公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人

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【二度目のミエザ学習院】

19.陽誕祭(3)

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【お断り】
前話の後半部分、投稿後30分以内に200字ほど加筆修正しています。修正前に前話をご覧になった方がおられましたら、後半部分だけでも読み返して頂けると幸いです。
(状況描写の加筆なので、話の流れは変わりません)



 ー ー ー ー ー ー ー ー ー



 アナスタシアを先導する正体不明の使者は、彼女たちが向かっていた大通りに面した馬車停まりではなく神殿の方へと戻ってゆく。

(さて、誰が待っているのでしょうね)

 その後を歩きながら、アナスタシアは推測を組み立ててゆく。

(ハラストラ公爵か、サロニカ伯爵。怪しいのはその両家のいずれかでしょうけど)

 どちらもカリトン王を認めていない貴族たちの中心的存在で、その子女であるテルクシノエーやテルシーテースもアナスタシア個人に敵対的な人物だ。

(まあ、さすがにアーギス家に敵対するとは思えなかったけれど。どうするつもりなのかしらね?)

 そこまで愚かとも思えないが、子女たちならば子供の浅慮で可能性は無くもない。
 ただ、そこまで見抜いていてわざわざ罠に飛び込もうとするのは、連れ去られた報せがすでに騎士団や王宮に伝わっているであろう安心感だけでなく、もうひとつがあるからである。

(ヒエラクス卿、頼りにしておりますわよ)

 たった独り連行されるアナスタシアは、実は孤立無援ではない。マケダニア王宮から専属護衛として付けられている近衛騎士ソマトピュラケスのヒエラクスが、この場でもなお護衛に付いているのである。
 ヒエラクスはこの陽誕祭に参加するためにアナスタシアが王宮を出たときからずっと、姿と気配を隠して付き従っている。そして彼には何も追加指示を出していないため、今この瞬間も彼はずっとアナスタシアの側を離れず付き従っているはずなのだ。
 近衛騎士はマケダニア王の直属で、人数こそ少ないもののいずれも一騎当千の強者ばかり。アナスタシアをかどわかそうとするのが何者であれ、一隊100人単位で戦力を用意しているのでもなければヒエラクス単身で制圧してしまえるだろう。

 正体不明の使者は無言のまま、迷いのない足取りで神殿近くまでやって来た。これ以上進めば神殿の神域に入り込むことになるのだが、まだ進むつもりなのだろうか。
 神殿前の通りには、元より巡礼の旅人をもてなすために神殿の下仕えの者たちが食事処や宿屋を営んでいる。今歩いているのはそうした店舗がもっとも集まっている区画で、アナスタシアはそのいずれかに案内されるのだと思っていたのだが。
 そうではなく、まさか神域内で待ち構えているのだろうか。神域内で騒ぎなど起こせば最悪の場合、陽神アポロンの怒りを買って神罰が下されてもおかしくはないのだが。

 さすがにアーギス王家だけでなく神にまで喧嘩を売るほど愚かではないはずだが、万が一そうしたことさえ畏れぬ愚者がアナスタシアを呼び出したのだとすれば、彼女が推測の前提に立てていた諸々が崩れさってしまう。そうなると不測の事態も起きかねない。少なくとも直接的に害されることはないと踏んだからこそあからさまな誘いに応じたというのに、その前提が崩れたら?


 そう思い至って、思わず足を止めてしまった、その時。
 宿屋の物陰から人影が躍り出て、アナスタシアに背後から音もなく襲いかかった。


「────!!?」

 後ろから左手で口を塞がれ、ほぼ同時に腰に腕が回されて抱え上げられ、そのまま彼女は薄暗い路地に引きずり込まれた。あまりに突然のことで抵抗すらできなかった。

「静かにしてくれ。一回生のクセノフォンだ。分かるか、アナスタシア嬢」

 そして逃れようと暴れる前にそう声をかけられ、さらに驚いた。

「声を出さないと約束してくれ。同意したなら俺の手を二度叩いて欲しい」

 続けてそう言われて、アナスタシアは素直に従った。そうすると彼は口を塞いでいる手を離し、腰の拘束も解いてくれた。

「手荒な真似をして済まない。さすがに見ていられなくて」

 背後から正面に回って跪く、クセノフォンと名乗った少年を、呼吸を整え心臓を落ち着かせつつアナスタシアは見下ろした。

「どういう意図がおありか、説明頂けますわよね?ヴェロイア侯爵家三男、クセノフォン様」

 アナスタシアを路地に引き込んだのは、ミエザ学習院での同級生である騎士科の少年だった。上等教室生である彼とはこれまでほとんど話したこともなかったが、移動教室や昼食時などで面識はあり、顔を合わせれば互いに会釈くらいはする仲である。
 ただまあそれは同じ学習院の学生であれば当然のことなので、アナスタシアとクセノフォンは知人とも呼べぬ、言わば顔見知り程度の関わりでしかなかった。

 表通りでは、たった今まで後ろをついて来ていたアナスタシアの姿が見えなくなったことで使者の男が慌てている。だが男はいくつもある路地を覗き込むこともなく、主に計画の失敗を伝えるべくそのまま駆け去っていってしまったようだ。

「あんなに簡単に騙されるなんて思っても見なかった。少々無謀が過ぎるぞアナスタシア嬢」
「無謀はお互いさまでしてよクセノフォン様。一歩間違えば貴方が拐かしの犯人として捕まるところでしたのに」
「そう強がるもんじゃない。俺が助けなければ今頃あんたは⸺」

「そういうのを浅慮というのだ。覚えておけ

 突然、第三者の声がしてクセノフォンが慌てて立ち上が⸺ろうとして、背後から物凄い力で押さえ込まれた。

「なっ⸺!?」
「彼は善意の第三者ですわよヒエラクス卿。あまり脅かさないで差し上げて」
「ヒエラクス!?騎士科の卒院生で近衛騎士ソマトピュラケスに選ばれた、あの……!?」
「アナスタシア姫に護衛のひとりもついておらん訳がなかろう。少し考えれば分かることだ」

 ヒエラクスがクセノフォンの拘束を解いてやり、それでようやく彼も立ち上がることができた。そうして立ち上がるとまだ13歳で成長途上のクセノフォンと、近衛騎士に抜擢されて2年目、20歳の精悍なヒエラクスとでは体格差が全く違う。文字通り大人と子供である。

「⸺だが、悪くない判断ではあった」

 そのヒエラクスに褒められて、居心地悪そうに肩を揺らしたクセノフォンである。お節介を焼いた挙げ句に浅慮だと言われ、その上で褒められてもどう受け止めればいいのか。

「貴方が横槍を入れたことで、わたくしへの拐かしは未遂に終わったということになりますわ。企てたのが誰であれ罪は軽く済むでしょうし、敵方を含めてひとりの犠牲も出さずに済みました。その点、貴方の勇気と行動力に感謝致しますわ」
「いや……感謝とか言われても」
「一回生ならまだ政治のことなどよく分からんだろうが、今回アナスタシア姫を狙ったのは反王派のいずれかの貴族家の可能性が高い。それを裁かねばならんとなると、王宮も議会ブーレーもひと波乱は必至の状況だった」
「だからこそわたくしが直接出向いて理を諭し、何もさせずに解放させるつもりでいたのですけれど。まあ結果的にはになりましたわね」

 要するに、アナスタシアを助け出せばそれで終わりという状況ではなかったということ。クセノフォンが考えるより裏事情は複雑なのだ。
 だがそれでも、今回の誘拐が未遂に終わったことで、結果的にはアナスタシアが目指した着地点とほぼ変わらない結末に落ち着くことになる。むしろカリトン王を守るために誘拐犯の要求を呑まずに済んだ分、より望ましいかも知れない。

「今回の首謀者は……おそらくテルクシノエー先輩かエンデーイス嬢のどちらかだ」
「あら。どうしてそうお思いになられたの?」
「少し前、学習院のテイオポリオカフェテリアのテラスで学生会長と談笑していただろう。あの時、貴女たちの姿を忌々しそうに睨みながら立ち去る彼女たちを見たんだ」
「まあ!ではおふたりが共謀を!?」
「いや、それはないだろう。全然違う場所からそれぞれが一方的に睨んでいただけだった」

「……まさか、それを見たという理由だけでわたくしの周りを密かに警戒していたのですか?」
「その、なんだ。万が一があってはならないというか」
「それにしても、講師に告げるなり王宮に奏上するなりできたでしょう?」
「確証もなしに告発したところで取り合ってもらえるとは思わなかった。それに、少し前に読んだ東方の書物に素晴らしい教えが書いてあってだな……」
「なんと書いてありましたの?」

「…………『義を見てざるは勇なきなり』と」

 バツが悪そうに口を尖らせ俯いてしまった彼に、アナスタシアもヒエラクスも思わず頬が緩んでしまった。
 一般的にはカリトン王に罷免された前宰相の実家であるヴェロイア家は反王派だとされているのだが、少なくとも目の前のこの少年は自分で言ったとおり、正義を貴び弱者を助けようとする正しい心根を持っている。彼のような人物が今後成長して騎士になってくれるのならば、マケダニア王国の将来もそう悪いものにはならないだろう。

「その調子でしっかり励め、少年」
「念願かなって騎士に叙されるよう、わたくしから推挙しても良くってよ」
「ちょ、頭を撫でないで下さい先輩!それに余計なことをしてもらわなくても、俺はちゃんと騎士になります!祖父との約束なんで!」

 通りのほうから騎士たちの足音とクロエーやオルトシアーらの声が聞こえてきて、アナスタシアたち3人は路地を出て騎士たちと合流した。無事だったことを喜んでくれる彼女たちにクセノフォンを紹介し、アナスタシアたちは犯人捜索に向かう騎士たちと別れて、一足先に帰途についたのだった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「その、あまり無茶はしないで頂きたい」
「…………はい。軽率だったと反省しております」
「我が国では貴女よりも上位の者などいないのだから、今後同様の誘いがあっても毅然とした対応を取って頂きたい。分かりましたね?」
「…………はい。申し訳ありません」

 無事に王宮に戻ったはいいものの、慌ててやって来たカリトン王に捕まって、こってりと小言をもらってしまったアナスタシアであった。

「ヒエラクスもだぞ。こんな事がないように護衛に付けたのだから、しっかりお止めして差し上げろ」
「面目次第もございません。ご学友と水入らずで楽しみたいとの仰せで、隠れているよう指示されましたので」
「だからって限度というものがあるだろう。お前ひとりで守りきれない状況になってからでは遅いんだぞ」
「……返す言葉もありません」

「現状の情報で判断する限りでは、姫を呼び出そうとしたのはおそらくテルクシノエー嬢だろう。ハラストラ公爵家の関与はないものとして、彼女に訓告を与える。今回の始末としてはそれでよろしいですね?」
「はい。ご厚情痛み入ります」
「貴女へのとしてはこの譴責に留めますが、次はこれでは済まないと覚悟して頂きたい」
「はい。肝に銘じますわ」

 ちなみにクセノフォンは現場にいなかったことになっているので、お咎めはなしである。


 そして王宮に呼び出されたテルクシノエーも、カリトン王からしっかりとお叱りを受けた。

「何故!?何故このわたくしが叱責されねばなりませんの!?」
「当たり前だろう、テルクシノエー嬢。アナスタシア姫は連邦王女殿下だぞ。その殿下を呼びつけようなど、本来なら不敬罪を適用して連邦王家に告発すべき事案だと理解しているか?」
「……っ、それは……」

「いくら血縁上の従妹とはいえ、庇いだてするのも限度がある。いいね、次はないぞ?」
「くっ……分かりましたわ……」
「分かったなら、下がってよろしい」

 そうして彼女は退出を命じられ、王宮を後にしたのだが。

「おのれ!お父様から王位を奪った僭主の分際で偉そうに!今に見ていなさいよ!」

 全く反省のそぶりもないどころか、逆恨みを募らせるテルクシノエーであった。





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