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【王女アナスタシア】
14.友とライバルと、婚約者(候補)
しおりを挟む入院式典のあと、10日ほどは遠方の学生らの入寮や入院生向けの学習院施設の案内など始業準備期間があり、その間アナスタシアは学習院には登院しなかった。案内はもちろん不要だし、王宮から通うので寮にも入らないからである。
その代わり、この期間にはラケダイモーンから遅れてやってきた随行の人員やアナスタシアの私物などがマケダニア王宮に続々と到着し、王宮内でもアナスタシア専用に整えられた私室に移動したりと、それなりに慌ただしかった。
そんなわけで、いよいよ前期授業の初登院日である。アナスタシアはもちろん一回生の優等教室に所属し、これから男女合わせて60人ほどいる優等教室の同級生たちとの3年間の学習院生活が始まるのだ。
同じ学年でも入試成績により三階の優等教室、二階の上等教室、一階の一般教室とに分けられる。それぞれの教室でも、学生たちはみな未婚未成年の紳士淑女たちであるから、基本的には男女で別の教室を使用する。とはいえ合同授業や移動教室の授業もあるから完全に隔離されているわけでもないのだが。
学習院の中央棟を囲むように立つ3つの教室棟はそれぞれ各学年の専用であり、学年が異なれば交流の機会はそう多くない。それでも中央棟の諸施設は学年問わず使用されるし、各学生が選択した科ごとの交流もあるから全く接点がないわけでもない。
初めて登院したアナスタシアには、クラスメイトたちが早速挨拶にやってくる。通常であれば授業日までの準備期間に互いに挨拶を済ませておくものだが、彼女はそうした時期に顔を出していないので、誰も彼女に挨拶できていないのである。
「ご機嫌麗しゅう、アナスタシア姫。お初にお目にかかりますわ。クリストポリ侯爵家が長女、クロエーと申します」
「よろしくお願い致しますわクロエー様。アーギス家のアナスタシアと申します」
同じ優等教室の学生でアナスタシアが最初に好印象を抱いたのが、クリストポリ侯爵家令嬢のクロエーであった。
緑がかった艷やかな黒髪と漆黒の瞳が美しい、たおやかに微笑む美少女である。黒髪に黒瞳だと地味な容姿になりがちだが、クロエーは立ち居振る舞いに華がありしっかりした教養を感じられ、そこも好感が持てた。
「クロエー様は、魔術科でいらっしゃいますのね」
「ええ。爵位を継ぐ予定の弟のためにも、魔術を研究して領内の開発ができないかと思案しているところですの」
「まあ、それは素晴らしいお考えですわ」
聞けば当代の当主である彼女の父デメトリオスには、クロエーと弟のふたりしか子がないという。それで彼女は他家に嫁ぐのではなく、婿を迎えて分家を立てる予定でいるのだとか。
「実はわたくしの婚約者が、三回生に在籍しているのです。機会があればご紹介いたしたく思いますわ」
「まあ、それは楽しみですわね」
そしてアナスタシアは彼女だけでなく、得難い友を得ることになった。
「今年度の入院生には従姉妹もおりますのよ。紹介させて頂いてもよろしゅうございますか」
「ええ、是非」
「あちらにおりますのよ。⸺オルトシアー、こっちへいらっしゃいな」
呼ばれてやってきた少女は、確かにクロエーとよく似ていた。だがこちらは黒髪に茶色の目で、いかにも洗練されていない。学習院指定の制服を着用しているため服装では判別できないが、肌は陽に焼けているのかやや浅黒く、明らかに高位貴族の令嬢ではない。
「まあ見て。平民風情が恐れ多くも姫にお目通り願うなど」
「嫌だわ。身を弁えることもできないのかしら」
呼ばれてやって来た少女に、クラスメイトの貴族子女たちがヒソヒソと、それでも聞こえるように侮蔑の言葉を突き刺して、オルトシアーと呼ばれた少女は居心地悪そうに身じろぎする。
「あの、オルトシアーと申します。平民ですので家名はありません」
それでも彼女は、アナスタシアに向かってしっかりとお辞儀した。そんなオルトシアーにクロエーが「何を言われようと堂々となさい。わたくしがついていますからね」と優しく声をかけている。
「平民で、クリストポリ家のご縁者ということは、もしかして貴女、ヨルゴス様のご息女かしら?」
「……えっ、父をご存知なのですか?」
そう。彼女、オルトシアーは、オフィーリア時代の婚約者ボアネルジェスの側近であったヨルゴスの娘である。
ボアネルジェスの廃嫡に伴って側近としての責任を問われたヨルゴスは、実家であるクリストポリ家の嫡男であったが除籍され、現在は平民の農場経営者として生計を立てているという。そのことはオフィーリア死後の顛末を詳しく調べたアナスタシアももちろん知っていることである。
そして貴族子女にのみ門戸を開くこのミエザ学習院に平民であるオルトシアーが入院できたのは、かつてオフィーリアがボアネルジェスの名で成立させた『没落貴族子女救済教育法』があるからだ。それを考えると、アナスタシアにも感慨深いものがある。
「わたくしもミエザ学習院へ進学するにあたって、マケダニア王国のことは色々学びましたのよ。⸺クロエー様の仰る通りですわ。オルトシアー様、貴女もこの栄えあるミエザ学習院に合格できる学力をお持ちなのですから、何も恥じる必要はありませんわ。わたくしとも、身分差こそありますけれど、同じ学び舎の友として接して下さると嬉しいわ」
「そ、そんな、お友達だなんて……!」
オルトシアーはひたすら恐縮しているが、アナスタシアが友と発言したことで、彼女に対する侮蔑の視線も言葉もピタリと止んだ。クロエーがそっと目礼してきたので、アナスタシアも微笑みを返した。
「……あら。平民風情が何を思い上がっているのかしら?」
そこへ、雰囲気をぶち壊すひと声が投げつけられたのはその時である。
振り返ると、そこにいたのはやはりエンデーイスだった。
「全く、栄えあるミエザ学習院も地に落ちたものね。このような平民風情に校内をうろつかれては風紀が乱れますわ」
エンデーイスはオルトシアーへの侮蔑を隠そうともしない。
だがそれだけではないと、アナスタシアにもよく分かる。彼女はオルトシアーだけでなくその血縁者であるクロエーも、そして彼女たちと仲良くしようとするアナスタシアさえも蔑んでいるのだ。さすがに本国王家の姫を直接的に侮辱するような短慮は起こさないが、アナスタシアの目の前で会話しているオルトシアーを公然と侮辱するのはそういう事である。
「ご機嫌よう、はじめましてエンデーイス様」
アナスタシアにそう声をかけられ、エンデーイスが鼻白んだ。初対面での挨拶はまず下位の者から上位の者へ。しかるのち、次回以降は上位の者から声掛けして初めて下位の者に発言が許される。
そんなのは貴族社会の大前提であり、アナスタシアが先に挨拶したことでエンデーイスは不敬と謗られることを免れない。そのことに彼女自身も気付いたのだ。
「なっ……!」
「オルトシアー様を悪しざまに貶める前に、貴女にはまずやることがあるでしょう?そんな事も分からないようならサモトラケー公爵家の名も、バシレイオス前陛下の名誉も地に落ちますわね」
顔を真っ赤にして押し黙るエンデーイスだが、そもそも高位貴族の子女たる者、感情を面に出すこともまた恥ずべきことである。たったこれだけのやり取りで、彼女は今後、教育の足らぬ粗忽者として笑いものになる人生が確定したも同然だ。
そしてたった一言で彼女の名声を地に落としめたアナスタシアは、クロエーとオルトシアーに「ここは空気が悪いわ。あちらへ参りましょう」と囁いてさっさと退散してしまったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それはまた、ずいぶんと容赦なく斬り捨てたものだね」
アナスタシアの向かいに座る貴公子が、愉快そうにそう言って笑った。
「笑いごとではございませんわ。彼女はわたくしたちだけでなく、“悲劇の公女”さえも侮辱したのですから。この程度は意趣返しにもなりませんわ」
表情にこそ出さないが、アナスタシアの声音には不快感が強く滲む。
そう。エンデーイスのあの発言は、平民のオルトシアーや彼女と交友を持とうとしたアナスタシアへの侮辱だけでは済まなかった。没落貴族子女限定とはいえ平民にミエザ学習院への門戸を開かしめた、悲劇の公女ことオフィーリアをも侮辱したことになるのだ。そしてそのことに、アナスタシアとして生まれ変わったオフィーリアが気付かぬはずがなかったのである。
だからこその痛烈極まりないあの対応なのだ。前世までも侮辱されて、黙っていることなどできるはずがなかった。
とはいえ、アナスタシアがオフィーリアの記憶を持っていることは誰にも話していないことなので、目の前の貴公子もそこまでは知り得ないし、アナスタシアも話すつもりはない。
「…………ところで」
「うん。どうかしたかいアナスタシア姫」
「なぜわたくしは、ここで貴方とお茶を頂いているのでしょうか、フィラムモーン様」
そう。今アナスタシアとふたりきりでお茶会を開いているのは三回生、学生会長のフィラムモーンである。あっという間に広まったエンデーイスとの一件が彼の耳にも入ったらしく、翌日に学習院中央棟のテイオポリオに呼び出されたかと思えばこれである。
話を聞いて笑ってもらえるのは多少なりとも溜飲が下がるが、だからといってテイオポリオの個室を貸し切りにしてふたりきり、というのはいかがなものか。
「……あれ、まだ聞いていないかい?」
「何をですの?」
「僕が、貴女の婚約者候補だということだよ」
「…………は?」
アナスタシア一生の不覚。あまりに予想外の一言に、思わず唖然と口を開いてしまった。
「カリトン陛下からもすでにお言葉を頂いていると思うんだけどな。『今後3年間で貴女の新しい婚約を調える』と」
それは確かに聞いた。そしてあまりのショックに明確に拒否もできなかったことも覚えている。でもそれはアーギス家との話だったはずなのだが。どうしてそこに、アポロニア公爵家の嫡男である彼が絡んでくるのか。
「貴女との婚約が成立すれば、僕はカリトン陛下の養子に入って立太子され、ゆくゆくは王位を継ぐことになる。そうなれば貴女はお望み通り、マケダニアの王妃になれるというわけだね」
「何を仰っておいでかお分かりですの?貴方はアポロニアの嫡子ではありませんか!」
「そうだけど、僕には姉がいるからね。実家は姉に婿を取ってもらえばそれで済むんだよね」
「そもそも!貴方にはヘーラクレイオス家の家督を継ぐ資格など!」
「実はあるんだよね。祖父がヘーラクレイオスの王子だったから」
ぐうの音も出ない。忘れていたが、確かに彼の祖父は婿入りした元王子である。それゆえフィラムモーンもヘーラクレイオスの直系として、マケダニアの王位継承権が与えられているのだ。
つまり、今彼が発言したことはなんの問題もなく実現可能だということ。
「か、考えさせて頂きますわ……」
「うん。時間は3年間あるからね。僕としてはゆっくり仲を深めていければいいかなと思ってるよ」
にこやかに微笑う彼の前から、アナスタシアはなす術なく撤退するしかなかった。
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