上 下
57 / 84
【王女アナスタシア】

21.かつての記憶の、今のこと

しおりを挟む


 模擬夜会は出席者の大半が未成年者のため、日没の少し前から始まって二時ふたとき、つまり砂振り子という計時けいじの魔道具の一番大きな「特大」で二度計時する頃にはお開きになる。貴族子女でもある学生たちには寮や王都の邸から迎えの侍女や使用人が来て、それに護衛される形でそれぞれ帰路につく。
 アナスタシアには侍女ディーアと護衛騎士ヒエラクスが迎えに来て、ソニアにはカストリア侯爵家の、クロエーとオルトシアーにもクリストポリ侯爵家の者がそれぞれやって来て合流する。なお使用人の数が少ない子爵家や男爵家だと馬車の御者がそれを兼任したり、余剰の使用人を雇えない経済状況の家や平民の子たちには学習院が送りの人員を用意するという。
 今年度に在籍している平民はクトニオスとオルトシアーの兄妹だけなので、彼らにはクリストポリ家が人を出してやっているそうだ。

「皆様は、休校の間はどうなさるの?」

 散会した会場を出て馬車停まりに移動しながら、アナスタシアはクロエーらに聞いてみた。

「わたくしはカストリアの領に戻る予定ですわね。王城での法務実習の時だけ王都に戻って参る予定ですわ」

 ソニアの実家であるカストリア侯爵家はマケダニア王国の西端、イリュリア王国とテッサリア王国との国境地帯に領地を持っていて、事実上、西の国防を担っている。オフィーリアが存命の頃は西北国境地帯まで領有していたから連邦国境の守護までやっていたわけだが、今はそれは無くなっている。
 そしてカストリア領に戻るのであれば脚竜きゃくりゅう車でも丸1日かかる距離があるため、行き来には必ず宿泊を伴うことになる。

 ちなみに脚竜とはこの世界に広く生息する竜種の一種で、古来から馴致技術が発達していて家畜として広く用いられている。貴族たちが街中で主に使う馬車を曳くための鬣馬たてがみうまよりも丈夫で脚も速いため、もっぱら都市間や国家間の長距離移動などで客車や荷駄車を牽引するのに用いられる。
 竜種には他にも色々あって、例えば戦場で竜戦車を曳く鎧竜や、空を飛び野生種が旅人を襲うこともある翼竜などがいる。

「あら。ではソニア様とは休校明けまで会えないのね」
「残念ですがそういうことになりますわね」

 まあアナスタシアは王宮住まいだから、ソニアが法務実習に来た際なら晩餐ディナーを共にするくらいはできなくもないだろう。

「わたくしたち魔術科は野外実習がありますから、わたくしは王都の邸にて過ごす予定ですわ」

 クロエーの所属する魔術科は、休校中に騎士科と合同で数日間の野外合宿を行う。戦闘訓練を兼ねて王都郊外の森で獣や魔獣を狩るのである。
 それもあって、クロエーは領都に戻るのではなく王都の邸で過ごすという。クリストポリ家の所領はトゥラケリア王国にほど近い位置にあり、王都サロニカから戻ろうとすると脚竜車で1日半ほどかかるため、領都には戻らないそうだ。

「私たち経営科は職業訓練がありますから、数人ずつのグループに別れて王都の商会で経営実習することになっています。あと希望者は、学習院に協力する貴族家の領地にお邪魔して領地経営を見学する実習もありますね」

 オルトシアーは今のところ婚約者などはいないが、将来的には婿を迎えて実家の農場経営を手伝う予定なのだという。経営科の学生たちは将来的に爵位を継がずに平民となる予定の子女も多いため、卒院したらどこかの商会に就職し、最終的に自分で商会を起業することを目指している者も多いという。
 ちなみにオルトシアー兄妹の父ヨルゴスは王都の郊外にそこそこ広い農地を持っていて、そこで黒麦くろむぎの生産のほか、畜産もやっているそうである。
 つまり、クロエーもオルトシアーも休校中は王都に残るわけだ。

「あら。でしたらわたくしたち、お休みの日に予定を合わせて会いませんこと?」
「わたくしは異存ありませんわ。それではアナスタシア様に王都サロニカをご案内して差し上げますわね」
「それも楽しそうですけれど、わたくしはオルトシアー様のご実家にお伺いしてみたいわ」

「…………えっ、わ、私の実家ですか!?」
「ええ。王都の街歩きですと、サロニカもラケダイモーンもそう変わりはないでしょうからある程度想像がつきますが、わたくしは農民の生活を知りませんから、是非一度拝見したいと思っていたの」

 正確に言えば知らないわけではない。オフィーリアとして生きていた頃には領地の視察なども何度かこなしたし農民たちの訴えを直接処理したこともある。だけどアナスタシアとして生まれ変わってからはそんな機会は当然なかったため、アナスタシアとしては知らないと言い切ってもなんの齟齬もない。
 それに何より、オルトシアーの父ヨルゴスに会ってみたかった。会って何ができるというわけでもないし、ヨルゴスにしてみれば面識のあるオフィーリアがアナスタシアに転生しているなど夢にも思わないだろうが、彼が今どうしているか、アナスタシアは自分の目で確かめてみたかったのだ。

「えっでっでも、父も母も平民ですし、小汚いところなんで……」
「平民だからと礼法を咎めることなど致しませんわよ。それにヨルゴス様は廃嫡されるまでクリストポリの嫡子でいらしたそうだから、そもそも心配は無用でしょう?」

 ヨルゴスは廃嫡された時には19歳で、オフィーリアや第二王子より3歳歳上であった。オフィーリアと同じくこき使われていたためプライベートなど無いに等しかったが、侯爵家の教育は終えていたはずだし当時は婚約者もいたはずだった。
 自分オフィーリアが死んだことで、彼のその生活も将来も壊してしまったのではないかという負い目がアナスタシアにはある。もちろん一番悪いのは第二王子だが。

「伯父様のお邸や職場をそんなふうに言っては駄目よオルトシアー。そんな事を言ってしまっては小さい頃からよく遊びに行っていたわたくしはどうなるの?」
「えっあっ、そ、そういう意味じゃなくて……!」
「では何も問題ありませんわね。おふたりとも、案内して下さる?」
「構いませんわ、是非遊びにいらして下さいな。ね、オルトシアー?」
「………………はい……」
「では、詳細はまた後日お手紙を差し上げますから、それで決めましょう」
「承りましたわ。わたくしの方からも我が家や伯父様に話をお通ししておきますわね」
「ええ。⸺それではここで。皆様ごきげんよう」
「ええ。アナスタシア様もごきげんよう」

 歩きながら話していて、ちょうど学習院正門前の馬車停まりに着いたので、アナスタシアたちはそれぞれ馬車に乗り込み、そうして別れた。オルトシアーがひとり青い顔をしていたが、そこはクロエーに任せておけば問題ないだろう。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 暑季休校に入り、アナスタシアの王妃教育の日々が始まった。とはいえヘレーネス十二王家の教育もマケダニアの王子妃としての教育もオフィーリア時代に大半が修得済みであり、アナスタシアはそれを思い出すだけでいいのだから楽なものである。
 結果として、担当の教師たちから絶賛されただけだった。教育にかける時間も少なくて済んだので、空いた時間でアナスタシアは何度かカリトンをお茶会に誘って、カリトンからもお褒めを頂いてニッコリである。

「その、教師たちから絶賛の声が上がっていると聞いている。アナスタシア姫の能力が想定以上だと」
「まあ、それでしたら頑張った甲斐がありますわ」

 カリトンの方はといえば想定以上にアナスタシアの履修ペースが早いためその能力の高さに舌を巻かずにいられず、同時に自己の中で押し殺したままの疑念が高まるのを抑えられない。何とか表に出さないようにしてありきたりな褒め言葉を並べてみるものの、それでさえ満面の笑顔でアナスタシアが喜ぶものだからどうしていいものやら。

「……私も、そなたの頑張りには本当に驚いている。学習院の前期成績も見せてもらったが、本当に素晴らしいの一言だと思う」
「ふふ、ありがとう存じます。これからもお役に立てるよう励みますわ!」

「…………いや、頑張らなくてよいから」
「えっ?」
「そなたも聞き知っているだろうが、頑張りすぎた結果起こってしまったかつての悲劇の教訓があるのでな……」

 言葉を濁しつつも気遣ってくれるカリトンの配慮が、アナスタシアには本当に心地よい。かつての悲劇、つまり悲劇の公女オフィーリアの頑張りも、今になって全部報われたようで、喜びを抑えられない。
 あの頃はどれだけ頑張っても何ひとつ報われなかった。だけど報われさえするのならば、人はこんなにも頑張れるのか。アナスタシアになって初めて知った喜びであった。


 そんな日々の中、ふと思い出してアナスタシアは王宮三階の廊下を歩いてみた。
 ここはかつて、オフィーリアの執務室があった部屋に続く廊下であり、その窓から見える庭園の一角にはオフィーリアが何よりも大事にしていた思い出がある。

「……見えないわ」

 だが残念なことに、期待していた景色は窓からは見えなかった。18年もの歳月が庭園の木々を成長させ、伸びた梢が景色をすっかり変えてしまっていた。

 仕方がないので、アナスタシアはひとりで庭園に出てみることにした。いつも世話してくれている侍女ディーアとエリッサにも、王宮から付けられている侍女のマイアにも休憩を取らせ、ヒエラクスが見ていてくれるはずだからと、ひとりで庭園に出たのである。
 彼女の目的地は、庭園裏手の隅の木々の向こう側。そこが今どうなっているか知りたくて、知らず足早になってゆく。

「あった……!」

 王宮の人の目から隠されるように、その場所は残っていた。下草は刈られ木々の梢は剪定されているから王宮庭園師たちの管理が行き届いているとひと目で分かるが、それも含めて20年前とほとんど変わらずに、まるで時が止まったかのよう。

 胸を高鳴らせながら、アナスタシアオフィーリアはそっとベンチに座る。いつ誰がなんの目的で置いたかも分からないそのベンチは、あの時と同じように彼女を迎えてくれた。

「これも、あの頃のまま……」

 あの頃と同じように左の隅に腰を下ろし、座面の中央をそっと撫でる。何度もペンで書いては消して、汚れれば薄く削っていた座面には今は何も書かれてはいないが、まるでつい先日新たに消したかのように真っさらで綺麗になっている。
 どうしましょう、何か書いておこうかしら。書いておけばまた見ていただけるかしら?

 なんて思いつつ、思い出に耽っていた時。

「…………何をしている?」

 かけられた声に、反射的に顔を上げた。

 そこに、カリトン王が立っていた。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

両親も義両親も婚約者も妹に奪われましたが、評判はわたしのものでした

朝山みどり
恋愛
婚約者のおじいさまの看病をやっている間に妹と婚約者が仲良くなった。子供ができたという妹を両親も義両親も大事にしてわたしを放り出した。 わたしはひとりで家を町を出た。すると彼らの生活は一変した。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

妹がいらないと言った婚約者は最高でした

朝山みどり
恋愛
わたしは、侯爵家の長女。跡取りとして学院にも行かず、執務をやって来た。婿に来る王子殿下も好きなのは妹。両親も気楽に遊んでいる妹が大事だ。 息詰まる毎日だった。そんなある日、思いがけない事が起こった。 わたしはそれを利用した。大事にしたい人も見つけた。わたしは幸せになる為に精一杯の事をする。

【本編完結】番って便利な言葉ね

朝山みどり
恋愛
番だと言われて異世界に召喚されたわたしは、番との永遠の愛に胸躍らせたが、番は迎えに来なかった。 召喚者が持つ能力もなく。番の家も冷たかった。 しかし、能力があることが分かり、わたしは一人で生きて行こうと思った・・・・ 本編完結しましたが、ときおり番外編をあげます。 ぜひ読んで下さい。 「第17回恋愛小説大賞」 で奨励賞をいただきました。 ありがとうございます 短編から長編へ変更しました。 62話で完結しました。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

今更、いやですわ   【本編 完結しました】

朝山みどり
恋愛
執務室で凍え死んだわたしは、婚約解消された日に戻っていた。 悔しく惨めな記憶・・・二度目は利用されない。

処理中です...