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【公女が死ぬまで】

11.婚約破棄

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 夜会は粛々と進む。このまま何事もなく終わるのではないかと思えるほどに。
 だが参加の貴族諸卿の挨拶の取り交わしもほぼ終わり、そろそろダンスタイムに移ろうかといったタイミングで、ついにボアネルジェスが動いた。

「この場に集う諸卿に聞いてもらいたいことがある!」

 雷を思わせる大音声で、ボアネルジェスが何やら言い始めたのだ。

「カストリア公女オフィーリア!の前にく参じよ!」

 そしてそう言われてしまっては、出て行く以外にない。
 やむなくオフィーリアは再び壁を離れ、婚約者の前、会場の中央に進み出た。

「お呼びでございましょうか、殿下」

「呼ばれた理由は判っておるな?」

 おそらく婚約を破棄したいのだろう。だがオフィーリアから言い出せることではない。

「畏れながら、愚昧ぐまいの身には分かりかねます」
「自らの所業を棚に上げて、よくもぬけぬけとそのようなことを!⸺そなたとの婚約は、今この場にて破棄してくれる!」

 敢えてそう言うしかないオフィーリアを忌々しそうに睨みつけてから、ボアネルジェスは予想通りに婚約破棄に言及したのだった。


 第二王子ボアネルジェスのその宣言に、貴族たちの反応は大別して三者に別れた。
 ひとつは訝しみ、非難とも疑念ともつかない感情を向ける者。もちろん貴族の嗜みとして感情をそのまま見せることなどしないが、目線を動かしたり扇で口元を隠すなど、感情表現の手段はいくらでもあるものだ。これにはカストリア家の配下家門の大半と、何も事情を分かっていない中立派や無関係の家門が含まれ、これがもっとも多数派である。
 次に驚き、動揺する者。中立派や無関係の家門の過半はこれに含まれ、特に下位貴族の者たちは一様に驚いている。驚きつつも、見せ物を見る感覚で傍観者に徹して楽しもうとする者さえいたりする。
 そして最後は、第二王子に同調してニヤニヤと、オフィーリアの立たされた立場を眺め嘲り侮蔑する者たち。中心はカストリア公爵家と対立するサロニカ公爵で、サロニカ家に追従ついしょうする家門のうち一部の高位の貴族当主たちが含まれる。彼らはこの後に起こることまで知っていそうだが、サロニカ派でも伯爵以下の多くの家門は驚いたり訝しんだりしているようで、おそらく一部にしか知らされていないのだろう。

「…………わたくしたちの婚約は、ヘーラクレイオス王家並びにイリシャ本国たるアカエイア王国アーギス王家の承認のもとで結ばれたもので⸺」
「そんな事は分かっておる!」

 なんとか翻意させようとしたオフィーリアの言葉は、当のボアネルジェスの大声にかき消される。

「だがとの婚約なぞ破棄して当然だろう!」

 続けて放たれた言葉に、オフィーリアは咄嗟に反応ができなかった。
 罪人?わたくしが?一体何を仰っておられるの?

「とぼけようとしても無駄だ!カストリア公爵家には脱税の疑惑がかかっておる!それをそなたが主導した疑いが濃厚だというではないか!」

 全くの事実無根であった。言いたくはないが、あの父とその愛人ならばまだしも考えられなくもない。だがカストリア公爵家の財政は潤沢で、わざわざ脱税などしなくとも充分に奢侈な生活が送れているし、むしろオフィーリアが指示して、そんな気も起こさないほど彼らを自由に遊ばせてやっているほどなのだ。
 もしも財政に懸念があるのであれば、家令から報告と相談が必ずあるはずである。これまでにも彼からは幾度か父の散財について相談を受けているから、その家令がオフィーリアに黙って罪を犯すとも思えない。

「そんな、何かの間違いで⸺」
「余のげんを虚偽だと申すか!」

 頭ごなしに怒鳴りつけられて、オフィーリアは黙り込むしかない。ボアネルジェスがオフィーリアの言葉を聞かないのはだ。
 だから彼女は代わりに、階上を振り仰いだ。

「畏れながら陛下に申し上げます。殿下のご懸念は真正まことでございますか」

「…………告発があったこと自体は、事実である」

 マケダニアの現国王、バシレイオス・レ・アンドロス・ヘーラクレイオス王は、苦渋に満ちた表情のまま、それだけ発言した。
 その表情を見て、ボアネルジェスが確定のように語る容疑はまだ疑惑でしかないのだと悟った。だが疑われたというだけでも重大な醜聞スカンダロンである。カストリア公爵家のような歴史も権威も権勢もある家門にとっては特に。

「殿下、再調査を!さすれば必ずや、我が身の潔白を⸺」
「そなたに言われずとも罪が明らかになるまで調べてやるとも!だがそなたを野放しにしておっては証拠を隠滅するに違いない!」

 ニヤリと嗤ってボアネルジェスが右手を肩口まで上げ、それを合図に会場警護の騎士たちがオフィーリアに殺到してくる。すでに招待客の貴族たちには遠巻きにされており、会場の従僕や給仕たちも逃げ散っていてひとりきりだったオフィーリアは、あっという間に騎士たちに取り囲まれた。
 その騎士のひとりに肩を押さえつけられ、右腕を掴まれ背中にねじり上げられてオフィーリアは驚愕した。

「なっ、何をするのです!」

 容疑をかけられたとはいえまだ疑惑、しかもかけられたのは筆頭貴族にしてイリシャ連邦内でも重要な地位を持つ、カストリア公爵家の次期女公爵なのだ。拘束するにしても通常ならば敬意と礼節をもって、その身に触れずに先導し、貴人牢に案内するのが騎士の仕事のはずだ。

「暴れる罪人を取り押さえたまでだ」

 だが騎士は、そう言ってニタリと嗤っただけだった。その顔を見て、それがサロニカ派の侯爵家の次男であることに気付いて、オフィーリアは思わずサロニカ公爵を見た。
 サロニカ公爵は嗤っていた。この騎士と、それからボアネルジェスとをして。
 つまりはボアネルジェスとサロニカ公爵は共謀しているということだ。そうと気付いて、ねじられた腕の痛みに顔を歪めつつもボアネルジェスを振り返って、またもオフィーリアは見てしまった。
 ボアネルジェスの隣に立つ、ペラ男爵家の庶子マリッサもまた、同じ嗤いを浮かべていたのだ。

「殿下、殿下!そもそもなぜペラ男爵家の庶子など侍らせておられるのですか!わたくしという婚約者がありながら!」

 思わず叫びながらも、オフィーリアは正しく理解していた。つまりはボアネルジェスとマリッサに嵌められたのだと。そしてサロニカ公爵がそれに一枚噛んで、カストリア公爵家を追い落とすために謀略を仕組んだのだと。
 おそらくバシレイオス陛下は疑惑を信じてはいないだろう。だがマケダニア国内でカストリア公爵家に次ぐ権勢を持つサロニカ公爵を、調査もせずにしりぞけられなかったのだ。
 分からないのは二点。ボアネルジェスがなぜマリッサを伴っているのかということと、マリッサとサロニカ公爵との繋がりだ。マリッサの実家であるペラ男爵家は、どちらかといえば中立の独立家門であったはずだ。

「それもそなたの罪状ゆえだ」

 だがオフィーリアの必死の問いかけにも、ボアネルジェスは冷めきった声を返すだけだった。

「そなたは日頃から、学習院内で彼女に手酷い虐待を加えていたそうではないか!」
「……なっ!?」
「それも厳しく詮議させるゆえ、覚悟致せ!」
「お待ち下さい!わたくしの、⸺わたくしのどこにそんな暇があったと仰るのです!」
「そなたが直接手を下さずとも、人を使ったのであろうが!」

 つまりそれは、偽証する証人の用意があるということ。

「業腹だが、わが婚約者の仕出かした罪だ。われが償いをするのが筋であろう?」

 ボアネルジェスは相変わらずニヤニヤとしたみを崩さない。

「よって!余はここにいるペラ男爵家のマリッサ嬢を新たに婚約者とすることにした!」
「そんな!お気は確かですか殿下!?」
「愚弄するでないわ痴れ者め!マリッサ嬢はサロニカ公爵家の養女としたのち、余の伴侶として迎えることとなる!」

 そう。つまり全ては仕組まれていて、すでに覆す余地などないのだ。日々の公務と領政、それに学習院の学生会業務とに忙殺されていたオフィーリアのあずかり知らぬところで、全て終わってしまっていたのだ。





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