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【王女アナスタシア】
24.賊の襲撃
しおりを挟む「姫様、そろそろお暇することに致しましょう」
「あら、もうそんな時間かしら?」
「もう間もなく陽が傾き始める頃合いですわ」
応接室でヨルゴス夫妻の馴れ初めを聞いて昼食を饗され、それから農作業の様子を見学して、なんならやってみたいと言い出して自分でも斑牛の乳搾りなどにも挑戦してみて。
昼の茶時のお茶をクロエーやオルトシアーと楽しんだところで、脇に控える侍女エリッサに引き上げるよう促された。
「アナスタシア様の侍女の申す通りですわね」
「そうですね、じゃあお見送りしますね」
そうしてヨルゴスやオルトシアーら家族に見送られて、アナスタシアは彼らの農場を後にした。従業員たちはそれそれ作業に従事しているため、見送りは彼ら家族だけである。
「またいつでも、遊びに来て下さいね」
「ええ。予定の都合がつくかは分からないけれど、機会があればまた是非お伺いしたいわ。⸺それではまた、学習院でお会いできるのを楽しみにしていますわオルトシアーさん」
「はい。アナスタシア様もお元気で過ごされて下さいね」
最初は王女が来ると知って青い顔をしていたオルトシアーだが、今やすっかり笑顔である。彼女が自分と仲良くしてくれるのが学習院内だけではないと分かった今なら、もう怯えることも遠慮する事もないだろう。
「農場はいかがでしたか?」
「とても面白かったわ。見るもの全てが新鮮で」
「それはようございました。オルトシアーも喜んでいて何よりですわ」
帰りの馬車の中、アナスタシアはクロエーと笑い合う。彼女とオルトシアー、クリストポリ家門のふたりと知り合えて本当に良かったと、心から思える。
思えばオフィーリアには心を許せる友も、味方となる知己も、誰もいなかった。家門同士の繋がりこそあれど、個人的な交友は無いに等しかったのである。それは各種の教育と領政、学生会の業務や第二王子の公務などで忙殺されていたせいでもあるわけだが、そうした個人的な味方を得られなかったこともまた、あの日の婚約破棄と冤罪での投獄を招いた遠因だったのだと、今ならよく分かる。
同世代の友人を得られてさえいたならば学習院での悪評も流されるままに広まることはなかっただろうし、あの夜会での冤罪にも反論の声がきっと上がっていたことだろう。
だが今世では違う。アポロニア公子フィラムモーンも含めて、個人的な友と呼べる人物を何人も得られている。
もしも今世で何らかの窮地に陥ることがあるとしても、きっと彼ら彼女らが心強い味方になってくれるだろう。そして彼らは、この先アナスタシアが王妃となってからも長く仕えてくれるはずである。
(そういえば、そろそろソニア様も王都に戻って来られるはずだわ)
彼女たちだけでなく、カストリア侯爵家と縁ができたことも大きい。アナスタシアとしてはよく知る家門だが、今世ではなんの繋がりもないため、ソニアの知遇を得られたのも今後を見据える上では大きなポイントとなるだろう。
(……血縁上は、又従姉妹になるのよね)
カストリア侯女ソニアは、現当主であるアカーテスの娘になる。アカーテスと母アレサが従兄妹であるため、年齢こそ離れているもののソニアはオフィーリアの又従姉妹ということになるわけだ。
そしてソニアがいるということは、アカーテスも婚姻して子をなしたということ。オフィーリアの存命時にはまだ未婚だったはずのアカーテスにも愛すべき家庭ができたという事実、それだけでも胸が熱くなるオフィーリアである。
(アカーテスにも会いたいわ。奥方は、たしか……)
そうして思いを馳せていると、急に馬車の外が騒がしくなった。
「何事ですか!?」
クロエーの侍女が馬車の窓を開け、随従する護衛に声をかける。
「どうやら賊のようです。お嬢様も姫殿下も、窓を閉めて決してお出になられませんよう願います!」
「なんですって!?」
緊迫した護衛の声に、クロエーが顔を青ざめさせる。アナスタシアも反対側の窓を開け、そこに見える近衛騎士のヒエラクスに声をかけた。
「ヒエラクス、護衛たちを指揮なさい!撃退は当然ですが、できれば生け捕りにして!」
「心得てございます!」
サッと一礼して、ヒエラクスが窓を離れた。それを確認してアナスタシアも窓を閉める。
「お嬢様、姫殿下、失礼致します」
クロエーの侍女が立ち上がり、両窓の内側に備え付けられている鎧戸を閉ざした。これで賊に馬車の中を覗かれることはなくなったが、中の彼女たちも外を確認できなくなった。知りたければ御者台に座る馭者に伝えてもらう以外にない。
「ど、どうしましょう、わたくしも……」
「お嬢様、落ち着いて下さい。まずは当家の護衛たちに任せましょう」
「そうですわクロエー様。クリストポリ家の護衛は優秀と聞いていますし、この場にはヒエラクスもおりますもの。それに竜骨回廊も近いのだから、巡察隊もすぐに駆けつけてくれるでしょう」
「そ、そうですわね……」
おそらくクロエーは魔術科の学生として、護衛たちの魔術支援をすべきかどうか迷ったのだろう。そんな彼女に侍女とアナスタシアがそれぞれ声をかけて落ち着かせてやる。
いくら実戦用の魔術を習い始めているとはいえ、クロエーはまだ13歳の少女であり護衛対象である。彼女が戦闘の現場に出ることは不安要素でしかないだろう。
まあ年齢のことを言えばアナスタシアも同い年なのだが、前世の記憶があるぶん精神的にはずっと大人だし余裕もある。
「救難信号を上げます!」
「ええ、お願い致します」
馬車を停めた馭者の声にクロエーの侍女が応じ、御者台からバシュウウと発射音が聞こえた。閉ざされた窓の向こうから剣戟の響きと男たちの怒号が聞こえ始めた。
「姫様」
「わたくしは問題ないわ。それよりもクロエー様を見てあげて。⸺侍女、護身の心得はお有りかしら?」
「はい、姫殿下。当家の侍女は全て護衛も兼ねております」
クロエーの侍女の力強い返答に、アナスタシアは満足して頷く。つまりこの侍女もまた、主人の危難には身を挺して戦う護衛のひとりということだ。そしてそれはアナスタシアの侍女エリッサも同じこと。
「大丈夫ですよ、クロエー様。わたくしたちのことは皆が守ってくれますからね。きっと心配いりませんわ」
「はい……」
クロエーの声も身体も震えていることに気付いて、アナスタシアは向かいに座る彼女の隣に移動してその身をそっと寄せる。そのまま互いに手を握りあい、激しさを増す外の物音に怯える彼女にアナスタシアは寄り添い、励まし続けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アナスタシア姫、クリストポリ嬢も、ご無事ですか」
やがて剣戟の響きは鳴り止み、外が静かになってから。馬車の昇降口扉を開けぬまま、外から声がかけられた。ヒエラクスの声だ。
「エリッサ」
「畏まりました姫様」
侍女エリッサが素早く扉に駆け寄る。とはいえ四人乗りの箱馬車はさほど広くもないため、数歩移動しただけではあるが。
「中は無事ですわ。ヒエラクス様、賊は」
「こちらも危険は排除した。もう安全ですのでご安心を」
平素と変わらぬヒエラクスの声に、アナスタシアも安堵する。それとともに肩の力が抜けて、そうして初めて彼女は自分も身を固くしていたことに気付いた。
それはそうだ。冷静さを失わなかったとはいえ、彼女だって前世を含めても賊に襲われたことなど初めての経験だったから、やはり恐怖は感じていたのだ。
「それで、姫には一度お出ましを願いたく」
「姫様に戦闘直後の惨状を見せようというのですか!?」
「たまたま通りすがったカストリア家一行の助勢を得ましたゆえ、彼らに是非御言を賜りたく」
なんと救難信号が上がるのを目撃したカストリア侯爵家の車列が、随従の護衛たちを増援に遣わしてくれたのだという。聞けば当主一家が揃って王都に向かう途中とのことであちらは護衛の数も多く、賊を挟撃する形になって制圧も容易に終えられたとのこと。
賊の大半はすでに拘束していて味方の損害も軽微とのことで、すでにカストリア家の車列も合流しているという。
「それは御礼を申し上げねばなりませんね」
「わ、わたくしも参ります」
そうしてエリッサが扉を開き、アナスタシアとクロエーはヒエラクスの手を借りて馬車の外に降り立った。
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