上 下
44 / 84
【王女アナスタシア】

10.婚約の受諾

しおりを挟む


 13歳のアナスタシア姫との縁談を、アーギス王家から正式に申し込まれたマケダニア王宮は騒然となった。

 なにしろ、相手として指名されたのが35歳のカリトン王なのだ。年齢差実に22歳、しかも「カストリア公女オフィーリア以外に誰も娶るつもりはない」と公言して実際にここまで誰とも婚約すらしていない、すでに青年期を超えて壮年の域に至っているカリトン王への婚約打診だ。騒然としないわけがない。
 王の支持派は、アーギス王家すなわちイリシャ連邦王の後ろ盾を得られるとしてこの婚約を受けるべきと総意がまとまったし、反王派はアーギス王家によるマケダニア王国への内政干渉だ、乗っ取りに等しい行為だと激しく反発した。
 そうして真っ二つに分かれた宮廷内の意見にモロに板挟みになったのは当然、当事者であるカリトン王である。縁談を断ればアーギス王家の心象を損ねるのみならず支持派から失望されようし、かと言って受ければ反王派はますますカリトンを批判するだろう。しかも議会ブーレーで多数派なのは反王派なのだ。

「…………どうしたらいいと思う?」

 当然ながらカリトンは態度を決めあぐねた。元々即断即決というタイプでもない上に、どちらに転んでも国内政治の舵取りがさらに難しくなるのは間違いない。そもそも婚姻しないと明言した身でもあるし、亡きオフィーリアへの思慕は全く衰えることなくカリトンの心のうちに残っている。それを今さら曲げることもしたくない。
 だが一方でわざわざアーギス家が差し伸べてくれた救いの手を撥ね付ける勇気もなかった。だってそれを拒否してしまったら、おそらく現在の苦境を脱する術は永遠に失われてしまうだろう。
 そうして悩みまくって結論が出せなくて、ついに彼は人を頼った。即位後に自ら宰相エポニュモスに抜擢したアポロニアクリューセースに助言を求めたのだ。

「そうですな……」

 ヘレーネス十二王家の一角ではあるものの、アポロニア家は長らく侯爵位に甘んじてきた家系である。カストリア家が侯爵位に降爵したことにより半ば自動的に陞爵し、マケダニアの筆頭公爵家になるとともにカリトン王から宰相に抜擢されていたものの、クリューセース自身はさほど切れるタイプでもなかった。

 クリューセースは、ヴェロイア侯爵の後任として21歳の若さで宰相の地位に抜擢されてから今年で17年目になる。すでにヴェロイア侯爵の倍近くの任期を務めていたが、経験の乏しかった彼は議会をまとめることがなかなかできず、掌握するまで10年近くも費やした挙げ句に王支持派で多数派を占められなかった。それも、カリトンの治世が安定しない要因のひとつである。
 それでも彼がここまで何とか宰相を務めてこれたのは、単にカリトンが辞めさせなかっただけのこと。歳の離れた大人たちを誰ひとり信用できなかったカリトンが、3歳しか歳の違わないクリューセースを手放さなかったのである。
 だからカリトンは、今回のことでも17年も苦楽を共にしたクリューセースを頼らない選択肢はなかった。

「まあ婚約は、受けるほかありますまいな」
「やっぱりそうなるのか……」
「アーギス王家の後ろ盾がある、それを明確にできるというのはやはり大きなものがありましょう。というか、陛下にはもうですからな」
「ううう……そんなにハッキリ言わなくてもいいじゃないか」

 だがそのクリューセースに断言されてもなお、カリトンは煮えきらなかった。亡きオフィーリアへの思慕だけでなく、わずか13歳で政略の駒として婚約させられるアナスタシア姫のことを思えば、やはり踏ん切りはつかなかった。

「どうすればいい、どうすれば……」

 クリューセースとしては、態度を繕うこともせず目の前で頭を抱えるこのが不憫で仕方ない。望んでもいなかった不相応な地位に就かされて激務に晒され、一時期は恨んだりもしたけれど、頼れる者もなく今にも折れそうな若き王を見ていられずに、気付けばそれとなく支えるようになっていた。
 だってクリューセースには、曲がりなりにもアポロニアとしてそれまで何不自由ない生活と高い教育とを享受して生きてきた自覚がある。だが冷遇されて育ってきたカリトンにはそれすらも無い。頼れる者がない、すなわち彼にとっては自分自身すら頼れないのだ。
 そんなカリトンの弱い姿を知っているクリューセースにしてみれば、彼が今こんなに苦しんでいるのは、そしてここまでの半生ずっと苦しむハメになったのは、何もかもあの時彼を王位に就けたアーギス家のせいだとしか思えない。

「釣書の備考欄に書いてあった通りだと思いますがねえ」
「え、いや、しかし」
「カリトン陛下を即位させ、17年もマケダニアの国政を混乱させたと。それでよいではありませんか」
「そ、そうは言うがなあ」
「陛下はお優しすぎるのです。選択肢など無いと再三申し上げておりますのに、それでも御身はまだ会ったこともないアナスタシア姫の身を案じておられる」
「そ、そんなの当たり前じゃないか」

「…………もうひとつ、手がないこともありませんがね」
「え、あるのか!?」
「御身が王位をお退しりぞきになることです。新しい王がお立ちになり、その王が国政を落ち着かせられるなら、アナスタシア姫が嫁ぐ必要性もなくなるでしょう」

「それは……まあ、そうだが……」

 だがそれでは、オフィーリアの愛したマケダニアをカリトン自身の手で良くする望みは叶わなくなる。
 まあ、17年も頑張って達成できていないのだから何を今さら、という感じがしなくもないけれど。

「…………反則かも知れないが、ひとつ手を思いついた」
「ほう?お聞かせ願えますかな?」

 どこか覚悟を決めたようなカリトンの顔を見て嫌な予感が走ったが、何食わぬ顔をしてクリューセースは尋ねた。そうして聞く前に却下しなかったことを、死ぬほど後悔するハメになった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 フェル暦678年の花季かき上月の下週げしゅうにアーギス王家から打診された婚約の返答をカリトン王が返したのは、10日余りも経った花季下月かげつの上週に入ってからだった。

 婚約を受諾する、と。
 ただし、条件付きで。

 カリトン王が求めた条件とは以下の三点である。
 アナスタシア姫が16歳になるまで婚約の事実を公表しないこと、もしも彼女に他に望ましい相手が見つかったならこの婚約を白紙撤回すること、そして、白紙撤回となった場合にはカリトンが王位を退き、ヘーラクレイオス家の直系でより相応しい人物へ王位も家督も譲る代わりに、アーギス王家からの支援を継続してもらいたいこと。
 アリストデーモス連邦王並びにアーギス王家には否やはない。アナスタシアの意思を確認したところ、彼女もまたそれで構わないと答えた。

 ただし、と彼女は言った。
 自分の進学先をムーセイオン学習院ではなく、ミエザ学習院にすること。
 それが条件だと彼女は宣言したのである。

 それはつまり、婚約に先んじてアナスタシアがマケダニアに移り住むということに他ならない。そしてアーギスの姫である彼女が住まうのは、そう、マケダニア王宮以外にはあり得ない。

(この子、やりおったわ!)

 アナスタシアの条件を聞いた父や祖父など関係者全員が、心中で全く同じ呻きを漏らした。

 カリトン王からの申し出は、どう見ても婉曲な婚約の断り文句である。それでいてアナスタシアの希望に精一杯沿うように、彼女に瑕疵がつかないよう配慮して、さらに自身の身の処し方まで提示した、よく考えられた辞退であった。
 だというのにアナスタシアは、その辞退を受けて瞬時にさらに一手詰めてきたのだ。しかもカリトンの住まう王宮に住むとなると、これはもう婚約どころか事実上の輿に等しいではないか。

 アナスタシアの提案を却下することはできない。なにしろムーセイオンとミエザはであり、一方の入院資格を得ていたら今一方のそれも同時に取得できるからだ。
 というか、アカエイアの連邦首都ラケダイモーンにある〈ムーセイオン学習院〉、テッサリアの首都アーテ二にある〈アカデメイア学習院〉、マケダニアの首都サロニカにある〈ミエザ学習院〉、トゥラケリアの首都オレスティスにある〈リュケイオン学習院〉の四校は全て姉妹校である。つまりアナスタシアはどこを進学先に選んでも構わないのだ。
 ムーセイオン学習院はすでに、アナスタシアが〈賢者の学院〉に合格したことを受けて入院資格を与えてしまっていた。そしてカリトン王からの釣書の返書が来たのは入院式の5日前、つまり今すぐにアナスタシアがラケダイモーンを出立すればミエザ学習院の入院式に間に合うタイミングなのだ。

「というわけで、行って参りますわ!」
「いやお前いつの間に準備を」
「こんな事もあろうかと、備えておきましたのよお兄様!」

(この子さては、カリトン王が断りを入れることまで視野に入れとったんじゃな……)
(カリトン王……ウチの子は君が思ってるよりずっと手強いぞ……)

「婚姻式には皆様ご招待致しますから!楽しみにお待ちになってて!」
「「「「早くも婚姻式の話してる!?」」」」
「あらあら。アナったら楽しそうね」
クレウーサおまえは本当にのんびりし過ぎだ。可愛い妹が心配じゃないのか」
「いいえお兄様。可愛いアナがあんなに幸せそうなのに、何を憂うことがあるのです?」

「いやまあ、そう言われればそうかも知れんが」

「さ、ディーアもエリッサも行きますわよ!」
「お待ち下さい姫様!まだ荷物が!」
「そんなものは後で送らせればいいのよ!」

 こうして、婚約の受諾を受け取ったアナスタシアは意気揚々とマケダニアに向けて即日出立して行ったのである。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

両親も義両親も婚約者も妹に奪われましたが、評判はわたしのものでした

朝山みどり
恋愛
婚約者のおじいさまの看病をやっている間に妹と婚約者が仲良くなった。子供ができたという妹を両親も義両親も大事にしてわたしを放り出した。 わたしはひとりで家を町を出た。すると彼らの生活は一変した。

一年で死ぬなら

朝山みどり
恋愛
一族のお食事会の主な話題はクレアをばかにする事と同じ年のいとこを褒めることだった。 理不尽と思いながらもクレアはじっと下を向いていた。 そんなある日、体の不調が続いたクレアは医者に行った。 そこでクレアは心臓が弱っていて、余命一年とわかった。 一年、我慢しても一年。好きにしても一年。吹っ切れたクレアは・・・・・

今更、いやですわ   【本編 完結しました】

朝山みどり
恋愛
執務室で凍え死んだわたしは、婚約解消された日に戻っていた。 悔しく惨めな記憶・・・二度目は利用されない。

気がついたら無理!絶対にいや!

朝山みどり
恋愛
アリスは子供の頃からしっかりしていた。そのせいか、なぜか利用され、便利に使われてしまう。 そして嵐のとき置き去りにされてしまった。助けてくれた彼に大切にされたアリスは甘えることを知った。そして甘えられることも・・・ やがてアリスは自分は上に立つ能力があると自覚する

【本編完結】番って便利な言葉ね

朝山みどり
恋愛
番だと言われて異世界に召喚されたわたしは、番との永遠の愛に胸躍らせたが、番は迎えに来なかった。 召喚者が持つ能力もなく。番の家も冷たかった。 しかし、能力があることが分かり、わたしは一人で生きて行こうと思った・・・・ 本編完結しましたが、ときおり番外編をあげます。 ぜひ読んで下さい。 「第17回恋愛小説大賞」 で奨励賞をいただきました。 ありがとうございます 短編から長編へ変更しました。 62話で完結しました。

【完】前世で種を疑われて処刑されたので、今世では全力で回避します。

112
恋愛
エリザベスは皇太子殿下の子を身籠った。産まれてくる我が子を待ち望んだ。だがある時、殿下に他の男と密通したと疑われ、弁解も虚しく即日処刑された。二十歳の春の事だった。 目覚めると、時を遡っていた。時を遡った以上、自分はやり直しの機会を与えられたのだと思った。皇太子殿下の妃に選ばれ、結ばれ、子を宿したのが運の尽きだった。  死にたくない。あんな最期になりたくない。  そんな未来に決してならないように、生きようと心に決めた。

婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい

矢口愛留
恋愛
【全11話】 学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。 しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。 クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。 スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。 ※一話あたり短めです。 ※ベリーズカフェにも投稿しております。

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

処理中です...