上 下
7 / 84
【公女が死ぬまで】

07.オフィーリアとテルマ(2)

しおりを挟む


『頑なにわたくしを公女だと認めないお義姉さまには、お優しくてお強くて素晴らしいボアネルジェス殿下の隣に立つ資格などありませんわ!なぜ辞退なさらないの!?』

 顔を合わせるたびに、テルマからそう言われるのは正直うんざりする。
 オフィーリアだって別に望んでなどいないし、辞退できるものなら辞退したい。だが辞退してしまっては王妃にはなれないし、なれなければ不遇の第一王子カリトンの運命も変えてやれない。だからこそ、ボアネルジェスに疎まれようともテルマに嫉妬されようとも彼の婚約者を降りるつもりはない。
 そもそもこの婚約は王家が無理にねじ込んできたものだ。本来なら次期カストリア公爵たる自分が次期王妃に選ばれるなどあり得なかったのに。
 というか、なぜテルマが第二王子の名を親しげに呼んでいるのか気になって仕方ないオフィーリアである。まあそれを一度問い質した時に大袈裟に泣かれて、父アノエートスに罵倒されてからは敢えて素知らぬフリをしているが。


「学習院に入学して間もないわたくしですら知っているのよ。お義姉さまが学習院でなんと呼ばれているのか」

 どうやら異母妹テルマは、目障りなオフィーリアを攻撃する新たな口実を得たようだ。
 だが正直、オフィーリアにとってはどうでもいいことだ。ボアネルジェスと同じ学び舎で過ごすためにとわざわざ選んだ学習院だったのに、蓋を開けてみれば登下院も昼食も昼休みも第二王子に侍ることは叶わず、それどころかのボアネルジェスに命じられて学生会長をやらされる始末。淑女科での授業内容は後継教育と王子妃教育以上のものではなかったし、正直通う意味などなかった。
 つまりオフィーリアが最終学年の今年まで律儀に通っているのは、ほぼほぼ卒院証書取得と学生会長代理の業務のためでしかない。

 年が明けて16歳になれば⸺この世界では、誕生日とは別に年明けとともに一律で加齢する⸺およそひと月ほどでである。そうすれば本格的にボアネルジェスとの婚姻の準備が動き出すし、婚姻すれば彼は立太子され、オフィーリアも王太子妃となる。
 卒院まで、あと半年。そこまで我慢すれば少なくとも学生会業務からは解放されるし、住まいが正式に王宮に移ることで父や異母妹とも顔を合わせずに済むようになる。

「⸺『真実の愛を妨げる我侭ワガママ公女』」

 そうして現実から目を背けて将来に想いを馳せ始めたオフィーリアの耳朶じだを、テルマのその声が殴りつけた。

「…………なんですって?」

 一瞬、言われたことが理解できずに、思わずオフィーリアは聞き返していた。

「何度でも言ってやりますわ。お義姉さまは『真実の愛を妨げる我侭公女』だと、同窓の皆様から大層嫌われてるんですってね?学習院内では下級生たちですら知っていることよ」

 ニヤニヤと嗤うテルマの顔をまじまじと見返しても、なんのことを言われているのかオフィーリアには意味が分からない。真実の愛?我侭公女?

「まあ、とぼけるつもりなのね。夜な夜な遊び歩いてボアネルジェス殿下にさんざん迷惑をかけている上に学習院でも付きまとって、相当嫌われてるって聞いたわ!」

 夜遊びなどしていないし、テルマは父の言葉を鵜呑みにしているだけだ。そして学習院で殿下に付きまとった憶えもない。まあ学生会業務で会長の決裁が必要なものだけは、毎回頼み込んでサインしてもらっているが。そしてそのたびに「だからそなたがよきに計らえば良いと何度言ったら分かるのだ!」と叱責されてはいるが。
 ああ、なるほど。人目のある場所で叱責されたこともあるから、たしかに傍目には付きまとっているように見えたのかも知れない。
 だが学生会長決裁の代筆は無理なので仕方ないのだ。公務書類であればまだ文官おとなたちが察して上手く呑み込んでくれるが、まだ学生の身で、学生会役員ですらないオフィーリアに学生会業務を丸投げしていたなどと知られれば、ボアネルジェスの今後の評判に関わるのだから。

 そう、実は学生会長代理などという役職は学生会にはない。そんなものは13歳の入学直後に学生会長に立候補して無投票選任されたボアネルジェスが、役職に過ぎないのだ。教職員にも黙認させた上で彼はオフィーリアを、自らの婚約者だというだけの理由で選任し、そうして有無を言わさず代理として指名されたオフィーリアは仕方なくこの二年半もの間、彼の学生会職務を肩代わりするしかなかった。
 けれどもそんな事実を公的に残すわけにはいかないため、学生会長の署名のみはボアネルジェスにやってもらわなくてはならなかったのだ。

 だが、それよりも気になるのはその前段である。

「真実の愛、とは?」
「まあ!それさえとぼけるんですの?院内では知らぬ者もないというのに!」

 と言われても、院内でも院外でも友人などいないオフィーリアには情報源がなく、したがって注進してくれるような令嬢もいない。同学年の高位貴族子女には第二王子の婚約者の地位を妬まれるし、下級生の子女には羨望され遠巻きにされているだけだ。公爵家配下の家門の子女たちには、いつでもどうにでも態度を変えられるように自分にはなるべく近付くなと、普段からそれとなく人を介して忠告し遠ざけてある。
 だからオフィーリアは自分に関する噂でさえ、知る機会がなかった。そもそも卒院さえしてしまえば王太子妃となるのは既定路線だったから、多少の噂程度は障害にもならぬ。王太子妃ともなれば社交もせねばならないため、そうなってからゆっくり誤解を解けばいいとオフィーリアは考えていた。
 というか、そうなってからでなければ対応する時間が取れない。物理的に不可能である。

「……その様子だと、本当に何も知らないみたいですわね。まあいいですわ、その時になって恥を晒すのはお義姉さまですもの。今から楽しみだわあ!」

 訝しそうに眉をひそめたあと、急に愉しそうに口を開け声を上げて笑い始めたテルマに、オフィーリアも眉を顰める。貴族令嬢を名乗りたいのなら、もう少し令嬢教育を真面目に受けたらいいのに。先ほどから言葉遣いも中途半端だし、口を開けて笑うし、受験を頑張って学習院へ入学したのは立派だけれど、やっぱりこの子は市井の生まれの平民でしかないのねと、オフィーリアは内心でため息をついた。
 正式に公爵位を継いだあと、この子には父と義母と揃って領都の別邸に引っ込んでもらいましょう。これ以上自由にさせてはカストリア公爵家の名を貶めるだけだし、生活の保証だけ確約して、それで呑んでもらうしかないわね。

 オフィーリアはそう考えて、テルマの高笑いには返事をせず、控えていた執事に「それでは、行ってくるわね」と言い残して玄関ホールを出た。すぐ正面の馬車止まりにはすでに専属の馭者が公爵家の馬車を用意していて、彼女はそれに乗り込んだ。
 ちなみにテルマにも専属の馬車と馭者を与えてある。学習院へ登院するのに彼女と一緒の馬車で通うなど、オフィーリアの心身のほうが耐えられそうにないからだ。
 馭者だけでなく侍女数名と執事補をひとり、テルマとその母にそれぞれ付けている。そうしないと人事権のない父が煩かったというのもあるし、テルマを不当に虐げているなどという噂を真実にする訳にいかなかったからでもある。

 背後でテルマが何やら金切り声を発していたけれど、オフィーリアはもう反応しなかった。





しおりを挟む
感想 145

あなたにおすすめの小説

王妃はわたくしですよ

朝山みどり
恋愛
王太子のやらかしで、正妃を人質に出すことになった。正妃に選ばれたジュディは、迎えの馬車に乗って王城に行き、書類にサインした。それが結婚。 隣国からの迎えの馬車に乗って隣国に向かった。迎えに来た宰相は、ジュディに言った。 「王妃殿下、力をつけて仕返ししたらどうですか?我が帝国は寛大ですから機会をたくさんあげますよ」 『わたしを退屈から救ってくれ!楽しませてくれ』宰相の思惑通りに、ジュディは力をつけて行った。

今更、いやですわ   【本編 完結しました】

朝山みどり
恋愛
執務室で凍え死んだわたしは、婚約解消された日に戻っていた。 悔しく惨めな記憶・・・二度目は利用されない。

【本編完結】番って便利な言葉ね

朝山みどり
恋愛
番だと言われて異世界に召喚されたわたしは、番との永遠の愛に胸躍らせたが、番は迎えに来なかった。 召喚者が持つ能力もなく。番の家も冷たかった。 しかし、能力があることが分かり、わたしは一人で生きて行こうと思った・・・・ 本編完結しましたが、ときおり番外編をあげます。 ぜひ読んで下さい。 「第17回恋愛小説大賞」 で奨励賞をいただきました。 ありがとうございます 短編から長編へ変更しました。 62話で完結しました。

一年で死ぬなら

朝山みどり
恋愛
一族のお食事会の主な話題はクレアをばかにする事と同じ年のいとこを褒めることだった。 理不尽と思いながらもクレアはじっと下を向いていた。 そんなある日、体の不調が続いたクレアは医者に行った。 そこでクレアは心臓が弱っていて、余命一年とわかった。 一年、我慢しても一年。好きにしても一年。吹っ切れたクレアは・・・・・

またね。次ね。今度ね。聞き飽きました。お断りです。

朝山みどり
ファンタジー
ミシガン伯爵家のリリーは、いつも後回しにされていた。転んで怪我をしても、熱を出しても誰もなにもしてくれない。わたしは家族じゃないんだとリリーは思っていた。 婚約者こそいるけど、相手も自分と同じ境遇の侯爵家の二男。だから、リリーは彼と家族を作りたいと願っていた。 だけど、彼は妹のアナベルとの結婚を望み、婚約は解消された。 リリーは失望に負けずに自身の才能を武器に道を切り開いて行った。 「なろう」「カクヨム」に投稿しています。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

今世は好きにできるんだ

朝山みどり
恋愛
誇り高く慈悲深い、公爵令嬢ルイーズ。だが気が付くと粗末な寝台に横たわっているのに気がついた。 鉄の意志で声を押さえ、状況・・・・状況・・・・確か藤棚の下でお茶会・・・・ポットが割れて・・・侍女がその欠片で・・・思わず切られた首を押さえたが・・・・首にさわった手ががさがさ!!!? やがて自分が伯爵家の先妻の娘だと理解した。後妻と義姉にいびられている、いくじなしで魔力なしの役立たずだと・・・・ なるほど・・・今回は遠慮なく敵をいびっていいんですわ。ましてこの境遇やりたい放題って事!! ルイーズは微笑んだ。

いつまでも甘くないから

朝山みどり
恋愛
エリザベスは王宮で働く文官だ。ある日侯爵位を持つ上司から甥を紹介される。 結婚を前提として紹介であることは明白だった。 しかし、指輪を注文しようと街を歩いている時に友人と出会った。お茶を一緒に誘う友人、自慢しちゃえと思い了承したエリザベス。 この日から彼の様子が変わった。真相に気づいたエリザベスは穏やかに微笑んで二人を祝福する。 目を輝かせて喜んだ二人だったが、エリザベスの次の言葉を聞いた時・・・・

処理中です...