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【公女が死ぬまで】
07.オフィーリアとテルマ(2)
しおりを挟む『頑なにわたくしを公女だと認めないお義姉さまには、お優しくてお強くて素晴らしいボアネルジェス殿下の隣に立つ資格などありませんわ!なぜ辞退なさらないの!?』
顔を合わせるたびに、テルマからそう言われるのは正直うんざりする。
オフィーリアだって別に望んでなどいないし、辞退できるものなら辞退したい。だが辞退してしまっては王妃にはなれないし、なれなければ不遇の第一王子カリトンの運命も変えてやれない。だからこそ、ボアネルジェスに疎まれようともテルマに嫉妬されようとも彼の婚約者を降りるつもりはない。
そもそもこの婚約は王家が無理にねじ込んできたものだ。本来なら次期カストリア公爵たる自分が次期王妃に選ばれるなどあり得なかったのに。
というか、なぜテルマが第二王子の名を親しげに呼んでいるのか気になって仕方ないオフィーリアである。まあそれを一度問い質した時に大袈裟に泣かれて、父アノエートスに罵倒されてからは敢えて素知らぬフリをしているが。
「学習院に入学して間もないわたくしですら知っているのよ。お義姉さまが学習院でなんと呼ばれているのか」
どうやら異母妹は、目障りなオフィーリアを攻撃する新たな口実を得たようだ。
だが正直、オフィーリアにとってはどうでもいいことだ。ボアネルジェスと同じ学び舎で過ごすためにとわざわざ選んだ学習院だったのに、蓋を開けてみれば登下院も昼食も昼休みも第二王子に侍ることは叶わず、それどころか学生会長のボアネルジェスに命じられて本来あり得ない学生会長代理をやらされる始末。淑女科での授業内容は後継教育と王子妃教育以上のものではなかったし、正直通う意味などなかった。
つまりオフィーリアが最終学年の今年まで律儀に通っているのは、ほぼほぼ卒院証書取得と学生会長代理の業務のためでしかない。
年が明けて16歳になれば⸺この世界では、誕生日とは別に年明けとともに一律で加齢する⸺およそひと月ほどで卒院である。そうすれば本格的にボアネルジェスとの婚姻の準備が動き出すし、婚姻すれば彼は立太子され、オフィーリアも王太子妃となる。
卒院まで、あと半年。そこまで我慢すれば少なくとも学生会業務からは解放されるし、住まいが正式に王宮に移ることで父や異母妹とも顔を合わせずに済むようになる。
「⸺『真実の愛を妨げる我侭公女』」
そうして現実から目を背けて将来に想いを馳せ始めたオフィーリアの耳朶を、テルマのその声が殴りつけた。
「…………なんですって?」
一瞬、言われたことが理解できずに、思わずオフィーリアは聞き返していた。
「何度でも言ってやりますわ。お義姉さまは『真実の愛を妨げる我侭公女』だと、同窓の皆様から大層嫌われてるんですってね?学習院内では下級生たちですら知っていることよ」
ニヤニヤと嗤うテルマの顔をまじまじと見返しても、なんのことを言われているのかオフィーリアには意味が分からない。真実の愛?我侭公女?
「まあ、とぼけるつもりなのね。夜な夜な遊び歩いてボアネルジェス殿下にさんざん迷惑をかけている上に学習院でも付きまとって、相当嫌われてるって聞いたわ!」
夜遊びなどしていないし、テルマは父の言葉を鵜呑みにしているだけだ。そして学習院で殿下に付きまとった憶えもない。まあ学生会業務で会長の決裁が必要なものだけは、毎回頼み込んでサインしてもらっているが。そしてそのたびに「だからそなたがよきに計らえば良いと何度言ったら分かるのだ!」と叱責されてはいるが。
ああ、なるほど。人目のある場所で叱責されたこともあるから、たしかに傍目には付きまとっているように見えたのかも知れない。
だが学生会長決裁の代筆は無理なので仕方ないのだ。公務書類であればまだ文官たちが察して上手く呑み込んでくれるが、まだ学生の身で、学生会役員ですらないオフィーリアに学生会業務を丸投げしていたなどと知られれば、ボアネルジェスの今後の評判に関わるのだから。
そう、実は学生会長代理などという役職は学生会にはない。そんなものは13歳の入学直後に学生会長に立候補して無投票選任されたボアネルジェスが、勝手に設定した役職に過ぎないのだ。教職員にも黙認させた上で彼はオフィーリアを、自らの婚約者だというだけの理由で選任し、そうして有無を言わさず代理として指名されたオフィーリアは仕方なくこの二年半もの間、彼の学生会職務を肩代わりするしかなかった。
けれどもそんな事実を公的に残すわけにはいかないため、学生会長の署名のみはボアネルジェスにやってもらわなくてはならなかったのだ。
だが、それよりも気になるのはその前段である。
「真実の愛、とは?」
「まあ!それさえとぼけるんですの?院内では知らぬ者もないというのに!」
と言われても、院内でも院外でも友人などいないオフィーリアには情報源がなく、したがって注進してくれるような令嬢もいない。同学年の高位貴族子女には第二王子の婚約者の地位を妬まれるし、下級生の子女には羨望され遠巻きにされているだけだ。公爵家配下の家門の子女たちには、いつでもどうにでも態度を変えられるように自分にはなるべく近付くなと、普段からそれとなく人を介して忠告し遠ざけてある。
だからオフィーリアは自分に関する噂でさえ、知る機会がなかった。そもそも卒院さえしてしまえば王太子妃となるのは既定路線だったから、多少の噂程度は障害にもならぬ。王太子妃ともなれば社交もせねばならないため、そうなってからゆっくり誤解を解けばいいとオフィーリアは考えていた。
というか、そうなってからでなければ対応する時間が取れない。物理的に不可能である。
「……その様子だと、本当に何も知らないみたいですわね。まあいいですわ、その時になって恥を晒すのはお義姉さまですもの。今から楽しみだわあ!」
訝しそうに眉を顰めたあと、急に愉しそうに口を開け声を上げて笑い始めたテルマに、オフィーリアも眉を顰める。貴族令嬢を名乗りたいのなら、もう少し令嬢教育を真面目に受けたらいいのに。先ほどから言葉遣いも中途半端だし、口を開けて笑うし、受験を頑張って学習院へ入学したのは立派だけれど、やっぱりこの子は市井の生まれの平民でしかないのねと、オフィーリアは内心でため息をついた。
正式に公爵位を継いだあと、この子には父と義母と揃って領都の別邸に引っ込んでもらいましょう。これ以上自由にさせてはカストリア公爵家の名を貶めるだけだし、生活の保証だけ確約して、それで呑んでもらうしかないわね。
オフィーリアはそう考えて、テルマの高笑いには返事をせず、控えていた執事に「それでは、行ってくるわね」と言い残して玄関ホールを出た。すぐ正面の馬車止まりにはすでに専属の馭者が公爵家の馬車を用意していて、彼女はそれに乗り込んだ。
ちなみにテルマにも専属の馬車と馭者を与えてある。学習院へ登院するのに彼女と一緒の馬車で通うなど、オフィーリアの心身のほうが耐えられそうにないからだ。
馭者だけでなく侍女数名と執事補をひとり、テルマとその母にそれぞれ付けている。そうしないと人事権のない父が煩かったというのもあるし、テルマを不当に虐げているなどという噂を真実にする訳にいかなかったからでもある。
背後でテルマが何やら金切り声を発していたけれど、オフィーリアはもう反応しなかった。
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