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【公女が死んだあと】
24.王妃エカテリーニの妄執
しおりを挟む「いったい其方は、何を考えておったのじゃ!」
騒々しい金切り声が、後宮最奥の王妃宮に響く。声の主はもちろん王妃エカテリーニに他ならない。
そして彼女が叱責しているのも、もちろん。
「し、しかし母上」
愛息ボアネルジェスである。
「しかし、ではないわ!あれほどあの娘をしっかり操って、万が一にも造反される事のないようにと常々申しつけておったであろう!それをむざむざと獄死させるなど!」
「わ、我はちゃんと上手くやっておりました!ですがマリッサが勝手に……!」
「それなる平民上がりの統制も取れていなかったというに、どの口が口答えなど!」
眦を吊り上げて怒り心頭の母に、いつもは尊大なボアネルジェスも慄くばかりだ。
幼い頃から父の跡を継いで次期王になるのだと言い聞かせられつつ育った彼は、この世で唯一、母にだけは頭が上がらなかったのだ。
それでも彼は、何とか弁明を絞り出す。
母に叱られるより、失望される方が彼にとっては何倍も恐ろしい事態である。
「オ、オフィーリアは我の意に反したことなどありませぬ!それがまさか勝手に自害するなど思いもよりませぬし、それにマリッサめは我の婚約者の地位を欲して暴走しただけで、我は認めては」
「勝手に自害されることのどこが、意に反しておらぬというのかえ?」
一言で論破されて、ぐうの音も出なくなるボアネルジェス。
「平民上がりごときが其方の婚約者、ひいては次代の王妃を目指すなどと不遜な企てをしたこともそうじゃ!其方が女どもの序列を明確にせず、どちらを取るか曖昧にしておったからであろうが!」
「そ、それは……」
どちらかではなく、どちらも手に入れるつもりだったとはさすがの彼も母には言えないし、その挙げ句にオフィーリアはすでに失い、マリッサもおそらくは手に入らなくなる事態になっているのだから反論の余地もない。
マリッサはすでに牢から出されて王子妃教育が始まっているというが、ボアネルジェスですら彼女がまともに教育を修められるとは思えない。あの玉座の間での失態を見れば明らかだ。
「そもそも、あの娘を其方の婚約者に仕立てたこの母の意向に、其方は逆らったも同然じゃ!」
そう。カストリアの次期当主と確定しているオフィーリアを、わざわざボアネルジェスの婚約者に推したのは他でもない王妃エカテリーニだ。
本来ならばオフィーリアは候補にすら選ばれないはずだった。それをエカテリーニが王妃の権限をフルに行使して、半ば強引に婚約を成立させたのである。
「其方の血筋を、このイリシャ最高の血統にすべく手を尽くして組んだ縁を、このような形で無碍にしおってからに!」
普段の穏やかな姿からは想像もつかない母の怒りに、ボアネルジェスは口を挟むこともできない。
「其方はかのアサンドロス大王と同じ血脈の元に生まれた己のその身をなんと心得ておるか!其方こそがこのイリシャで最高の、ひいては世界で最高の尊き“青い血”を持つ真王となる、ならねばならぬのじゃ!だというのに!」
世にいうアサンドロス大王こと、アサンドロス3世。彼こそが古代イリシャの数多の都市国家を史上初めて併合統一し、古代グラエキア王国を興した偉大なる王であり、父から神話の大英雄ヘーラクレイスの血を、そして母からやはり神話の大英雄アキレッススの血を受け継いで、当時でも「イリシャ最高の血筋」と称された古代マケダニア出身の王である。
そして彼はまた、東方から侵略の手を伸ばして来ていた大国パルシスの大軍を退け、逆に長駆遠征してパルシスを滅ぼし、西方世界と東方世界を股にかける世界帝国を築き上げた偉大な王でもあった。
だがアサンドロス大王は、10年に及ぶ遠征の末に遠く東方ヒンドの地で兵站が限界に達し、マケダニアの地に戻る途中で熱病に罹り32歳の若さで世を去った。
パルシスの地で迎えた正妃との間にできた後継者アサンドロス4世は大王の崩御時にはまだ生まれておらず、大王の後継の地位を巡って有力将校たちが相争う中で生まれたものの、実権を与えられない権威の象徴として霸権争いに翻弄され、成人を迎える前に母妃ともども暗殺された。この時に大王の他の子たちも妃たちもみな暗殺されたと伝わっており、ゆえに大王の直系の血筋は現存していない。
現在のヘレーネス十二王家は、アサンドロス大王を輩出したアルゲアス王家の庶流ということになる。アサンドロス4世の暗殺後は事実上、大王の配下将校たちの分割支配が始まり、名目上の統一君主としてアルゲアダイの傍系から迎えられた王たちが立てられたが、その王たちの子孫、もしくは子孫たちが嫁いだ家系のうち現存するものがヘレーネス十二王家なのだ。
そしてアサンドロス大王の没後、彼と同様にヘーラクレイスの末裔たるヘーラクレイオス家と、アキレッススの末裔たるアキレシオス家の血をともに受け継ぐ王というのは立っていない。偉大すぎる大王に遠慮したのだとも言われるが、この両家の直系同士の婚姻は、以後数千年の長い歴史の中で数えるほどしかない。
そんな両家の、久々の縁組がヘーラクレイオス家のバシレイオスとアキレシオス家のエカテリーニの婚姻だったのだ。そうして生まれたボアネルジェスこそが、大王と同じ血を持つ王となる。
それこそが、エカテリーニの目指したものだった。彼女は自分が“偉大な血筋”の一方に生まれたと知って、幼い頃からもう一方との縁談を強く望み、そして実現させてマケダニアに輿入れしてきたのだ。
全ては偉大なる大王をこの地に再臨させるため。そしてその母として、自らの名を永久不滅のものにする。
それこそが彼女の野望だった。だからこそ彼女は浮気の挙げ句に婚約破棄しようとしたバシレイオスを許して復縁したのだ。だって彼と婚姻しなければ大王は再臨しないのだから。
そしてエカテリーニは、大王の再臨たるボアネルジェスが後顧の憂いなく征旅に出られるよう、正妃として実務能力と高貴な血筋を兼ね備えた者を探した。それこそがカストリア家のオフィーリアだったのだ。
主神たる雷神の子として生まれたものの、双子の弟とは違って半神として生まれたばかりに戦場の露と消えた、悲劇の英雄カストールの末裔たるカストリア家。同じく雷神の子として生まれ、不死身の大英雄として不朽の名を残したヘーラクレイスの末裔たるヘーラクレイオス家と、海神の娘を母として生まれ、人類屈指の大英雄だったアキレッススの末裔たるアキレシオス家。
ヘレーネス十二王家の中でも六家しかない“神の子孫”のうち、三家の血を継ぐ子がボアネルジェスの子、ひいてはエカテリーニの孫として生まれてくるはずだった。そうすればその孫は大王ボアネルジェスの征旅を引き継ぐことも、もっと言えば東方西方の世界全てを征服する空前絶後の大偉業すら不可能ではないだろう。少なくともエカテリーニはそう考えていたし、それを夢物語で終わらせぬよう様々に画策していたのだ。
「そ……それは、母上……」
だがそんな母の妄執には、さすがのボアネルジェスですら二の句が継げなかった。少なく見積もっても三千年以上前のアサンドロス大王の時代ならともかく、現代でそんな事が実現可能だとは到底思えない。正当な理由なく侵略戦争などすれば間違いなく世界会議で非難決議が採択されるだろうし、西方世界だけでもイリシャと国力的に対等あるいは格上の国すらいくらでもあるというのに。
そしてボアネルジェスが王になったところで、まずはイリシャ国内を統一する所から始めねばならないのだ。だがそれは、大王の時代のようにマケダニアが他の連邦友邦に冠絶する軍事力を保持しているわけでもないし、実現は不可能だと言い切ってもいい。まさしく妄執に過ぎないのだ。
けれどボアネルジェスはそれを口にできなかった。言えば母をより怒らせるだけだ。
そういう意味では、オフィーリアが死んでくれて助かったとすら思えてしまう。彼女が死んだことでボアネルジェスは大王の再臨どころかマケダニアの王位継承すら危うい立場に落ちているわけだが、彼女が死んだことで母の計画もまた頓挫したのだから。
「其方は、其方の道行きには無限の栄光あるのみじゃ、そうでなければならぬのじゃ。神をも成しえぬ偉大な功績を打ち立てて、そして妾はその母として不朽の名を残さねばならんのじゃ……!」
エカテリーニはもう、ボアネルジェスを見ていなかった。彼女が見ているのは、実現するはずのない見果てぬ夢だ。
そう見て取って、ひとつ小さくため息をついてボアネルジェスはそっと母の前を辞した。母はそれを咎めなかった。
部屋の外で顔を青褪めさせつつ待機していた侍女や執事たちに「母上はお疲れのご様子だ。しばらく休んで頂いた方がよい」とだけ告げて、彼はそのまま王妃宮を後にした。
それ以来、エカテリーニは王妃宮から出てこなくなった。ヒステリックに騒いでは息子を呼んでいるそうだが、息子は二度と母の前に参じることはなかった。
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