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【二度目のミエザ学習院】

27.外堀は知らぬ間に埋まってた

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「ううむ……」

 カリトン王は唸っていた。
 マケダニア王城の奥にある、王族たちの住まう王宮のさらに奥。王族の私的居住空間と臣下の出入りできる公的区画との境目あたりに位置する、王の執務室でのことである。
 王の執務机の上に並んでいるのは二通の書状。片方はアナスタシアの護衛につけている近衛騎士ソマトピュラケスのヒエラクスからの報告書。もう片方はクリストポリ侯爵家を通じて届けられた、元嫡男のヨルゴスからの書状である。

「ふたりとも、同じ意見か……」

 正確には両者の見解はやや異なる。
 ヒエラクスのものはヨルゴスの農場からの帰りにクリストポリ家の馬車が襲撃された件に関しての報告書だが、それに付しての個人的見解だ。アナスタシアの見せた毅然とした態度と判断が、荒事に慣れているはずのない13歳の姫とも思えぬものだったこと、あたかも噂に名高いかつての“悲劇の公女”オフィーリアを彷彿とさせる判断力と冷厳さであったと、そう記してある。
 無論、現在20歳のヒエラクスはオフィーリアを直接は見知っていない。彼の知るオフィーリアは人口に膾炙した、幾分かのついた理想的で非の打ち所のない彼女の姿ではあるのだろう。

 曰く、政治軍事経済に精通した才知ある公女。
 曰く、礼儀も作法も教養も完璧なる淑女。
 曰く、眉目秀麗で心根清らかな天女の如き乙女。

 他はともかく、最後の美点だけはカリトンは物申したい。確かに内面の清らかさが全面に出ていた彼女はとても美しかったが、容姿だけで言うなら長年の厳しい教育と激務が成長を阻害してしまっていたから、かんばせはともかく肢体に関しては小児のようで見劣りしていたのは間違いない。
 人によってはそれは⸺カリトンなど特にそう感じたものだが⸺庇護欲を抱かずにはおれないかも知れないが、かつての異母弟おとうとのごとく欠点としてあげつらう者もいるだろう。というか、そう捉える者の方が多かったはずである。
 ヒエラクスがそうした、虚像も含むオフィーリア像を心のうちに抱いているであろうことは想像に難くない。だがそれでも彼の見解を一笑に付すことはできない。そもそもカリトン自身がもはや確信と呼べるほど、アナスタシアのことを転生してきたオフィーリアだと感じてしまっている。それに加えて。

「アナスタシア姫こそ、“悲劇の公女”オフィーリア様の生まれ変わりだと確信する、か……」

 ヨルゴスからの書簡にも、ハッキリとそう書いてあるのだ。

 もちろん実際の文面は礼法に則って王と国家に対する美辞麗句が連ねられ、時候の挨拶に始まり古典の引用などが駆使されて冗長とも言える文脈が連なっているわけだが、そうした余計な修飾を全部取っ払って読めば中身は至ってシンプルだ。
 かつての公女をよく知る身として、既視感を覚えるほどにアナスタシア姫は公女オフィーリアによく似ている。外見ではなく内面が。実際に会って話をしたことで、世にいう転生なるものが実際に起こることなのだと確信した。故に、公女への思慕を公言する王に是非ともお報せ致したく。

 第二王子を諌止できなかった事を咎めて罷免を言い渡した時の一度だけしか、カリトンはヨルゴスと顔を合わせていない。そしてそれ以来、クリストポリ家を除籍された彼が王へ手紙をしたためたことももちろん無い。
 そんな彼が、通常なら平民が王に直接言葉を届けられるはずもないと分かった上で、それでも実家のクリストポリ家を頼ってまで初めて送った書簡が、オフィーリアの転生を確信したという個人的見解である。通常ならばそんな用件で平民の声を王に届けようなどと考えられない。
 だが届ける相手がカリトン王であり、述べるのがオフィーリアをよく知るひとりであるヨルゴスなのだ。しかも彼女がアナスタシア姫として転生して、マケダニアに留学して王宮で起居していることも、ヨルゴスは娘を通じて知っている。もちろんカリトンも互いの関係性はアナスタシアを通じて承知済みであり、だからこその書簡なのだろう。

 そして奇しくも、ヒエラクスの報告書とヨルゴスの書簡は同じ進言で締めくくられていた。

「是非ともアナスタシア姫を陛下の伴侶とし、我が国の王妃として迎えるべし。…………か」

 面識どころか世代も縁も何ひとつ交わらないはずのヒエラクスとヨルゴスが、同じ結論に至っている。その事実はカリトンも無視できない。そもそもその見解はアーギス王家からアナスタシアとの縁談を持ちかけられた時点で、宰相であるアポロニア公爵クリューセースも賛同したことなのだ。
 あの頃はまだカリトンはアナスタシアと面識がなく、だからこそそれは可哀想だと思って撤回に持ち込もうとした。穏便に回避するために、アポロニア公子フィラムモーンとアナスタシアの婚約にすり替えようと小細工を弄した程である。だが、こうなってしまうと。

 その時、執務室の扉がノックされた。

「陛下。クリューセースめにございます」

 それまで執務室の片隅で彫像のように動かず控えていた近衛騎士隊長キリアルコスのイスキュスが、サッと動いて扉を開けた。
 宰相クリューセースは一礼とともに執務室に足を踏み入れ、「陛下におかれましてはますますご健勝のほど⸺」などと堅苦しい挨拶を述べる。

「堅苦しい挨拶などいいから。用件を」
「は。カストリア侯爵アカーテス卿が、至急謁見を願いたいと」
「……分かった。ここへ呼んでくれ」

 なんの用件かは分からないが、なんとなく察せられるように思えてしまったのは気のせいだろうか。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「アナスタシア姫こそ陛下のお妃に、我が国の王妃に相応しき御方。機を逃してはなりませぬ」

 気のせいなどではなかった。アカーテスもまた、ヒエラクスやヨルゴスと同じ進言を口にした。
 その彼の後ろで、クリューセースが『それ見たことか』という顔をしている。

「試みに問うが、なぜその判断に至ったのか尋ねてもよいだろうか」

 聞かなくても何となく分かるが、だが聞かねばならない。正当な理由や確信なき上言じょうげんなど、建前として認められるわけがない。

「アナスタシア姫こそ亡き我が族娘めい、オフィーリアの生まれ変わりと確信するゆえにございます」

 陛下におかれましてはすでにお気付きのことと存じますが。そう前置きしつつもアカーテスはキッパリと断言した。

けいはいつ、その確信を?」
「先日の、クリストポリ家の馬車襲撃の折のことでございます」
「……ああ。アナスタシア姫が御言みことを下賜したのだったな」

 他ならぬ血縁者のだ。直接会話を交わしさえすれば、そりゃ気付きもするはずである。特にアカーテスはオフィーリアがまだ幼い頃から先々代女公爵アレサの元で、家令としてアレサとオフィーリアを支えていたのだ。
 つまり、彼こそがオフィーリアをもっともよく知る人物なのだ。それこそヨルゴスよりも、そしてカリトンよりもである。その言は、相当に重い。

「……発言を、お許し願いたく」

 それまで無言で控えていたイスキュスが不意にそう発言して、そのことに驚きつつもカリトンは許可を与えた。
 バシレイオス前王に対してカリトンが退位を迫ったあの時、誰よりも早くカリトン支持を明確にしたのがイスキュスだった。王と認めた者にのみ忠誠を誓う近衛騎士隊長たる彼の支持を得られたことで、その後の政権交代劇がスムーズになったことは否めない。だから政務の相談こそしないがイスキュスの忠誠を、その数少ない進言を、カリトンは無視できないしするつもりもない。

「転生云々はそれがしには判断致しかねますが、アナスタシア様を王妃にという侯爵のご進言には全面的に賛同致す所存にございます」

「イスキュス、お前もか……!」

 そう言えば彼もまた、オフィーリアを知るひとりである。軍務を好んだ第二王子の婚約者として、また第二王子の公務の代行者として、かつてのオフィーリアは幾度もイスキュスと顔を合わせている。そのことを彼もまた憶えていたのだ。

「かつてオフィーリア様は、軍政改革にも一家言いっかげんをお持ちでございました。それがしも見解を求められ、幾度かお伝えしたことがございます」

 それは北部国境の防衛に関することであったり、首都の最終防衛戦力構築の方策であったり。有事の際にいかにして市民の被害を抑えるか、国家の最精鋭たる近衛騎士隊長の知識と経験を是非活かして欲しい。そう乞われて、この方が次代の王妃となるならば次代も安泰であろうと忠誠を新たにしたものです。そしてヒエラクスの報告にあったアナスタシア姫の判断と見識には、かつての公女に通じるものを感じざるを得ませぬ。
 そう語るイスキュスの表情には常に見せることもない陶酔の気配が見える。そして、だからこそその公女を冤罪で嵌めて自害に追いやった第二王子もそれを見過ごした前王も許せなかったし、公女の復讐に立ち上がった陛下をお支えする気にもなったのですと言われ、カリトンは彼が自分を支持した真の理由を初めて知ったのだった。

「しかしなあ……」

 だがそれでもなお、カリトンは煮え切らない。
 この場に集うのはいずれもカリトン王の支持派の面々であり、アナスタシアをカリトンの妃にという一致した意見は、あくまでも彼らの総意に過ぎない。そして王支持派は議会ブーレーの約4割程度でしかないのだ。つまりカリトンがアナスタシアを妃として迎えるためには、反王派の切り崩しが絶対条件になってくる。
 そしてそれは未だ手付かずで、しかも目処が立っているわけでもなかった。

「それに関しても、進展がございますな」

 顎を撫でながら、宰相クリューセースがそう発言した。

「ということは、捕らえた賊が何か吐いたのか」
「いかにも」

 アナスタシアが蘇生の請願を請わせてまで確保した襲撃犯たちがついに自白したと、クリューセースは胸を張ってそう告げたのだった。





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