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【レティシア12歳】
046.くまみたいなおっきなきしさま(7年ぶり二度目)
しおりを挟む森の奥から響いてくる爆発音と、木々の合間からかすかに見えた赤い光。鳥たちが上空へ慌てて羽ばたいていく。
次の瞬間、その方角にアンドレがその巨体に見合わぬ俊敏さで駆け出し、隊長はじめ護衛たちも慌ててアンドレの後を追う。彼らの姿が見えなくなってから、ジョアンナはおもむろに手鏡サイズの“通信鏡”を取り出した。接続ボタンを押し、応答を待つ。
しばらく待てば反応があった。
『なあにジョアンナ!ちょっとわたくし、今忙しいのだけれど!』
聞こえてきた声は、誰あろうレティシア本人である。
「お嬢様。アンドレ様が今そちらに向かわれましたので、お早めにお戻り下さいませ」
『えっアンドレさまが!?わたくしを探してくださっているのね!?』
「浮かれている場合ではありませんよお嬢様。あとでたっぷりお説教ですからね?」
通信鏡の向こうのレティシアの気配が、はっきりと凍りつく。
『………………えっ、その。⸺ああもう、邪魔しないでくださるかしら!?』
一瞬口ごもったあと、レティシアのその声とともに鏡面から赤い光が迸り、続けざまに爆発音と木の幹の裂ける音が響く。
『ちょっ、ジョアンナ!?その件はあとでゆっくりお話しましょう!?』
「ええ、もちろんですわお嬢様。たっぷりとお話して差し上げますからね」
だがジョアンナは、レティシアが何やら取り込み中なのを気にする素振りもない。どう聞いても森の奥で何かしらトラブっているようにしか聞こえないのだが。
『やっその、ごめんなさい!謝るから許してちょうだいジョアンナ!』
「許すかどうかは、わたくしと旦那様とで決めさせて頂くことですわ」
『すっすぐ!すぐ戻るわ!すぐだから!』
それきり、通信は切れてしまった。だがそれさえも気にすることもなく、通信鏡を仕舞ってジョアンナは困ったように呟いた。
「全く、お嬢様にも困ったものですわ。お戻りになったらお説教だけでなく、お仕置きが必要かしらね?」
頬に手を当ててにこやかにため息をつくジョアンナを、居残りさせられる羽目になった護衛のオーレリアンとジョルジュ、それに馭者のセルジュまでもが唖然として見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レティシアは逃げていた。
それはもう、必死で。
だって、ただでさえ足場がおぼつかず慣れない森の中で、自分の何倍もの巨体の灰熊に追われているのだ。相変わらずどうやれば爆発が起こせるのか分からないし、それをじっくり考えている時間も与えてはもらえない。そもそも爆発を起こしたところでそれを効果的に灰熊にぶつけられる手段も考えつかない。
だから逃げるしかなかった。だというのに、まだ子供のレティシアの逃げ足よりも獣の追い足の方が明らかに速いから、今どんどんと追い詰められている。もう捕まってしまうのも時間の問題だ。
「嫌………嫌………!」
霊炉はとっくに運動超過で悲鳴を上げていて、息が上がって呼吸が苦しい。草や枝葉で傷だらけの手も足も顔もジクジクと痛む。何より、もうすっかり彼女の心は恐怖に染まり、無理やり理性で叱咤していないと立ち止まって泣き出しそうになる。だが立ち止まってしまったら本当に終わりなのだ。
もはや彼女の頭からは、アンドレを心配させたとか帰ったらジョアンナに怒られるとか、そういったことはすっかり抜け落ちている。あるのは恐怖と、足の痛みと、とにかく安心したい、この恐怖から逃れたいという思いだけだった。あとは⸺
ああ、そう。そうだわ。
せめてもう一度だけでも、アンドレさまのお顔が見たいわ。
そう思ったら一気に心細くなった。
あの時、もう絶対に助からないと諦めたあの時、思いもよらず助けに来てくださったおっきなきしさま。
どうか、どうかもう一度だけ、わたくしをお救いくださいまし。
「アンドレさまぁーーーーー!!」
ほとんど無意識に、レティシアは叫んでいた。アンドレがそこにいるはずもないのに。自分から逃げ出しておいて、助けを乞うなんて虫が良すぎると自分でも分かっているのに、それでも彼女は叫ばずにはいられなかった。
その時、真横の茂みから新たな巨体が姿を現した。
そんな、こんな時にまた別のくまが現れるなんて!
絶望に心が染まった瞬間、レティシアは草に足を取られてつんのめった。
「あっ!」
身体が揺れて、バランスを失い前のめりに倒れ込む。咄嗟に身体を庇おうと両手を伸ばした。
だがその手が、草叢の下の地面に届くことはなかった。
華奢な胴体が何かにぶつかり、そしてふわりと宙に持ち上げられる。予想だにしなかったことに思わず身が竦み、ギュッと両目をつぶった。
だというのに、どこも痛くない。それどころか優しく抱きかかえられ、すっぽりと大きなものに包まれて、何だかとてもとても安心してしまった。
⸺えっと、これは……どういうことなのかしら?
そうして、おそるおそる目を開けたレティシアの瞳に飛び込んできたのは⸺
「探しましたよ、レティシア様」
そう。紛れもなく彼女の“おっきなくま”だった。
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