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【公女が死ぬまで】
03.オフィーリアと王宮の人々(2)
しおりを挟む関係各部署への謝罪と再調整に追われ、何とか一応の目処がついたのは、すでに陽神が西に傾き始めた時間帯だった。早朝、陽神が東の空に顔を出す時間帯にボアネルジェスに「何とかせよ」と迫られてからずっと駆けずり回っていたオフィーリアは、ここまで飲まず食わずである。
調整は当然のように難航を極めた。特に第二王子の閲兵を賜る予定だった重装戦士団の落胆は相当なもので、戦士団長以下幹部たちの巨躯と強面に迫られて、オフィーリアは物理的にも恐怖を味わわされた。昼過ぎに始める予定だったものを昼前に中止を言い渡された事務方にも今後の予定を詰められて、彼女はさらに事後処理に駆けずり回る羽目になった。
で、気付けばこの時間帯である。結局今日はミエザ学習院への登校もままならず、それどころか朝食も昼食も取れなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
専属の侍女たちを従えて廊下を歩くオフィーリアは、さすがに疲れ切っていた。許されるならば今すぐ座り込んでしまいたい。だがすぐに執務室に戻って、本来なら今日中に片付けなければならなかった公務に取り掛からねばならない。
「…………公女さま」
付き従っている専属の王宮侍女のひとりが、遠慮がちに声をかけてきた。
「ごめんなさい、何か見苦しいところでもあったかしら?」
「一度お休みになられて下さいませ。お食事もお取りになりませんと」
無意識にふらついていたのかと思って詫びようとすれば、さすがに見かねたのか気遣われた。
「ありがとう。でも⸺」
「お食事を召し上がって頂きませんと、公女さまに付けられている予算が無駄になりますので。食材も、王宮調理人たちの仕事も無償ではないのです」
侍女が気遣っていたのはオフィーリアではなく、厨房の予算であった。それはそうでしょうね、とオフィーリアは内心で苦笑するしかない。だってこの侍女は王妃が手配した者で、オフィーリアの味方ではないのだ。
侍女は当然、王妃の意向を受けている。そして王妃はボアネルジェスの実母であるから、オフィーリアが彼の足を引っ張ることを許さないだろう。「公女が気まぐれで食事を取らず、食材を無駄にした」などと報告されてはたまらない。
「…………分かったわ。では晩餐室に参るから、先触れをお願いできるかしら」
やむなく食事を取ることにして、侍女たちを厨房と小晩餐室、それと自分の執務室に遣わした。食事の時間の分だけ今日の仕事が後ろ倒しされてしまうが、もうやむを得ないだろう。今夜も帰れないかも知れないわねと、オフィーリアはそっとため息をついた。
筆頭公爵家の次期公爵にして第二王子の婚約者であるオフィーリアの食事が、軽食でも摘むような短時間で終えられるはずがない。ひとりで食べるとはいえ格式があり、決められたマナーがあり、配膳や給仕の配置があり、それらの準備まで全て含めて『食事』なのだ。
それは本来ならばこのような陽の沈みかけた時間から手配するような事ではなく、昼食を終えた直後から準備にかからねばならないような『仕事』であるのだ。
だから案の定、オフィーリアが食事を始められたのは空が夜闇の帳に覆われてからだった。格式に則り食前酒から始まって前菜、スープと来てメインディッシュの魚料理、ソルベで口直ししたあとにメインディッシュの肉料理。その後でサラダ、そしてデザートまで食べ終えた頃には、食事を始めてからだけでも軽く特大一ほど経っている。
独りきりの食事だったため食後酒は断り、控えていた専属の王宮調理長に礼を伝えてオフィーリアは小晩餐室を出た。
「公女さま」
そこへ侍女のひとりが声をかけてきた。何事かと顔を向けると、彼女は頭も下げずに告げたのだ。
「王妃殿下が、公女さまをお招きでございます。すぐにサロンまで参るように、とのことです」
「…………直ちにお伺い致します、とお伝えして頂戴」
ボアネルジェスの実母である王妃からの呼び出しに、ため息を押し殺しつつオフィーリアはそう答えるしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「御免なさいね、突然呼び立てしてしまって」
サロンにやって来たオフィーリアを出迎えた王妃は、開口一番申し訳なさそうにそう告げてきた。
「もったいなきお言葉。お心遣い、痛み入ります」
王妃エカテリーニ・ル・ギュナイコス・ヘーラクレイオス・マケダニアに対して完璧な所作の淑女礼で挨拶をしつつ、オフィーリアは考える。
夜間に呼び出される場合、一般的なのは晩餐を共にする誘いだ。だがオフィーリアが食事を終えたタイミングでの呼び出しだったことから、その線は端から消えている。であればわざわざ話をするために呼び出したということになるが、話の内容が見当もつかない。
ボアネルジェスとの仲は良好だと日頃から王にも王妃にも報告させているし、実際に問題を起こしていないのだから、何か責められるわけではないだろう。第二王子公務に関する叱責ならあり得るが、それは王妃の関与するところではなく呼び出されるなら国王からになるはずだ。
許可を得て礼を解き、姿勢を戻しつつオフィーリアは王妃の顔色を伺った。年齢の割に若々しく美しく、その美貌に普段通りの柔らかな微笑みを浮かべていて、少なくとも叱責されるような雰囲気ではないことに少しだけ安堵する。
ということは、普段オフィーリアに仕えつつそれとなく監視している王宮侍女たちも、オフィーリアに不利になるような報告は上げていないと見て良さそうだ。
「貴女が、あの子の公務を手伝ってくれていることは知っています。その御礼と、労いをしたいと以前から思っていたのよ」
さあこちらにいらっしゃい、貴女のために、美味しいお菓子も用意させたのよ。そう言われて王妃の向かいのソファに腰を下ろしつつ、オフィーリアはそんなことでわざわざこんな時間に呼びつけないで欲しい、と内心で嘆息する他はない。だって本来なら、オフィーリアはすでに王宮を辞して公爵家の公邸に帰っているはずの時間帯なのだ。
「貴女がまだ王宮にいると聞いたものですからね、それならば少しだけでも、と思ったの。御免なさいね」
それならばむしろ、なぜこんな時間まで王宮にいるのかと叱責して欲しいところである。そうすれば第二王子公務が終わらないからと正直に言いやすくもなるだろうに。
オフィーリアは王妃の表情をそっと伺うが、王妃の顔はその点に関して微塵も違和感を持っていないようである。まあ分かっていたことだ。隣国テッサリア王国のアキレシオス公爵家から嫁いできてこの国の正妃として君臨するこの女性は、王太子として将来の即位を不安視されていた夫バシレイオスを完璧に補佐して、ここまで涼しい顔で乗り切ってきた女傑なのだから。
むしろ彼女にしてみれば、第二王子の公務補佐程度で王宮内での評価を落としつつあるオフィーリアなど、将来の王妃として不適格に見えているかも知れない。
「貴女があの子の公務のほとんどをやらされていることは知っているの。それで公邸に帰れない日もあるんですってね?」
そうはっきりと言われてしまって、オフィーリアは思わず王妃の顔を見つめてしまった。これが公的な場であれば不敬を問われかねない大失態である。
だが王妃は顔を見つめられても全く気にする風もなく、驚くオフィーリアに眉を下げて困ったように微笑うばかり。私的に呼び出されたサロンで本当に良かった。
「それには本当に感謝しているのよ。あの子にもよく言って聞かせておくから、今後も支えてあげてくれないかしら」
「は、はい、もちろんでございます」
「そう、良かったわ。これであの子も安心ね」
眉を下げていた王妃がふわりと花開くような微笑みに変わり、オフィーリアはそっと目を伏せて目礼するに留めた。
その後、王妃の言葉通りに舶来物の菓子や紅茶を勧められて、思いがけず食後のデザートを満喫してしまったオフィーリアである。ガリオン王国の最新流行のお菓子やアルヴァイオン大公国直輸入の東方産の茶葉で淹れた紅茶は、とても美味しかった。
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