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【王女アナスタシア】

30.インターバル:周囲の思惑

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「ご足労をかけて済まないね。座って楽にして欲しい」

 マケダニアの王宮内にいくつもある応接室のひとつ、庭園に面した規模の小さい一階のそこまで案内されて、到着を告げる侍女ディーアの声に背を押されつつ近衛騎士ソマトピュラケスの開けた扉をくぐったアナスタシアを待っていたのは、柔らかく微笑むカリトン王その人である。

「お召により、アナスタシア罷り越しました」

 相変わらず王の威厳など微塵も感じさせない、昔から少しも変わらぬ優しくて思いやり深いその声と態度に、安堵しつつもどこか落ち着かない気持ちを抱きつつ、アナスタシアは淑女礼カーテシーで挨拶したあと言われるがままにソファに、カリトンの対面に腰を下ろす。室内に控えていた侍女たちがサッと動いて、カリトンとアナスタシアにそれぞれ紅茶のカップを給仕しては所定の控え位置に戻ってゆく。
 何故今このタイミングなのだろうか。まだフィラムモーンのから完全に立ち直れてすらいないのに。
 落ち着かないと言えば、あの時庭園隅のベンチでバッタリ会って以降、カリトンがアナスタシアに向けてくる視線がより柔らかく、より甘くなっている気がするのだが気のせいだろうか。いや気のせいではないと本当は気付いているのだけれど、何だか確認してしまうのが怖くて⸺

「アポロニア公子は、もう下城されただろうか」

 つい物思いに耽りかけたところでそう問われて、肩どころか全身が跳ねた。

「はっ、はい、そうだと思いますけれど」
「そうか」

 かろうじて返答しつつ、そういえば先に席を立ってしまって見送りもしなかったことに思い至った。あれほど案じてくれた彼に対して、今思えば失礼だったかも知れない。もちろん彼のことだから、微塵も気にせずに「押しかけたのは僕の方だから、気にしないで欲しい」などと言ってくれるのだろうけど。

「済まないね。姫が襲撃されたことは箝口令を敷いていて、王城外には漏らさないよう努めていたのだけれど、アポロニア公爵が公子に漏らしてしまったようでね」

 だからこのタイミングだったのだと、ようやく得心がいったアナスタシアである。襲撃からおよそ半月が経ち、黒幕であったハラストラ公爵一家の捕縛まで完了した今になってなぜあんなにも心配することがあるのだろうかと疑問だったのだが、その謎はアッサリ解消された。
 要するにフィラムモーンは今日やって来るまで、アナスタシアとクロエーが襲撃されたことを知らされていなかったのだ。だから今になってそれを聞いて、取るものも取りあえず慌てて駆けつけてきてくれたのだろう。道理であんなにも心配するはずである。
 そしてアポロニア公爵、つまりフィラムモーンの父である宰相クリューセースが息子に情報を漏らしたのは昨日のうちにハラストラ公爵一家の捕縛と、公爵家の王都公邸と領都本邸、それにハラストラ領の接収が完了して事件の解決にメドがついたからであろう。アナスタシアが再襲撃を受ける懸念もなくなり、なおかつハラストラ領でのアカエイア王国王太子ヒュアキントスの動きが噂として貴族社会に広まるのが避けられない事態になったことで、外で誰かに半端な憶測を聞かされる前にを息子に伝えたのだろう。

 もっとも、クリューセースが我が子にという事実までは、この時点ではアナスタシアもカリトンも知る由もない。それが、もうすっかり彼女のことを亡きオフィーリアの生まれ変わりだと信じ込んでいるカリトン王と、最初から彼との縁談を望んでマケダニアにやって来たアナスタシア姫の仲が遅々として進展しない事に対する宰相の意趣返しであることに、ふたりは気付きもしていない。
 宰相としては、王と姫がくっつくのならさっさとして欲しいのだ。早いとこ決めてもらわねば、息子の縁談もまとめられないのだから。もう成人した公爵家嫡子なのに婚約者のひとりも居ない異常事態をいつまで続けさせるおつもりか。これ以上モタモタするつもりなら、本当に当初計画通りにうちの息子の嫁に掻っ攫うぞ。なんてイライラしつつも、それを全くカリトンに悟らせないクリューセースはやはり正規に教育を終えた公爵家の当主で、そして十二王家の当主であった。


 互いに紅茶を一杯飲み干したところで、アナスタシアはカリトンに誘われて庭園に出た。
 暑季なつ真っ盛りの照りつける陽射しの下、立っているだけで汗が吹き出してくる屋外によくも出る気になったものだと思わなくもないが、[冷却]の術式を[付与]された特別製の日除け傘を侍女が差し掛けてくれるおかげでふたりは快適である。
 もっとも、その傘を差し掛けている侍女エリッサは(屋外に出るのは、できれば早朝か日暮れ前にして欲しかったわぁ……)などと思っていたりするのだが。ただそんな彼女の侍女服おしきせだって[通風]の術式付与がされているので、屋外で待機することになっても案外平気であるのだが。

(あーあ。早くくっつかないかしらねえ……)
(何言ってるんですかディーアさま。あのジレジレ展開が良いんですよ!)
(だって私もエリッサも、この8年ずっと見てきてるのよ?正直もうお腹いっぱいだわ)
(えぇ……そういうもの、ですかぁ……?)

 そしてそんな王と姫と侍女の後ろを、ティーセットや軽食を載せたワゴンをそれぞれ押して、侍女ディーアと侍女マイアがついて行く。このふたりの侍女服ももちろん[通風]機能付きである。

 侍女ディーア26歳、同じくエリッサ25歳。ふたりは成人直後からアカエイアの王宮侍女候補として出仕していて、それぞれ11年目と10年目になる。出仕後に約2年間の厳しい教育期間を経て、正式にアナスタシア付き侍女になってからは9年目と8年目である。
 つまりふたりはアナスタシアが前世オフィーリアの記憶を取り戻す直前から彼女に仕えていて、彼女がカリトン王の妃になるべく幼い頃からしていたことをずっと見てきているのだ。
 まあ公的にオフィーリアへの思慕を表明したことのあるカリトンと違って、生前のオフィーリアはカリトンへの想いを語ったことも、余人に悟らせることもなかったからアナスタシアはバレていないと思っているのだが。でも幼い頃からアナスタシアは真っ直ぐにカリトンのことばかり気にしていたし、その彼女がオフィーリアの生まれ変わりの可能性が濃厚だというを鑑みれば、おそらくこのふたりはと、周りの全員がお察し済みである。

 そして侍女マイアは今年18歳で、2年間の王宮侍女教育を終えて王族付きとなってから、まだ2年目である。王族付きとはいえ現在のマケダニア王族はカリトンだけであるから、アナスタシアが来るまではマイアもカリトン付きであった。
 そんな彼女はアナスタシアがやって来た当初、との婚姻なんてどっちも可哀想、なんて思っていた。実際に当初のふたりはどこか距離があったし、まあ政略結婚なんてそんなものよね、婚姻して3年くらい我慢したあとは別れちゃうんでしょ、なんて冷めた目で見ていたのだ。

 それが半年経った今やすっかり、この凸凹カップルの虜になっている。くっつきそうでくっつかない、このジレジレモダモダの傍から見たらどう見たって両想いなのに互いに一歩が踏み出せないコドモみたいなふたりを見ていて(こっこれは!あたかも初対面での『お前を愛することはない』かーらーの!だんだんと絆されて仲良くなっていく、まさに過渡期!ヤダなにそれどこの恋愛小説なの!?ってかむしろ私書いちゃっていいかしら!?)……なーんて内心悶えているマイアである。
 もちろん彼女もきちんと侍女教育を修了済みなので、そんな内心などおくびにも出さないが。

 ちなみにエリッサはといえば、国王とはいえくたびれたおっさん(不敬!)でしかないカリトンよりもむしろフィラムモーン推しである。『やっぱり美男美女なのはもちろん、年齢が釣り合わないと美しくないわ!前世の恋は恋でいい思い出として、せっかく生まれ変わったのなら新しい恋に向かったっていいと思うのよね!』とは休憩中の侍女同士の内緒話で彼女がアツく語ったコメントのである。

 そして、そんな周囲がどれほど生暖かく見守っているのか、当の凸凹カップルだけが微塵も気付いて居なかったりするのであった。





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