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【公女が死んだあと】
25.アノエートスの自滅
しおりを挟む「何故だ!何故私が裁かれねばならんのだ!」
無念の叫びを上げるのはアノエートス。カストリア公爵家の婿にして代理公爵だった男である。
追捕局の捕縛騎士たちに邸に押し入られ、捕縛令状を提示されて愛人やその娘ともども捕らえられた彼は、すでに王城地下の罪人牢にて拘束された身である。収監された先が貴人牢でないのは、すでに代理公爵の地位を失って貴族身分も剥奪されたためだ。
「あまり喚くでないわ、見苦しい」
牢の外からそう声をかけられ、アノエートスはよろよろと鉄格子へと駆け寄った。
「宰相!私を今すぐここから出せ!」
そこにいたのは見上げるほどに背の高い、枯れ枝のような長身痩躯の老宰相、ヴェロイア侯爵だ。だが宰相が伴っていた兵士たちに槍を向けられ、なすすべ無く鉄格子から離れるしかない。
なお宰相は不快そうに眉をひそめただけである。
「何故も何もなかろうて。そなたが脱税の偽造帳簿を作成し、虚偽の訴えを起こしたこと、すでに露見しておるというに」
「虚偽……?なんの……」
思わずそう言いかけて、さすがに心当たりがあったのか黙り込んだアノエートス。思わず目を逸らし俯いてしまう。
そう。帳簿を偽造しオフィーリアが脱税を主導していると訴え出たのはアノエートス自身である。もっともそれは、オフィーリアを追い落としたかったサロニカ公爵がカストリア家の内情を調べ上げ、アノエートスと接触を持った上でそれとなく「カストリア公女の瑕疵を探している」と焚き付けたからなのだが。
「いや違う!あれはサロニカ公爵が」
「そのサロニカ公じゃがの、邸にて自害したと報告が上がっておるわい。そなたもそのくらい潔ければのう」
「なっ……!?」
サロニカ公爵が自害したなど、アノエートスには初耳である。だが冷ややかな目で見下ろしてくる宰相の表情を見る限り、嘘だとは思えなかった。
「わ、私は騙されたのだ!サロニカ公爵に、」
「だから、なんじゃ?」
冷徹な声で発言を遮られて、思わずアノエートスは押し黙った。直感的に、その言い訳は通用しないのだと悟ったからだ。
「そなたがヘレーネス十二王家の、カストリア王爵家の次期当主を貶めた事実に違いはなかろうが」
王爵家。そうはっきりと告げられて血の気が引いた。
そう、そうだった。カストリア家はただの公爵家ではない。イリシャ連邦法典に定められた特別な家門、この国でもっとも貴顕なる不可侵の存在だ。
その家に、婿にと求められたあの日、どれほど喜んだか分からない。これで自分も、あの栄えある一族に名を連ねることができると、努力の甲斐があったと快哉を叫んだあの若き日。
なのに、求められたのは種だけだった。決められた日時に伽に呼ばれるだけで、あとは一切必要とされなかった。領政にも、社交にも、邸の采配ですら。
だから自分の能力を認めさせたかったのだ。カストリア家に必要な人材なのだと、必要だから求めたのだと、そう言わしめたかった。
なのに、あの女は。あの娘は。
「…………何が悪い」
「ふむ?」
「全て、全て全て全て全てあいつらが悪い!この私を貶めて見下し人として扱わず、辛酸を舐めさせたのはどこのどいつだ!アレサも、オフィーリアも、ただの一度も私を家門の一員として扱わなかったではないか!だから私は」
「復讐したのだ、とでも言いたげだのう?」
またしても遮られ、またしても黙り込む。
「だからそなたは愚かだと謗られるのじゃ。種さえも求められなんだ者がどれほどおったと思うておるのじゃ」
落胆と失望の乗った声でそう言われて、愕然とした。そう。それは確かに、あの快哉の日に自分で叫んだことだった。
『次代を繋ぐために、婿としてそなたを迎えたい』
あの日、顔合わせの場で初めて見えたアレサに言われたことだ。それをアノエートスは、自身の優秀な遺伝子を求められたのだと受け取った。だから種だけと言わず、自分自身の能力の全てを提供すると申し出たのだ。
『それは間に合っておるゆえ、遠慮致そう』
なのにアレサは、澄ました顔でそう言い放ったのだ。そして余計なことなど考えずとも良い、こちらが求める事だけこなしてくれれば我が夫として遇し、カストリアの名を使わせてやると、一生を栄華のうちに終えさせてやると、そう言ったのだ。
不満は感じたが、それでも種だけでも求められたのだから、私は無数のライバルたちに勝ったのだと、あの日、確かにそう勝ち誇ったのは自分自身なのだ。
そして今は種だけ求められているのだとしても、いつか必ず自分自身を求めさせてやると、そう誓ったはずだった。
それこそが余計なことだったのだと、事ここに至って今さら気付かされるとは。
「余計なことなど考えず、大人しく従っておれば、そなたは今頃まだカストリア公爵と呼ばれておったじゃろうにのう」
その宰相の言葉が全てだった。余計な、つまり分不相応な高望みをした結果、妻であるはずのアレサには冷遇され、目の前で後継者との差を見せつけられ、使用人たちにも疎まれてカストリア家での居場所を無くしたのだ。
そう。全ては自分がカストリア女公爵の命に従わなかったから。
そんなアノエートスの邸内での味方といえば、自身の身の回りの世話をするために付けられたふたりのメイド、つまり侍女にすら上がれないような使用人と、やはり侍従に昇格できない従僕がひとりだけだった。
長女オフィーリアが生まれるまでは数日おきにアレサに求められていた夜伽だったが、それだけでは我慢しきれぬ若い欲望を持て余して、アノエートスはメイドふたりともに手を付けた。
そのメイドのひとりが閨で囁いたことがある。
『もし、万が一奥様が先に亡くなられたりしたら、その時はわたしを妻にしてくださいますか』
わずかな味方を失いたくなくて、さして深く考えずに頷いたのを覚えている。
オフィーリアが生まれるのと前後して彼女は妊娠し、それによって暇を出されてアノエートス付きのメイドはひとりだけになった。だが残ったメイドが辞めたメイドと連絡を取り持ってくれて、それで娘が生まれたことも知れたし、密かに関係を続けることもできた。
アレサからの夜伽の求めは長女オフィーリアが生まれたあとも月に数度の頻度で続いていたが、それもオフィーリアが5歳に上がったあたりで無くなった。それ以降は事あるごとにオフィーリアの優秀さを自慢され、自分と比べられ、鬱屈した日々を過ごす羽目になった。
だがアレサが病死してから風向きが変わった。婿入りして約13年、ほとんどずっと邪魔者扱いされていた自分が、唐突に当主代行の地位を手に入れたのだ。
だから彼は早速、辞めていったメイドを呼び戻した。執事が猛然と抗議してきたが、元メイドに部屋を用意するよう逆に命じた。そしてそれは、当時まだ12歳だったオフィーリアが認めたことで実現したのだ。
以来その出戻りメイドはヴァシリキと名乗って公爵夫人として振る舞うようになり、娘テルマも公爵令嬢として邸内を我が物顔で闊歩するようになった。最初は苦言を呈してきたオフィーリアだったが、叱り飛ばすと何も言ってこなくなった。
使用人たちも表向きは公然と反抗するようなこともなくなり、だから余計に、アノエートスは自分こそがアレサの後を継いだと思い込んでいたのだ。
「儂の娘がの」
唐突に無関係な話を宰相が始めて、アノエートスの意識が現実に戻ってくる。悪い夢であって欲しいと何度も願った、冷たく酷薄な石壁と無慈悲な鉄格子に囚われた、哀れな自分を冷ややかに見る宰相と兵士たちに。
「カストリア女公爵アレサ様と学習院で同期での。幸いにも知遇を得て、ご学友のひとりとしてお側に侍らせてもらっておったのじゃがの」
アノエートスが理解できないままに、話は続く。
「ある時、アレサ様が仰っておられたそうじゃ。『エリメイア伯爵家から婿を取れば、必ずやカストリア家を盛強とする子が成せるであろうと神託を得た』との」
エリメイア伯爵家、アノエートスの生家である。カストリア家の配下だが血縁関係のない、序列としては下位の家門である。そのエリメイア家には息子が4人いた。長兄、次兄とアノエートス、それに歳の離れた末弟が。
そしてこのイリシャの地では、現代でも古来の神々に祈りを捧げ神託を得て、行動の指針とする風習が残っている。
「上ふたりは既婚者、末の子は若すぎるゆえ、婿に取るなら三男しかなかろうと、残念そうに話しておったそうじゃよ」
つまりアレサが求めたのはエリメイア家の種であり、アノエートスを名指ししたのではなかった。アノエートスが選ばれたのは、単に独身でアレサと歳が近かったから。ただそれだけだったのだ。
「そんな……」
アノエートスは呆然として二の句が継げない。自分が、自分だからこそ求められたのだと、そう思っていたのに。
そう、信じていたのに。
「きっとアレサ様も、至福者の島で後悔なさっておられる事じゃろうのう。そなたを婿に迎えたばかりに、家名は汚され大事な娘も死を選び、今や家門の存続すら危ぶまれておる。⸺全く、浮かばれんことじゃ」
そこまで言い捨てて、宰相ヴェロイア侯爵は踵を返した。もはや彼は罪人を一顧だにせず、兵士たちもそれに続く。
そうして呆然としたまま言葉も発せない罪人は、薄汚れた地下牢に独り取り残された。
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