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【公女が死んだあと】

28.今さら出てくる元公爵

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「アカーテス!どこにおるかアカーテス!」

 カストリア公爵家の王都公邸の玄関エントランスに、しわがれた声が響く。
 使用人や執事たちがオロオロと右往左往する中、姿を見せたのはカストリア家の家令である。

「これは先々代様。いかがなさいましたか?先触れは承っておりませんが」
「いかがした、ではないわ!オフィーリアが婚約を解消されたとはどういう事じゃ!?貴様はそれをなぜ儂に報告せんのだ!」

「……なるほど、お嬢様の婚約解消をお知りになったのですね」

 カストリア家家令アカーテスは落ち着き払っていた。おそらく、彼には予測がついていたのだろう。

 乗り込んできたのは先々代のカストリア公爵だ。アレサの父、オフィーリアの祖父にあたる老人で、名をイーアペトスという。
 イーアペトスは末娘アレサに後を継がせたあと、所領であるカストリア地方に妻とともに隠居し、それ以降カストリア家の王都公邸には一度も顔を出していなかった。そうしてカストリア家の財産を湯水のように使いつつ、悠々自適の余生を送っていたのだ。
 オフィーリアが予定通りにボアネルジェスと婚姻して王妃になっていれば、その後の王統にイーアペトスの血が加わるはずだった。彼はそのことを大層喜んでアレサにも縁談を受けるよう強くほどだったから、婚約解消の話を聞いて慌てたのだろう。

「オフィーリアめはどこにおる?アノエートスの無能は何をやっておるのじゃ!」
「会ってどうなさるので?」
「そんなもの決まっておろうが!無能者には罰を与えねばならん!継承権を剥奪し、儂が公爵位に復帰してくれるわ!」

 イーアペトスは今年65歳になる。老いたとはいえ足腰も思考能力もしっかりしていて、公爵位に復帰したとしても充分その任に堪えられそうではある。
 だが。

「それは、お受けできかねますな」
「…………なんじゃと?」

 家令アカーテスはすでにバシレイオス王から直々に代理公爵に任じられていて、その後正式な命令書も届けられていた。つまり現状でカストリア公爵の諸権限を保持しているのはアカーテスなのだ。
 そして彼が代理公爵に昇格したことで空いた家令職には執事長を、執事長には筆頭執事補を昇格させ、その他の人事も今調整をつけている所である。

「代理はアノエートスめであろうが!それを僭称するなど、思い上がるのも大概にせぬか!」
「陛下直々の任命によりますれば、先々代様が何を仰せであれ覆りませぬよ」

「なん……じゃと……!?」
「それでも認めぬと仰るのであれば、どうぞ陛下に奏上なさいませ」
「くっ……小癪な!」

 歯噛みするものの、アカーテスに王の命令書まで提示されれば認めるほかはない。さすがのイーアペトスも、彼が王命偽造などという大罪を犯すとは思えなかった。
 そもそもアカーテスは、イーアペトスが継承権争いで追い落とした亡兄の息子のひとりである。王家から降嫁した同じ母の血を受け継いだ実兄の跡を継いだのがアカーテスであり、立場的にも血筋的にもヘレーネス十二王家の何たるかを解っていなければならない人物だ。
 イーアペトスが兄を追い落とさなければカストリア公爵位を正当に継いでいたかも知れないアカーテスが今、代理公爵の地位にあるのだ。血統的な不備はないし、実務としても先代アレサの時代から家令として仕えている彼の能力に疑う余地はなかった。


 忌々しげにアカーテスを睨みつけて王都公邸を退去したイーアペトスが、次に向かったのは王宮である。領都から連れてきた供回りのひとりを先触れとして遣わし、その日のうちにイーアペトスは王宮を訪れて、玉座の間に通された。
 本来は先触れと本訪問とでは日を改めるのが通例である。だが火急の用件として謁見を願い、それが認められたことでイーアペトスは若干気を良くしていた。

「カストリア領は代理公爵アカーテスに差配させる。心配要らぬからそなたは隠棲しておれ」

 だがバシレイオス王にそう言われて、イーアペトスは愕然とした。そればかりか、次期カストリア公爵は王宮にて選定すると告げられて激高した。

「儂が復位すると申しておるのですぞ!何の不満があるのか王よ!」
「老残の身でそう出しゃばるものではない。すでに次世代に繋いだのだから、後進に任せるべきであろう」
「十二王家の直系を何と心得るか!」
「直系なればこそじゃよ、先々代。であり、襲爵までの代理はアノエートスに代わってアカーテスにすでに命じた。公女の容態が回復せぬようならそのままアカーテスを正式に襲爵させるゆえ、その場合は御身に“継承の儀”を執り行ってもらわねばならん。それまでは過ごされるがよかろう」

 公女オフィーリアがすでにしたことは当然伏せられているので、バシレイオス王はそう言うしかない。
 もちろんオフィーリアはすでに亡く、その母アレサも故人であり、カストリア家の継承の儀を執り行えるのはイーアペトスのみであるから、そのうち彼にも真実を伝えなければならないが、今はまだ



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「あの愚王めが!!」

 王宮を退去してカストリア領へと戻る脚竜きゃくりゅう車の中で、イーアペトスは吠えた。

「おのれ忌々しい!やはりあ奴の登極を認めたのが間違いであったわ!」

 バシレイオスが王太子時代に婚約破棄をやらかして大騒動になった時、カストリア公爵位にあったのはイーアペトスだった。ヘーラクレイオス王家はもちろん、アカエイアのアーギス王家、テッサリアのアキレシオス公爵家が顔を合わせたバシレイオスの処分会議に、十二王家かつマケダニア筆頭公爵家当主としてイーアペトスも参加したのだ。
 結局その時はヘーラクレイオス家、アキレシオス家のみならずアーギス家までもがバシレイオスの王太子残留に理解を示し、それに押し切られる形でイーアペトスも頷くほかはなかったのだが。
 だがあの時の粗忽な小僧は、長じて一人前の王になったかと思いきや、自分勝手で分別のつかぬ性格はそのままではないか。全く話にならん!

 イーアペトスはカストリア家の王都公邸には戻らず、脚竜車をマケダニア王国の西北に位置するカストリア領へ向かわせた。こうなれば領都の本邸に乗り込んで、代官どもを集めて実効支配するより他にない。実際に領を押さえてしまえば、王都で偉そうにしているアカーテスの小僧にはどうすることもできまい。王とてどちらが本当の実力者なのか思い知れば、認めざるを得なくなるだろう。
 自身の後継者については不安が残るが、出来が悪くて一度は後継者を外した次男に継がせるより他にないだろう。急病程度で婚約すら保てなくなるような孫娘オフィーリアよりは、直系当主の座欲しさに従うであろう愚息のほうがまだマシというもの。
 ああ、優秀だった長男を病で早くに失いさえしなければ。あれが生きていればアレサになど継がせなかったし、今頃になってこの老体に鞭打つ事もなかっただろうに。


 そんな事を考えつつ領都に戻ったイーアペトスだったが、事はそう思うとおりには運ばなかったのである。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「き、貴様ら……何を言っておるか解っておるのか!?」

 領都本邸の玄関エントランスで激高するイーアペトスの前に立つのは、本邸の家令である。

「もちろん理解しておりますとも。『ご隠居様のご指示には従いませぬ』と、確かに申し上げましたゆえ」
「小癪な!貴様なぞ首じゃ!」

 解雇を言い渡しても、本邸家令は一向に動じなかった。彼も、彼の後ろにズラリと居並ぶ多数の領民たちもだ。

「重ねて申し上げるが、ご隠居様に人事権はすでにありませぬ。解雇したければ、代理公爵アカーテス様の命令書をお持ち下さい」
「あ奴ではなく、儂が直々に統治してくれると申しておるのじゃぞ!四の五の言わずに従わぬか愚か者めが!」

 本邸家令は大喝されても怯む風もない。その彼の目線を受けて執事のひとりが本邸執務室の方向に下がっていったが、頭に血の上ったイーアペトスは気付かない。

「今さら何しに戻ってきたかね先々代様」

 領民のひとり、代表格と思しき初老の人物が本邸家令の横まで進み出て、イーアペトスに冷ややかな目を向けた。

「貴様、愚民の分際で高貴なるカストリアのこの儂の許可もなく声を上げるとはなんたる無礼!」

 激高して腰のスパタを抜こうとしたイーアペトスの手は、素早く動いた本邸の警護騎士に押さえられた。

「ぬっ、く、離さんか!儂はこのカストリアの主じゃぞ!」

「ご隠居様が領主だったのはもう10年以上前の話ですな」
「わしらのご領主様は、亡くなられた女公爵様とそのお嬢様の公女様じゃ」
「女公さまはあたし達の話もよく聞いて下さって、本当に良くして下さったわ」
「公女様もお母上のやり方をよく継いで下さってのう」
「その女公様と公女様をお支えしておったのが今の代理様だ、って俺らはみんな知ってんだ」

「あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」
「そうだそうだ!」
「もう誰もあんたの言うことになんぞ従いやしねえよ。いつだって上から命令するばっかりで、領民から搾取する事しかしなかったあんたに、今さら誰が従うもんか!」

 たちまち領民たちに取り囲まれ、罵声を浴びせられて、イーアペトスは狼狽した。この場には本邸の家令以下使用人たちだけでなく、本邸の警護騎士たちも領内各地の代官の一部もいるというのに、誰も彼の味方をしようとはしなかった。
 それもそのはず。イーアペトスはカストリア家の、ヘレーネス十二王家の血筋と権威を笠に着て、身分の低い者たちを見下し虐げても何とも思わないような、古臭い価値観の持ち主だったのだ。
 自分より下に見た者は実の娘であろうと孫娘であろうと、たとえ王であろうとも、見下し抑えつけて従わせようとするに、誰が進んで従うものか。


 暴行こそ受けなかったものの領都本邸を追い出されて、ほうほうの体で領都の居館に逃げ帰ったイーアペトスだったが、その後すぐに王宮から王命軽視との容疑で弾劾訴追されその権威は地に堕ちた。そのショックのあまり消沈してすっかり老け込んでしまい、彼は程なくして病を得て寝込んでしまった。
 その後、病床にあることを知った王家から、代理公爵アカーテスを正式に襲爵させるための継承の儀を執り行うよう命じられたイーアペトスは逆らう気力も無くしていて、継承を済ませた直後にひっそりと寂しく世を去ったのであった。





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