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【王女アナスタシア】
21.かつての記憶の、今のこと
しおりを挟む模擬夜会は出席者の大半が未成年者のため、日没の少し前から始まって二時、つまり砂振り子という計時の魔道具の一番大きな「特大」で二度計時する頃にはお開きになる。貴族子女でもある学生たちには寮や王都の邸から迎えの侍女や使用人が来て、それに護衛される形でそれぞれ帰路につく。
アナスタシアには侍女ディーアと護衛騎士ヒエラクスが迎えに来て、ソニアにはカストリア侯爵家の、クロエーとオルトシアーにもクリストポリ侯爵家の者がそれぞれやって来て合流する。なお使用人の数が少ない子爵家や男爵家だと馬車の御者がそれを兼任したり、余剰の使用人を雇えない経済状況の家や平民の子たちには学習院が送りの人員を用意するという。
今年度に在籍している平民はクトニオスとオルトシアーの兄妹だけなので、彼らにはクリストポリ家が人を出してやっているそうだ。
「皆様は、休校の間はどうなさるの?」
散会した会場を出て馬車停まりに移動しながら、アナスタシアはクロエーらに聞いてみた。
「わたくしはカストリアの領に戻る予定ですわね。王城での法務実習の時だけ王都に戻って参る予定ですわ」
ソニアの実家であるカストリア侯爵家はマケダニア王国の西端、イリュリア王国とテッサリア王国との国境地帯に領地を持っていて、事実上、西の国防を担っている。オフィーリアが存命の頃は西北国境地帯まで領有していたから連邦国境の守護までやっていたわけだが、今はそれは無くなっている。
そしてカストリア領に戻るのであれば脚竜車でも丸1日かかる距離があるため、行き来には必ず宿泊を伴うことになる。
ちなみに脚竜とはこの世界に広く生息する竜種の一種で、古来から馴致技術が発達していて家畜として広く用いられている。貴族たちが街中で主に使う馬車を曳くための鬣馬よりも丈夫で脚も速いため、もっぱら都市間や国家間の長距離移動などで客車や荷駄車を牽引するのに用いられる。
竜種には他にも色々あって、例えば戦場で竜戦車を曳く鎧竜や、空を飛び野生種が旅人を襲うこともある翼竜などがいる。
「あら。ではソニア様とは休校明けまで会えないのね」
「残念ですがそういうことになりますわね」
まあアナスタシアは王宮住まいだから、ソニアが法務実習に来た際なら晩餐を共にするくらいはできなくもないだろう。
「わたくしたち魔術科は野外実習がありますから、わたくしは王都の邸にて過ごす予定ですわ」
クロエーの所属する魔術科は、休校中に騎士科と合同で数日間の野外合宿を行う。戦闘訓練を兼ねて王都郊外の森で獣や魔獣を狩るのである。
それもあって、クロエーは領都に戻るのではなく王都の邸で過ごすという。クリストポリ家の所領はトゥラケリア王国にほど近い位置にあり、王都サロニカから戻ろうとすると脚竜車で1日半ほどかかるため、領都には戻らないそうだ。
「私たち経営科は職業訓練がありますから、数人ずつのグループに別れて王都の商会で経営実習することになっています。あと希望者は、学習院に協力する貴族家の領地にお邪魔して領地経営を見学する実習もありますね」
オルトシアーは今のところ婚約者などはいないが、将来的には婿を迎えて実家の農場経営を手伝う予定なのだという。経営科の学生たちは将来的に爵位を継がずに平民となる予定の子女も多いため、卒院したらどこかの商会に就職し、最終的に自分で商会を起業することを目指している者も多いという。
ちなみにオルトシアー兄妹の父ヨルゴスは王都の郊外にそこそこ広い農地を持っていて、そこで黒麦の生産のほか、畜産もやっているそうである。
つまり、クロエーもオルトシアーも休校中は王都に残るわけだ。
「あら。でしたらわたくしたち、お休みの日に予定を合わせて会いませんこと?」
「わたくしは異存ありませんわ。それではアナスタシア様に王都サロニカをご案内して差し上げますわね」
「それも楽しそうですけれど、わたくしはオルトシアー様のご実家にお伺いしてみたいわ」
「…………えっ、わ、私の実家ですか!?」
「ええ。王都の街歩きですと、サロニカもラケダイモーンもそう変わりはないでしょうからある程度想像がつきますが、わたくしは農民の生活を知りませんから、是非一度拝見したいと思っていたの」
正確に言えば知らないわけではない。オフィーリアとして生きていた頃には領地の視察なども何度かこなしたし農民たちの訴えを直接処理したこともある。だけどアナスタシアとして生まれ変わってからはそんな機会は当然なかったため、アナスタシアとしては知らないと言い切ってもなんの齟齬もない。
それに何より、オルトシアーの父ヨルゴスに会ってみたかった。会って何ができるというわけでもないし、ヨルゴスにしてみれば面識のあるオフィーリアがアナスタシアに転生しているなど夢にも思わないだろうが、彼が今どうしているか、アナスタシアは自分の目で確かめてみたかったのだ。
「えっでっでも、父も母も平民ですし、小汚いところなんで……」
「平民だからと礼法を咎めることなど致しませんわよ。それにヨルゴス様は廃嫡されるまでクリストポリの嫡子でいらしたそうだから、そもそも心配は無用でしょう?」
ヨルゴスは廃嫡された時には19歳で、オフィーリアや第二王子より3歳歳上であった。オフィーリアと同じくこき使われていたためプライベートなど無いに等しかったが、侯爵家の教育は終えていたはずだし当時は婚約者もいたはずだった。
自分が死んだことで、彼のその生活も将来も壊してしまったのではないかという負い目がアナスタシアにはある。もちろん一番悪いのは第二王子だが。
「伯父様のお邸や職場をそんなふうに言っては駄目よオルトシアー。そんな事を言ってしまっては小さい頃からよく遊びに行っていたわたくしはどうなるの?」
「えっあっ、そ、そういう意味じゃなくて……!」
「では何も問題ありませんわね。おふたりとも、案内して下さる?」
「構いませんわ、是非遊びにいらして下さいな。ね、オルトシアー?」
「………………はい……」
「では、詳細はまた後日お手紙を差し上げますから、それで決めましょう」
「承りましたわ。わたくしの方からも我が家や伯父様に話をお通ししておきますわね」
「ええ。⸺それではここで。皆様ごきげんよう」
「ええ。アナスタシア様もごきげんよう」
歩きながら話していて、ちょうど学習院正門前の馬車停まりに着いたので、アナスタシアたちはそれぞれ馬車に乗り込み、そうして別れた。オルトシアーがひとり青い顔をしていたが、そこはクロエーに任せておけば問題ないだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暑季休校に入り、アナスタシアの王妃教育の日々が始まった。とはいえヘレーネス十二王家の教育もマケダニアの王子妃としての教育もオフィーリア時代に大半が修得済みであり、アナスタシアはそれを思い出すだけでいいのだから楽なものである。
結果として、担当の教師たちから絶賛されただけだった。教育にかける時間も少なくて済んだので、空いた時間でアナスタシアは何度かカリトンをお茶会に誘って、カリトンからもお褒めを頂いてニッコリである。
「その、教師たちから絶賛の声が上がっていると聞いている。アナスタシア姫の能力が想定以上だと」
「まあ、それでしたら頑張った甲斐がありますわ」
カリトンの方はといえば想定以上にアナスタシアの履修ペースが早いためその能力の高さに舌を巻かずにいられず、同時に自己の中で押し殺したままの疑念が高まるのを抑えられない。何とか表に出さないようにしてありきたりな褒め言葉を並べてみるものの、それでさえ満面の笑顔でアナスタシアが喜ぶものだからどうしていいものやら。
「……私も、そなたの頑張りには本当に驚いている。学習院の前期成績も見せてもらったが、本当に素晴らしいの一言だと思う」
「ふふ、ありがとう存じます。これからもお役に立てるよう励みますわ!」
「…………いや、頑張らなくてよいから」
「えっ?」
「そなたも聞き知っているだろうが、頑張りすぎた結果起こってしまったかつての悲劇の教訓があるのでな……」
言葉を濁しつつも気遣ってくれるカリトンの配慮が、アナスタシアには本当に心地よい。かつての悲劇、つまり悲劇の公女の頑張りも、今になって全部報われたようで、喜びを抑えられない。
あの頃はどれだけ頑張っても何ひとつ報われなかった。だけど報われさえするのならば、人はこんなにも頑張れるのか。アナスタシアになって初めて知った喜びであった。
そんな日々の中、ふと思い出してアナスタシアは王宮三階の廊下を歩いてみた。
ここはかつて、オフィーリアの執務室があった部屋に続く廊下であり、その窓から見える庭園の一角にはオフィーリアが何よりも大事にしていた思い出がある。
「……見えないわ」
だが残念なことに、期待していた景色は窓からは見えなかった。18年もの歳月が庭園の木々を成長させ、伸びた梢が景色をすっかり変えてしまっていた。
仕方がないので、アナスタシアはひとりで庭園に出てみることにした。いつも世話してくれている侍女ディーアとエリッサにも、王宮から付けられている侍女のマイアにも休憩を取らせ、ヒエラクスが見ていてくれるはずだからと、ひとりで庭園に出たのである。
彼女の目的地は、庭園裏手の隅の木々の向こう側。そこが今どうなっているか知りたくて、知らず足早になってゆく。
「あった……!」
王宮の人の目から隠されるように、その場所は残っていた。下草は刈られ木々の梢は剪定されているから王宮庭園師たちの管理が行き届いているとひと目で分かるが、それも含めて20年前とほとんど変わらずに、まるで時が止まったかのよう。
胸を高鳴らせながら、アナスタシアはそっとベンチに座る。いつ誰がなんの目的で置いたかも分からないそのベンチは、あの時と同じように彼女を迎えてくれた。
「これも、あの頃のまま……」
あの頃と同じように左の隅に腰を下ろし、座面の中央をそっと撫でる。何度もペンで書いては消して、汚れれば薄く削っていた座面には今は何も書かれてはいないが、まるでつい先日新たに消したかのように真っさらで綺麗になっている。
どうしましょう、何か書いておこうかしら。書いておけばまた見ていただけるかしら?
なんて思いつつ、思い出に耽っていた時。
「…………何をしている?」
かけられた声に、反射的に顔を上げた。
そこに、カリトン王が立っていた。
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