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【公女が死んだあと】
22.マリッサの馬脚とサロニカ家の命運
しおりを挟む「なんでよ!なんでこんなことあたしが覚えなくちゃいけないの!?」
今日も王宮の片隅の小晩餐室に、ヒステリックな金切り声が飛んでいる。
もちろんそれは、マリッサの声だ。
「王子妃におなりになるのですから、この程度は出来て当然。最低限にもなりませんわね。カストリア公女はこれしきのこと、11歳の頃にはすでに身につけておいででした」
「あのおん……、カストリア公女とあたしは違うのよ!」
すんでで言い直したあたり、多少は教育の成果が出てきたようではある。だが当然ながら、まだまだ完璧には程遠い。
マリッサはすでにサロニカ公爵家との養子縁組が承認されていて、だから公的には「サロニカ公爵家令嬢マリッサ」である。だがサロニカ公爵家からすればマリッサは歩く恥晒しでしかなく、おまけにカストリア公女オフィーリアを死なせた大罪人であるため、彼女の罪まで家門に負わせられた格好になっている。
ゆえにサロニカ家からマリッサに対する援助はなく、当然ながら擁護もない。サロニカ公爵家の公邸に戻ることもできないマリッサは王宮に形ばかりの自室を与えられ、昼夜を問わずマナーや礼儀作法、語学、音楽、歴史など、膨大な教育を一斉に詰め込まれる日々を過ごしている。
「とにかくいい加減にして!じゃないとジェスさまに言いつけてやるわ!」
「どうぞご随意に。第二王子殿下からも厳しくしつけてやってくれと仰せ付かっておりますので、一向に構いませんよ」
「あああもう……!」
サロニカ公爵家ばかりでなく、頼みのボアネルジェスでさえマリッサの味方ではなくなったようである。
「とにかく!あたしにはこんな難しいのはムリ!ムリなの!」
「あら、まあ。カストリア公女にお出来になったことが、サロニカ公女には難しいと仰るのですか。なんとも情けないこと」
「だってあたしは“公女さま”じゃないもの!」
「なにを仰いますやら。貴女様は“サロニカ公女”ではありませんか」
マナーも作法も全く身につかないマリッサが悲鳴を上げるものの、教育係には一向に聞き入れてもらえない。
それもそのはず。彼女はオフィーリアの王子妃教育も担当していて、常々その完璧さを絶賛していた教師である。類稀なる優秀な教え子を理不尽に害されて、直接ではないにせよ加害した相手に温情などかけようはずもない。
この教師だけでなく、王子妃教育の各分野を担当する全ての教育係がオフィーリアを絶賛し、そしてオフィーリアを害したマリッサを憎悪していた。
「⸺そう。貴女はもう殿下のご婚約者のサロニカ公女なのです。泣いても喚いてもそこが覆ることはもはやないのだから、諦めて少しは努力してはいかがですか!」
「…………ひっ!」
慇懃無礼を崩さない教育係から急に怒鳴りつけられて、マリッサがビクリと肩をすくめる。
ちなみにこの国において、「公女」とはヘレーネス十二王家の令嬢のみを指す特別な敬称である。十二王家に属さぬサロニカ公爵家の子女は、つまりマリッサは、サロニカ公爵家令嬢であってサロニカ公女ではない。
その彼女を教師たちが敢えて“公女”と呼ぶのは、マリッサにすら分かる強烈な嫌味であった。
「貴女のような人に非ざる者でも、もう第二王子殿下の婚約者なのですよ!であるならば、せめて取り繕える程度には覚えようという気にならないのですか!」
「あ、あたしは……最初からムリって言ってたもの!」
最初から王子妃の座を、ゆくゆくは王妃の座さえ狙っていたというのに、マリッサはそんな事すら忘れてしまったかのようだ。
だがいずれにせよ、マリッサがボアネルジェスの婚約者を外れることはもう無い。外れる時、それは彼女が死を賜る時なのだから。
このような調子で、マリッサはどの教育でもムリだと喚いて、結果として鞭で躾けられることとなった。マリッサが出来ないと喚くたびに、その身体に鞭の跡が増える。だがこれでも彼女は14歳で、まだ成人のお披露目も済んでいないため、叩かれるのは腰回りや尻、背中、太腿に限定されていた。
その跡が痛々しいせいか、ボアネルジェスは寝室でマリッサを抱かなくなった。鞭の跡を醜いと思ったのか、それとも日々のあまりの激務に自身が勃たなくなっただけなのかは、本人が黙して語らないため分からないが。
「もうムリ……ホントにムリ……こんなのあたしが欲しかったのと違う……!」
心身ともに折られまくって絶望したところで、今さら運命が変わるわけもない。このあともマリッサには、教育係全てから憎まれ厳しい課題を与えられて、できるようになるまでそれをやらされる日々が待っているだけである。
宝飾品や美しいドレスで着飾ることも、ティータイムを優雅に過ごすことも、夜会で多くの男女に傅かれることもない。あるのは鞭の痛みと罵倒と、そして終わらぬ課題の山。婚約者のはずのボアネルジェスは庇ってくれることもなく、それどころか最近は避けられているようで寝室さえ別々だ。
「こんな事になるのなら、殿下なんて寝取るんじゃなかった……!」
まさに世に言う『後悔した時にはもう遅い』というやつである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サロニカ公爵家は、先代が自害したあと次男が爵位を継いだ。なぜ次男なのかと言えば、嫡男が亡きカストリア公女の私物を盗んで不敬を働いたとして死罪を賜ったからである。
というのも、嫡男の服のポケットから、ボアネルジェスとオフィーリアの婚約指輪が出てきたのである。あの時ポケットに突っ込んだまま逃げ出して、そのまま彼が忘れていたのを、サロニカ公爵家の洗濯メイドが発見したのだ。
見慣れぬ、シンプルながらも見るからに高価な指輪を見つけた洗濯メイドは執事に報告し、その指輪にボアネルジェスとオフィーリアの名の刻印を見つけた執事は驚愕して家令に報告し、家令は死罪を覚悟の上で王宮に奏上した。王宮に直接奏上したのは、当主が自害し爵位を継ぐ予定の嫡男の案件だからだ。
その結果サロニカ公爵家の嫡男は厳しい詮議を受けて、オフィーリアに対して行ったことを全て白状した。侮辱し、指輪を奪い、髪を掴み、拳で殴りつけ、“継承の証”すら奪おうとしたことまで全て騎士たちや王宮の侍女たちに見られていて、隠しおおせるものでもなかった。
そうして彼は死罪となったものの、実はまだ生きていて王宮にて幽閉されている。勝手に処刑して内密に処理してしまうと、アカエイア王家に露見した場合に証拠隠滅を疑われるからである。
なお家令は王家に対する忠誠を嘉された。それがサロニカ家全体への酌量にも繋がったのは、サロニカ家にとっては不幸中の幸いというべきだろうか。
そんなわけで父が死に、兄が罪を得て帰ってこられない状況になって、半ば無理矢理サロニカ公爵となったのは18歳の次男であった。無理矢理というのは、王命によって爵位継承を命じられたからである。
爵位継承の年齢基準こそ満たしていたものの兄がいたため後継教育はほとんど施されておらず、領政にもほぼ関わっていなかった新公爵の能力があまりにも未知数で、親族も配下家門も不安に慄いている。しかもそこにマリッサという“不穏の種”まで抱えて、サロニカ公爵家の命運は今や『高波の前の小舟』も同然だ。
なおオフィーリアを罪人牢に連行し、その過程で罪人呼ばわりを繰り返し暴行をも働いた騎士セルジオスもまた、死罪を言い渡された。セルジオスだけでなく、あの時連行に関わった騎士たち全員がそうである。
第二王子に従っただけで彼らが主体的に行ったことではない、という擁護も出るには出たものの、バシレイオス王がそれを容れなかった。いかに王子の命であろうともオフィーリアはカストリア家の次期当主、すなわちイリシャ国内で特別な権威を持つヘレーネス十二王家の当主に準じる存在であり、いかなる理由があろうとも暴行を働いてよい相手ではなかった。
セルジオスは詫びれば済むと思っていたオフィーリアが自害したことで罪を免れる手段を失い、捕縛のための騎士たちを差し向けられた事により半狂乱となって貴人牢内で暴れたため、その場で斬り捨てられた。父の侯爵は爵位の返上及び自身の息子への連座を願い出て、その神妙さを嘉されて子爵位への降格で済まされた。
すでに収監されていたそのほかの騎士たちも抵抗するなり逃亡を企てるなりして、誰ひとり従容と罪を受け入れたものはなく、結果的に全員が捕縛され斬首された。
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