦礫撤去も近衛騎士たちにやらせたため、通常ならば発見されたであろうも表沙汰になることなく、闇に葬られることになった。

 メーストラーはあの後、カリトンとアナスタシアが気付いた時にはすでに事切れていた。唐突な死に驚きつつも密かに王宮典医局長を呼んで検死させたところ、肉体的にはずいぶん前から死亡状態だったはずと告げられて慄然とした。
 つまり彼女は、かつて自分が犯した罪の懺悔を何とか終えたい一心で、魔術的な作用で無理やり肉体を生存状態に保っていたものと推定された。魔術でそんな延命行為が可能だなどとはにわかには信じられなかったが、メーストラーがその天賦の才をもって不可能を可能にしたのだと考えるしかなかった。

「おそらくは[制約]も、メーストラーが自力で解除したのだろう。どうやったのかまでは皆目見当もつかないが」
「わたくしがもう少し早く、離宮を訪れておくべきでしたわ……」
「典医局長の見立てではという話だったし、貴女が間に合わなかったせいではないよ。それに彼女はきちんと懺悔を終えて、心残りを片付けてから逝ったのだから」
「そう……ですわね……」

 一度は復讐を誓うほど憎悪した相手だが、さすがにアナスタシアも後味の悪さを噛みしめるより他になかった。


 北の離宮は暑季から稔季ねんきに移り変わる頃までに、石造りの建屋や基礎まで含めて全て解体され、更地にされた。今後は植樹を進めて森のようにして、その奥地にひっそりと、アーテーとメーストラーの慰霊碑を建立する予定である。
 なおふたりの遺骨は王都郊外の市民墓地に、身寄りのない行旅死亡人として、ひっそりと葬られたという。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 稔季ねんきのはじめに開かれる社交シーズン始まりの大夜会にアナスタシア姫の参加が正式に告知されて、マケダニア王国の社交界が騒然となった。本来なら彼女はまだ13歳の未成年であり、お披露目デブートも正式には済ませていないため参加の義務はない。だがアナスタシア本人が希望しカリトン王がそれを承認したことで、王都に残っていた貴族たちを中心にまたたく間に話題になったのだ。
 その話題の中心になったのは、やはり「誰がアナスタシア姫をエスコートするのか」である。表向きには彼女には婚約者がいないから、誰が彼女をエスコートするのか予測がつかないのだ。しかもそういう場合、近しい親族、つまり父親や兄弟などがエスコート役を買って出るのが通例だが、アカエイア王国からは国王ニケフォロスも王太子ヒュアキントスも参加しないとあって、よもやエスコートなしで入場するのかといった憶測まで流れる始末であった。

「……それで、名乗りをお上げになったわけですか」

 応接テーブル越しに、相変わらずキラキラしいオーラをふんだんに振りまく彼に、アナスタシアは敢えてそう確認してみた。

「そうだね。まあ僕も参加は確定だし、今現在婚約者もいないからお相手に困っていてね」

 そう言って爽やかに微笑むのはやはりというか、アポロニア公子フィラムモーンである。貴族たちの間でもアナスタシアのお相手最有力と見られている貴公子だ。

「姉君をエスコートなさるのではなくて?」
「いや、姉はすでに婚約の話を進めていてね。そのお相手が今回のエスコートも務めてくれることになったんだ」
「まあ。ではそれを機会に正式発表なさるのですね」

 フィラムモーンの姉、アポロニア公女リパラーは今年19歳になるが、弟と同じく婚約者を定めていなかった。マケダニアの筆頭公爵家にしてヘレーネス十二王家の長女であるから申し込みは後を絶たなかったのだが、数人の候補を選ぶに留まっていた。父親である宰相、アポロニア公爵クリューセースの意向とも、リパラー本人の意向とも言われるが真相は定かではない。
 そしてそんな彼女をここ3年間エスコートしていたのが弟のフィラムモーンであった。本来なら未成年で代役も務められないはずなのだが、父は妻をエスコートせねばならず、他に適齢の兄弟もいないということで特例的に許されていたのだ。無論、フィラムモーンの出番は入場だけで、あとは父とともに王やカストリア侯爵など最低限の挨拶回りをするだけで毎回すぐに退場していたわけだが。
 それが今年からは成人したということで、晴れて本格参戦するわけだ。すでに彼は暑季のはじめのシーズン終わりの大夜会でお披露目デブートは済ませており、今季からはいよいよアポロニア公子として本格的に社交界に乗り出すということで、アナスタシアの参加が発表されるまでは彼の話題が一番大きかったのだ。

 いよいよ今季から成人の社交界に船出するアポロニア公子と、未成年ながら参加が決定した本国王家の姫が手を取り合って参加すれば、きっとイリシャ全土がその話題で持ちきりになる事だろう。

「お相手がおられないことは理解致しました。ですが……」
「もう心に決めた方がおられると?」

 自分では駄目なのか、という落胆を瞳に乗せられると、アナスタシアも返答に困ってしまう。これほどの貴公子にエスコートしてもらえるのならば、ひとりの乙女としては是非お願いしたくなる。この機を逃せば、もう二度とエスコートなどしてもらえる機会などないと分かっているのだから尚更だ。
 だが同時に、何もかもその手に掴むことが叶わぬ望みなのもまた、彼女は理解している。余計な気を持たせるなど、悪女のすることだ。

「フィラムモーン様なら、どんなご令嬢でも選び放題でしょう?」
「僕は、貴女がいい」
「……っ、」

 即答で返されてまたしても言葉に詰まる。数ある淑女の中から自分だけを求めてくれるなんて、乙女心にはこれ以上ない栄誉ではないか。

「…………申し訳ありません」

「……そうか」

 だが結局、逡巡の末に何も言えなくなって、ただ頭を垂れるしかない。彼の顔を見ていられなくて目線まで下げてしまった、その頭上で彼が落胆の色を濃くしたのが気配で察せられてしまった。

「どうぞ頭を上げて頂きたい、姫」

 初めて“姫”と呼ばれて、反射的に顔を上げてしまった。短い期間とはいえ親しく交流してくれた貴公子から他人行儀にされたことは、思いのほか心に刺さった。

「困らせるつもりはなかったんだ。どうか気になさらないで」
「あの……」
「お相手の方にも、どうぞよろしく。⸺では、また夜会の会場でお目にかかれることを楽しみにしております」
「あっ……」

 引き留めるにも声を上げられず、優雅に一礼して応接室を退去してゆく公子に、アナスタシアは結局なんの言葉もかけられなかった。





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