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【王女アナスタシア】
15.とある昼休みの混沌風景(1)
しおりを挟む波乱含みの様相で始まるかと思えた学習院での学生生活は、意外にも穏やかに始まった。アナスタシアの周囲にはクロエーやオルトシアーをはじめとしてアナスタシアに比較的好意的な令嬢たちが侍り、エンデーイスの周囲には彼女の取り巻きの令嬢たちが集まって、優等教室の女子学生は大きく二分されることになった。
エンデーイスはアナスタシアをことさらに無視しているようなので、アナスタシアも自分から絡みに行ったりしなかった。
「あちらはあちらでやっているのですから、わたくしたちも気にしなければいいのです」
「そうですわね。アナスタシアさまの仰る通りですわ」
「とはいえ、時々こちらを睨んでいらっしゃるのが気に掛かりますけど……」
「何も言ってこないのだから、気にしないでおきましょう」
波風など立たないのが一番好ましい。
だが、やはりそうもいかなかったようである。
「貴女が、エンデーイス嬢から首席の座を奪ったという外国人ね?」
同級生たちとは上手くやれても、上級生となるとまた話は別である。ある日の昼休み、昼食を摂るためにテイオポリオに向かう途中の廊下で、アナスタシアはひとりの令嬢に行く手を阻まれた。
「……どちらのどなたでしょう?」
分かっていて、敢えてとぼけてみるアナスタシアである。
「……まあ!上級生に対して口のきき方がなっていないわね!」
上級生と名乗った女子学生は、だが名を名乗らなかった。学習院では上級生のほうが上位者であると言わんばかりだ。
であれば、アナスタシアも容赦はしない。
「わたくしが誰なのかは、当然ご存知ですわね?」
「それが何だというのかしら?」
「では連邦王女として命じます。名を名乗りなさい無礼者」
スッと表情を消し、真っ直ぐに立って真正面から毅然と彼女を見据えながら、アナスタシアは命じた。その言葉を聞いた瞬間にクロエーがアナスタシアに対して蹲踞礼を取り、一拍遅れてオルトシアーが慌ててそれに続く。
「なっ……!」
だが上級生の反応はさらに遅れた。遅れるどころか、表情を歪めてアナスタシアを睨みつけたではないか。
「まだ分からないようですね。⸺衛兵、この者を捕らえなさい!」
学習院内には学生である貴族子女の安全確保、ならびに無用なトラブルが起こった際に学習院側が介入する手段として、そこかしこに衛兵の歩哨が控えている。だからこの時も衛兵たちが何人も集まってきて、上級生の令嬢を取り囲んだ。
ただ彼女が暴れているわけではないため、衛兵たちは儀礼に則り、その身に触れずに礼を尽くしつつもアナスタシアから引き離しにかかる。
「ぶ、無礼者!わたくしをハラストラ公爵家のテルクシノエーと知っての狼藉ですか!」
「もちろん存じております。我らはただ、連邦第三王女殿下の命に従うまでのこと」
「さ、一度教員室まで参られよ」
「なっ!わたくしより下級生のほうに従うというの!?」
何を当たり前のことを。連邦構成国の一貴族の子女より連邦王女を下に扱えるわけがないのに。アナスタシアもクロエーも、オルトシアーでさえそう思うのに、テルクシノエーと名乗った上級生にとってはそうではないらしい。
退去を促されるテルクシノエーは自分のほうが正しいと信じているようで、衛兵たちになかなか従おうとしない。衛兵たちの方でも公爵家のご令嬢の身に触れるのは不敬とされかねないため、なかなか実力行使に踏み切れない。
「待て待て待て!なんの騒ぎだ!」
するとそこへ新たな乱入者、今度は男の声がして、体格のよい男子学生が駆けてきた。
「テルクシノエー嬢が何をしたと言うのだ!」
少年は語気荒く衛兵たちの肩を掴んで引き離しにかかるが、衛兵たちもアナスタシアの命があるため退こうとしない。そのまま揉み合いになるかと思われたが、男子学生はその場にアナスタシアたちがいるのに気がついた。
「おい、そこの下級生!何が起こったのか説明しろ!」
そして居丈高にアナスタシアに向かって命じたではないか。これにはさすがのアナスタシアもビックリである。
アナスタシアはサッと手に持った扇を広げて口元を隠し、不快感を露わにする。何も言わない彼女に代わって、すでに蹲踞礼を解いていたクロエーが声を上げた。
「テルクシノエー先輩は連邦王女アナスタシア姫殿下に対して不敬の行いがありましたの。それで殿下が捕縛をお命じになりましたのよ」
「はぁ!?連邦王女だ!?ここがどこか分かっているのか下級生!」
「…………はい?」
「ここはマケダニア王国のミエザ学習院だぞ!それなのに連邦王女がいるわけないだろうが!」
アナスタシアもクロエーも、オルトシアーまで唖然呆然。目の前で怒鳴る男子学生はどうやらテルクシノエーと同じ二回生のようだが、あろうことかアナスタシアの入学を知らないようである。
「……お前、見ない顔だが、まさかお前がアナスタシア姫殿下の名を騙ったのか!?」
「あっ、あの、先輩!騙りじゃなくて」
「平民風情が口を開くな!無礼であろう!」
オルトシアーが誤解を解こうとするも、一喝されて黙り込む。
やむなくアナスタシアは扇を閉じて、男子学生を睨みつけた。
「騙りではなく、わたくしが連邦第三王女アナスタシアですわよ。貴方、わたくしの姿絵をご覧になった事もないのかしら?サロニカ伯爵家の教育はどうなっているのかしらね?」
「なっ、俺がサロニカ伯爵家のテルシーテースだと何故知っている!?」
知っていて当然である。アナスタシアは自分の死後の顛末を事細かに調べたのだから、旧サロニカ公爵家が伯爵位に降格したのも、急遽家督を継ぐハメになった当時の次男が苦心惨憺したのも、その嫡男が自分が生まれる前に実家が公爵家だったことを知ってプライドを拗らせていることも、全部まるっと知っているのだ。
そしてアナスタシアはミエザ学習院の在籍者名簿もあらかじめ取り寄せていて全て暗記済みである。当然、同級生にエンデーイスがいることも、二回生にテルクシノエーやテルシーテースがいることも事前に把握済みなのだ。
「このような場所で、なんの騒ぎですの?」
テルシーテースの大声が響いたのだろう、学年を問わず学生たちが集まってきてしまった。もちろん大半はアナスタシアの姿がある事に気付いて遠巻きにしているだけだが、その中でひとりの令嬢が進み出て話に割り込んできた。
彼女は最初の一言のあと、すぐにアナスタシアに向かってたおやかに淑女礼を行った。
「お初にお目もじ致しますわアナスタシア姫殿下。このたびはご入院おめでとう存じます。わたくし、カストリア侯爵家が娘ソニアと申しますわ」
「まあ、貴女がカストリア侯女ソニア様ですのね。アーギス家のアナスタシアと申します。以後お見知りおき下さいませ」
名も名乗らぬ無礼者と立て続けに出くわしたせいで、礼儀に則ったソニアの作法が余計に心を穏やかにしてくれる。
「まっ待てソニア嬢!ではその下級生が本当にアナスタシア姫だというのか!?」
どうやらテルシーテースは、まだアナスタシアを騙り者だと信じていたらしい。
「まあ、テルシーテース様は姫殿下の姿絵さえもご覧になっておられませんの?」
そして信じられないといった様子のソニアの声に、テルシーテースは不機嫌そうに顔を背けた。それに対して、ソニアが呆れた声音を隠そうともせずに真っ向から非難した。
「ミエザ学習院のみならず、連邦友邦の四つの学習院はいずれも『全ての学習院生に身分の上下なし』と謳っておりますけれど、それは取るべき礼儀を無視してよいという免罪符ではありませんわ。いみじくも貴族子女であるのならば、せめて最低限の礼儀くらい弁えなさい」
「あっ、貴女こそ礼儀を弁えるべきではなくて!?侯爵家の娘の出る幕ではなくてよ!」
まだ衛兵たちと揉めていたテルクシノエーまでも戦線復帰して、もはや状況は混沌と化す一方である。できれば罪人扱いまではしたくなかったアナスタシアだが、ヘレーネス十二王家に連なるソニアにまで礼を失するとなれば最終的にはそれもやむなしか。
とか考えていたところに、さらなる介入者が現れた。
「これ以上、我が国の恥を晒さないでくれるかな」
この上さらに面倒なことに、とげんなりしかけたアナスタシアの耳に届いたのは、学生会長フィラムモーンの声であった。
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