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【王女アナスタシア】

32.隠された真実(1)〖R15〗

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唐突ですがここからホラー展開に入ります。
心臓の弱い方は充分にお気をつけ下さい。

ただ、ので、悪しからずご了承下さいますよう。


 ー ー ー ー ー ー ー ー ー


「ここは……」

 庭園のガゼボからさらに移動した先。
 アナスタシアはそびえる門扉を見上げていた。

 実際に来たのは前世も含めて初めてだ。
 だが資料の上では幾度となく、それこそ一時期は毎日のように場所である。

 今その門扉は固く閉ざされていて、頑丈な錠前がかけられている。いくつか見える窓は全て鎧戸で閉ざされていて、のみならず、屈強な近衛騎士ソマトピュラケスが2名がかりで門扉を守っていた。
 その近衛騎士たちが近付いて来るアナスタシアとカリトンに気付いて、胸に右拳を添える騎士礼を取って出迎えた。

「近衛騎士……」
「交替制ではあるけれど、一個小隊に終日警備に当たってもらっている。正門に2名、裏門に1名、敷地内巡回に1名、詰所に1名、あとの1名は交代要員として休息中のはずだ」

 随分と厳重な警戒ぶりである。今ここに住んでいるのは侍女や下働きを除けばのはずなのだが。

 改めて、アナスタシアは北の離宮を見上げた。王城の北の城壁に半ば取り込まれるようにして建つ古びた石造りの無骨な外観のそれは、離宮というよりはむしろ牢獄と呼ぶほうが相応しいように思えた。


 錠前が外され、近衛騎士がふたりがかりで押し開けた鉄の門扉を潜り、カリトンに案内されるままにアナスタシアは離宮の敷地内に入った。背後で鉄の門扉がきしみ音を立てながら閉じられ、それを聞きつつ「こっちだ」と言われるままに進むと、広くない前庭の向こうにすぐに正面扉が現れる。
 こちらは施錠などされていなかったようで、カリトンが自ら開いてアナスタシアを迎え入れた。
 扉を開くべく控えているはずの従僕はおらず、前庭の手入れをする傍らに客人を迎えるはずの庭師も見当たらなかった。というより、人の気配がしない。

 言い知れぬ空恐ろしさに、思わず身が竦む。
 だがカリトンは、全く意に介する風もなく足を踏み入れる。独りきりで取り残されたくなくて、追随する他はない。

 カリトンは迷うことなく足を進めて、二階への階段を登ってゆく。無言のまま、アナスタシアもそれに続く。彼は18歳になるまでここに住んでいたのだから迷わないのも道理だが、少しくらい説明を入れて欲しい。全て受け入れるとは言ったものの、説明もなしに鵜呑みにするとは言ってない。
 離宮内は一応は掃除の手が入っているらしく、最低限は整えられていた。だがそれでも、廊下や階段に敷かれた絨毯を踏みしめるとかすかに埃が舞う。窓はどれも全て鎧戸で閉ざされていて、昼間だというのに天井の魔術灯が作動しているが、その光の中に埃が踊っているのが見えるのだ。

「ここだ」

 やがてカリトンが、奥まった場所にある立派なの前で止まった。
 他にいくつかあった部屋の扉は全て木扉だったのに、何故ここだけ鉄製なのか。これではまるで、みたいではないか。
 そしてここでも、カリトンからはなんの説明もない。というか、説明らしきものは最初にあのガゼボからふたりきりで移動する際に「貴女に見せたいものがある」と言われて以降、一切なかった。

「ようこそお越し下さいました」

 急に背後から声がして、霊炉心臓が止まるかと思うほど驚いた。反射的に振り返ると、いつの間にかそこに王宮侍女長のへスペレイアが立っている。

「い、いつの間に……!」
「彼女は立ち会いのために呼んだ」

 心底驚いたアナスタシアとは裏腹に、カリトンは落ち着き払っている。それで、ガゼボを出る際に王宮侍女のひとりが場を離れていったのは、カリトンの命を受けてへスペレイアを呼びに行ったのだとようやく理解した。

「……この中に、一体、何が⸺」
「母だよ」

 事もなげに言われて、またしても心臓が跳ねた。
 そんな、だとしたら、これはまるで⸺

を知っているのは、と彼女と、あとクリューセースとイスキュスだけだ」

 まるで本当に、牢獄ではないか。


 確かに彼の母アーテーは、前王バシレイオスの寵こそ受けたものの妃としては何ひとつこなせず、にもかかわらずバシレイオスの寵愛と王妃にするという約束の履行とを求めて荒れ狂うばかりで、それでこの北の離宮に閉じ込められたと聞いている。アナスタシアが調べた報告書にもそのように記載されていたし、マケダニアの王宮に来てからも特に秘匿されていなかったようで、人に尋ねれば必ずそのように説明された。
 だがその割に、説明を求めた時以外には誰の口からも話題は出なかった。もちろんアーテー本人の姿を見たこともなく、茶会や夜会で不在の理由を説明されることもなく、そしてカリトンから紹介されたこともなかった。
 何となく、誰も彼もが口にするのを憚っている雰囲気があり、だからアナスタシアもそれ以降何も聞かなかったのだが。

 だが、この異様な雰囲気を見てしまえば色々と納得せざるを得ない。
 、彼は自分を王位に相応しくないとのだ。
 あくまでも自分は不貞の末の不義の子だと、庶子でありのだとして、自分自身を認めていないのだ。

 へスペレイアが扉に歩み寄り、鍵を取り出して扉に挿し込み、回せばガチャリと音がする。鉄製のみならず施錠までされているとなると、ますます閉じ込められているという事になる。

「最後に、もう一度確認したい」

 扉の前に立つカリトンにそう言われて、アナスタシアは彼の顔を見上げた。そして向けられた目がくらい闇を湛えているのに気付いて息を呑んだ。

「中に入れば、もう後戻りはできないよ」

 地の底から漏れ出るような、聞いたこともない彼の声に身じろぎすら出来ない。

「それでも君は、受け入れてくれるかい?」

 嫌です、無理です。こんなの、わたくしの知っている優しかったカリトンあなたではない。
 などと、今更言えるはずもなかった。おそらく、絶対に、まず間違いなくアナスタシアの想定していた事態よりも遥かに最悪の現実が、この中にある。
 そしてそれでも、もう頷く以外に、彼女に選択肢など残されていなかった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 開かれた鉄扉のその先は、闇だった。
 へスペレイアが持参した魔術灯のランタンを灯してまず中に入り、それにカリトンが続く。だがアナスタシアは足が動かない。
 動かなかったが、カリトンに昏い眼差しを向けられて、勇気を総動員して無理やりに動かして中に入った。
 へスペレイアが壁の操作盤に魔力を流して、ようやく室内の魔術灯が作動し室内を照らした。

 部屋の奥に、天幕で覆われたベッドがひとつ。室内にはそれしかなかった。あとは分厚いカーテンに覆われた光の差し込まない窓と、備えつけのクローゼットの扉と、浴室やトイレなど水回りに通じる扉と、なぜかベッドの前に山と積まれているボロきれが見えるだけだ。
 室内は廊下よりもずっと埃っぽく、空気が淀んでいた。どう考えても

「ヒッ」

 ベッドの前にあるがいきなり動いて、アナスタシアの喉から小さな悲鳴が漏れた。叫び出したかったのだが、離宮内に入ってからずっと動いていない喉は渇ききっていて、まともに声にならなかった。

「知っているだろう。メーストラーだよ」

 言われた意味が、すぐには理解できなかった。だがボロ布がことで、ようやくそれが蹲ったなのだと理解した。

「あ……う……」

 まともに言葉も発せないそれは、伸び放題の灰色の髪に覆われた頭を動かした。その動きでかろうじて、こちらを向いたのだと理解できた。
 薄汚い、それは老婆だった。伸び放題で手入れもされていないの隙間からかろうじて判別できる口が動いているが、うめき声が漏れるだけ。蹲ったまま、動いた布の一部から見える骨と皮だけの手が床を引っ掻いているのは、もしかしてにじり寄って来ようとしているのだろうか。
 思わず一歩後ずさる。逃げ出したいのを堪えるのに必死で、カリトンの顔も、へスペレイアの姿も確認する余裕などない。だが辛うじて、告げられた名前に思考が働いた。

「め……メーストラー……?」
「そう、貴女の母上を殺した女だ。

 確かに、報告書で読んだ憶えがある。カストリア家の使用人として雇われていたメーストラーは、姉であり同じく使用人だった義母ヴァシリキことキオネーとともに父であったアノエートスと不義の仲になり、そうして父の後妻に収まりたかった姉に命じられるままに、魔術を用いて母アレサを毒殺に及んだのだ。
 その口封じとばかりに姉に殺されかけ、当時カストリア家の家令であった現当主アカーテスに命を救われて匿われていた。そのメーストラーの証言がキオネーの犯罪の立証に寄与したことで彼女は死一等を減ぜられて奴隷となり、この北離宮で働かされているはずだった。

 メーストラーに関しても、誰からも何も聞いた憶えがなかった。死んだという話すら聞かなかったため、今でも離宮にいるのだとしか思っていなかった。
 確かに今、彼女はここにいる。だがいかに奴隷とはいえ、そしてかつての母を殺した大罪人とはいえ、ここまで酷い扱いを受けねばならなかったのだろうか。これで果たして、と言えるのだろうか。





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