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【運命の選択】
29.先攻:イケメンのターン
しおりを挟む「色々と聞きたいこと、言いたいことはあるのだけれど、まずは貴女が無事で本当に何よりだった。話を聞いた時には息が止まるかと思ったよ」
そう言ってカップを手に取り、フィラムモーンは黄金色の紅茶を一口飲んで、カップをソーサーに戻した。そうして目の前に座る少女に安堵の笑みを向ける。
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
彼の表情からも態度からも、心から心配してくれていたのだと伝わってきて、アナスタシアは素直に頭を下げるしかない。
マケダニア王宮の、王族たちが起居する内宮の一角にあるテラスで今、アナスタシアとフィラムモーンはふたりきりで昼下がりのお茶を楽しんでいる。もちろん侍女たちは少し離れた位置に控えているし、護衛も“影”も隠れているのだが。
というか、ふたりきりとはいえ話題のほとんどは先日のアナスタシアに対する襲撃事件と、その後の怒涛の展開の後始末に関してであり、残念ながら甘い話題など微塵もなかった。
なかったのに、アナスタシアの顔は彼と顔を合わせてからずっと赤いままである。
(まさかあんなに慌てたご様子で、抱き締めんばかりに駆け寄ってきて手を取られて、その上盛大に安堵されるなんて。どうしていいか分からないわ……)
アナスタシアとしてはクリストポリ家の護衛もいたしヒエラクスも付いていたから、確かに少しばかり怖かったけれどそれだけだ。カストリア家の援軍もあって賊は馬車にすら取り付けなかったし、鎧戸を閉められて完全に籠城態勢だったから外の惨状も事後しか見ていないし、だからそれほど心配するような事でもないと考えていたのだが。
だけど彼の慌てぶりを見て、実は自分のほうがおかしいのではないかとちょっと思い始めている。一緒に馬車に乗っていたクロエーなんてあれから数日寝込んで、回復してからも邸から出るのを怖がっているらしいし、もしかしたら彼や彼女の反応のほうが普通なのではないだろうか。
ちなみに、事件後はアナスタシアに付く護衛はヒエラクスだけでなく、ヒエラクス小隊の6名全員に増員されている。全部で8小隊しかいない近衛騎士をそんなに割いていいものでもないと思ったが、カリトン王も宰相クリューセースも頑として譲らなかった。
というか兄のヒュアキントスまで、アナスタシア個人のためにアカエイア王国の近衛騎士小隊を派遣するとか言い出したので、全力でお断りしてこのままお帰り頂く予定である。
(やっぱり、わたくしのほうがおかしいのかしら)
アナスタシアはいまだに首を傾げているが、普通にどう考えてもその通りである。仮にも一国の姫君が自国内で襲撃に遭うなどあってはならない重大事なのは勿論、いくら前世を含めて王子妃教育で有事の際の対処や心構えを学んでいたとはいえ、実際にその姫君がそうした事態に遭遇して平静を保っていられるなど尋常ではないに決まっている。
あまつさえ彼女は即座にヒエラクスに指示を飛ばし、黒幕の特定のために賊の蘇生すら顔色ひとつ変えずに即断したのだから、どれだけ肝が据わっているのかという話である。だってアナスタシアはまだ13歳の未成年の少女でしかないのだ。
そしてそれほどの胆力を示した彼女をカリトン王の妃に、という声が急速に高まっているのもまた、アナスタシアを困惑させている要因のひとつだ。実際、アナスタシアが王妃を目指す上で最大の障害であった反王派の領袖たるハラストラ公爵家を一息に排除できたことで、今後の展望は大きく開けたと言っていいのだけれども。
だが、ちょっと待って欲しい。
それはアナスタシアの欲しかった展開ではない。
(わたくしはカリトンさまに熱烈に愛を囁かれ求められて、その上で輿入れしたかったのだけれど……)
将来の王妃としての有能さをいくら評価されたところで、ちっとも楽しくないのだ。だってそんなものは、アナスタシアにとっては当たり前のことなのだから。
というか、むしろ。
今目の前に座っている美丈夫から、盛大に愛を囁かれている気さえする。
だってこんなにも心配され、会うなり手を取られ肩に触れられ顔を覗き込まれ、怪我はないか恐怖心は残っていないか悪夢を見てはいないかとそれはもう案じられて。平気だと幾度も説明してようやく安心してもらって、なのに全然帰る素振りも見せないのだ彼は。
独りにはしておけない、どうか慰めさせて欲しいと言ってあくまでも適切な距離と分別を保ちつつ、アナスタシアの身体ではなく心に寄り添おうとしてくれるその心の在りようが、なんともむず痒くて面映い。
いけませんわフィラムモーン様。わたくしだからまだいいものの、年頃の乙女にそのように接しては皆あっという間に誤解なさいますわよ。
「⸺うん?いや、貴女だからこそこんなにも心配するのだけどね?」
「……えっ?」
「んん?」
「あの……もしかしてわたくし、今声に出しておりました?」
「呟き程度だけれどね。というか」
「……?」
「貴女は以前から、時々そうして本音を漏らしているよ。もしかして気付いていなかったのかな?」
えええええ!?
なんですってえぇぇぇ!?
叫び声こそ上げなかったものの、思わず唖然と目を見開いてあんぐりと口を開いてしまったアナスタシア。一生の不覚である。
「まあ僕は、貴女のそんな一面も好ましいと感じているけれどね」
「…………は?」
「そんなに驚くほどの事でもないんじゃないかな?非の打ち所もない完璧な貴女にもそうした可愛らしいうっかりがあると知れて、何だか得した気分だったよ」
くっ……!そこでその笑顔とセリフはズルくありませんこと!?麗しくてまともに正視できないではありませんか!
「はは。貴女も僕のことを好ましく思って下さるのなら、それに勝る喜びもないんだけれどね」
くうう!本当にこの方、お顔もお声もお心もわたくし好みで、もうこんなのズルいを通り越して卑怯ですわよ!
今度は声を漏らさないよう、そして内心を表情に出さないように必死なアナスタシアは気付かない。さっきからずっと赤面していて全部バレていることに。
そしてフィラムモーンがそれを見てはふわりと微笑むものだからなおさら余裕が無くなって防戦一方で、反撃など望むべくもない。
「姫様、そろそろお時間でございます」
「えっ?……っあ、そ、そうだったわね!」
「おや、次の予定があるのかい?では名残惜しいが、僕もそろそろお暇するとしようかな」
結局、アナスタシアは全く太刀打ちできないまま次の予定の時間が来て、地獄のお茶会から解放されることになった。アナスタシアが席を立ち、彼女の時間をいつまでも奪うわけにもいかないと弁えているフィラムモーンも立ち上がって、見送る彼女に微笑みを残しつつ帰って行った。
「っ、ありがとう、助かったわディーア」
「いえ。姫様の心中を慮り、それに沿うよう動くのが我々侍女の務めですので」
ちなみにこれは侍女ディーアのファインプレーである。だってアナスタシアには次の予定などないのだから。あの事件以降、やはり盛大に心配してアナスタシアを喜ばせたカリトン王が彼女の予定を全てキャンセルしていて、だから現在のところはクロエーと同じく療養中なのである。
ただ別れる際、ちゃっかり跪いてオフィーリアの手の甲にキスを捧げることを忘れなかったあたり、フィラムモーンは案外本気で口説きに来ていたような気もしないでもない。あのままもう一刻ほど粘られて、手を取られたまま求婚でもされていようものなら、もしかすると彼女は陥落していたかも知れない。それほどに追い詰められていたのだが、そういう意味でもディーアの機転はファインプレーであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
だがディーアに案内されて向かった先はアナスタシアの私室などではなく、先ほどのテラスからやや離れた王宮内の応接室であった。
「……ディーア?」
すでに王宮内の部屋の配置など完璧に頭に入っているディーアが道を間違うはずもない。だが訝しげに声を上げるアナスタシアが全部言い終えぬうちに「すでに中でお待ちでいらっしゃいますわ」と返され、扉の前に控えていた近衛騎士に扉を開けられてしまってはどうにもならない。
誰が待っているのか何となく想像がつきつつも、アナスタシアは「お着きでございます」と告げるディーアの声に背を押されるようにして中に入るしかない。
「ご足労をかけて済まないね。座って楽にして欲しい」
そして案の定、待っていたのはカリトン王であった。
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