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【レティシア5歳】
026.見せたかったもの
しおりを挟む「5さいのおたんじょう日のおいわいに、わたくしもおうまを買ってもらったのです!」
「ええ!?」
アンドレは驚くほかはない。風馬の競べ馬そのものは庶民でも賭けに参加できる手頃な娯楽だが、それに出走する登録馬は血統配合を考え抜いて生み出された「純血種」ばかりのはず。レースを勝ち抜けば莫大な賞金が稼げるため、必然的に登録馬は仔馬の頃から高額で取引されることが多い。勝ち上がれそうな良血馬ならなおさらだ。
つまり、子供が欲しがったからと買えるようなものではないのだ。買ってもらったというからには公爵からのプレゼントだろうが、5歳児の誕生日プレゼントに一体いくら費やしているのか。ていうか、あの時灰熊に襲われて壊されてしまった脚竜車も誕生日プレゼントだとか言ってなかったか?
「参考までに、あの、おいくらで………?」
「それほどお高くはありません。100白金貨ほどでしたか」
レティシアに聞いたのに、横にいるジョアンナが答えてしまった。レティシア本人はこてんと首を傾げているから、この様子では値段まで知らないと見た。
いやそれはいい。それはいいんだが。
「ひ、100白金貨!?」
西方世界に流通するすべての通貨の中で、白金貨がもっとも価値が高い。無理やり日本円に換算するとおよそ100万円といったところか。それが100枚、つまりレティシアの愛馬は約1億円で取引されたということになる。
ちなみに通貨の最小単位は銅貨だ。銅貨が5枚で白銅貨、白銅貨が40枚で銀貨、銀貨が5枚で金貨、金貨が10枚で紙幣、そして紙幣が10枚で白金貨である。銅貨1枚が日本円で約10円、というところ。
アンドレに馴染みがあるのはせいぜい金貨までで、白金貨なんて見たこともない。
無論、まだ5歳の幼いレティシアが自分の意思でそれほどの大金を動かせるわけがないので、実際の、というか登記上のオーナーはあくまでも父のノルマンド公オリヴィエである。つまり彼は娘を溺愛するあまりにレティシアのためだけに馬を、それもデヴュー直前の、世代の中でも有望馬を財力にモノを言わせて買い取ったのだ。
もっともレティシアはそんな裏事情は全く解っていないが。ただ父に「これはレティの馬だよ、調教師にもレティの指示に従うよう言ってあるからね」と言われて大喜びしただけである。
「それほど驚くことでもありませんよ。良血の純血種ともなると500、600白金貨の取引が当たり前になってくる世界ですので」
事もなげにジョアンナは言っているが、筆頭公爵家の財力のほどをまざまざと見せつけられたアンドレは虚無顔になって黙り込むしかない。
「もう、ふたりともなにやってるのですか。早くいきますよ」
「え、……ああ、すみません」
「では参りましょう。こちらです」
立ち止まってしまったアンドレとジョアンナに焦れたようにレティシアが声をかけ、アンドレが再起動したのを確認してからジョアンナが先導する。そうして彼らは建物に入ってゆき、関係者用通路から出走馬用厩舎の方へと進んでいくのであった。
ちなみに建物に入ってからはアンドレがレティシアを抱っこした。彼ももういい加減腰を伸ばしたかったし、彼女も抱っこされて喜んでいるので問題ないだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おお、これはようこそいらっしゃいましたレティシアさ…ま゛っ!?」
なんだかおなじみになってしまった反応をして後ずさり、必死で意識を保とうと頑張っているのはファーブル師。レティシアの愛馬、“小さな天使”号の担当調教師だ。
「わたくしのおうまを見せていただきにまいりました!」
そんなファーブル師の様子など寸毫も気にすることなく、レティシアは満面の笑みである。
そして、そんないつもと変わらぬ彼女の様子に、ファーブル師も少しだけ落ち着きを取り戻したようだ。
「レティシア様、まずはご紹介をして頂きませんと」
「あっ、ごめんなさい!こちら、わたくしのこんやくしゃになっていただくアンドレ、さまです!」
「………は、え?」
「あくまでも現段階でのお嬢様のご希望の話ですわ先生。決定ではありませんわ」
「あ、………ああ、そうでしたか!」
複雑な笑みを浮かべながらも、師はどうやらこの幼いオーナーお気に入りの客人であるということは理解したようだ。アンドレに向かって優雅に帽子を脱いでお辞儀をしてみせる。
アンドレも会釈して、軽く自己紹介を済ませた。
「なんと、このたび男爵を叙爵されたのですか。それは何ともめでたいことでございますな」
「ええまあ、ちょっとしたことからノルマンド公閣下に気に入って頂きまして」
「そうですか。それは僥倖でございましたなあ」
レティシアがふたりの足元で馬房に行きたそうにそわそわしていて、それで一同揃って出走馬房へと足を運んだ。
アンドレは馬たちが自分に怯えるのではないかと危惧していたが、意外にもプチトンジュ号をはじめ馬房の馬たちはケロリとしていた。師に一応確認すると、馬は臆病ではあるものの、人間に対して悪意があるかどうかきちんと見分けているのだという。
レティシアがアンドレに抱えてもらってプチトンジュ号のたてがみを撫で、「がんばってくるのですよ、プティ」と声をかけてやり、厩務員に連れられてパドックへ向かう彼女を見送った。
プチトンジュ号は月毛の美しい馬で、牝馬だそうだ。
出走馬主用の観覧席に全員で移動し、ジョアンナがさり気なく用意した双眼鏡でアンドレたちはレースを観戦した。プチトンジュ号は次のレースに出走するらしい。
「きねんすべきデヴューせんなのです!」
なるほど、彼女のデヴューをアンドレと観戦したかったからレティシアがあんなにも一生懸命引き留めたのだと、アンドレはここにきてようやく気がついた。
であれば、是非ともプチトンジュ号には勝利してもらって、お姫様をご機嫌にしてもらわなくてはならない。
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