貴族社会は欺瞞と虚飾でできている

杜野秋人

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05.そういう問題ですわ、旦那さま

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のですもの」

 そう口にした時、わたくしは努めて微笑んだつもりでしたが、果たしてお義父さまにはどう見えていたのやら。

「なっ……!?」

 お義父さまのお顔が驚愕に歪みます。さすが、お歳を召しても端正なお顔立ち。歪めてもなお麗しいなんて、さすがはあの旦那様のお父上ですわね。
 ……ではなくて。普通、殿方はわたくしのようなうら若き乙女に言い寄られたら喜ぶのでは?
 あっ!もしやわたくしに女としての魅力が……ない、のでは!?

「…………何を考えているか、さっきから全部顔に出ているぞ」

 あらやだ、狼狽えている間にお義父さまが復活なさっておられるわ。
 って、わたくしそんなに顔に出していましたか?淑女たるもの、表情から感情を読まれるなどあってはならないことですのに。嫌だわ恥ずかしいわ。

 お義父さまはため息をひとつついてから仰いました。

「要するに、君との夫婦生活を拒否した息子の、と言いたいのだろう?」
「お察し頂きありがとう存じます」

 良かった、きちんと伝わっていらしたわ。

「君は自分が何を言っているのか、本当に分かっているのかね?」
「お義父さまは、わたくしでは閨の相手として至らないと仰せで?」
「……そういう事を言っているのではない!倫理的な話をしている!」
「倫理的と仰られましても、わたくしには今夜しか時間がないと申し上げました。今宵このような事になってしまった以上は今さら醜聞のひとつやふたつ増えたところで今さらのことですし、先ほども申し上げました通り、わたくしは侯爵家ののです」

 そう。旦那様である侯爵閣下の父であるお義父さまは、爵位を譲った隠居の身とは思えぬほどお元気で。今もそこに立っている侍女を夜伽に使おうとしていたくらいなのですから、まだ男性としても立派にお役目が務まるはずですし、なんなら今からでも後妻を迎えて旦那様の弟妹を新たに儲けることさえも可能なわけです。
 であれば、わたくしが孕むのは旦那様の種でなくても構わないということ。むしろわたくし的には、あれほど薄情で印象最悪の旦那様よりは、お歳を召してもなお麗しく、わたくしの話をきちんと聞いて下さって詫びまで述べて下さったお義父さまのほうが、明確に好感度が高いのです。

「それは……まあ、重ねて詫びるほかはないのだが……」

 ですのにお義父さまは、なおも渋っておいでです。やっぱりあれかしら?息子の嫁に手を出すのは憚られるのでしょうか?それともわたくしのような小娘より、そこの年嵩の経験豊富そうな侍女のほうがお好みですか?

 …………いえ、待って?この侍女本当に慣れていらっしゃるの?

「あなた、今までにお義父さまの夜伽を務めたことがあるの?」

 わたくしとお義父さまのやり取りを横で聞いて、顔を真っ赤にしてオロオロしている侍女にそう問い質してみたところ。

「わ、わたし……その、まだそういう事をしたことがありません……」

 消え入りそうな声でそう言うではありませんか。

「なんだと?慣れていると聞いていたが?」

 お義父さまも驚かれています。

「も、申し訳ありません!」

 そして叱られたと思ったのか、侍女は深々と頭を下げて許しを乞うたではありませんか。

 よくよく話を聞いてみると、この侍女は侯爵家の寄子のひとつである男爵家の娘で、父の男爵が代官を務める侯爵領の地方都市に平民の許嫁いいなずけがいるのだと言うではありませんか。
 平民は一般的に稼ぎがそう多くはないため、コツコツと働いてある程度財産が貯まるまで、あるいは出世して収支が安定するようになるまで結婚を先延ばしにする事があるのだそう。それで、彼の準備が整うまでという約束で、彼女の方も侯爵家に奉公に出たのだそうです。
 そんな彼女は、侯爵家が旦那様に代替わりしてから正式な侍女に昇格したそうで、半年ぶりに王都の邸を訪れたお義父さまとは初対面になるそうです。

「久々に邸を訪れてみれば新顔の見目の良い侍女が入っておるし、侍女長に聞けば経験も豊富だと言うから閨に呼んだというのに……。
いやだがしかし、そんなこととは知らず済まなかった。もう少しでそなたに取り返しのつかない瑕疵きずを負わせてしまうところであった」

 やはりお義父さまは誠実な方でいらっしゃいますわ。寄親たる侯爵家ならば男爵家の娘など尊重せずとも誰にも何も言われないでしょうに、わざわざ侍女に頭を下げたばかりか、その純潔を守れるように取り計らうことまで約束なさったのですもの。
 侍女長にも事情を話しておきなさいとお義父さまに指示されて、侍女は何度も頭を下げて礼を述べつつ、部屋を退去していきました。

「では改めて、お義父さまの今宵の伽はわたくしが務めるということで」
「だからといって、なぜそうなるのだ」

 あらまあ。お義父さまはまだご不満がおありのご様子。

「もしかして、わたくしが“お義父さま”とお呼びしているから……?」

 確かに実の親子であれば抵抗感がすごそうですわね。わたくしも実の父に抱かれるなんて考えるだけで虫酸が…………いえ、父のことは特に好きでも嫌いでもありませんけれどね。アレと男女の仲というか、その、そういう間柄になるとか考えただけでも無理ですわね、確かに。

「では、とお呼びしましょうか……あら」
「だから、そういう問題ではないと言っているだろう」

 ではないと仰られても。わたくしの中で今、意識が変わった確かな感触がございましたわよ?
 ええそう。わたくしだって義理とはいえ、父になる人と思って今まで接してきたのです。ですが旦那さまとお呼びしたことで、わたくしの中でも父と思おうとしていた人を良人おっととして受け入れるのだと、明確に意識が変わりました。
 ならばあとは、お義父……いえ、旦那さまの意識を変えて頂ければよいはず。

「そういう問題ですわ、旦那さま」

 ここまでわたくしは、ソファに座ったままの旦那さまの傍らに立っておりました。けれどもそれは、どちらか一方が手を伸ばしても相手に触れられない微妙な位置関係で。互いに手を伸ばせば触れ合える程度の、まだギリギリ節度のある距離を保っていたわけです。
 だから旦那さまも、若干居心地悪そうにはしておられましたが避けることも、わたくしを遠ざけることもなく。
 ですのでわたくしは勇気を出して、えいとばかりに旦那さまの隣に腰を下ろしました。ひとつのソファに寄り添って座るなど、もはや節度ある男女の距離とは言えません。さすがに旦那さまもギョッとされて、身体をずらして距離を取ろうとなさります。
 ですのでわたくしは逃すまいと、旦那さまの左腕に自分の腕を絡めました。

「こっ、こら!はしたないぞ!」
「今さら何をおっしゃいますやら」

 先ほどまでいた侍女は、辞去したのでもはや室内におりません。この応接間には今、わたくしと旦那さまのふたりきり。しかもわたくしは初夜のための薄い夜着の上からナイトローブを羽織っただけの、あられもない姿。
 わたくしの胸に、旦那さまの固い腕が触れるのが分かります。若い頃には騎士として鳴らした旦那さま。今でも身体を鍛えてらっしゃるようで、その男らしい腕の感触にちょっとだけ驚いてしまいました。

「は、離しなさい」
「嫌でございます」

 旦那さまのお声が上ずっておられます。少しは女として意識して頂けたのであれば、勇気を出した甲斐もあるというもの。

「どうかこのまま、お情けを頂きとうございます」

 旦那さまの喉が、ゴクリと鳴ったのが分かりました。

「わたくしに、女としての幸せを与えて下さいませんか、
「ふ、、そなた……」

 大胆な行動のわりに、声が震えたのが自分でも分かりました。勇気を振り絞ってみても、やはりわたくしも緊張していたようです。
 それがお分かりになったのでしょうか。旦那さまはもう、逃げようとはなさいませんでした。





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