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【公女が死んだあと】
23.実は全部見ていた
しおりを挟む意識が覚醒した時、彼女は光など一切無い、無窮の真闇の中にいた。
(…………?)
意識が途切れる前、何をしていたのか、どこに居たのか、彼女には何も思い出せなかった。それどころか自分が何者であるのかさえ、あろうことか朧気である。
(わたくしは……確か、死んだはず)
辛うじて、それだけは思い出せた。
だが頭の中に靄がかかったみたいに、思考が鈍くて上手く回らない。何も考えない楽な道を選びたくなる。
「ようやくお目覚めかな」
不意に、どこからともなく声がした。
振り返っても見えるはずなどないが⸺というか本当に振り返ったのかも自分自身定かではないのだが、とにかく彼女は声の方へ意識を向けようと努力した。
「慣れないだろうから、無理する事はないよ。ゆっくり、心を鎮めて、落ち着いて身を任せればいいから」
同じ声が、すぐ近くで聞こえた。ハッとして顔を上げると、何も見えないはずの闇の中なのに、目の前に長身の美女が立っている。
見たこともない、人とは思えぬほどの凄絶な美貌の女だった。女に見える、しかも相応に若く⸺初見の印象だと20代の半ばほど⸺に見えるその美女は、鮮やかな茜色の踝まで伸びる長い髪に、髪と全く同じ色のシンプルなドレスに身を包み同じ色の外衣を羽織り、やはり同じ色の瞳で彼女を見つめていた。
顔だけでなく、外衣越しに見て取れる全身のプロポーションや造形そのものさえ人間離れした完璧な美の体現と言ってもいいほどの、文字通りの神のごとき美女としか言いようがない。そんな美女が、小柄な自分を覗き込むようにしてやや前屈みになる。髪や瞳と全く同じ茜色の、シンプルながらも何故か神々しささえ感じるドレスの、見せつけるように大きく開いた胸元から豊かな乳房がこぼれ落ちそうで、同性ながらも思わず赤面してしまう。
まあ、赤面してしまったように感じただけだが。
「……で、自分が誰だか思い出したかい?」
「…………わたくしの名は、オフィーリア・ル・ギュナイコス・カストリア、ですわ」
問われて初めて明瞭に自覚した。
そう、わたくしはオフィーリア。アレサお母様の娘で、カストリア公爵家の次期当主、だった。
「…………わたくしは、何故このような場にいるのですか」
だってあの時、わたくしは確かに“継承の証”を開いて、出てきた錠剤を飲んで。
そう。確かに死んだはず。
であれば、此処はいわゆる死後の世界というものかしら?でも至福者の島は麗らかな楽園だと聞いているからこんな真闇ではないはずだし、そこにこのような美女がいるだなんて、そんな話は聞いたこともないのだけれど?
「んー、正確にはちょっと違うかな」
「……えっ?」
「ここは私の権能の中なんだよね」
「…………はい?」
言われている意味が、よく分からない。
というかそもそもこの美女は、一体何者なのでしょう?
「あー、そっか。まずそこからだよね」
茜色の美女は、無造作に頭髪の中に手を突っ込んで頭を掻いた。美女のくせに。
「私のことは“茜色の魔女”とでも呼んでくれたらいいよ」
「茜色の、魔女……ですか」
オフィーリアの知識の中に、そのような存在はなかった。これまで多くの書を読み、広く歴史を学んで知識を蓄えてきたはずだが、そんな存在は知識の片隅にもなかった。
「知らなくても不思議はないよ。私たち七人の魔女は、“世界の裏側”にいるからね」
世界の裏側、というのもよく分からない。だが今の言葉からすれば、この美女のような存在があと六人いる……ということだろうか。
「まあそのあたりのことは、あまり知らない方がいいよ。知れば世界に囚われるからね」
「……どういうことですの?」
「私の権能は“輪廻と転生”。ここは私の権能の中で、君を輪廻の輪に乗せる前に、私が一時的にここに留め置いているだけ」
疑問には答えてもらえなかった。だがどうやら自分が、自分の魂が今ここに在るのは、何かしらのイレギュラーな状態なのだということだけは理解した。
「なぜ、わたくしを、ここに?」
「君を虐げ死に追いやった者たちの末路を、知りたいだろうと思ってね」
それは確かに気にはなる。
だがもう死んでしまった今となってはどうにもできないし、知ってどうなるというのか。
「だって、心残りがあるだろう?」
そうだった。ほとんどのことはどうでもいいが、唯一、殿下のことだけは知りたかった。
「大丈夫、ここは現世とも幽冥とも時間が切り離されているから好きなだけ眺めていられる。まあもっとも、君が見たいものを見終えて満足するまでだけど」
「……わたくしが、満足するまで、ですか」
「いや正直言うとさあ、君みたいに“運理”に定められた寿命を待たずに勝手に死んじゃう存在って多いんだよね。そういう魂って心残りに執着しすぎて輪廻の輪に戻るのを拒否するやつとかいてさあ。ぶっちゃけ困るんだよね」
それは分かる気がする。わたくしだって、一度思い出してしまった以上、気になって仕方ないもの。
「だからヤバそうな存在には時々アフターケアしてあげるんだよね。正直面倒くさいんだけど、魂をスムーズに輪廻の輪に乗せてかないと“灰色の魔女”が煩くて⸺あ、いや、何でもないよ?」
茜色の魔女が微妙に慌てている。何やら聞いてはいけないモノを聞いてしまったような気がして、オフィーリアは忘れようと心に決めた。
「いやあ、君が物分り良くて助かるよ」
茜色の魔女はにへらと笑う。絶世の美女のくせにだらしない笑い方するわね。だがそんな彼女に、満足するまで見届けたらその後はちゃんと輪廻の輪に乗せてあげるからとそう言われて、オフィーリアは素直に厚意に甘えることにした。
だって、思い出してしまったからには気になるのだ。第二王子の真意とか、男爵家の庶子の狙いとか、家と家門の行く末とか、色々と。
「……おや。愛しい彼の行く末を一番に気にするかと思ったのだけど、違ったみたいだね?」
「い……愛しいだなんて、そんな」
婚約者のある身で、そのような道ならぬ恋慕など抱けるはずがない。わたくしはただ、彼の行く末に平穏と幸福さえあれば、それで⸺
「それで、満足?」
「まさか」
⸺今、わたくしは、なんと?
「念のために言っておくけど、今の君は肉体の死を迎えたあとの、剥き出しの魂の状態にある。建前やメンツ、矜持なんていう余計なものは何も持ってないし、そもそもそんな必要ないものは持って来れないんだよ」
「…………わたくしは、彼に」
「彼に?」
「泣いてほしい。悼んでほしい。愛していたと、そう言ってほしい。⸺わたくしだけに愛を捧げて、わたくしだけを想って、ずっとずっと過ごして欲しいですわ!」
言ってしまってから、気付く。なんて浅ましい、自分勝手な想いを抱くのかと。
だけど同時に、自分が本当に欲しかったものが何だったのか、自分でも驚くほどストンと腑に落ちた。
見上げれば、茜色の魔女が穏やかに微笑んで、自分を見つめていた。
「そう、遠慮はいらない。剥き出しの欲望そのままに、自分が欲しいものだけ思い浮かべて求めればいい。だってここには、魂だけしかいないんだから」
⸺そう、か。
そうだわ。
そうだったのね。
納得し、受け入れた魂魄を見て、茜色の魔女はにこやかに微笑みながら告げた。
「じゃあまずは、きみの亡骸が発見された辺りから見ていこうか」
彼女が真闇に手をかざす。すると目の前が急に明るくなり、一気に視界が開けた。
気がつけばそこは、オフィーリアもよく知っている場所。王城の玉座の間だった。
だが視点がいつもと違う。オフィーリアは天井付近から、玉座に座るバシレイオス王を含めて全てを見下ろしていた。その玉座の王の前に、第二王子と男爵家の庶子と、父とサロニカ公爵が跪いている。
一瞬だけ不敬かという思いが過ぎったが、すぐにどうでもいいと思い直す。幽魂である自分に、今さら不敬も何もあるものか。
「カストリア公女オフィーリアが、昨夜、崩じた」
眼下で、憔悴しきった表情のバシレイオス王が、そう告げたのが聞こえた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「⸺で、ここまで見てきてどうだった?」
「ざまあみろ、ですわね」
“茜色の魔女”にそう問われて、オフィーリアは正直に答えた。
だってボアネルジェスのあの呆然とした顔と狼狽えようも、地に堕ちたその評判も、ペラ男爵家令嬢⸺令嬢とは名ばかりのマリッサの悲痛な叫びも、なんならバシレイオス王が心痛に頭を抱える様まで痛快としか言いようがなかった。サロニカ家のいけ好かない嫡男も、自分を罪人呼ばわりして突き飛ばした騎士セルジオスも、自業自得でいい気味だ。
わたくし、こんなに性格悪かったかしら?と一瞬だけ考えたものの、要するに鬱憤が溜まっていたのだと気付いて納得する。
ああ……そうね。わたくし、ずっと我慢していたのだったわ。でももうそんな我慢も、もう必要ないのだわ。
「いい笑顔するじゃない」
「当然ですわね」
茜色の魔女にそう揶揄われても、ちっとも気にならない。だって本当に、いい気味だと心から思えるのだから。
「でも、まだ足りませんわ」
もはや恨みしかない父の破滅も見なくては。あとその愛人も、疎ましかった異母妹も、きっちり見届けてやらねば。
「お、いいねえ。じゃあ続きを見ていこうか」
茜色の魔女のその言葉で、再び目の前の景色が変わる。
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第一章 無計画な婚約破棄
第二章 無計画な白い結婚
第三章 無計画な告白
第四章 無計画なプロポーズ
第五章 無計画な真実の愛
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