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【運命の選択】
31.後攻:ヘタレ王のターン、のはずが
しおりを挟むカリトンにエスコートされて向かった先は、庭園隅のあのベンチ……ではなく、陽当りの良い場所に設けられたガゼボのひとつだった。王宮の建物からさほど離れておらず、風通しがよく、周囲の見晴らしが利いて潜めるような場所もないため、内輪の話をするのにうってつけの立地である。
暑季真っ盛りの日中の屋外では風通しが良かろうと過ごしづらいかと思われたが、そこは壁の代わりに外気を遮断し、防音効果があり防御壁の役割も果たす[気膜]が張られ、天井には[冷却]の術式を付与した空調設備も備えられていて、中に入りさえすれば屋内と変わらぬほど快適であった。
案内されたのが例のベンチでなかったことに、アナスタシアは内心で安堵していた。カリトン王と話すのならばあそこがいいと思ったのは事実だが、たとえ侍女であろうともあの場に余人を連れ込みたくなかったというのが偽らざる本音だった。
そして、それとなく顔を伺えばカリトン王も柔らかく微笑み返してくれたので、きっと彼も同じ気持ちなのだろうと安心できて、少しだけ心が暖かくなった。
「まずは、茶の準備をお願いしようか」
「畏まりました陛下」
ガゼボの真ん中に設えられた大理石のテーブルにサッとクロスがかけられ、同じく大理石のベンチにはクッションが敷かれ、付き従ってきたディーアやエリッサ、マイアその他の侍女たちがあっという間にテキパキと座を整えてゆく。そうして準備が済んで、カリトンとアナスタシアが腰を落ち着けたところで、「では、ごゆっくりお楽しみ下さいませ」と頭を下げて侍女たちはガゼボを出て行った。
まあ出て行ったとは言っても、ディーアたち3名はガゼボのすぐ外に控えたままである。それでも入口の1ヶ所を除けば[気膜]が張り巡らされているので、大声を出さなければ聞かれることもないだろう。
ついでに言えば張られているのは気膜、つまり空気の膜なので、人の動きは外から丸見えだ。だから現状で正式に婚約を公表していないふたりだけを中に残しても問題ない。カリトンに限ってはあり得ないだろうが、仮に不埒な行いに走ろうとしても即座に諫止できるので大変に安心である。
「その、姫はどうお考えか」
当たり障りのない雑談を交わし、淹れられた紅茶を味わい、カリトンが自ら取り分けてくれた菓子やケーキを目の前に並べられて有り難く堪能し、それを彼にじっと眺められて赤面しては我に返った彼に謝られるなどしつつ、しばし過ごしたあと。
おずおずと、カリトンが小さな声で発言した。
「どう、とは?」
パッと聞いただけでは何を指しての質問なのか分からない。自意識過剰も込みでいいのなら心当たりはなくもないが。
「その……彼のことだよ」
どうやら自意識過剰込みで正解のようである。だがまだ勘違いの可能性もなくはないので、アナスタシアは念のため、敢えて言葉にしてみる。
「フィラムモーン公子のこと、でしょうか」
そして彼の表情から、正解を引いたと理解した。
「彼はとても優秀でね。見目も麗しく、家柄も将来性も申し分ないし、人柄もよく人望もある」
全くもって事実なので何ひとつ口は差し挟まないが、それはわざわざカリトンがアナスタシアに告げねばならない事だろうか。
こういう時の嫌な予感は、得てしてよく当たるものだ。
「貴女が彼の手を」
「陛下」
その先を言わせてなるものか。その一心で、不敬を承知でアナスタシアは言葉を被せた。
「わたくしに、それを選べと仰せなのですか?」
「…………そうしてもらえるならば、我が国の次代は安泰を約束されると思うんだ」
数瞬の沈黙のあと、気まずそうに、それでもカリトンは言い切った。
「わたくしは、陛下との婚約を申し込んだのです」
「それはとても有り難いことだと理解しているよ。だが、条件を付けただろう?」
確かに条件は色々と付けられていたし、それが体のいい断り文句だったのも分かっている。だがアナスタシアはそれを分かった上で正面突破する気満々だったのに。
この期に及んで、まだこの方は無駄な抵抗をなさろうとするのか。
「先日、兄に問われましたわ。『正式発表はいつになりそうか』と」
「……えっ」
「それがアーギス家の総意でございますわよ」
「そ、そうなのか」
「はい。ですから」
諦めて受け入れて下さいまし。
敢えて言葉にはしなかったが、目線で意思はしっかりと伝わったはずである。その証拠に、彼はたじろいだように視線を泳がせた。真剣勝負においては視線を逸らした方が負けである。気持ちが折れたと認めたも同然なのだから。
ちなみに、兄とのくだりは全部嘘っぱちである。いざとなれば虚実織り混ぜてでも王の閉じこもる殻に風穴を開ける所存であり、その効果は覿面であった。
「……私には、貴女のその想いに応える資格がないんだ。だから」
「わたくしが認めたのは貴方です」
13歳の少女に断言されて、35歳の大人の男ともあろうものが明確に怯んだ。
「もしも認めないのであれば、そもそも婚約を申し込んだりなど致しません。貴方だからこそなのですわ、カリトン様」
そりゃあ確かに、フィラムモーンはアナスタシアもうっかりなびきそうになるほどの超優良物件である。カリトン以外は眼中になかったアナスタシアがうっかり頷いてしまいそうになるほどに彼は魅力的で、そして向けてくれる想いも一直線だ。
確かに最初は彼も、宰相と王に言われたからアナスタシアに近付いたのだろう。だがこの半年間だけの付き合いとはいえ、彼が自分をその瞳に映してくれるようになっているのは明らかだ。
それは嬉しい誤算、そう、嬉しいことではあったのだ。あれほどの貴公子に恋情を向けられて、嬉しくないわけがなかった。アナスタシアとてひとりの年頃の乙女である。素敵な恋がしたいし、愛したいのと同時に愛されたい気持ちも確かにあるのだから。
そういう多感で、難しい年頃なのだアナスタシアは。
そして彼女は、うじうじして一向に自分に気持ちを向けてくれないカリトンに若干のイラつきを感じないでもなかった。
当たり前だが、どちらも両取りすることなどできない。だから初志を貫徹すべく心を固めたいのに、この期に及んで、このヘタレは。
とはいえ彼の育ってきた境遇や、王としての苦難の道のりを考えても、彼が自分に自信を持てずにいる気持ちもよく理解できる。だがそんなものはこれからいくらでも自分が支えて育てさせて行けばいいのだ。むしろここで自分が彼でなくフィラムモーンを選んでしまったら、今度こそ彼はダメになる。
そう理解すると同時に、彼の気持ちが動くのを待っていては逆に自分がフィラムモーンに陥落しかねない。先ほど彼に会ってその危機感を得てしまった以上、アナスタシアはもうこの場で決めてしまうつもりであった。
だというのに、このうじうじヘタレ王は!
「本当に、私は貴女の隣に立つ資格などないのだよ」
困り果てたように目尻を下げて、それでもなお、そんな事を言うのだ。自分が全面的に悪く、アナスタシアには何ひとつ瑕疵がないとでも言いたげにして。
「もし間違っていたなら申し訳ないのだが、貴女は……その、“悲劇の公女”オフィーリア嬢の生まれ変わりではないだろうか」
「……!そこまでお分かりになっておられるのでしたら、なぜ!」
「だったら余計に、ダメだよ。貴女は光の下で栄光の道を歩むべきだ」
やはりカリトンはアナスタシアがオフィーリアの生まれ変わりであることを理解していた。だというのに、それでも彼の頑なな態度は変わらなかった。
そこに、オフィーリアは若干の違和感を覚えた。ほんのささやかな棘のようなものではあったが、彼女はそれを無視できなかった。
「……もしや、まだ何かわたくしに隠してらっしゃる事がおありですの?」
カリトンの肩がビクリと震えた。
それを見て、オフィーリアは表情にも態度にも明確に表して、盛大にため息をついた。
「貴方がどれほどの闇を背負っていようとも、わたくしの目に映る貴方はあの頃のお優しかったカリトン様のままなのです。わたくしはそれが、とても嬉しかったのです」
そうして彼女は、最後の勝負を仕掛けた。
「貴方のお抱えになっておられる闇、この際ですから全部曝け出して下さいませ。どんな事でもわたくしが受け入れてご覧に入れますわ」
虚ろな瞳で、絶望に染まった中にもかすかに希望の光を灯して、カリトンがアナスタシアを見た。
「お慕い申し上げておりますの。あの頃も、今現在も。どうかわたくしを、カリトン様のお側に居させて下さいませ」
あの頃と何も変わらぬ空色の瞳に自身の姿が確かに映っているのを認識しながら、彼女ははっきりと彼にそう告げた。
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