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【王女アナスタシア】

08.着々と根回しは進む

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 フェル暦677年、アナスタシアは12歳になった。

 20歳の兄ヒュアキントスはすでにアカエイア王太子となり、父王の補佐として政務に励んでいる。かつての婚約者ボアネルジェスのように公務を誰かに丸投げすることもなく自身で実績を積み上げて、アカエイアは次代も安泰だと臣民に高く評価されている。長姉クレウーサは留学から3年ぶりに帰国して、これも父王の補佐として政務を、ことに社交や外交の面で早速実績を上げ始めている。
 次姉ディミトラは長姉に続いて〈賢者の学院〉へ留学し、現在は二回生である。去年の暑季なつの長期休校時に送られてきた家族宛ての手紙には、授業についていくのは大変だが頑張りがいがあると伸びやかな筆跡で書かれていて、姉の朗らかに笑う顔が浮かぶようだった。彼女はともに学ぶ他国の王侯子弟にも交友が広がっているようで、将来の夢を語り合っているそうだ。
 だがそんな彼女は留学したせいで、676年の花季はるに西方世界に凱旋してきた勇者レギーナにまたしても会えなかった。通常の移動手段ではどんなに頑張っても2ヶ月以上かかるため基本的には留学中は帰国しないし、緊急時にはイェルゲイル神教の神殿経由で[転移]を使えば戻れないこともないが、勇者パーティが戻ってきたのは花季だったのでディミトラが入塔した直後である。どう考えても帰ってこれる訳がなかった。

 なおその勇者の凱旋時は連邦首都ラケダイモーンに招待して、アナスタシアも念願の対面を果たすことができた。手紙を受けて神殿経由で繋げた[通信]の術式の向こうでディミトラはそれを悔しがり羨ましがると同時に、どんな様子だったか、何を話したか、全部聞かせろとアナスタシアにしつこく迫ったものである。


 アーギス家の姫たちにも釣書が寄せられるようになった。長姉のクレウーサだけは10歳の頃に婚約者を決められていたから誰も手を出して来ないが、ディミトラとアナスタシアは婚約者を決めずにいたから、名乗りを上げる家門がいくつもあるのだ。言わば選り取り見取りの状態だったが、ふたりとも婚約者を決めようとしなかった。
 ディミトラは留学中なのでまあ分かる。今婚約者を決めたところで、相手が〈賢者の学院〉に在塔していなければ交流も何もあったものではないのだから。
 けれどもアナスタシアは国内にいて、なおかつ婚約者が決まらない。政略の駒として残してあるのだと察した国内外の高位貴族家門のいくつかは釣書送付を自重していたものの、察しの悪い、あるいは王家と縁を繋ぎたい野心あふれる家門はその何倍も多かった。

 まあそれらの家門も、まさかアナスタシアがカリトン王へ嫁ぐ根回しを着々と進めているなんて気付きもしないわけだが。
 なおディミトラが将来冒険者になる意思を固めつつあることも、彼女が14歳の今はまだ家族を含めて誰も知らないことである。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「お祖父さま、お話があります」

 ある日アナスタシアは、父ではなく祖父アリストデーモス王の執務室を訪れた。

「おお、どうしたかねアナスタシアや。この爺にお願いごとと見えるが」

 もうすぐ60になろうかというアリストデーモス王は、さすがに若さこそ失ったものの気力も体力も充実していて威厳もあり、衰えたり老け込むような雰囲気ではない。この分だと父ニケフォロスが連邦王位を継ぐのはまだまだ先のことになりそうである。
 だがそんな老王も、家族の前では柔和なただのお祖父ちゃんでしかない。今も控える侍女たちにお茶の用意をさせながらアナスタシアに向かって「お菓子食べるかね?」などと言いつつ執務書類の入っている書棚の引き出しを開けてゴソゴソしている。
 ってちょっとお祖父さま、そんなとこにお菓子隠してらっしゃるの!?もしや執務の合間にこっそりつまみ食いとかなさってるんじゃないでしょうね!?

「お菓子は結構ですわお祖父さま」
「……むう、そうかね」

 だからどうしてそんなに悲しそうになさるの!?

「あの、わたくしが申し上げることではないと承知をしているのですが」
「ふむ?」
「国内情勢について、申し上げたいことがございますの」

「…………ふむ、申してみなさい」

「では端的に申し上げます。マケダニア王国について懸念しております」

 孫に向ける柔らかな目尻をしっかりと見返して、アナスタシアは臆さずハッキリと祖父に告げた。
 すると途端に、祖父が連邦王の顔になる。

「それについては予も懸念しておってのう。あまり干渉しても反発を招こうし、さりとて今のヘーラクレイオス家では収めきれまいのう」
「それは、やはりカリトン王の統治能力に問題があるともお考えになっておられると、そのように解釈してもよろしゅうございますか」
「あれから15年以上経っても現状改善に至っておらぬからのう。もういい加減、潮時かも知れんのう」

「王閣下を補佐する人材を宛てがえばよろしいのでは?」
「手っ取り早いのはそうじゃが、この15年でカリトンはそうした股肱を見つけられなんだ。これ以上はあの者にも辛いばかりでしかないかも知れんわい」

 どうやらアリストデーモス連邦王は、カリトンを退位させる方向で考えているようである。だがそれはアナスタシアオフィーリアの望むところではない。

「カリトン王閣下をマケダニアの王位に就けたのはアリストデーモス連邦王陛下、そしてニケフォロス連邦王太子殿下でございましょう?ならばカリトン王閣下の補佐も我が王家で決めるべきではありませんか?」
「ま、理屈としてはそうじゃが、あまり干渉しすぎるとマケダニアの反発を招く。その程度はそなたも」
「そこで進言致します」

 敢えてアナスタシアは祖父王の言葉を遮った。怒りこそしないもののやや驚いた様子の連邦王に、アナスタシアはここぞとばかりにニッコリと微笑みかける。

「王閣下に王妃を娶らせてはいかがでしょう」

 それは確かに手っ取り早いが、今さらカリトン王に嫁ぎたい者など出てくるとも思えないし、王命で強制するのも反発を招きかねない。そう考えて渋面を作りかけたアリストデーモス王の顔が、何か察した様子で見る間に驚愕に染まってゆく。

「我が王家は、カリトン王閣下を王位に就けてマケダニアの政情を揺らがせた責任を取るべきかと存じます」

 アリストデーモス王には二男二女がいる。嫡男はもちろんニケフォロスだがその下に弟と、妹がふたりいるのだ。当然そのふたりは良縁を得て嫁いでいたものの、先年に妹王女が夫と死別して寡婦になったところである。
 だが、アナスタシアが言っているのがその叔母のことではないことくらい、アリストデーモスに分からないはずがない。まだ12が、叔母を政略に使うなどという発想をするわけが、あまつさえそれを祖父王叔母の父に進言するわけがない。

「待て」
「幸い、我が王家にはがふたりおりますわ」
「待てと言うに」
「そのいずれかを王妃として娶らせるのはいかがでしょう。良案かと思いますが」
「待たんかアナスタシア!」

 両親も兄姉も祖父母も叔父叔母たちも、これまでアナスタシアを目に入れても痛くないほど可愛がってきた。アナスタシアのほうでもそれを喜び、愛して、これまで仲良く過ごしてきたのだ。
 そんな彼女が叔母や姉を壮年の独身王に嫁がせろなどと言うわけがない。だとすれば残る選択肢はひとつしかないではないか。

「いいえ、待ちません」

 決意のこもった瞳でアナスタシアが祖父を見る。
 そしてついに、長年心のうちに秘めた婚活の野望を口にしたのである。

「わたくし、カリトン王閣下に嫁ぎたいと考えておりますの」
「な、何を言っておるか解っておるのか!?」

 12歳の少女を、34歳の王に嫁がせる。そんな決定などしてしまったら、世間から何を言われるか分かったものではない。確かに政略結婚というものは個人の思惑や相性、歳の差など考慮せずに決められがちではある。だがだからと言って、誰も嫁の来手のないの王に可愛い孫娘を嫁がせたいなどと、誰が思うだろうか。

「あら、良案だと思うのですけれど」

 だがその可愛い孫娘は、何でもないことのように微笑むばかりだ。

「問題になるのは歳の差だけで、あとは全部丸く収まると思うのですが」
「そなたはどこがどう問題ないと言うつもりなのじゃ!」
「だってわたくしを、カリトン王閣下を即位させて政情不安を引き起こしたように見えるでしょう?」
「なっ」
「カリトン王閣下は王妃を得て、アーギス王家は政略に使える前途ある姫を失う。マケダニアの臣民からは批判や不満は出ないかと存じますわ」
「にっ」
「それに故国を離れて友邦に嫁いできた年若い王妃に嫌がらせするような懸念もありませんわ。だってわたくしはなのですから」
「をっ」
「王妃とする人材としても申し分ないと考えておりますわ。自分で言うのもなんですけれど、わたくしは〈賢者の学院〉に合格できる自信がありますもの」

 〈賢者の学院〉は西方世界のほぼ全ての国々から選りすぐりの天才秀才たちが集まってくる、西方世界の最高峰大学であり、卒塔者は世界のどこの国でも国家の柱石レベルの逸材として扱われる。その入学試験ももちろん最高難度で、合格するだけでも将来の立身出世が約束されるほどの快挙である。なにしろ王侯の子弟であっても学力が合格レベルに達せずに受験を諦める者さえいるほどなのだ。
 そしてアナスタシアは父も姉ふたりもその〈賢者の学院〉に合格しており、自身も合格間違いなしと教師たちにお墨付きをもらっている。そんな人材を自国で用いるのを諦めて友邦とはいえ他国の王妃として嫁がせるとなれば、マケダニアから不満の出ようはずもないし、アカエイアが批判されようはずもない。

「ああ、ですが。このお話はまだここだけのお話ということで」
「……何故じゃ?」
「とりあえずわたくし、来年の学院入試を合格して見せますわ。もし本当に合格できたなら、その時には進めて下さいな

 急に孫娘に戻るあたり、アナスタシアもなかなかあざとく育ったものである。
 そしてそんな彼女には合格する絶対の自信があった。だって彼女はオフィーリアの時に前世で合格ラインに達していたのだから。
 〈賢者の学院〉に合格できる学力がありながら、オフィーリアはボアネルジェスとともに過ごすために、併せてカストリア領の領政を差配するために、敢えてミエザ学習院に進学していたのだ。
 賢者の学院への留学を選んでいれば彼女は死なずに済んだはずだったのだから、まさに運命の皮肉と言うほかはなかった。


 ー ー ー ー ー ー ー ー ー


【註】
 イリシャは連邦国家なので、イリシャ全体の話をする時は「陛下」は連邦王のみを指す敬称になります。ヘレーネス十二王家を含む連邦構成国(友邦)の王たちはイリシャ連邦の貴族として扱われるため、敬称は「閣下」です。
 つまりアカエイア王、テッサリア王、マケダニア王、トゥラケリア王はそれぞれ自国内では「陛下」ですが連邦内では「王閣下(王爵閣下)」、同様にイリュリア王のみは連邦内では「(公爵)閣下」と呼ばれます。イリュリア王だけはヘレーネス十二王家ではないので。



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