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【二度目のミエザ学習院】
12.カリトン王との内密の話
しおりを挟む侍女ディーアとエリッサを引き連れて、アナスタシアはマケダニアの王宮侍女に案内されて指定された応接室までやって来た。もちろん案内なしで来られるのだが、不審に思われるのを防ぐためにもわざわざ案内を頼んでのことである。
案内の侍女は、名をマイラと言うそうだ。10代後半の物静かな若い侍女で、礼儀作法もきちんと躾けられていて、おそらくどこかの貴族家の子女であろう。マケダニアの王宮侍女には良い印象のなかったアナスタシアの目から見ても好感が持てる侍女であった。
「アナスタシア姫殿下をお連れ致しました」
そのマイラが応接室前に立っている近衛騎士に到着を告げ、騎士は室内に取り次ぐため、一旦室内に消える。だがすぐに出てきて、アナスタシアに敬礼しつつ告げた。
「カリトン陛下がお待ちです。どうぞお入り下さいませアナスタシア姫」
「ありがとう」
開けてもらった扉をくぐると、上質ながらも華美すぎない応接テーブルとその両サイドに仕立ての良いソファが二脚。正面、窓側の上座にはひとり掛けのソファがあり、そこにカリトン王が座っていた。その後ろには、年齢こそ重ねているもののオフィーリアもよく知る近衛騎士隊長のイスキュスが立っている。その隣に侍女のへスペレイアも控えていた。
見知った顔があるとやはり安心する。そう思って初めて、アナスタシアは自分が緊張していたのだと気付いた。
自分がオフィーリアの生まれ変わりであるということに、カリトン様は気付いて下さるかしら。いえ気付かないのが普通なのだけど。まあ気付いてもらえなくとも婚約者として誠心誠意お仕えすることに変わりはないのだけれど、でも、出来れば気付いて欲しい。
そう思って、アナスタシアはカリトンを見た。
そうしておもむろに、淑女礼で挨拶を述べる。
「ご機嫌麗しゅう、陛下。直々にお言葉を賜るとのことで、アナスタシア罷り越しました」
「よく来て下さった。お疲れのところ申し訳ないが、すぐ済むのでお掛けになられよ。茶でも飲んでゆかれると良い」
「はい。お気遣いありがとう存じます」
(ああ……!これまでの苦労がにじみ出るような低い声音。若かりし頃とは全然違って、それもまた素敵だわ!)
勧められるままにカリトンから見て右側のソファに腰を下ろしつつ、心中で狂喜乱舞するアナスタシア。もはやカリトンのことなら何でも全部褒めそうな勢いである。
その彼女の後ろにサッとディーアとエリッサが並び、案内してくれたマイラは壁際の他の王宮侍女たちの列に加わった。
へスペレイアが素早く茶の準備をして、自らそれを口に含んだ。口の中で転がし、飲み下し、無言で待つことしばし。
「毒の混入はございませんわ」
彼女はそう声を上げ、それから自分が飲んだものと同じティーポットでカリトンとアナスタシアにそれぞれ茶を淹れた。
それを見て、顔色にこそ出さないがアナスタシアは内心で驚愕した。今の王宮では王に供する茶ですら毒見が必要なのか。しかもそれを長年王の侍女を務めてきたへスペレイア自らが担当するとは。
アナスタシアにはこれまで、目の前で毒見をされた経験がなかった。アナスタシアとしても、前世のオフィーリアとしても、そういうものは自分の前に出てくる前の段階で済んでいるのが普通だったし、そもそも毒を盛るような不審人物など食材を扱う立場の使用人には取り立てない。
万が一盛られたところで魔術で弾いてしまえるのだが、そもそも毒を盛られるだけでとんでもない失態であり、あり得ない醜聞になるのだ。だからこそ前世の母アレサの死因も、誰も毒殺だと考えなかったのだ。
だというのに、カリトン王はどうやらそうではないらしい。しかも長年仕えてきた最側近であろうへスペレイアが身を盾にせねばならぬほど、王宮の使用人が信用できないということか。
これは想像していたよりもずっと事態が厳しそうである。一刻も早く反王派を一掃しなければ、カリトン王の治世が安定しないどころかその身が危険に晒され続けることになる。東方より直輸入の茶葉で淹れた紅茶を堪能しながら、早くもアナスタシアはそんな事を考えている。
「見苦しいものを見せて済まないね。アナスタシア姫が見知らぬ土地で少しでも安心できるようにと、姫とも面識のあるへスペレイアに毒見をしてもらったのだが、どうやら怖がらせてしまったようだ」
「あっ、いえ、過分なお心遣いに感謝申し上げます」
全然違った。
普通にアナスタシアに気を遣って下さっただけだったわ!
「それでだ。あまり前置きを長くしすぎるのもどうかと思うし、姫の時間を取らせるのも本意ではないから早速本題に入りたいが。⸺皆、席を外してくれないか」
カリトンがそう言って右手を肩口まで上げる。それを合図にしたかのようにイスキュスもへスペレイアも、室内に控えていた他の近衛騎士も侍女たちも、「では御前失礼致します」と頭を下げて出ていくではないか。
「あの……わたくしの侍女たちも……?」
「そうだね、出来れば外してもらえると有り難い」
命令でも強制でもなかったが、お願いされると断りづらい。ディーアもエリッサもやや不安そうにしていたが、「きっと大丈夫よ」と囁いて部屋を出てもらった。
それでも完全にふたりきりにはできないから、扉は少し開かれているし、部屋を出た者たちは皆扉の外に控えている。それに隣室か天井裏かに影の者も控えているはずである。
「あの、内密のお話ということでよろしいでしょうか」
「そうだね、あまり他人に聞かせるものではないと思うな」
口調が心なしか、若かりし頃の物憂げで優しげな彼のそれに戻っている。そのことに若干ときめきを覚えながらも、一言一句聞き逃すまいと気合を入れる。
だが。
「あまり大きな声では言えないが。⸺婚約者として来てもらっておいて済まないが、私はあなたを愛するつもりはない」
そんなアナスタシアの気合に微塵も気付かぬままに、優しげな声音のまま、カリトンはとんでもない暴言を吐いたのだった。
「………………はい?」
「いや、その……あまり何度も言いたくはないのだが」
「いえ、なんと仰られたのかは聞き取れてございます。わたくしが問い返したいのは意味でございますわ」
眉間に皺が寄って、つい睨んだようになるのは勘弁して欲しい。前世から培った淑女の微笑を保てないほどに、ショックな一言だったのだから。顔をしかめてないと涙を零してしまいそうである。
「どうか怒らないで欲しい。あなたが我が国を思いやって自ら国政の安定のために輿入れを望んで下さっているのは分かっているし、身に余る栄誉だとは分かっているんだ」
「でしたら、どうしてそのような事を仰るのですか!」
「気持ちだけ有り難く受け取らせてもらう、という事だよ。さすがにあなたが進学先をミエザ学習院にするとは思わなかったが、あなたが卒院するまでの3年間でより相応しい婚姻相手を探してもらえるようアーギス王家とも話は付いているし、あなたの婚約が整えば私はより相応しい直系を選んで、王位を降りるつもりでいるんだ」
「陛下が!陛下こそが正当なる直系王族ではございませんか!」
「私には能力が足りない。17年も王位にあってなお国をまとめきれないのだから、」
「だからこそ!わたくしが王妃として!」
「……あなたのそのお気持ちは本当に有り難く思う。だけどね、あなたがその才を無為に浪費する事はないんだよ」
カリトンの声はどこまでも優しかった。だからこそ、アナスタシアは無性に腹立たしかった。泣きたかった。
だってこれほどまでに国のことを想い、他者を思いやれる王に能力が足らないなどと、そんな事があるはずがないではないか。そもそも王位に就いてからも足らない能力を補うべく寝食を惜しんで学びに費やし、真摯に国政に向き合って来たからこそ彼は、支持派も得られてここまで玉座を守って来れたのだ。もし本当に、彼が自分で言うように能力が足らないのならば、ここまでのどこかのタイミングでとうに引きずり降ろされているはずなのだ。
能力が足らないのをきちんと自覚し、身を律して真摯に誠実に国政と向き合って来たからこそ今でも彼が王位に在るのだ。それでもなお国政が安定しないのは、頑なに彼を認め受け入れようとしない抵抗勢力のせいであって、彼に非があるわけではない。
だけど、カリトンの顔を見てしまったら、アナスタシアはもう何も言えなかった。彼がすでに覚悟を決めてしまっていると、ハッキリ分かってしまったのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「姫様、陛下はなんと仰られたのですか?」
応接室を出て、再び侍女マイラの案内で与えられた客間に戻り、戻ってからもなお無言無表情のままのアナスタシアに、恐る恐るディーアが訊ねる。
「…………言いたくないわ」
だがようやく言葉を発したアナスタシアは、それだけ言うとまた黙ってしまう。どうしたものかとディーアもエリッサも顔を見合わせるばかり。
「ではお食事を」
「いらないわ。食べたくないの」
「で、では、今日はもうお休みになられますか?」
「そっ、そうですわね!明日はいよいよ入院式ですし!」
「…………そうね、準備してちょうだい」
これは下手につつかない方がいいと、エリッサもディーアも彼女を寝かせることにした。そうして湯浴みの準備をし、アナスタシアの入浴の介助をし、夜着に着替えさせてふたりともアナスタシアの寝室を退去した。
こうして、アナスタシアのマケダニア王宮初日は最悪な終わりを迎えたのである。
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